Archive for the ‘The Ω Archetype’ Category

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[2]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

Sunday, December 11th, 2005

[随時推敲中]

ギリシア語アルファベットの最終文字“Ω”の「omega」という名前の由来だが、Douglas Harperによれば、まずは「o-mega」すなわち「大きなO」「大文字のO」から来ている。そしてそれは「オー」という「伸ばされた母音」を意味する「長いO」をも意味したという。

実際、人類の最初の言葉は驚きの音声、どよめきの「オー!」から始まった。「オー」は英語では「awe」(畏怖、恐れ)に通じ、それは驚嘆の音である。それが「awesome」(畏敬、見事な、素晴らしい、酷い、無茶な)、「awful」(とてつもない、恐ろしい、酷い、すさまじい)などの言葉を生み出した。

“Ω”はまさにそうした「awe-mega」巨大な畏敬・畏怖を表す記号である。そしてすでに述べたように最初と最後を含む「au-m-ega」にも通じる。

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今回は、「Ω祖型」を伝える図像を具体的に上げて行く。そしてわれわれにとって重要と言うべき象徴的図像は、形態上「驚嘆すべき」ほどに近似しており、ほとんど全て同じ事物を伝えるものではないかと考えることが妥当であり、また一定の必然性があると言わざるを得ないのである。

その一つの根拠は、これらの図像が単なる装飾的な必要からそのような形態を得るに到ったというにはあまりに互いに近似の「文脈」において出現するものであり、また「聖なるもの」との関連抜きには顕現しないという点である。

また、ここでまさに言及した「文脈」とは、至上権表象物として、対称世界の中心に位置するものとして、対立物間の狭間に存するものとして、あるいはそびえ立つ支柱の上に出現するものとして、あるいは光輝を発するものとして、果たして上昇し下降するものとして、そして何よりも「終わり」と「始め」に関わりのあるものとして、そしてそのエポックを引き起こす要因的存在として、出現するものである。

以後、ここで引用する画像群はすべて“Ω”の形状(あるいは“Ω”の形が指し示すもの)を自然界に存在するオブジェクト、もしくは人間の作り出した「遺構」を利用して伝えようとした形象例である。

■ 貝殻

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ここで取り上げる貝殻(shell, scallop, clamなどと呼ばれる)の文様・象形は伝統的にヨーロッパにおいては「巡礼: pilgrimage」との関連があり、とくに「巡礼者」との深いつながりがある。彼らは自分たちが巡礼者であるという「徴(しるし)」として貝殻を旅行鞄や持ち物に付けた。そして巡礼の道行きにおいて沿道の信仰深い支援者は、その徴によって巡礼者たちをその他の人々から区別した。

紋章においてはこの帆立貝の貝殻を上下転倒させた形で図像化されたケースが多い。また、後に「スペイドのエース」でも言及する様に、その貝殻の紋章自体の中に「波頭」形状の巻き上がる渦巻き(波頭形状)を含んだものがある。

□ 貝殻(二枚貝)の典型的な紋章 (heraldry)

貝殻の紋章(参考)と巡礼との関連

聖ヨハネ、そして巡礼者のシンボル

聖ヤコブのシンボル

洗礼(Baptism)のシンボル・水による通過儀礼

日本の故事における「貝殻と巡礼」の関連が見出すことが出来る。

だが、ここで言われるところの「巡礼」とは、単なる実在の聖人と関連づけられた土地への参詣のための道行きということばかりではなく、「聖なる大地(地球)への巡礼」であり、それはかつての人類が歩んだのと同じ道をわれわれが「歩んでいる」ことに対する自覚の表明である。それが「犠牲によって聖化された土地:われわれの住む地球」という秘密への参入を告白するシンボルなのである。

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ロイヤルダッチシェル:100 years of the Pecten

■ 西洋アザミ thistle

スコットランドのナショナル・フラワーであるアザミ(thistle)についてはすでに若干取り上げているが、これも典型的な「Ω祖型」を伝える図像として利用されている。多くの紋章においてもその花の付近まで「腕」を伸ばす左右の二葉によって「波頭とフィニアル」のバリアントとしての対称図像を成しているのが観察される。

某ハンドクラフトメーカーのサイトのアザミもアザミ紋章の伝統を踏まえたもの。

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Periwinkle Promises に掲げられている刺繍デザインも、具象性よりも、そのシャトルコック状の「象形」を伝統通りに伝えることに傾注している。この拡大写真を観ると、このアザミの花の中にさらに小さなアザミが含まれていることが分かる。これは典型的なΩ祖型的な「入れ子構造」を保持した一例であると観ることができる。

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アザミ紋章において、当然アザミの花が「フィニアル」である。そしてそれは正に「Ω」が転倒して重力によって降下しようとしている「下向きのシャトルコック」であり、それを顎(ガク)が支えるという形状であり、言わば「宝珠とそれを支える請花(うけばな)」の関係を成しているのである。日本の「フィニアル」参照。

下のDariune伯爵の紋章にも観られる様にアザミ自体が「至上権」を表す象徴となっており、それは紋章の頂点に来臨するものとして描かれる。

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さらに次のDuncan MacFlandryの盾の紋章(左下)においてはこのアザミの花が3つ組み合わさり、あからさまに「三位一体」を表現している。色も「緑」が基調である。また、右下のMarch of the Thistleに至っては、アザミが連結し左右(上下)、すなわち両端方向に引き合う形になっている。これはほとんど三鈷杵そのものと言ってもいい。当然金剛杵の中心の軸(独鈷杵なら杵そのもの)に当たるのは、アザミの花自体ということになる。

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■ 収穫麦の束: a sheaf (sheaves) of wheat

収穫された麦を束ねたものは、「A sheaf of wheat」と呼ばれる紋章のひとつのパターンである。上部先端が丸くなっていて中央部は縄で絞られている。黄金色に輝く麦の穂があたかも炸裂しているかに見えるこの形象は「支柱と光輝」の範型にきわめて近いものであるが、その基本は中央部(下部ないし上部)で縛られている形状であり、「貝殻」や十二使徒のひとり聖マタイの「現金袋」(moneybag, moneysack)とも類似のものである。参考:十二使徒の他のシンボルも観ることのできるサイト

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マタイが税収家を職業としていたという故事に倣い、そのシールド状の紋章も3つの巾着のような現金袋が彼のシンボルマークとなっている(絞られている箇所は上部である)。同じく十二使徒のひとり大ヤコブのシンボルが3つの貝殻(escallop)であるように、一見したところその2つに余り違いがないように見える。

下に観るのは「収穫麦の束」が紋章となった例である。ペンシルヴァニア州の州旗である。ほとんど意匠の詳細が分からない場合、ほとんど「鍵穴」の様にしか見えないが、3つの「束」を紋章中に入れ込むことで三位一体を表現すると共に、その意図を強調している。(むしろ、その詳細が失われた時にその形象の本質が浮かび上がるのである。下図:赤い○で囲まれたところ

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上:ペンシルヴァニア州の紋章

■ 茉莉仙桃(ジャスミン・セントウ)

「花茶」と呼ばれる中国茶は、花火や薬玉に通じる中国の古い伝統を感じさせるハンドクラフトの一分野と読んでも良いような世界である。茶の湯が洋の東西を問わずひとつの意味深い儀礼として始まり、また「お茶の間」にて親しまれてきたものであるが、中国茶の世界にもこのような「Ω祖型」を鑑賞させてくれるものが存在するのである。茶碗ではなく、「茶」自体にその形象が閉じ込められていた。ジャスミン茶が「茉莉」と表記されること自体にもさまざまなトピック立てが可能なのであるが、それらには深入りせず、ここではその熱湯の中で「展開」し、湯の花を咲かせる茉莉仙桃の様子の画像だけを楽しんで頂くこととする。

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湯に浸ける前の茉莉仙桃(花火の弾丸のようでもある)

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湯に浸けられて解れた「弾」が湯中で花を開かせる様子。円形で重みのある方が下を向き、上向きに炸裂する「花」を咲かせる。中央は絞られたままで、まさに「収穫麦の束」と同じ形状を維持する。香りだけでなく視覚的にも訴えかけるもののある茶の湯である。

■ 打出の小槌

「打ち出の小槌」もまた「切り札」的な役割を果たすひとつの奇跡の道具であり、ドラマの最終場面で「解決」をもたらすDeus ex machinaとして働く人智を超えた機能を備える。そしてそれはエピソード中でも「金」との関連がある。形態的には頭頂部と基部が三つ又に分かれた「三鈷杵」あるいは「トライデント:三叉銛」を思わせるもので、その上半分が貫かれた「槌」になる。

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この図版にもあるように、この小槌自体が「宝珠」であるという伝統的理解の反映がある。そして「打ち出の小槌」自体が「Ω祖型」を伝えるための「支柱と光輝」の表象パターンを受け継いでいる。そして屋根瓦という「日本のフィニアル」の「鬼の面相」にも置き換わるものとして頻繁に登場する。小槌は高い天上にてわれわれの頭上に「恩寵」を降り注ぐべく「振り下ろされる」のである。

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■ 鍵穴の象徴

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Martin Laytonのアートにも観られる様に鉱物からくりぬいた鍵穴は天空から下降する「人知の結晶」となる。

そして、この鍵穴状の形はアメリカ先住民のキヴァと呼ばれる儀礼用の掘削穴にも観られる。チャコ文化国立公園内のCasa Rinconadaのキヴァは、そのまま「キーホール・キヴァ」と呼ばれるのである。この形で伝承しようというのがその儀礼の目的なのである。

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■ 前方後円墳

そしてΩ祖型のひとつとしてわれわれが忘れてはならないのが、世界最大級の「墳墓」とも呼ばれることのある仁徳天皇陵を始めとする、いわゆる「前方後円墳」である。

「前方後円」という名からは向かって上に当たる方が「方形」(角張った方)であり、下にあたるのが「円」と考えられていることが伺えるが、「前方後円」なのか「後方前円」なのかは議論の余地のあるところである。だがそれでもなお、図像の天地をどのように考えるかはこの際、われわれの議論にはあまり関係がない(あるいは向かって手前にあるものが「前」であり、奥にあるものが「後」であるという考えもできないわけではない)。確かにそれがどちら向きに受け取られるべきであるのかというのは、象徴意味上無視していいわけではない。ここでは深入りしないが、事実、Ω祖型が上向きなのか下向きなのかということは、それを伝達しようとするものにとってなにがしかの意味があったからである。

しかし、大抵の空撮された図版を見ると「円」の方が上(前)に位置されているのである。だが、それがどのように呼ばれようと、この図像を通常の「鍵穴」状の向きにほとんど人々が捉えているということに注意を促すことは無駄なことではあるまい。

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仁徳天皇陵

しかしなによりも重要なのは、いわゆる「前方後円墳」のその鍵穴のような形状については、その意味が解き明かされたと宣言されたことがないということである。こうした「Ω祖型」という一連の図像形体の文脈上でそれを観察した時、そしてその「墳墓」が内部に含んでいたもの(埴輪など)を観察した時、もはや何の疑いもなく「一つの明瞭な形状(鍵穴に譬えられるような)」を伝えるためだけにそれが大規模造営によって建設された、きわめて無視できない象徴的サインであることが明らかになる。それはエジプトのピラミッドが伝えようとしていることに等しい重要性を含んだ形状である。そして、それは「Ω祖型」を伝えるための、古代の巨大造営物であったということである。

■ 壷型埴輪

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そして、上の「Ω祖型」伝達の意図を裏付けるかの様に、最大の前方後円墳である仁徳天皇陵から、壷状の埴輪(壷型ハニワ)が発掘される。仁徳天皇陵という巨大な“Ω”の中の「入れ子」としての小さな“Ω”が発見されたのである。壷の形状は、至ってありがちなものであると言うこともできる。だが、支持台ないし窪んだ穴などがなければ自立的に立てることのできない「丸底の壷」というものは実用の面では疑問がある。この形状に実用面以外の意図が込められていると言うことである。

■ 信仰する群衆(巡礼者)の作るΩ形状

イスラム美術において「メッカ・カーバ神殿の図解タイル*」というジャンルが存在するが、その「図解」するものが「Ω祖型」に注意を喚起するものであるのは明らかである。カーバ神殿という聖地の極において、無数の人間が一塊の群衆となってこの円の中心にある「神の家」の周囲を渦の様に回りながら祈るわけであるが、その渦の核になるのがこの「鍵穴」の上半分にあたる円の中心点である。

* 2005年東京の世田谷美術館の『宮殿とモスク展』でもその事例が展示されていたのがわれわれの記憶には新しい。

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La face de Dieu

この資料に記されていることを解釈するならば、カーバ神殿というのは生きた人間が群衆となって作り出す「Ω祖型」の図像であると言うことになる。そしてそれが「神の顔」であるというのだ。また、この「図解」の取り囲む様にアラビア語のテキストが配されているが、それが典型的な「円相」を成している。これは暦茶碗を通じて教示される「巡る季節と宝珠」の組み合わせを思わせるものであるが、集団的な「浄化」儀礼と<円相>の伝えるもので掲載したリース状の円環図像を模したロウソク台とも範型を共有する。

■ ローマ・カトリックの総本山

Pietro

ここではほとんどど語る必要を認めない程、明瞭なΩ祖型の徴が見出されるのである。カーバ神殿との濃厚な共通点とは、宗教の大本山に相当する場所の、群衆の集会を許容する規模の広場であるということである。

もう一つ好例が見出されたのでここに収録しておく。

Sainte Marie

図版引用先:UNIVERSITE (Francois - Rabelais Tours)

■ スペイドのエース

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スペイドとは「踏み鍬(シャベル)」のことであり、その役割からすれば本来、「地を穿つもの」であるはずだが、その形状は転倒し先端が上を向いている。そしてその名の指し示すものとは無関係に、上空に燃え立つような樹木のような黒いプロファイルをシンボルとして固着した。

本来、トランプのシンボルについて言及し始めればカードの4つのシンボルがそれぞれに保持している「数性」に触れないわけにはいかない。しかしそれについてはここで棚上げしたとすれば、それは先端が尖っているΩ祖型のヴァリアントと言うことができる。モスクのドーム状の屋根のメナーレ(尖塔)や東方教会のドームにも似たそのスペイド記号はまさに宝珠が表すものと同じものである。それは、そのメナーレ型の先の尖った形状のみならず、尖塔を左右から支える巻き上がった装飾のパターンからしても、宝珠がしばしば伴ういわゆる「雲気」を連想させる「波頭」形状をその記号自体が含んだものと観ることができる。

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ある種の石灯籠とも等しい宝珠型屋根のメナーレと三位一体を表す3つの窓穴画像引用先:islamfact.com

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浜田山の八幡神社にも見られる正面が三穴になっている灯籠。北鎌倉の社寺にも多く見られる形のもの。灯がともれば三つの火の玉が浮かび上がる。当然頭頂部にはタマネギ状の宝珠が据えられる。これは前掲のイスラムモスクのメナーレと3つの窓穴と全く同じ<題材>を伝えるための象徴図像なのである。

ハートやクラブ、そしてダイアのエースがそのようなデザインにされていないのに対し、「スペイドのエース」だけがこうした例外的な扱いに与っている。そして、われわれがそのカードによって喚起される連想とは何か。それはこのカードが「ゲーム」において極めて強い「切り札」でありながら「ある種の不幸」(misfortune)とも関連づけられていることである。それは思い出す価値のあることである。

[3](最終回)に続く

金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[1]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

Monday, December 5th, 2005

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■ 最も古い図像祖型への最も新しい命名:Ω祖型

「オメガの祖型」とは終末的イメージを伝える極めて秘教的な黙示図像の典型であり今後の議論上有用な範型となるものである。“Ω”がギリシア・アルファベットの最終文字であることはすでに知られたことだが、それは「時の終わり」を意味するコードであって、念願たる歴史時代の「終焉」をついに引き起こす人類の「叡智」の結晶を顕すものでもある。これはわれわれを「時の呪縛」とあらゆる「現世の不正」「煩悩」から解放し、大乗的な「救済」を実現し、地上を「浄化」し、「再生の途」に就かせる意味でも拝礼されるオブジェクト(対象)なのである。したがって、あくまでも「人間が造り出すそれ」は、神不在のまま、崇拝される。ここでは神以外の全てが偶像である。それが偶像であるかどうかは、それが天上人のものであろうと天下人のものであろうとに関係なく、またその「顔」や「姿」が描かれているかどうかとも関係がない。神の直接関与でなく、この<事態>が人の手によって造り出されたものによって引き起されるという事実への理解が重要である。そして人の手によって造り出されるもの全てが偶像なのである。

むろん、その「救済」手法の具体性──それは大いにグロテスクなものであると悟るべきであるが──を知的に了解した上で、われわれがそれを「礼拝」の対象とし続けるのかどうかは別問題である。だが、人類は「それ」の歴史的実在と実現可能性を未来の世代であるわれわれへと伝えて来たし、祖先達は無意識にそれに対する畏敬を抱きながらもあたかもそれを「待望している」としか言いようのない態度や表現によって、その存在についての伝達をおこなってきた。そしてそれらは単なる「装飾的意匠」で収まることのないものであり、極めて宗教的な儀礼や慣習と結びついて(あるいはその本質的コアとして)伝えられて来た。その具体的内容がグロテスクな未来を予兆するものであっても、表向きは「栄光」や「待望されるべき善なるもの」、そして時として「救世の主」として、肯定的認識なしには伝達が成り立たなかったはずである。誰も「人間の悲惨」を待ち望むことはないからである。しかし、われわれはそれをその意味の二重性を了解した上で、善悪を超えた人類の知恵として、「壊しつくり直す」契機たる物品をここでは「叡智の結晶」を呼ぶことにしたのである。

その「叡智」が凝縮した壷、上昇し天上にて輝くサンビーム、人類のあらゆる知(科学技術など)すべてを含む「天空にて割られる薬玉状のオブジェクト」が、「Ω祖型」と今後われわれが呼び習わす図像群であり、それらの総称となるであろう。

■ 歴史的事実の入れ子構造(コトとモノ)

“Ω”は正に一巡し閉じようとする円環(円相)“O”の「直前」の図としてその文字をその形状から解読することができる。音韻的には“O”(オウ)と同じ機能(そして、最初と最後の音韻さえそのひとつの文字の中に内包する)を持つが、ギリシア語の「オメガ」には、それがひとつの一群の祖型的イメージを持ったものの総称名として使用されて行くだけの必然性があり、その記号と音自体が、その意味に相応しい魔術的な力持った徴であると言えるのである。

われわれにとって、“Ω”はひとつの<事態>である。その点において“Ω”はモノではなくコトである。

しかし“Ω”は同時にその<事態>を引き起こすことのできる<物品>である。その点において“Ω”はコトではなくモノである。

すなわち<物品>の「創造」が時間に円環をもたらす<事態>を引き起こすと言い得るが、“Ω”という幅を持った時間的エポックこそがその<物品>を造り出し、人類の手にそれを与えるのだとも解釈できる。つまり終わりがいよいよ近づいたからそれができ上がるのか、それができ上がったから終わりが来るのかは、その表面上では判断ができない面がある。それは文明そのものの持ったキャラクターである。つまり文明があるから終わりが来るとも、終わりがあるからこそ文明呼ばれるに相応しいとも言えるのである。

いずれにせよ、“Ω”はある「事・物」のふたつの側面を表している。現象面では、“Ω”で表されるひとつの大きな<事態>は、小さな“Ω”の存在によって惹起される。そしてその大きな<事態:物理現象>は、時間の中では超大の<事態:歴史的円環>を引き起こす。これは“Ω”の持つ決定的な性格である。可視の“Ω”は、常に不可視「的」な極小と極大とを伴ってわれわれの眼前に現れる。

■ 注目を払うべきその記号の形状

図像的には“Ω”という文字自体の持つ曲線の「始め」と「終わり」の出会おうとする間隙部分に小さな“Ω”が存在する。

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それは“Ω”という文字自体が形態上、無視できない二つの意味を内包するからである。ひとつは閉じようとする寸前の円環。これは閉じきってしまえば“α”に変容を遂げる直前の形象である*。そして、もうひとつはその形状そのものの示唆しうるものである。これは図像学的にも不思議なほどの幅広いバリアントが存在するが、「アザミ」の文様などですでに一瞬だけ触れたことのある形象である。これは本章の後半で例証を観ていくことになる。

このアザミ以外にも、世界にその「形状」自体を伝えるため(だけ)と言って良い品々があり、あらゆる宗教的・象徴的な図像の中に登場する。それらは繰り返すように、“Ω”の形状そのものであり、それらの特徴のひとつは、(バトミントンの)シャトルコック状の形ということも出来る。それは丸みを帯びた重みのある先端と羽根のような広がりを帯びた後尾部であり、ある特定の機能を反映する。これは上昇するときは(ロケットの様に)先端を上に向け、下降するときは(矢の様に)先端を下に向ける。そうした物理特性を体現化したものと言うことができる。そしてΩ祖型は、そのバリアントを後世に伝えるものである。

* “α”とは「〆:シメ」である。正月(年末年始)の飾りが「〆飾り」(七五三飾り)や「シメ縄」(注連縄)と呼ばれるのには一つの時代が終わり閉められ、次の周回へと繋がっていく「締め」の意味があるからであるが、文字形態上も“α”と等しい。

■ 作品・表現の中の入れ子構造

ふたたび「Ω祖型」とは何か。その形状的な「現れ方」の特徴の一つは、すでに言及した“Ω”の概念と等しく「入れ子構造」にある。

例えばそれは「暦茶碗」で見てきたように、「茶碗の円周」そのものがまず大きな“Ω”の記号であると捉えられ、その茶碗の提示する「季節」が一巡して一つの円環が終わり、新たな円環が始まる地点がある(コトとしての“Ω”)。これら二つの地点にはまさに“Ω”の記号がその形象によって顕しているが如く、「隙間」のような断絶がある。そしてその隙間にもうひとつの“Ω”記号(あるいはΩを表す類似のもの)が置かれる(モノとしての“Ω”)。すなわち「二つの周期の狭間」の部分に見出される記号(この場合は「宝珠」ないし「三位一体」を表す記号や形象)が、また小さな“Ω”になっているということなのである。そしてその小さな“Ω”記号の円環の閉じようとしている間隙に、さらに小さな極小の“Ω”が存在する。(そしてそれはおそらく無限小にまで繰り返す。)

そしてわれわれの視ているその茶碗、すなわち、われわれにとっての可視の象徴としての“Ω”たる暦茶碗は、より大きな“Ω”、より大きな“Ω”という儀礼的時間の間隙部分に鎮座する“Ω”なのである。だが、このより大きな儀礼的時間を表す“Ω”は、大きすぎてわれわれの通常の視力や知覚(視点)では認識することが出来ない。そしてこの大きな“Ω”は、さらに極大の“Ω”の間隙部分に、そしてその極大の“Ω”は、超極大の“Ω”の間隙部分に、おそらく鎮座している。これを無限大に繰り返す。

“Ω”という記号は、まさに錬金術の秘伝中の秘伝として考えられているエメラルド盤(The Emerald Tablet)の「上なるものは下なるもののごとし、そして、下なるものは上なるもののごとし*」という叡智をその一文字によって結晶化しているのである。参照:The Emerald Tablet of Hermes Trismegistus

“Ω”はその自体の形状が「波頭とフィニアル」構造を体現しているということができ、またその形状から宝珠と同じ意味機能を果たす。こうしたひとつの“Ω”が小さな“Ω”を含むという構造は、優勝杯(壷)のようなフィニアルにも見られるものである。つまり壷自体が終わらせるもの(“Ω”)であると同時に、その図像の中には左右から伸びる波頭(蔓)形状の腕とそれが今にも届こうとする、頻繁に果実のような形状をしたツマミ(大型のフィニアルの中の小型のフィニアル)が含まれることが多いからである。「引き起すもの」と「引き起されること」の両方がひとつの記号の中に閉じ込められている。

以上のように、図像のはたらき自体が入れ子構造になっているのが「Ω祖型」の最大の特徴なのである。つまり、われわれは恒にひとつのオメガを見ているようで実は、その極大部分の(間隙の)一部なのか、目に見えない極小部分によって惹起されようとするやや大きな何かの一部なのか、それが分からなくなるような構造になっているというわけである。しかしその錯覚はどれも正しいのである。

■ 音韻の中の入れ子構造

さらにこの「オメガ」という記号の卓越したところは、その音自体に「アルファ」と「オメガ」を含む点である。“Ω: omega”はそれ自体の中に[aum-ega]という風に最初の音 “a” と最後の音 “um” を含むのであり、音韻的にも「入れ子構造」になっているのである。

「終わりを表すもの」自体が「始まり」と「終わり」の両方を含むということになる。あるいは、「終わりを表すもの」が「終わらせるもの」と「次の始まりの端緒となるもの」の両方を含むわけである。

次回は、Ω祖型の典型とも言うべき図像群を具体的に観ていくことにする。

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<聖婚>の伝えるもの
陽物としてのフィニアルとその周辺

Tuesday, November 29th, 2005

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■ 金剛杵(ヴァジュラ)の対称デザインの由来

三鈷杵、五鈷杵の中心の棒は、世界至上権を表す中心(世界軸)であるとともに、象徴的な「花」の雌蕊(メシベ)である。それは五鈷杵であれば、世界の四方向から中心へ到ろうとする複数の雄蕊(オシベ)同士の至上権獲得に関連した闘争であり、三鈷杵であれば東西(ないし南北)から中心へ到ろうとする接近と隔離(近づけられつつも離されている)の様態と視ることも出来る。

すでに観てきたように三鈷杵、五鈷杵の類は、それ自体が雷電を引き起こす「スパークプラグ」であるが、同時に中心軸を表すフィニアルとそれに到ろうとする対面する「波頭」のパターンそのものを精確になぞるものでもある。つまり、図像学的にすでにお馴染みの対称構図にするという意味でも電極の一方が複数(2本ないし4本)でなければならなかった。

このように考えた時、ヴァジュラの対称構造の理由のひとつが説明されるのである。プラグと考えたとき、電極はプラス/マイナスそれぞれ1本ずつであれば機能的には十分なのであるが、金剛杵の「電極」に電圧を加えて、それぞれの先端が十分に中心へと接近して最後に接触する直前に火花が散る、その刹那は、2つないし4つの陽極のうちのどれかから「スパーク」が発生するのである。

金剛杵による発火は至上権の獲得に続き起こる地上的なるものにとっての一大イベントとなる。金剛杵によるスパーク(火花)の発生と雄蕊の雌蕊との接触(すなわち受粉)は、同じエポックを画するイベントである。花は受粉とともにその役割を終える。花は枯れ、実や種を作り、植物としてのライフサイクルは終焉を迎え、次周の開始まで「種子」として長い休息に就く。スパークプラグは世界における「火による更新」の端緒となり、天上に届くほどの「大きな花」を咲かせる。世界の表面上にある「活動」をすべて灰の状態に戻し、次周の開始まで長い休息へと就かせる。そしてこのクライマックス的出来事は、まさに地上的聖婚と呼ばれるに相応しい。

■ 陽物としてのフィニアル

以上のように、フィニアルを植物の性器になぞらえるならば、受粉する(花粉を受け入れる)メシベであるが、動物の形体的にはフィニアルはまさに男性生殖器のそれであることに反論する者はほとんどいないだろう(ただし「壷」の暗示するものは常に「永遠に女性的なるもの」としても解釈は可能である)。そしてフィニアルが男性性器(あるいは単に性器)と形体的に似ているのは偶然ではない。花や実(果物)といった植物的シンボルと置き換わること自体から言っても、機能上の「性器」的な側面を持つことは明らかである。

文明の植物的発展、あらゆる種類の「陽的な」文明行為(天に届くような高い塔や摩天楼を建てる「男性」的行為、天に達するような飛行機械を「打ち上げる」男性原理的企て)に見られるところの、「上方に伸長し天空へと聳える」「上方へと飛翔し天空で炸裂する」。「より高く」を競うパターン、特にその伸長した「竿」の先端が「炸裂」するというパターンの男根(陽物)的な性向*というのは否定することが出来ない。

また、われわれにとっての「歴史時代」という文明活動自体のこうした陽性的(昼の時代)な性格は、さまざまなところですでに論じられており、文学や美術を通しても表現されてきた内容**であることを想起することは有益であろう。

* 参考:愛染明王と聖体顕示台に見る「台座 + 柱 + 炸裂する光」の象徴

「Ω祖型」と「柱 + 炸裂する光」の両方を性器的なものと捉えた現代美術の一例:Gilbert & George “DICK SEED, 1988”

** モーツァルトが『魔笛: Magic Flute』で表現したことも「陰」から「陽」の世界への参入を象徴的に描いた英雄譚である。夜の女王: The Queen of Night の嘆願によって、攫われた娘の救出に向かう主人公が、結局は娘を取り戻すどころか、自らが、囚われの身になっている娘と一緒に一見「悪役」風の太陽神(ザラストロ: ツァラトゥストラ)の世界に取り込まれてしまう、と読めるある種の非条理劇である。ここには悲劇も喜劇もない。「あるがままのわれわれの世界」を淡々と象徴的に描いた神秘的名作である。

■ 「武器」としての性器

一方、「男性器」と「武器」の関連というのは、さまざまなところで暗示されてきたが、特に男性器と銃・大砲(gun, pistol, canon)による比喩、武器の名前で「男性器の暗示」とするのは、洋の東西で広く観られるものである。その本質は、「弾」の飛び出す長い筒をもった形状である。性的なものと、この「終わり: final, finish, finale」をあらわす造形物の間には、かくもリビドー的としか言いようのない、いわば下位意識のレベルでのつながりがありそうことは、ここで一旦特記しておいても無駄であるまい。つまりそれら図像の表現しようとする内容とは、(神秘家ならば宇宙的とでも呼びそうな)世界規模の「婚姻:聖婚」という最大級の儀礼なのであり、それは現実の儀礼的結婚(聖婚)を通じて伝えられてきたものでもある。儀礼的婚姻(聖娼との儀礼的性交)についてもエリアーデがあらゆるところで言及している。

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兵庫県越木岩神社の“男根岩”・「六甲メガリス」のひとつ

ここにこそ、あらゆる聖なる場所、象徴的表現作品群において「性的」な象徴が満ち満ちているために一面的に捉えられる性的解釈やその根本的誤謬の理由があるのである(すべてを「性的」に解釈することで説明が事足れりと考えるリビドー教説、肉体的な類似を指摘することで説明が済んだと考える身体至上的教説)。しかし、象徴図像と性器(身体)との類似/機能からだけで、これらの図像を理解したと考えることは、はやり断じて片手落ちと言うべきで、「性器を表している」という納得だけでは実は全く不十分なのである。われわれの巨大且つ複雑に発展した文明行為に於いて、それが如何なる種類の「性器」「身体」を表しているのかということまで想像が到らなければ、そのフロイディアン的な性的関連性の真に重大な意義は十全に理解されず、全人類史的な「絵」の中で、深層で、解釈できなければあまり用をなさない。だが、これについて深入りするのは、それらから「究極的に」何が読み取れるのかということを中心的課題とする本稿の目的にそぐわない。

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左:ブバネシュワル、パラスラ・メスワル寺院のリンガ(陽物)

右:ポロンナルワ、Siva Devalaのリンガ(陽物)

「性器」を表すことは、性器自体の描写に関心があるのではなく、性器がその形体を通じて象徴的に指し示す「もの」と、こうした図像群が指し示す「こと」の両方に共有されることが存するに過ぎないことを指摘するに留めよう。

■ 「終わらせるもの」としての武器

宝珠やヴァジュラ(金剛杵)が、煩悩を断ち、現世の苦しみを「終わらせるもの: terminate」として認識されていることは、むしろ本稿におけるわれわれの議論以上に、既に広く「信仰者」が了解しているところのものである。また、愛染明王が愛欲を成就させることで現世の煩悩からの「解放」を図るというのも、すでに信仰者にとっては馴染みのある考えであろう。

一方、対称図像の中心に位置する「finial」として知られる物品が、闘争の果ての最終的な獲得物であり、闘争の勝者に与えられるもの、すなわち「至上権」を象徴するものであることもすでに観てきた。だが、この対称図像の中心に置かれるものと、門の左右脇に置かれるものが、同時に同種の物であることもすでにわれわれは了解している。すなわち、周期と周期の狭間を象徴する時間的な節である正月に、門の左右に配される門松やそのほかの七五三飾り、そして社寺仏閣の山門の左右に配される金剛力士そして狛犬も、「最初」であり「最後」である時間の結節点であり、それは橋の欄干に等間隔で配置される擬宝珠と同じ意味を持つ。

とりわけ、三本の青竹を束ねた門松が、時の終わり(Ω)と始め(α)という二つの周期の狭間(年末年始)に現れる象徴物であることはすでに見たが、繰り返すようにこの青竹を「斜めに切る」ということで得られる図像的意味は「竹槍」という武器である。そこには宝珠がそうであるように三位一体と濃厚な関連のある「防御具」ないし「武具」の暗示である。そして、二つの波頭(ないし植物の蔓)が至上権を巡って競い合うその地の中心に聳えるのがフィニアルという「壷」ないし「杯」で暗示されるある種の象徴であることも見てきた。

世界の至上権を巡る闘争は、その至上権を特定の覇者が「獲得」することによって一見終わるかに見える。完全な覇権が闘争を終わらせるという見通しによればそうであった。しかし、使われない武具はないことと同じである。獲得された武具(壷、杯)は使われずに済まされることはない。それは獲得した者によって独占され隠匿されようとするが、その秘儀は必ずや漏洩するのである。そしてその至上権を独占したかに見えた覇権者が、やがてその獲得物によって復讐される運命にある(バガヴァッド・ギーター、映画『地獄の黙示録』、フレーザー『金枝篇』、他)。それは最大規模の暴力を(身内にとっての)平和獲得の手段とする者たちの宿命である。

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太陽と月の婚姻とは、宇宙的(地球規模的)な陰と陽の聖婚である。これは石灯籠にも暗示のある秘教中の秘教である。この日蝕で象徴される事態とは、まさにこの太陽と月の「婚姻」が成就したことを暗示している。この日蝕という「太陽が月によって隠される」現象は、キリストが磔刑死したときに顕われる象徴的現象でもあった。それは、陽の世界としてのもう一つの至上権象徴としての太陽が、「月」なるものに隠され、世界が暗くなることへの暗示がある。この巨大スケールの婚姻は、思弁的錬金術の伝統図像の中に脈々と受け継がれてきたものだが、この婚姻こそが、われわれ人類の苦闘と煩悩の世界を終わらせ、陽の世界の終焉と、長い日没の時代へと誘う二大(四大)勢力の「結合」の瞬間でもある。

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石灯籠(左右に日と月の穴が配される):一方から他方の穴を観ると「蝕: eclipse」となる。人魂の様にも精子の様にも見える「雲気」がこの灯籠にも観察される。

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ボッティチェッリ 「VenusとMars」:眠っている様に見えるマルスは恍惚境(擬死状態)にある。フェアリーは合計4人いるが、ランス(槍)を支えるフェアリーの数は3。ランスは明らかな武具であるが、その先端は法螺貝によって偽装されている。

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聖婚の祖型としての錬金術的「婚姻」Johann Daniel Mylius “Philosophia reformata”

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<聖数>の伝えるもの
「元カレンダー」と第三周の世界

Wednesday, November 23rd, 2005

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イエス死人の中(うち)より甦へりてのち、弟子たちに現れ給ひし事、これにて三度なり。(ヨハネ伝福音書 二一章 14節)

(磔刑死後、復活したキリストが弟子たちの前に現れたときの記述)

■ 神秘的事実としての数性

「この度」が何度目の世界なのかは誰にも分からない。仮に「周期性」を受け入れている「偉大な宗教家」にしても、具体的にはローマカトリックの枢機卿たちにさえ、果たしてわれわれの世界というのが正確に一体何度目なのかを「科学的事実」として、証拠と供に示すことはできないだろう。「世界史」の反復が事実であった*としても、残念ながらそれはどこまで行っても「神秘的事実」でしかない。「かつての世界を透視した」と主張する一連のいわゆる「神秘家」でもなければ(あるいは…でさえも…だが)、そのことの現実の証明はユングであってもエリアーデであっても可能だとは思わなかったであろう。彼らに出来たこと(そして筆者に出来ること)でさえ、思わせぶりな事実や事物といった「facts」の例証提示の積み上げでしかない。そしてそれを一つの「真実: truth, veritas」として繋ぎあわせるのは洞察でしかない。しかし「繰り返している」という人類の超歴史的な周期性は、あらゆる徴の放つ名状し難い「言葉」を通して、あらゆる時代と空間を超えて「語られて」きた。そしてそれを「表現」するにあたって、当面、今回が何度目なのかというのを「決めておく」ことは、その「隠されたもの」について語るのに便宜上有用なのである。それ以上でも以下でもない。そして、その繰り返し表出するある種の「数性」(具体的「数字」)自体が、「何度繰り返されたのか分からないが、とにかく繰り返されたのだ」という神秘的事実を指す「コード:符丁」となった。

* 死して復活する救世主という存在が、実は「死と再生」を繰り返す世界そのものの象徴であるという理解は、秘儀参入者にとって新約聖書『解読』の基本である。だが、その事自体が聞き慣れない(受け入れ難い)言説であるかもしれない多くの読者にとっては、そのように読み取れることの根拠を求めるであろう。そしてそれは自然なことだ。だが、あらゆる病の治療をし死をも克服せんと努め、現世の苦から開放すべく現れた「油を注がれた主: Messiah」という存在が、現代技術文明そのものの達成しようとしている目的と「方法的な特徴」とに合致していること(リン・ホワイト『機械と神』参照)、そして科学や技術が「偶像」として崇拝の対象となってきているかの文明への信仰と信頼(同『機械と神』:発電機としてのダイナモが礼拝の対象となっている現代世界)。そしてこの「現代人としてのわれわれにとっての主」が、ゆくゆくはわれわれが永年夢見て来たごとく、われわれを永劫に現世の苦から「開放」する解決策をもたらす未来の「上昇し下降する光輝」となることが、ほとんど約束されているかに見える以上、その「救世主」の象徴的機能を、単にデタラメな解釈であると唾棄できるほど単純な議論でないことが分かるであろう。この世界至上権の覇者(王)の殺害とその復活(もしくは覇権奪取)というパターンは、エリアーデの論述に先立つこと『金枝編』を編んだフレーザー卿によっても指摘されており、「世界の王: The King of Kings」としての主イエス・キリストの殺害とその復活は、まさにそうした祖型的「父殺し」のパターンをそのまま引き継いでいるものであり、まったく神話史の例外ではないのである(バガヴァッド・ギーターを思い出せ)。新約聖書に書かれている「記述」は、まさにわれわれの歴史的パースペクティブの中で「最新の層」に属する、西欧世界においてもっとも身近な神話なのである。もちろん、これはその神話の成立を可能にした2000年前の「史実」を契機として発展した可能性もあり、歴史的実在としての「ナザレのイエス」を全面的に否定する論でもないのである。一方、現世の煩悩苦から「開放」を試みたゴータマ・シッダールタが、仏教世界においてその歴史的実在やその鋭利な哲学とはまったく別個に、アジアの各地でその「遺体」を納めたと言われるストゥーパ(仏舎利塔)の形で足跡を残し、ひとつの「文明」を表するコード(記号)となったこともここで想起すべきである。

この「符丁」は、脱聖化が進んだ今日の世界においても、いわゆることわざや金言の類として生き残っており、それらは個人または集団における神秘的な経験について納得できる「まじない」のような説明になっているのである。例えば、「二度あることは三度ある*」「三度目の正直**」などがそれである。

そのコードナンバーとは、ここまで来れば言うまでもなく、「三」である。「3」という数字に極めて高い聖性が込められていることは多くの人々が知るところである。そしてその「3」にこそ「永遠性」の強烈な含意がある。

■ 聖数と「元カレンダ」ー

1を3で割ったその数字は「0.3333333….」と3が永遠に連なる《循環小数である。3という数字の不可思議性と「永遠性」はこの辺りの事情によって背負わされた面もひとつにはあろうことが想像される。それはともかく、G・I・グルジェフが(彼の語るところが本当だとして)クムラン教団から伝授され、彼の「秘教的スクール」の生徒たちに教示したという「永遠のエニアグラム」にしてさえが、3の倍数と1を7で割った数字によって得られる循環数 (142857142857142857……)を原理としたものである。しかも興味深いことに後者は3, 6, 9の3つの数字(3の倍数)を含まない。それによってダイアルのように円周上に数字を割り振り、このようなエニアグラムを描くことが可能になる。これが「3の法則」「7の法則」として知られた秘儀であり、このエニアグラムによって数字の聖性が教示されたらしい。いずれにしても、この二つの数字「3」「7」は、とりわけユダヤ=キリスト教の秘教的伝統の世界においても「聖数」として共有されているのである。

グルジェフの紹介した「オクターブの法則」として知られているこのことは、正に「7」で繰り返される周期性、すなわち「8をもって1とする」という周期性の原理なのである。これについてはさまざまな迂遠な説明がグルジェフ本人、そしてその信奉者などの解説によっても成されているが、音楽的な音階を基礎に説明されるグルジェフの「オクターブの原理」は、実際の音階(ダイアトニックスケールという代表的西洋音階)、すなわち半音のインターヴァルを2つ含むわれわれの慣れ親しんだ1オクターブの実際とすっきり合致しているわけでもなく、その説明自体を真に受ける必要は余り感じられないのである。(これについてはコリン・ウィルソンによっても同様の指摘がある。)

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この二つの数字「3」「7」は、これから見て行くわれわれにとっての「元カレンダー」(暦)の中にもっとも露骨な形で顕示されるのである。

* disasters come in three // never two without a third // Why only two without three? などなど

** Third time does it. // Third time does the trick. // Third time is lucky. // Third time is the charm. などなど。

「元カレンダー」には一度言及しその一部を見てきたが、今回はこの「周期性」を検討する材料のひとつとしてそれをフルに提示する。便宜的に第4周(週)までを含んだが、われわれにとって問題になるのは、第3周までである。われわれは「六日間で世界創造をして七日目に休んだ」というユダヤの唯一神の生活祖型、および創造祖型をわれわれの生活規範として採用したのだが、その七日周期というものは西洋文化圏の中で、宗教行事やその他の習慣にも色濃く反映されているものである。このユダヤ教にその源流がありそうな七日周期を元に、「キリスト」が磔刑によって死に、三日目に甦ったという新約聖書上の逸話について若干の解釈をしていく。

  月  火  水  木  金   土

第1周      2  3  4  5  6   7

第2周      9 10 11 12 13  14

第3周   15 16 17 18 19 20  21

第4周   22 23 24 25 26 27  28

以下のことは「イエス」の歴史的実在を無条件的な前提としている話ではなくて、象徴存在としての意味しか持たないものとしても、それを検討することに十分な価値があるためである。

■ 「13日の金曜日」の意味すること

イエスが磔刑に遭い死亡したのが「13日の金曜日である」というのは伝承に過ぎず、その記述は聖書中にさえ直接は登場しない。ただしその当日「過ぎ越の祭り: Pesach, Passover」でユダヤ人達が忙しかったということから、それが過ぎ越の始まる当日の日没前の話だったことが分かっている。そして、過ぎ越祭の定義自体がNisan月(ユダヤ暦7月:現在の3-4月頃)の第14日のイブ(前日の日没後)ということになるので、現在のグレゴリオ暦とは関係がないものの、ひとつの月(陰暦)の13日目にあたることは聖書記述の解釈上矛盾がない。だが、現在われわれがそう認識している磔刑の「金曜日」については、「死して三日目に甦」ったのが日曜日であり、それがキリスト教信者にとっての聖日 (holy day)となっている現実を考えれば、やはり妥当である。そしてそれは今日、教会儀礼の「聖金曜日: Good Friday」となっている。

さて、現在のわれわれにとって分かりやすい元型的なカレンダーを想定することは今後の様々な説明のためにも有益である。そしてそれは第13日が金曜日となるカレンダーを想定すれば良いことである。そしてそれは当然のことながら、それは第一週の第一日が日曜日となるカレンダーということになる。これを「元カレンダー: Archetypal Calendar」と命名した。これによれば、13日の金曜日、日没前(おそらく日中*)は第二週の安息日(土曜日: サバト)の前日である。このカレンダーを基礎にその後の「キリスト」の動きを考えれば、彼が復活を果たしたのは15日の日曜日ということになる。そしてこの「15日の週」(第三週)がわれわれの住む世界ということになる。

* 十字架上で死が訪れた時、それは日中であるにもかかわらず「暗くなった」という記述があるため。おそらく日蝕が暗示されている。もちろんここには歴史的事実としてのイエスを想定する必要のない象徴的記述として受け取ってこそ諒解することのできる秘儀がある。

そしてこの日曜日はイースター: Easter Sundayとなる。以上の儀礼の流れは今日の太陽暦とはなんらの一致もないので、現実的な儀礼上の日にちは毎年変わる。したがって言うまでもなく聖金曜日が必ずしも「13日」になる訳ではない。しかし、このカレンダーを元に陰暦(月の満ち欠け)に当てはめれば、どのような「祖型的な時期」を反復的になぞるものなのかを理解することが容易になる。

そしてもし、キリストの死が世俗間における伝承の如く、「13日の金曜日」であると仮定すると、現在のわれわれがこの元カレンダーで示された歴史的時間の「どの地点」にいるのかを推量することさえ可能になる。ここでは詳述しないが、結論から言えば、世界の時間的な象徴群の指し示すところによれば、ほぼ「20日の金曜日」に近い(あるいはすでに20日の金曜日な)のである。われわれの世界は第三周の金曜日に差し掛かっていることになる。つまりここから「神々の安息日」は近い、つまりわれわれにとっての「休息」の到来は時間の問題である(末日)という論理が導引可能となる。

「歴史の終わり」をある程度正確に占うためには、その背景に《祖型と反復のパターンというものが存在することへの認識が前提となる。まったく反復のない直線的な時間しか存在しないと考える世界観の中には未来の予測も占いも成立しないのである。つまり末日的(終末・周末的)な預言というものには、こうした周期的時間という時間の反復的パターンに対する強い認識と自覚を伴っていると考えるべきなのである。

このように考えた時、この時代におよそあらゆる種類の新興宗教団体が登場し、終末論的トーンの予言が出てくるのは、ある程度まで「理にかなったこと」と言っても良い。彼らにはこうした「周期的時間」に対する強い認識がある。そして、その根拠は宗教によってそれぞれであろうが、その神秘性は、その根拠を部外者が包括的に理解することが困難であるからに外ならないのである。だが、ここで行っている一連の象徴解釈は、いくつかある鍵の中でも、それを可能にする「もうひとつの端緒: another one of clues」なのである。

■ 歴史の三層構造

また、この第三周にあたるという歴史の積み上げの三層構造の徴というのはローマカトリックを始めとして多くの宗教的な象徴図像の中に見出すことができ、またさまざまな現代美術の中にも見出すことができる。

ローマ法王のティアラの写真

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左:ローマ法王グレゴリー16世のティアラ 右:ティアラを冠るローマ法王ピウス12世

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上:ローマ教皇庁の盾の紋章 (Court of Arm)。ティアラが正に主たる要素となっている。それほどの重要な意味を伝えるのが皇冠なのである。

この「三重冠」としても知られる「教皇冠」は、ラテン語で「トリレーヌム」、イタリア語で「トリレーニョ」と呼ばれ、宝石で装飾された三層構造の冠である。ビザンチン、あるいはペルシャに源流があり、今日の世界では「教皇制度の象徴」と考えられている。

The Papal Tiara, also known as the Triple Tiara, in Latin as the ‘Triregnum’, or in Italian as the ‘Triregno’,[1] is the three-tiered jewelled papal crown of Byzantine and Persian origin that is the symbol of the papacy.

つまり、「Tiara」の語源自体に数性《3の含意がある(イタリア語の「tertio」は「三番目の: third」の意)。

また、日本原子力研究所の高崎研究所にはTIARA (Takasaki Ion Accelerators for Advanced Radiation Application)という施設が設置してあることは特筆すべきである(原子力技術と数性《3》の関連性は、世界初の原子爆弾に付けられたコード名《Trinity》や、「三人よれば文殊の知恵」の「もんじゅ」を挙げるまでもなく、明白)。

高崎イオン照射研究施設のウェブサイト

新しいものでは、この三層構造、ないし「3の数性」を強く保ったものに日蓮上人の意を汲んだというある新興宗教団体の月刊出版物の名称がある。

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フランク・ザッパのアルバム「Civilization Phase III」

■ タローの三層構造

そしてもっとも元型的と呼ぶに相応しい「周期性」を反映した美術品(古文書)がタロー(タロット)である。これは愚者: The Foolの三週間に渡る「時間の旅」と、その間における注目すべき人物との「邂逅」「意識の成長」「建設」「破綻」などの時間的過程が描かれるのである。タローの中でも中核となる「メジャー(大)アルカナ」と呼ばれる22枚のセットは、まさにどのカードにも属さない元型的「ジョーカー」としての The Fool と、それを差し引いた21枚のカードによって成る。そしてこの21枚とは7の三倍、すなわち三週の時間経過を表すのである。それは下に示すようにまさに「元カレンダー」のように並べ直すことが可能である。

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ここにもそれぞれの週(周)における第六日(金曜日)にあたる箇所が、「死」(もしくは「聖婚」)との強い関連があることが明示されている。それは「赤」と「青」の死を賭した「聖婚」、「火」と「水」のぶつかり合い、「太陽」と「月」の合体、という最期的なイベントであるから、その結合こそは、偉大な者の婚姻(絶頂)、そして小さき者(われわれ)の無数の死なのである。「我等の死が神にとっての栄光である」という原理主義的な信仰も同じ根を持つ。

■ 「三度目の正直」としてのわれわれの世界

「茅の輪くぐり」が円相と3回繰り返される反復と関連があることはすでに言及済みである。ここには超歴史的文明が「3回繰り返した」と解釈されてもおかしくない徴がある。一方聖書に戻れば、冒頭に引用した「ヨハネによる福音書」の一節は、唐突に挿入される復活後のイエスに関する記述である。これは確かにイエスが復活後に弟子たちの前から姿を消してまた現れるのを三度繰り返したとも読める。だがもしそういう事ならば敢えて記述する意味がない。「復活して後、弟子たちの前に現れた」のをすでに三度繰り返していると解釈しなければ、そこには何らの深い意味を見出す事も出来ない。そしてそれは聖書のどこかで明瞭に言語化されなければならなかったのだ。無意味な記述など1行もない練られた末の「ヨハネ伝」であることを思い出さねばならない。

だが、その上で、真に問題なのは、その回数ではなく、繰り返されている歴史的祖型がある、という一点なのである。

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「The End」石塚俊明(原画は渋谷のアピアにて観ることが出来る)

古きもの、ひそやかなるもの、ひかえ目なる存在者たちの上に幸あれ

Friday, November 18th, 2005

先に有りしものはまた後にあるべし 先に成りし事はまた後に成るべし 日の下には新しきものあらざるなり 見よ是は新しきものなりと指して言ふべき物あるや 其は我等の前にありし世々に既に久しくありたるものなり 己前(まへ)のものの事はこれを記憶(おぼゆ)ることなし 以後(のち)のものの事もまた後に出づるものこれをおぼゆることあらじ。

『伝道の書』 第一章: 9-11

いまこそわれわれはこの声高に叫ばれるべき価値ある言葉に一瞥を与えよ。

私たちは何か新しいものをつくりたいのだろうか?(この天の下で…) 予想不可能なまったく新奇なものを作り出すことがわれわれにとっての創造だというのだろうか? 理解にするのに時間が掛かり、退屈で辛抱を要する手続き、いずれは分かるかもしれないという自分自身の感性と作者への信頼と期待、そして、未知なものを理解しようとする努力の果てに、ついには得られる楽しみや喜びというものはないのだろうか? この問いは敢えて応えるまでもなくわれわれにとって自明なことである。

しかし、それでも退屈を理由にさまざまな表現や作品が、そして退屈で旧弊に見える伝統的作法、作品が否定されて来た。あるいは否定されずとも無視されてきた。

舞台表現における予想不可能性というのはひとつの刺激ではある。聴いた事のないもの、観た事のないドラマ、期待を裏切る驚くべきどんでん返し、などなど。

しかし、予想がつくということで作品の価値は損なわれるのだろうか? それはひとつの物差しではあり得ようが、それで全てが計れると言うならば、沢山の重要なものを見逃してしまう鑑賞態度であるというべきであろう。始まりらしい始まり、展開らしい展開、終わりらしい終わり。予定調和と嘲笑的に人は呼ぶだろう。しかし予定されているのは調和だけでもあるまい。予定された崩壊、予定された不協和、予定された死。それに抵抗して調和を求める事が表現の中からも諦められたとき、その予定された崩壊、不協和、死は、嗤う者たちの「予定」の通りに実現するであろう。落ちないこと。死なないこと。しがみついている美にこそ努力する甲斐というものがあるのだ。そしてそれでもやがて死は来る。抵抗してこそ死は美しい。不協和な時代に不協和なもの、これほど分かりやすい時代迎合的な創作態度をはたして哲学と呼ぶべきなのか?

有名なベートーヴェンの第5交響曲の隅から隅まで知り尽くした聴衆は、果たしてそれを舞台でまた再び聴くことに何の意味も価値もないのだろうか? 作曲された作品というものは、そうした反復を可能にするものであり、または反復に耐え得る作品を作ろうという作家の動機と気概、そして次なる挑戦者さえ掘り起こした。また録音技術というものも、反復的鑑賞を前提としたものであり、反復を人々が求めていることの明白な証でもある。

そして同じ刺激を受けて同じ場所で感動するという多くの人々の抱くかもしれない期待そのもの、そして期待に応えようとする<芸能者>や技術者の努力というものが、予想可能性によって全て否定されるのであろうか? われわれはそのようにはまったく思わない。どのような完成されたものであっても、あるいは即興的で未完成なものでも、そのどちらにも、予想できることと出来ないこと、というはそれぞれ必ずあるのだ。そして予想できないからダメなものもあれば、一方予想できても良いものが必ずあるのだ。そしてそれの刹那を見出し歓喜できる者は幸いである。

予想可能性によって判断できてしまうのであれば、世界中のあらゆる「歌」には価値がないことになる。あるいは民謡のようなものさえも。口ずさめるものは予想可能な範囲内である。好きな歌謡をもう一度聴きたいという気持ち、何度歌っても感動してしまう歌曲。こうしたものには価値がないとでも言うのだろうか?

多くの人々の期待や予想に反する「表現」を舞台で打ち立てても、それが刺激として有効なのは、最初の一回目だけだ。刺激性を価値とするならば、その価値はその一瞬存在できるだけだ。驚きと意外性だけを求めてそれをその価値とするならば、果てしない刺激への追求でその一生は終わるであろう。そういう人生があまた在ることを否定もしないが、その価値を肯定もしない。

始まって終わるまで優に1-2時間かかる作品がある。あるいは数えきれない反復と僅かな変化だけで出来上がっている作品がある。触れて一度で理解できないものがある。一方で最初から面白いが、長い観賞に堪えない物がある。それでも同じものに二度三度を触れていくにつれて自分にとって意味のあるものへと内的に変容していく作品というものがある。それは心の中で起こる変容だ。

日本人にとって身近なところでは能を思い返してみれば良い。一度で理解出来ない能に価値がないなどという乱暴な判断を下す者はいないだろう。そのような判断を下す者にはそれに相応しい人生がある。伝えられるべき価値のあるテーマ(題材)を扱うものである限り、それは沢山の伝統保持者によって伝承され、生き残って行くべき価値がある。問題はその価値や意味に気付くのが簡単でない、それだけのことだけだ。

簡単に理解できないという理由で、庭園にひっそりと置かれている石灯籠や仏閣やモスクの屋根の上に輝く宝珠を無価値だと誰が言うだろう。ひそやかにしつらえられたその茶室の生け花にその選択の理由がないなどと誰が言うだろう。その「言語」の伝達する意味が理解できないのは、あなた自身の問題なのであり、それに十分な関心を払って来なかった、目を見開いて来なかった、耳を開いてこなかったあなた自身の価値判断がそうさせているだけなのである。「退屈」を大いなる問題としたいあなた方にとって、新しいもの、「創造」という名で偽装された無意味への傾斜と、そうした不毛な努力の反復に「すでに献身してしまった」ことを認めたくないあなた方だけの「都合」がそうさせたのだ。

今の時代に理解されないことが、あるいは1時間で理解されないということが、あなたの行なうことの価値にいかなる影響を与えるだろう? われわれにとっての創造とは(あるいは創造的精神とは)、われわれに<創造>があり得ない、<創造>が可能なのは唯一の第一原因たる「最初の存在」「最初の出来事」だけであることを、畏敬を以て認識する、そうした精神の動きだけである。そして人間の唯一「創造的行為」と呼ばれても良いかもしれないことが伝えて来た、たったひとつのことは、暗い小さな「鍵穴」のようなもの、その「形状」の伝えるものだけだったということなのだ。

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金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<支柱と光輝>の伝えるもの
愛染明王と聖体顕示台に見る「台座 + 柱+ 炸裂する光」の象徴

Saturday, November 12th, 2005

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上左:「絹本著色愛染明王像」小浜市金屋 高野山真言宗萬徳寺

上右:サウスキャロライナ州の州旗「パルメットと月」のシルバータブレット

直上:40フィートある純銀の「モンストランス」Cathedral of Seville

■ 「柱 + 炸裂する光」の原型的図像

蓋のついた杯、もしくは壷。西洋において「フィニアル」の名称で知られる「器」の図像。これらはそれが有用な使用に供されるとき、その蓋は開けられなければならない。杯にせよ、壷にせよ、それらの内側には「中身」がある。蓋は開けられて、中身が外に「開放」されてこそ、その器の用は成就するのである。そして古今東西の器をテーマとした(あるいは含んだ)図像にはその中身についての(言語にならざる)「言及」を見出すことが出来る。それを見ていくのが今回のこの論述の目的である。

ところで、後に詳しく論じることになる「Ω祖型」のもうひとつの側面に「柱 + 炸裂する頂点」という図像的パターンがある。立ち昇って行き、中空で炸裂するという劇的で「分かりやすい」イメージである。このイメージは世界中の極めて広いエリアで観察できる。特に西洋においては紋章学的伝統の中に多く見出される。そしてそれらの多くは植物との関連が濃厚である*。

* これは生まれ、「幼年期を過ごし、青年壮年期を経て、病の時期があり、やがて種を残し、滅ぶ(自滅する)」という人類の文明進化のパターンが、他でもない「農耕の発見」を契機に開始された文明:人類の歴史時代そのものと関連しており、またその人類史が植物の1年という長いライフサイクルと呼応するという点でも、一定以上の必然性を持っているのである。(植物的文明が内包する植物のライフサイクルという入れ子構造)

天空へと真っ直ぐに(垂直に)伸長する植物のイメージは、古今の東西において重要な象徴的メッセージを伝達する役割を果たして来た。そしてそれらの多くは深遠にして秘教的な、ある種の理解困難な謎として、あるいは多層的な意味解釈を許すものとして受け入れられてきた(世界軸: axis mundi, etc.)。そして、後に若干言及するように極めて分かりやすい「陽物的暗喩」にも満ちている。それらは、仏教における「蓮の花」、日本の「菊の花」や「彼岸花」、西洋の「アザミ: thistle」、あるいは「収穫され束ねられた麦*」といったバリエーションを見せる。またこうした草花の類を除くと、パームツリー(シュロ)、パルメット、フェニックス、その他のヤシの類などの樹木の形で現れる。これらのどれもが、紋章や家紋の形を採り、簡略化されたプロファイルを見せ、新しいところでは国旗(州旗)やその他の象徴的図像としても現れるのである。

樹木(シュロ)が紋章や州旗となった例:

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上左:シュロのフィーチャーされた封印(シール)

上右:「有徳の象徴」(力天使:第五天使の象徴)エバハルト公のパームツリー

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上:サウスキャロライナ州旗

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銀食器「キャンディ・ディッシュ」パルメットの形状を思わせる(サウスキャロライナ州のPalmettoという名の骨董屋の商品)

サウスキャロライナの州旗は「パルメット」と呼ばれているシュロの一種である。この木は州都チャールストン市街の至る所で見出すことが出来る。特に海岸線付近には現在でも街路樹として多く植えられており、特に南国調の町並みを演出するものにもなっている。これが州旗となった事情は、それが「事実」であるか否かはともかくとして、明確なエピソードを伴っており、地元では現在でも人口に膾炙する。それは新大陸の植民地の13州が大英帝国に対して独立戦争を挑んだ時の逸話となっている。英国艦隊がチャールストンの街を砲撃した際、急場しのぎで作った砦はその辺りに多く茂っていたパルメットの木を切って作った木造だった。それはその地に他の木材が豊富になかったからと説明される。そして大英帝国海軍の艦隊からの砲撃があったときも「弾力性のあるパルメットの木」の幹で建設された防御壁が「砲弾を跳ね返した」と伝えられている。ここに、このパルメットの木に「防衛力」との関連が見出されるのである。これだけの理由があれば州旗となって後々の世代までそのエピソードが伝えられるだけの強さを持ったものとなる。

これらのどれにも共通なのは、ほぼ垂直にまっすぐにその幹を伸ばし、頂上部分で葉や枝などが四方八方に炸裂的に広がるというイメージである。そのイメージはそれがれが時としてあまりに似通っているため、その図案化され簡略化されたプロファイルからはそれぞれの植物の種を憶測したり特定することが難しいほどである。それぞれが、紋章やその他の象徴的物品として採用されるに至った固有のエピソードや歴史・神話を持つために、その紋章(象徴)を認識できるローカルな人々にとっては、それらは「特定される」必要がないほどに自明で具体的な植物を表しており、また特別な感慨を引き起こすものであるにも関わらず、それらはそうした固有の個性的なエピソード(場合によっては御利益)を超えて、あるひとつの内容ないしイメージを伝達しようとしているとしか思えないほどに、同じような形状的特徴*を備えているのである。

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上左:スコットランドの紋章などに頻繁に登場するアザミ。上右:フリーメイソン用品店などによく売られているベルトのバックル。アザミは「定規とコンパス」の紋章などと併せて登場する図像である。「Ω祖型」に関して論じる際に再び取り上げる。

ここでは多くの図像を提示しないが、「収穫された麦」、「税吏官袋」、「アザミの花」などの紋章は、シュロの紋章に比べて、その「柱/竿」の部分が極端に短い*。だがその頂上部分の描き方は、ほとんどそれらが(アザミならアザミ、麦なら麦というように)具体的な何かを素描しようというよりは、それによく似た何かの形状を連想させることが眼目であったかのようである。それは下部に柱ないし竿の部分があるか、紐で束ねられて中間部が絞られているという描き方として共通なのである。これは、さらに後にわれわれが「Ω祖型」と呼ぶことになる後半なある形状のバリアントを検討する時に再び取り上げられるであろう。

* アザミに関しては、植物全体としてはシュロ、彼岸花、蓮に共通の伸長する「支柱」と頂上における「光輝」のパターンであるが、紋章の図案上はもっぱらその花だけ(と顎)が取り上げられる。そのようなことになったことには、花自体の形状という別の特徴が無視できないためである。

■ 彼岸花(曼珠沙華)

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画像引用先:キメラのつばさ

別名「曼珠沙華」とも呼ばれ「天上の花」としても親しまれる彼岸花に対しても、その花摘みに対しては、「そんなもの取ってきたら家が火事になる」と警戒する慣習があるらしい。だがこの言い方にこそ、この花の指し示す内容に対するほとんど無意識の理解とも言うべき洞察ががあり、さもありなんと納得できるものである。垂直に真っ直ぐ伸びる茎、そして突然炸裂的に四方八方にその花弁と顎を広げる。まさに「支柱と光輝」の象徴の祖型を担う植物である。

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画像引用先:明日香、彼岸花2

■ カトリック聖体顕示台の原型的図像

「柱 + 炸裂する頂点」といった象徴図像の中で言及が避けられないのが、カトリック教会に於いてしばしば登場する聖体顕示台である。ローマ法王がそれを両手で抱え額の辺りに掲げて拝礼する姿は写真や映像でもしばしば捉えられている。

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聖体顕示台とそれに拝礼するローマ法王

http://aquinas-multimedia.com/adoration/

http://www.agdei.com/Commentary.html

「聖体顕示台」と日本で訳されているものは、「monstrance: モンストランス」と呼ばれるものである。別名としては「sunburst, sunbeam: 強烈な日光、日輪、太陽光線」など、見ての通り「太陽信仰」を思わせるような構成と意匠になってはいる(実際にカトリックの聖体拝領を古い異教 (paganism) の太陽信仰と結びつけてその類似性を論じる学者も存在する)。だが「monstrance」が呼び名としては正式かつ一般的だということにわれわれは十分に注目すべきである。

問題はこの「monstrance」という単語の語源である。現在、「demonstrate」や「remonstrate」など”monstrate”を語幹に持つ単語がいくつかあるにはあるが、それらは「見せる、顕示する、顕われる、露にする」などの意味との関連を持つ。だが何よりも深い関連のある単語は「monster」である。この古い用法(1300年頃)としては「奇形の動物」「出生異常による(先天的)後遺症を負った動物」という意味と持つ単語であり、その後、ケンタウロスやグリフィンといった「想像(神話)上の獣」の意味に転じる。1500年頃にはほぼ現在われわれが知るところの意味、「非人間的な残虐性や邪悪性を持つもの:モンスター:化け物」となる。

聖体顕示台が「獣(けもの)」と関連付けられる理由は、「獣帯: zodiac」との関連や明らかな二重の意味(聖体顕示と獣帯の機能の両方)を持つ物品が存在する事実のためである。だがその関連性は「monstrance」の象徴意図のオリジンについて混乱をもたらす要素として働いているとも言える。獣帯については確かに「空想上の生き物」12種を円環上に配置したものだという説明も成り立つ。つまりこれは西洋のホロスコープそのものである。そして、この円環状のホロスコープが顕示台状のものとしてデザイン化されたとき、それは現在の聖体顕示台のような現れをしたことも確かである。現に、輝く光線を発する聖体顕示台としての機能に加えて「獣帯の機能」が冠せられた事例があるのも確かである。

(聖体と獣帯を兼ねた画像例:TBA)

ところで、中世イタリアの画家、ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」のテンペラ画(1400年代)は、「プトレマイオスの宇宙」のモデルがそのまま絵画の中に大胆に取り入れられた、その時代には珍しい「円相的」作品であり、絵画全体の半分以上をそれが占める。そしてその外周部分がいわゆる「獣帯」を含んでいたことは明らかである。現在でもその痕跡を認めることができる。しかし、この獣帯は太陽(あるいは「輝くもの」)との関連性よりは、宇宙像(宇宙の地図)との関連で出てくるものである。それは天体の運行をまさに表すのに便利な道具だからである。

(図版:ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」)

したがって、「monstrance」の語源がその後の「獣帯」との関連で理解されるより、そもそも第一義的に「モンスター:化け物」の意味内容を顕わしたもので、後にそれが無意識化されたと考えるのが妥当なのである。つまり、カトリックの聖体拝礼が何を一体「礼拝」するものなのかということへの興味深い示唆がここにはある。

monster

c.1300, “malformed animal, creature afflicted with a birth defect,” from O.Fr. monstre, from L. monstrum “monster, monstrosity, omen, portent, sign,” from root of monere “warn” (see monitor). Abnormal or prodigious animals were regarded as signs or omens of impending evil. Extended c.1385 to imaginary animals composed of parts of creatures (centaur, griffin, etc.). Meaning “animal of vast size” is from 1530; sense of “person of inhuman cruelty or wickedness” is from 1556. In O.E., the monster Grendel was an agl?ca, a word related to agl?c “calamity, terror, distress, oppression.”

■ 愛染明王の原型的図像

さて、次に検討するのは日本で礼拝の対象となる愛染明王について観ていくことにする。

http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/Japanese/data/084.htm

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愛染明王はそれが版画であるか絵であるかの区別と関係なく、それらの多くが平面作品として描かれる際、それらが明王自体の姿ではなく、ある顕示台とそれに載る明王という既存の立体作品を素描したような間接的・二次的な表現として出てくるケースが多い。つまり、そのような「顕示台」がまずあって、その「顕示台」、もしくは明王そのものをそのまま立体的に再現する以上に、それを二次元的な平面で模写しているものが「作品」となっているように見える。言わば、聖体顕示台自体ではなくて、あたかも聖体顕示台を観た人がそれを平面的に素描したような例が多いというようなことと考えればいい。そしてその素描自体が「愛染明王の図」としてわれわれには知られる場合が多くあるというわけである。

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左:長禅寺「本尊・愛染明王像」戦国時代、京仏師・小河浄慶

右:奈良国立博物館「愛染明王坐像」鎌倉時代(建長8年・1256)

無論、立体表現として木彫などの愛染明王というのは各地に存在している。しかし、それを見るとなぜ愛染明王像を平面的に素描したときに現にわれわれが見るようなかたちで素描されるのかという理由が明らかになってくる。つまり、台座上に乗っている愛染明王自体だけでなく、それが載っている台座、そして柱も図像の重要な要素として描写されることが「全体の意味を伝達する」点で無視できないほど大きな意味を持っているからである。もし、愛染明王像自体だけが描写の対象であるのならば、「明王だけ」を描いた版画や絵画のような平面作品がもっとあっていい筈なのである。それでもその例が少ないということは、台座自体が明王本体と同じほどの重要性を持っている、つまり台座を含む全体像を描かざるを得なかったということなのである。

また、愛染明王の坐する場所は台座の上から「垂直に真っ直ぐ伸びる柱」の上であり、見たところ「請け花」的な皿(蓮華座)の上なのである。この形状的な特徴から推し量るに、愛染明王はそれ自体が石灯籠の頂点に載っている「宝珠」の機能を果たしているとさえ言えるのである。

以上の如き迂遠な説明を要するまでもなく、いくつか図版で観て頂く「愛染明王像」からも明らかなように、「明王」と「台座」は不可分であり、台座のディテール自体にも注目を惹くだけの形態上の特徴を強烈に放っていることに気付くであろう。

「宝瓶に活けられた蓮華座上で赤い円相を光背にして結跏趺坐」すると描写される明王が、あたかも台座上に位置する優勝杯にも似た「壷」から噴射され、その頂上で膨張しているかの様に見える。こうした「壷」と「明王」のパターンは、アラジンの不思議なランプとそのランプから出てくる「魔人ジニー」との関係さえを連想させるものである。緊急事態が起こるまで、ジニーは小さなランプ中に閉じ込められていて、何かことがあるとそのランプへ加えられる「反復的な刺激」に呼応してランプの注ぎ口から「吹き出てくる」わけである。こうしたアラジンのランプに見られる象徴的元型をこの「壷」(宝瓶)が担っているとすれば、愛染明王は「緊急事態」に主人の呼び掛けに答えるかたちで外に噴出して助ける、というその機能を担っていそうなことが想像できるのである。また、結跏趺坐という姿勢からも、静的で安定的な存在性よりも、ある種の次なるアクション(行為)を暗示するダイナミック(動的)で過渡的な存在性を持っていることが想像されるであろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/愛染明王

http://www.linkclub.or.jp/~argrath/goa.html

愛染明王が「ラーガラージャ」と呼ばれるインドの神であり、日本語に「愛染」と訳されているように「愛欲」と関連付けられていることは広く知られている。愛の成就をもって煩悩を断つ(愛欲煩悩即菩提)という、民間信仰を積極的に支持する。ここには「聖婚」を肯定するある種「性的」な暗示を豊かに保持した密儀との関連があるのである。

カトリックの聖体顕示台(Monstrance)も密教の愛染明王像も、形態的には「台座」「柱(優勝杯的な壷)」「炸裂する光」という点で極めて似たものである。そして、その獰猛なる獣性の暗示も共通ということが出来る。しかもこうした言わば人間の日常的意識を超えた時に理解できる「獣性」が転じて煩悩を「焼き尽くして」現世的な苦悩から解放するという点でもその機能は共通しているということが出来るのである。

そしてそれらはいずれも武具(防御)との関連が見られ、現在でも日常的な象徴図像の中で生き生きと「顕示」されている。「台座 + 柱+ 炸裂する光」という形式は、瓶(= 蓋の取れた壷)とそこから炸裂的に伸長する植物に置き換わる例もあり、その図像も枚挙に暇がない。それはペルシャやトルコのカーペット、タイルなどあらゆるイスラミック系その他の「左右対称」の伝統的作品の中にも見出せるパターンである。そしてそれらは時代(世界)の三重構造、発芽して伸長し、上昇するにつれ、幅を広げる植物的な成長進化のパターンを直感的に表象した作品で、一群の図像グループを成している。

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最後に見るのは現実の世界における上昇と「炸裂」の例である。今後それらはより現実に展開された壷とその中身についての言及に比重を置いていくことになるが、そのひとつの象徴的な例、そしてその意味について象徴の提示者がそれを無意識的に認識しているという一例である。

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打ち上げ後中空で爆発事故に遭ったスペースシャトル「チャレンジャー」の乗組員を追悼するサウスキャロライナ州のコメモレーションノーツ(左)。同州出身の宇宙飛行士が乗組員であったため、名誉州市民となった。この州旗が象徴する如く、乗組員たちは、「上昇し炸裂し輝く光の玉」となったのだった。

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[4]
頂点の「壷」と「未到の屋根」(クレスト)

Wednesday, November 9th, 2005

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■ 西洋・近東のフィニアル

西洋・近東の左右対称図像の起源の古さについてはすでに述べた。おそらくわれわれにとっての歴史時代とも呼ぶべき時間の「始まり」にまで遡れるのではないかとさえ思えてくる図像のひとつである。ここでは、おそらくわれわれの「記録された時代」において「最古」と思われる対称図像のいくつかを見た後に、その「中心的」要素であるフィニアルそのものの詳細に迫る。

伝統工芸品の中に見出される装飾品「フィニアル」が渦状の対称(対面した)要素をほぼ例外なく伴うこと、また「局部的要素」としてのフィニアルに、どのような秘教的な意味を持った物品が取り上げられ、「装飾品」として偽装されているのかというのを見て行く。

後は、「多くを語ること」ではないことが明瞭になるだろう。これらの品々がそれ自体で通常言語の持っている伝達力以上の、ほとんど魔術的と言っても良いような崇高な力を発揮するからである。したがって、ここまで読み進んできた方々に相応しい方法として、可能な限りこうした「図版そのものに語らせる」というのが実は賢明なのである。

ナバタイ王国(現ヨルダンの砂漠地帯)ペトラの「墳墓」遺跡

ペトラは「岩山」の意。ペテロ(ピーター)と語源は同じ。ペトラの都市が存在したのは紀元前300年。いずれもキリスト教定着以前に建立されたと考えられている。中央頂点に据えられた巨大な「壷」は、見たところその下部が4つの柱によって支えられており、まさにトロフィーの原型となるものだということが分かる。その優勝杯に左右から迫るのが「クレスト」である。

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エド・ディル(修道院)

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エル・カズネ[アル・ハズネ](宝物殿)

巨大なフィニアルである「壷」には宝物が入っていると考えたベドウィンによって銃で射撃されたことがあると言う(現在も破壊されたまま)。動機はともかくとして、それを正確に狙ったのは実に象徴的な行為である。

瓶と呼び習わすよりはむしろ「壷」と読んだ方が適切なのではないかと思われるこの「杯」の原型的なのがローマ時代(あるいはそれ以前)のフィニアルとクレストの組み合わせである。これについては「波頭」形状よりは純粋に対称な構図と、中心に据え付けられている巨大な壷状のフィニアルに到達しようとする二つの「腕」とも言うべき「屋根」が特徴である。この屋根(クレスト)は、通常の屋根と同様、中心に近づくにつれて高くなるにも関わらず、触れる直前のところで断絶されているというユニークな形状をとる。これが「屋根」と呼ばれるにも関わらず、屋根の機能を果たしていないことは明らかで、ということは特定の意味内容を伝えるための、儀礼的機能しか持たないものであることも、ほとんど説明を待たない。これはフィニアル「寸前の断絶」にこそ意味があるからである。

関連

庭園材料のサイト

手書きのイラスト

■ 「優勝杯的原型」としての今日的工芸品(modern arts)

すでにトロフィー(優勝杯)の中に小型の優勝杯が含まれるように、フィニアル自体にもまた、小さなフィニアルが含まれるという様な一種の「入れ子構造」があることについては簡単に言及したが、それについてもいくつかの実例を見ていこう。

優勝杯自体はセーヴルという装飾的な壷(あるいは蓋を持った瓶)が原型的なかたちを伝えている。優勝杯とセーヴルは、ほぼ同じものであると言っても良いほど似た構造を持っている。これらに共通なことはそれ自体が「フィニアル」という大きな装飾要素の一部をなしていながら、それ自身の内部にも「波頭とフィニアル」と解釈できそうな要素を含むケースが多いという点である。つまり、壷(セーヴル)の左右に配される取っ手(ハンドル)は完全に対称性を強調する要素として本体に付属しており、また実利の面では余り用を成さないようなやや過多な意匠を持つハンドルには、多くの場合、濃厚な「波頭/渦巻き」形状が観られる。そして中央の頂点に位置する壷の蓋のつまみ(ノブ)は、しばしば果物のかたちを模したフィニアルが付いているのである。つまり、フィニアルとしてのセーヴルが小さなフィニアルを含んでいるのである。

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左:フランスの磁器工房が19世紀に製作したというセーヴル(Sevre)

右:19世紀フランスのペアのセーヴル。Onyxの呼ばれる柱付きの台座に乗せられたもの。いずれもそれ自体がフィニアル状であり、その中に小さな「フィニアル」とそれに迫ろうとする植物の蔓(つる)のような「波頭」形状のハンドル(もしくは装飾)が伴われている。

茶を入れるために使うロシア家庭の食卓に見られる伝統的なサモワール (samovar)なども、こうしたセーヴル的な原型を含む壷や蓋を持った瓶のバリエーションのひとつであろう。上に見た18-19世紀に製作されたセーヴルと違って、こちらは実益に供する道具であるが、形状的には台座にあたる下部は小さくその直径がコルセットで縛られたウエストのように絞られており、容れ物にあたる部分は太く膨らんでいる。そしてその本体上部に双翼的な左右対称のハンドルが付き、そのハンドルのデザインが波頭を意識している。こうした西洋に広く見られる壷(瓶)の類は、まさにこうした優勝杯のかたちの祖型と言うべきかたちをとどめているのである。

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ロシアにおける「茶の儀式」に欠かせないアイテム、サモワール。いずれも、左右の取っ手(ハンドル)は「波頭」形状の名残があるが、セーヴルよりは実用性が求められるため、過度にオーナメンタルにはなっていない。

上左:典型的なスチール製のサモワール。左右対称性が特徴。中央に湯を放出するための蛇口がついているのが分かる(しかも蛇口の取っ手はトリニティを顕わす「鍵」のような三輪式デザインとなっている)。それがなければ「優勝杯」そのものである。

上右:いわゆる食卓を彩る贅沢品としてのサモワール。中央頂点の部分は、ポットを保温するための皿がついており、ポットを固定すると高くポットが聳える形になる。ポットが載せられることがサモワールの最大の特徴と言ってよい。実用的ではあるが、その異様な使用方法は、象徴図像的には「大きなフィニアル」(サモワール)の上に「小さなフィニアル」(ポット)が載せられる形となる。

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上左:銅製のサモワール。左右取っ手の「波頭」形状の名残が見える。

中央:ほとんどセーヴル化した装飾的なサモワール。これではおそらく「お湯を沸かす」ことは出来まい。

右:電気式になる前の、炭火を利用していた頃のサモワールの原理。水の中に火を入れ、湧かしたお湯は蛇口を経由してポットへ、お茶の入ったポットは中央の頂点へ、そして出てきた湯気はお茶の保温に、という、極めて実利的でいながらどこか「道教」的でも「錬金術」的でもある、秘儀を感じさせる「茶の間」の道具。

参考

Samovars: Truly Cultural Symbols of the Rus

The Russians are Here! What’s Samovar

■ 「東西」を結ぶ「密教」的な象徴図像(メモ)

Tuesday, November 8th, 2005

以下の記述はフィニアルに言及する別の章に吸収される予定。

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コロニアル風「グランドファーザー・クロック」とヴァジュラのひとつ「三鈷杵」の一方の先端

「最古の時代以来、神的存在を性格づける徴は角のある冠であった。したがってシュメールでは、中東諸地域のいたるところでそうであるように、新石器時代からその存在が確認される雄牛の宗教的シンボリズムが、とだえることもなく伝承されていたのであった。言いかえれば、神の様態は力と空間的「超越性」、すなわち雷鳴轟く荒天によって明示された。」

エリアーデ『世界宗教史 I』「歴史はシュメールに始まる」page 63

「角のある冠」とは、中央頂点へ到ろうとする左右の「波頭形状」の原初的図像と解釈することができる。「ひとりの神」の顔が、東西をあらわす双生児的なふたりの覇者の対面(対峙)である証拠は、中国の青銅器に刻まれる大食漢の神「饕餮(とうてつ)」の原型的なパターンではないかと憶測させるに十分な三星堆の遺物群からも見出される。

密教法具としてのヴァジュラ(金剛杵)と現在の欧州の工芸品に於ける職人的伝統が極めて近似した図像のパターンを共有するということを考慮するに、それはインド=ヨーロッパ語族が特定の秘儀の一部を共有していたと考えるのが妥当である。日本でも各所に見出されるいわゆる法具、密教的な美術品や工芸品の類が、ヒンヅー教や仏教の伝統、もしくは道教の影響を被っていることはすでに明らかであるが、そうした事実を踏まえると、日本の美術品・工芸品の伝統と欧州の工芸品の伝統の両方に共有した徴があることは、全く不思議なことではないのである。

いわゆる「絹の道:シルクロード」といわれるユーラシア大陸を横断する文化行路がギリシアから時間を掛けて日本まで「唐草模様」を伝えたという言い方は学校教科書を含めてなされており、そうした記述を思い出される向きもあるのではないかと思われるが、ここで扱われている秘儀的な象徴図像のつながりは、「唐草模様の伝来」というような、われわれの知る歴史時代に於ける象徴の伝播・交流という理説で納得できる以上の深みと広がりを見せるものだと考えるのが妥当である。その理由は「絹の道」という文化行路の範囲に収まることの出来ない「対称図像」が、南アメリカの古代遺跡にまで広がっているという事実からだけでも容易に想像ができる。そしてそれらは単なる対称性を称えた図像であるだけでなく同じ機能を果たす要素を含んでいるのである。

これは何を意味するのか? それはわれわれの祖先たちの上に起こった「歴史の始まり」を画するある種の「発端」が、文字通り地球規模のものであったし、ほとんどどの民族の祖先さえその影響を逃れることが出来なかった、それほどのスケールを持った「出来事」の記憶を伝えるものであるということである。それは歴史時代以降の、東西交易によって極東の地を含む「辺境の地」に至るまで、各時代を通じて波状に訪れたことを否定するものではないが、それが各時代においてある種の知者・覚者が、そして詩人や神話の解釈者たちが、それに意味のあるもの(内容)を捉える眼と洞察力を持っていたこと、そしてそれを、食器、家具、造形全般、織物、染め物、版画、絵画、などなどかたちや表現を幾度となく変えてでも伝え遺そうという努力があったのであり、そしてその意味の理解はともかくとして意匠化された図像を扱う職人の反復的な伝承、そして閉じられた結社による(家元的)伝承という「無条件的努力」なしにはあり得なかった筈なのである。

加えて、いまさらエリアーデの数多くの記述を引くまでもなく、歴史上記録に残っている或ることについての記述が、その記述の行われた時代に発見・発案された事象であるとは限らないという点が無視できない。むしろそれどころか、記述対象となった出来事が、それが記述された時代を大きく遡ったさらに以前の時代において、より盛んに語られ常識として広く所有されたケースが多いということは、現在さまざまな研究によっても明らかになりつつある。

それを元に考えれば、たとえばキリスト教を客観的かつ包括的に論じる記述が、キリスト教の隆盛を1000年以上過ぎた未来において多く発見されることはあり得るわけで、たとえばその記述が発見されるさらに遠い未来に於いて、あるいはキリスト教文明が遥か過去のこととなり神話化された時代において、キリスト教隆盛の時代を不注意な研究によっては千年単位で間違って推量するということはあり得ることなのである。これは記述の行われた時代の相当正確な時間推量が可能な「歴史時代」において書き記された記述にアプローチする際でも注意しなければならないポイントである。(エリアーデに同様の記述あり)

ならば、歴史的記述とはまた性格の異なった象徴図像の発生時代をそれが発掘・発見された遺跡の地層の時代からだけで憶測することは難しい。言うまでもなく、現在われわれが目にする家具上に聳える「フィニアルと波頭」の図像がそれの作製された1700年代や1930年代に「発見された」「作られた」と考えるのが間違っているように。

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[3]
日本の「フィニアル」

Saturday, October 29th, 2005

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■ 日本の「フィニアル」

石灯籠が道教思想の世界観の反映であることは既に述べた。またそれが最下部から最上部に掛けて「地・水・火・風・空」を表現しているらしいことも既に知られたことである。最下部が「地」を表すことは説明を要すまい。春日灯籠と呼ばれる背の高い石灯籠の「基礎」部分には「返花」と呼ばれる装飾が見出される場合がある。確かに下から2番目の「水」が図像的には明瞭さに欠いたものである(と言うより、どこからが2番目なのかが不明瞭である)にせよ、この「竿」と呼ばれる柱の上にある「火」の部分が灯籠の機能部分、すなわち実際にロウソクなど「火」を灯す箇所である*ことは断るまでもない。これが「火袋」である。そしてその上の屋根の「軒先」に当たる部分が「風」となる。これは「雲気」を表していそうなことはその特徴のある意匠からも想像できる。これは「雲の形を切り抜いた(模した)もので、怪異や霊威などに伴って生ずる超自然的な雲」(大辞林 第二版より)と説明されるいわゆる歌舞演芸などで使われる舞台装置である。これが「風」によって渦を巻き起こしているさまである。この「屋根」の部分を石灯籠では「笠」と呼び、渦の部分を「蕨手」と呼ぶ。これは、唐草模様など渦状の意匠パターンに通じる部分があることは見逃すことができない。そしてその上に「空」に相当する品、「宝珠」が据え置かれる。この宝珠は「請花:うけばな」と呼ばれる「皿」に載せられていることがある。

参考

* 灯籠の火を焼べる火袋は正面から見ると「三つの穴」が開けられているものが場所によっては見出される。つまり火が灯されるとそこには「三つの火の玉」(三ツ星)が浮かび上がるという趣向になっているのである。火袋の背面は通常火を焼べるためのアクセスになっている。そして正面が「三つ穴構造」になっていないものでも、この「火」の左右に「日」と「月」を表す形状の穴がそれぞれ開けられているのはより一般的である。ひとつはほぼ真円型で、もうひとつは三日月型の穴である。つまり東西に上る「月」と「日」、すなわち「陰陽」が象徴されているのである。これを一方の穴から覗くと他方の穴を見ることが出来る。これは「蝕: eclipse」を顕す。陰と陽、そしてその蝕について、それらの「超史実的解釈」については、のちに時間を掛けて考察をすることもあるであろう。

石灯籠の最上部にある宝珠(空)、そしてそのすぐ下の屋根を思わせる方形(ないし六角形)の笠の形状は、寺社の建立物の屋根の基本構造と同質のものである。それは屋根の先端に当たる笠の「軒先」が跳ね上がった形状(波頭形状)であり、この跳ね上がって渦を巻いている蕨手の上の頭頂部に擬宝珠など明らかに宝珠を模した形状(フィニアル形状)を持つという共通性が見出される。

西洋の家具、わけても柱時計やベッドに見られる「クレスト」と「フィニアル」の組み合わせとの違いは、石灯籠が対称面を東西南北の4方向(ないし複数方向)に持つのに対し、西洋のモデルは対称面が基本的に正面から見られたときの1方向にしか持たないという点である。

また、石灯籠は言わば、西洋的な「四隅の世界観」に似た構造を例外的に持っているということもできるが、これは東西の拮抗、そして南北の対立を象徴しているようにも見ることが出来る。クレストとフィニアルのパターンは、石灯籠においては三次元的な奥行きと広がりを持っているのである。

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だが興味深いことに、上のような比較を行うと、石灯籠そのものが全体としてひとつの「フィニアル」として見えて来る。つまり、大型のフィニアルに「宝珠」という小型のフィニアルが含まれることが分かる。一方、西洋のフィニアルも対称図像の中の局部的エッセンスとしてだけでなく、宇宙的な全体性を含むものにも見えて来る。そして「全体」を含むものとして捉えると、比較的大型の庭園要素としてのフィニアルには、さらに小型のフィニアルを含む入れ子構造になっていることが分かる。こうした構造は、後に「Ω祖型」と呼ぶことになる一連の象徴的図像の法則の一環を忠実になぞるものであることが了解されるだろう。

■ 鬼瓦という小宇宙

石灯籠と社寺仏閣の形状の類似は明らかであるが、社寺仏閣系の建築物の屋根瓦にも同様の要素が見られる。これはより大きな同質の世界観の中にやや小型のモデルが「入れ子状」に含まれる例である。特に「鬼瓦」の名前で親しまれて来た屋根突端部の特殊な瓦の中には宝珠か、それに準じる形状のパターンが見出される。そしてやはり瓦の意匠そのものが、「雲気(風)」をテーマにしたものであることも広く共通である。

明らかな「鬼の顔」の図像が広く一般的であるものの、中にはその顔に当たる中央の「主要部分」が家紋や屋号・家号(文字)に置き換わるケースも見られる。

例えば冒頭にも掲げ、各地で話題になっている大林組の広告に使われている「巨大な鬼瓦」もその例である。ご覧のように正面の顔は「家号」に置き換わっている。その「大林」という名前も含めて典型的対称図像となっている。偶然の計らいにしても、「林」の金文が、あたかもペアの三鈷杵のように見えることは興味深い。またこの鬼瓦はその形状そしてその主要部分の下に描かれている「雲気」のような渦巻きもよく視て取ることができる。コピーは「工法は変わっても創るスピリットは変わらない」とある。きわめてエソテリックなメッセージである。

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主要部分が「家紋」に置き換わったケース。家紋を囲む周辺部分の形状に注目。後にわれわれが共有することになる「Ω祖型」がここにも見出される。

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平面的なレリーフ状の鬼瓦であるがそのシンメトリカルな鬼の表情には「隈取り」を模したような「雲気」の渦が見出される。鬼の面自体が雲気を含んでいるパターン。こうした顔面を通して表現される対称図像は、古代中国の青銅器に見られる「饕餮(とうてつ)」などにまで遡ることができる。顔面図像の対称の起源については別途言及されるであろう。ここでは、「対立・拮抗」する左右(陰陽)の勢力が、波頭や雲気の渦として表され、それが一つの神的存在の「顔」を作り出すのだということを触れるに留める。

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瓦の主要部分が「打出の小槌」というフィニアル構造を採っている。雲気は極めて明瞭に鬼瓦の周辺を「飾って」いる。この雲気が「小槌」という世界至上権に迫る「クレスト」の役割を果たしている。

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通常の鬼の表情を描く鬼瓦と同様の構成になっているが、主要部分は単なる球体であり、その球体を屋根が守護するような形状になっている。だが、「雲気」はあくまでも左右対称にその球体に迫る。

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クレスト(ペアの対立図像)とフィニアル(至上権)の三体一身の鬼瓦。対称にペアを成す「雲気」はいわゆる「獅子」(狛犬)を思わせる形状にもなっているのも注目すべきである。

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ほとんど鬼瓦としての原形を留めないほどに自由にデフォルメされた鬼瓦。その対称性は希薄になっているものの、その頭頂部分に三位一体を表現する3つの円形の突起物が目立つ。

以上のように、日本の石灯籠に於ける「宝珠」(擬宝珠)と蕨手(渦、波頭)の組み合わせに見る対称性、「鬼瓦」自身に見られる「屋号・家号」などの「至上権的」象徴と雲気の組み合わせに見る対称性は、明らかであり、それは西洋の伝統工芸における「フィニアル」と「クレスト」の組み合わせに見る対称性と同じものを表しているのである。

建築/屋根関連blog

瓦(日本文化いろは辞典)

飛び石の暗喩(閑話休題)

Friday, October 28th, 2005

あなたは今、茶室に面した閑静な庭園にいる。あなたの眼前には飛び石があって、似たような材質の、あるいは場合によっては似ても似つかない材質の石が、ある一定の間隔を置いて(ほぼ等間隔に)埋められていて、その表面が踏まれることを待っている。あなたはそれが一個一個の別々の無関係な石であるとは思わずに、それらの作る「動線」がひとつの道となっていることを認識している。そしてあなたはその石を踏んで先へ進んで行けば、その先には何かが待っていることを知っているのだ。

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ここで飛び石の一つ一つが相互に関係していることを敢えて「論証」してから、あなたはようやくそこを歩くのだろうか? あなたはそれらが相互に関係していること、それらが一つの道 (path)を作っていることを直感的に知っており、それを敢えて疑うことなくその道を進むに違いない。時代や場所によって隔てられ、相互に無関係に見える象徴的な図像群を解き明かすことは、一列に並んだ飛び石を「ひとつの道」として認識することとその本質は変わらない。

だが、もしあなたが一つの石だけに注意を奪われ、一つの石について、その形状や材質、その加工法、埋められ方などなどにだけ詳しくなり、その石の専門家になったとしても、隣の石に気付くことなく、あるいはそれらが一つの道を造っていることにさえ気が付かず済ませてしまうかもしれない。たったひとつの石について深い造詣を得たとしても、それが一体どんな意味を持つのだろう。あなたはその一つの石の上にずっと佇み続けるのだろうか?

われわれは複数の石が作り出す一つの道に気付き、それを歩み、その先に指し示された<普遍的題材>に気付くことこそが求められているのである。ここには各論的な専門家になるのか、超歴史的視点の獲得、そして「総合の要請」に応えられる超専門的な洞察力(心眼)を得るのか、その分岐点に立っているのだ。

そしてわれわれに与えられた時間は、ひとつの石の上に佇み続けるには、すでに「限られ過ぎている」ことにも思いをいたさねばならない。