Archive for the ‘伝統数秘学批判’ Category

K・キェシロフスキ作品:
三部作 トリコロール《Blanc》論

Wednesday, August 18th, 2010

終末論的・超歴史的・救済論的理解によって読み解くキェシロフスキ論(その1)

彼が直接監督した作品の意味で、実質的な遺作とも言えるTricoleursシリーズの《Blanc》(White, 白)について。この作品が、キリスト教の秘教的解釈やグノーシス思想などへの理解を基礎に出来上がっており、映画の登場人物や出てくる小物大物を含む舞台装置、そして台詞などによって巧妙に暗示されていることを理解することは、この映画が単なる男女の愛憎劇や喜劇風の復讐劇を造ることを目的としたものではなく、いわゆる神話時代から変わることなく扱われてきた《普遍的題材》を扱った類希な、真の芸術の名に値する作品であることが諒解されよう。キェシロフスキは、この三部作において、ほぼ完璧とも呼ぶべき物語をつくり、タルコフスキー以来、比類なきレベルの象徴的映画作品を完成したということができよう。

Kieslowski portrait

キェシロフスキは、本人が自叙伝でも述懐しているような「象徴の映画は作らない」(キェシロフスキ著『キェシロフスキの世界: Kieslowski on Kieslowski』)などという言説が、多くの鑑賞者をあえて欺く、全く正反対の虚偽(まやかし)であって、むしろそうした象徴的映画を生涯最期まで俗的な装置の中に意図的に混淆させ、また「隠匿しつつ提示する」というオカルティズムの伝統に根ざした表現を選び、またそのような読み解きの可能な優れた鑑賞者に対して、ある種の目配せを送っているものと考える方が妥当なのである。

むしろその上で、そうした象徴(奥義)への理解だけでは足りないのだという、より至高のメタフィジカルなメッセージをも映画に含有させることに成功しているのである。だが、このこと、すなわち「足りない」ということは、そうした内容への理解だけでは十分条件ではないが、奥義接近への必要条件であることに違いはない、とも言い換えられるのである。

小論においては、続いて、登場人物名、時系列による場面解釈などを、いちいち記すことで、キェシロフスキが無駄のない選択と気配りを一切の要素に対して行っていることを論証していくことにする。

■ 登場人物名
Karol Karol
『Blanc』の主人公カロル・カロル(Karol Karol)にはその名前にいくつかの暗示が込められている。最も基本的には、Karolはヨーロッパ文化圏には一般的な名前(Karl, Carl, Carlo, Charles)のポーランド語やスラブ語に置き換わった変種であるが、象徴記号としての役割のひとつはアルファベットの「K」、すなわち現世的・近代的な「J」に続く「やがて来る」の時代に当てられた記号である。それを姓名の両方で繰り返すことによって、ひとつにはアフォリズム的なドラマの持つ非現実性を強調すると同時に、数字のぞろ目(222, 777, JJJ)などの方法と同じ「繰り返し」の手法によって「そこに記号が存在すること」についての自己言及を行っていると見ることができる(ぞろ目については、キェシロフスキ自身が三部作の『赤』において、主人公の通うカフェのスロットマシンを使ってきわめて暗示的に扱っているのであり、彼がぞろ目の意味の重要性についてわれわれに目配せを送っていることは明白である)。

アルファベットの「K」自体には「11番目」の意味があり、「KK」と二度繰り返すことにより、「1111」という数性を読み取ることも可能である。そこには周回する時代(エイオン)の「原始、始まり」に相当する数性の、およびわれわれにとっての未来のエイオンの暗示を見ることができる(われわれの時代は3回繰り返される数字によって「3度目の世界」であることが暗示されているが、未来の未来は4桁の数字によって「4度目の世界」であることが暗示されるであろう。現実にそうなるかは別として、論理上はそうなるのである)。このことは、これから説明して行くタロットに於ける《愚者の旅》の愚者(the Fool)自身として主人公が「繰り返し」を生きることについての暗喩として機能する。

Karolという名前のその原意は、「夫」「男」というものであるが、このドラマの意味を考えたとき、その主人公の記号として元型的な《男》という意味の名を当てたことには偶然以上の意味が込められている。また、英語の語源辞典をあたると、Charlesには、「自由人:freeman」の意味が見出される。これは「奴隷でない人間」「奴隷を克服する男」のことである。そこには成長する愚者が、その道程で隷属の頚城(くびき)を断って、自立を得るために目指す別の「K」、すなわち、まずは「Knight」に、そして最後は現世の王(King)となることの意味も含まれている可能性がある。現に、欧州ではCharles/Karlは、王の名としてもきわめて高い人気があることは偶然ではなかろう。

Julie & Zbigniev

Dominique
カロル・カロルの相手役である準主役の女性の名前。
ドミニクのヴァリアント(変形種)は、以下に示すように実に数が多い。それだけこの名も欧州文化圏では男女を問わず人気があると言えるだろう。意味は「神の、神についての」というようなもので、「神の年」の意味を持つラテン語の「anno domini」(これが西暦のADに相当する)もこの語幹を持つものだ。

【資料:Dominiqueのヴァリアント】
Domaneke, Domanique, Domenica, Domeniga, Domenique, Dominee, Domineek, Domineke, Dominga, Domini, Dominica, Dominie, Dominika, Dominiki, Dominizia, Domino, Dominica, Domitia, Domorique, Meeka, Mika, and Nikki.

さらに「支配、優性」といったニュアンスの語彙に転じた「dominant, domination」などの単語との関連性がある。事実、主人公にとって異国の地であるパリにおいては、Dominiqueは、常に主人公のKarol Karolに対して、「優性」であり、「支配的な」地位にある。これこそが、主人公が(三色によって象徴される)異邦の地において「性的不能」に陥った主たる理由なのである。

Mikołaj ミコワイ
慣習的ににNicholasのポーランド名とされるが、キェシロフスキは明らかにこれをMichael(ミハエル)のポーランド名として採用している。これは大天使の名前であり、彼が4人でプレイするブリッジ・プレイヤーであることから、四大天使のひとり(ミハエル)であることが暗示されている。彼はまさにメッセンジャーであり、また主人公を支援・守護する霊的な存在(聖ミハエル)でもある。

Mikolaj & Karol Karol

■ 時系列による場面解釈

「死と再生」の祖型として
Karol Karolの映画進行に伴う変化は、主人公の《成り行き: progress》および「死と再生」の範型をなぞるものであり、それはタロットにおける「愚者の旅」であり、また新しいところでは新約中の救世主の「死と復活」にも見出されるパターンである。

Karol Karolに降り掛かる不運(というよりはむしろ「受難: Passion」であるが)は、裁判所に着いた時点で鳩の糞が彼の《肩》に落ちてくることで暗示される。これは同時に彼という主人公が「白」という属性を持ったまさに本編の中心的な存在であるための目印の意味がある。「肩に目印がつく」という伝統はキリスト教のイコンにおける母マリアの肩に付けられている八芒星の位置とほぼ同じであり、そうした聖像の伝統を実はキェシロフスキはきちんと踏まえているのである。

裁判によってすべてを失ったKarol Karolは、地下鉄の駅で知り合うミコワイの助けを得てパリ脱出を図る(ミコワイの役割は、その名の通り、空を飛んで世界を駈ける「羽根を付けたメッセンジャー:天使」としてふさわしいものである)。その際、Karol Karolはポーランドには戻れるが、ゴミの最終処理場という、言ってみれば「故郷の最果ての地」で4人組の犯罪者たちに囲まれ、袋叩きにされることによって一旦終わる。故郷の最果ては世界における辺境を意味する。これは言わば蘇りをもたらすために必要な形式的な死である。しかもそれは敵による「殺害」によって実現されなければならない。これは世界の四隅(つまり東西南北を含む人間世界そのもの)を表す4人の盗賊たちによって囲まれ、打ち倒されなければならず、言わば救世主の受難、すなわち主人公の弾圧と殺害をこのゴミ処理場における暴力が象徴している。

ところが、Karol Karolを迎える「死」は、「仮死」とも言いうる状態で、それはヘアサロンを経営する兄のいる家で毛布を頭まで被って三日三晩寝続けて、復活への時期が熟するのを待つことによって表現される。山のように盛り上がった毛布の中における暗闇は、キリストが磔刑死後、葬られる石によって塞がれた墓所と同じ意味を持つ。毛布から出てきたKarol Karolのその後の活躍は、まさに墓場から石を退けて出てきた救世主の姿にオーバーラップするのである。キリストとの重ね合わせについては後述する。

【象徴的第2日】
彼は、無事に帰って来ることのできたポーランドで、過去の自分の象徴である2フラン硬貨を川に向かって投げ捨てようとするが、それはあたかも救世主の手に付けられた「聖痕(スティグマ)」のように掌にくっ付いて離れない。ここにもキリスト教のイコンを模そうとするキェシロフスキの意思が容易に読み取れるのである。これは硬貨の数性“2”を利用して、さらにスティグマを思わせる身体的な部位にそれを配置することによって、Karol Karolと救世主の間にある(皮肉な)相関関係への暗示を強化するのである。

また、その2フラン硬貨の数性そのものによって、Karol Karolの生きる次周回の世界(エイオン)における、文明進捗の度合いを同時に意味する。すなわち、七日間の中の何日目であるかを同時に表す道具としても機能している。

このあとは、七日間の内の何日目であるかを表する数性がひとつひとつ進んで(progress)行く。これ自体が救世主「復活後」の物語なのである。

【象徴的第3日】
数性“3”は、主人公を含む3名の人物が、これから開発が予定されている田舎の農地を「巡礼」することによって、3人のマギを模していることが暗示される。彼らがその巡礼の際に乗っているクルマがメルセデス・ベンツであることは偶然ではない。メルセデスの3つのスポーク(輪留め)を持つ丸い車輪のロゴマークは、まさに三位一体の象徴であり、当然カメラがそれを効果的に捉えている。そして、この「巡礼」の際に、謀(はかりごと)を思い付いたKarol Karolは、その後、ミコワイを訪れる。

【象徴的第4日】
久しぶりに二人は再会したするが、ブリッジの行われているカード荘において、ミコワイを含む4人がプレイしている様子が一瞬映し出される。これは時代が数性“4”に到達していることを表現している。ここでは、4人全員は画面上に登場しないものの、正方形のテーブルで4人がプレイしていることは明白である。しかも堕天使としてのウリエルは画面上には捉えられていない。これはキェシロフスキ一流の目配せとヒューモアであろう。

【象徴的第5日】
次に、Karol Karolは計略によって仲間を出し抜いて開発予定地の一部を確保するが、それは5ヶ所の地所である。これは数性“5”の暗示となる。それを10倍で売却し大金を入手する。ここに5の倍数である10であることは偶然ではない。遺言により、出し抜かれた彼の元雇用者(マフィア)から自分の命の守ることに成功し、大金を手にしたKarol Karolは、ミコワイとともに事業を興す。

彼はどうやら不動産投資などをしているものと見られるが、ある時、一見本筋とは全く関係なさそうなビジネスの一場面が映画では描かれている。 Karol Karolは、自分のパートナーのひとりに壁の厚さが何センチかを訊き、メジャーで厚を測らせ、「46センチメートルである」ことを知ると、「あと4センチ足して50センチにするように」と指示を出す。これは全くのナンセンスであるように見えるが、まさに数性“5”の窮極の状態であるオカルト的な50という完全数にこだわる様子を描いているのである。これはもうひとつの重要な「三色旗同盟」のひとつであるアメリカ合州国が、国家として50州から成っていなければならないとする、言わば「象徴マニア」であることに対する当てつけと解釈することができよう。

【象徴的第6日】
やがてやってくる《6の時代》は、五芒星と六芒星が「565」という順でKarol Karolの右肩の上当たりに茫漠とであるが掲げられているのをカメラが捉えることによって表現される。こうした小道具を視野の中に入れることにも監督の演出の意思が関与している。演出に偶然は何一つない。これは3つ並んだ六芒星による「ぞろ目」と関連のある伝統表現が前提となったもので、数性はぞろ目の「666」にまだ至らないが、極めてそれ(週/周の六日目)に近いことを意味しているのである。

また同時に、街に吊るされたこの星は、クリスマスの到来を告げる典型的でありふれた街の装飾でなければならないし、同時に象徴的なドラマとしては、神が休む安息日前日の六日目は、クリスマスの到来に近い時期でなければならない表現上の事情を踏まえている。言うまでもなく、これはキリストの磔刑の前日が、「過ぎ越しの祭で忙しい時期」として描かれてきた聖書時代からの伝統に則っているのである。

断っておくが、これはクリスマスと過ぎ越しが一年のうちの同じ時期であることを意味しているのではなく、ドラマが死と再生と関わりの深い象徴的な「区切り」の時期に遭遇することを意味しているにすぎない。こうしたひとつの時代の死と復活という同様のテーマは、はやり描かれるドラマの季節がクリスマスの時期と設定していたTerry Gilliam監督の映画『新世紀ブラジル: Brazil』にも共通見られるもので、ヨーロッパにおける暗黙の共有事項と考えられるものである。

次の救世主の誕生(伝統的聖誕祭)は、旧い救世主(王)の死によって、まずは区切られなければならない。

したがって、Karol Karolは象徴的な最後の日、「六日目」をどのように終えるかを思案するのであるが、この周回する世界は《偽造された主人公の死》によって完成されるのである。これは伝統的な救世主としてのキリストの死も、偽装であったかもしれないとする異端的/異教的なキリスト教に対する批評的理解についての、映画作家・キェシロフスキからの目配せが含まれているのである。ドラマ上、かくして主人公は「二度目を死ぬ」のである。

一度目はすでに説明したように帰国時、故国ポーランドのゴミ処理場で。そして二度目はフランスにいるDominiqueを彼女にとって異邦の地であるポーランドに呼び寄せる巧妙な手段として。あくまでも偽装であるが。

だが、この二つの形式的な「死」によって、短いドラマの中に限られた幅(長さ)を持った直線の始点と終点の2点を設定することが可能となるのであり、その主人公の成り行きが、あたかも「文明の進捗」についての始まりがあって終わりがある(アルパでありオメガである、とも表現される)ドラマの典型を描くことができたのである。むろん、キリストのパロディあるいは「カリカチュア」として。

二度目の死の儀式を成立させるべく、お金を出せば買えないものはないという自由化されたばかりのこの地(ポーランド)で、Karol Karolの事業グループは、顔がつぶれて身元が確認できない死体さえ購入するのである。そしてその身元不明の遺体をKarol Karolであるとして葬り、葬儀も行うが、このとき、自分の過去の時代の象徴であり、また主人公としての彼の存在論的な意味性(つまり救世主であるということ)を表示していた《聖痕》である2フラン硬貨を偽装死体の入った棺の中に入れる。「自分が本当にここにいた」ことを偽装するためであり、また自己の過去世を同時に葬り去るためでもある。

【象徴的第7日】
このようにして彼の偽装死は功を奏し、かつての敵(かたき)であった先妻Dominiqueを、Karol Karolにとって故国であって彼女にとって異邦の地であるポーランド(ということは彼女にとってあらゆる点で不利である地)におびき寄せ、また彼女を保険金殺人の犯罪者として刑務所に送ることにさえ成功する。

Dominique in jail

牢獄への女性の幽閉は、象徴的には神の安息日(第7日)に呼応する状況である。これはまた、これまでに繰り返された救世主の仮死(偽装死)、すなわち男性原理視点では発展停止(ないし不在)の時期に相当するが、女性原理の視点においては休息(刺激の絶無)に相当する。しかし、この二人、すなわち男性性と女性性の象徴的存在は、互いが互いに対して「必ず帰って来る」ことが約束されている点でも、神話的な元型を表現していると言えるのである。

刑務所に収監されているDominiqueを訪れたKarol Karolとの間で「手話」のような会話が行われる。Dominique曰く、「私は死と天国を望むほど絶望しているのでしょうか? いいえ。私はここを出たらあなたのところに真っすぐ赴くでしょう」(そのように筆者には読めた)。人里離れた地に幽閉することにより、ようやく愛する者を支配下に置くことのできたKarol Karolと、異邦の地でかつての夫の嘗めた辛酸と同じ境遇を骨の髄まで味わったDominiqueとの間で、初めて相互理解と和解が成立したかに見える。主人公は、自分への理解と愛を獲得するために、かくも込み入った仕掛けと努力を払わなければならなかったのである。そしてその仕掛けは、まさにわれわれの住む近代文明そのものの発展の姿に、そしてわれわれ人類の姿にオーバーラップして来る筈である。

◇◇◇

付録:国旗の色による映画に込められた複層的意味合い
「白」の主人公Karol Karolの故国、ポーランドの二色旗(白・赤)と主人公の相手であるDominiqueの故国、フランスの三色旗(青・白・赤)には、それぞれの国に伝わる色に関する一般的解釈(通念)があるが、それとは別の秘教的な解釈、およびキェシロフスキが意図した個人的象徴の顕示の機能が持たされている。

France flag Polish flag

フランス国旗については、青と赤の原色の間に《侵されざる白》が配置され、正反対の要素の間でバランスをとっており、それが一種の「三つ巴」となって力学的な均衡作用を起こしている。さらに青という水によって象徴される属性と赤という火によって象徴される属性とが直接ふれあわないようにするバッファーのような間隙(blank/blanc)として白が機能している。一方、ポーランド国旗においては白と赤という二要素が(上下に)直接拮抗している。《Blanc》のドラマの中で主人公は無垢で弱い白——それは彼が憧れる白い少女の石膏像によってもその壊れやすさが暗示されており、また中身のない「空:からっぽ」の意味の Blank——で象徴され、その生身の相手役、Dominiqueは、情念の炎の赤で象徴される存在である(彼女は振った男を追い出すためであれば、パリで自分の経営するヘアサロンに火さえ放つ)。Karol Karolにとって「異邦の国」であるフランスにおいて、彼は男性優位であることができない。そしてまた、「青:水:自由」の要素を含んだその地において性欲の「炎」は、つねに「水」の脅威によって消される潜在的脅威がある。しかし、その(国旗上)「水」のない(水入らずの)ポーランドにおいて、あるいは「白が赤の上位に置かれた」ポーランドにおいて、彼は男性としての機能を回復し、Dominiqueを逆に「支配」することができる。これは《白》を本体(国体)とするポーランドの、《赤》(他者/例えば過去においてはロシア)に対する優位を希望する国民的心理の祖型的な現れでもあるとも言えよう。

映画トリコロールにおいて「博愛/愛」を意味するとされる映画『赤:Rouge』では、別種の赤の属性を持つ主人公がイレーヌ・ジャコブ演じるValentineによって提示されるが、映画『白』においてはまったく対極的属性をもった赤の象徴が、ジュリー・デルピーによって提示されているのである。この Dominiqueの赤は、「博愛/愛」の赤ではなく、むしろ煩悩として現世や生を焼き尽くす「性愛」の赤である。同時にキリストの(侵されざる)白に対する(マグダラの、あるいは記号的な)マリアの衣のような「信仰と情熱」の赤なのである。ポーランドにおいて、赤は「自由」(あるいは自由獲得のために流される「血」)の意味であり、同じ「自由」がフランスとはスペクトル上も全く正反対の色(青)によって置換されている一方、白が現在、「共和国の尊厳」の意味に転換されている。ポーランドにおいて、「尊厳」(自決と死)は、自由に対して優位の地位を得ているのである。無論、二色旗が数性“2”を通して、カトリック優位のポーランドの宗教事情を暗示している面があるのは前提の上での話である。

端午の節句に見る《ショウブ》の象徴に遊ぶ

Tuesday, May 5th, 2009

「勝負」という言葉は最近では「勝負下着」とか、「ここぞ」という大事なときのキメの一着(一枚?)のことらしく、ここから読み取れるのは男女の房事のことが、今では「(真剣)勝負」と言われるようになってきているということでもある。昔から「“勝負”があった」とき、そのことを「雌雄を決する」と換言できることからも分かるように、確かに、男が男であり、女が女である──男女を決する──「その場面」は「勝負」という言い方こそ相応しいのかもしれない。だが、閨事(ねやごと)が「勝負」であると捉えるその現代人の感覚は、下のような伝統的な西洋の象徴世界でも共有されていることでもあり、あながち間違ってもいない*のである。

Rosarium

ボッティチェッリ

* これについてはかつて『金剛への第一歩──集団的な「浄化」儀礼と《聖婚》の伝えるもの(陽物としてのフィニアルとその周辺)』という拙論で言及したことがある。

冗談はさておき、ショウブはショウブでもこの度のショウブは、「端午の節句」にちなんだ菖蒲についてである。三月三日が「桃の節句」なら、五月五日は「菖蒲の節句」である。

調べると、端午(たんご)というのは、午(うま)の月の初め(はじめ/端目)の日のことらしい。しかも旧暦での祝いの日だったから、グレゴリオ暦の5月5日が「端午の節句」になっているのは二重三重に転倒していて、儀礼のオリジンを訪ねようという向きには面倒な状況ではある。端午の「ご」の音が数字の「五」に通じるということで五月になったということもあるようだが、「午」とは十二支では7番目。旧暦で「午の月」とは五月(皐月)(グレゴリオ暦のおおよそ6月)のことだ(今年の端午は5月28日なのである)。

一方、節句とは節供(せっく)と書かれることからも分かるように、植物をお供えする供犠のことだ。端午の節句が「男子の節句」となっているのは、紀元3世紀頃の中国の故事に由来するようであるが、この「端午」が、日本の田植え前の時期に男子が皆出払ったあと、家に篭る女性たちの穢れを祓う日本の旧い「五月忌み」と呼ばれる儀式(女性のための儀式)と習合して、性別が反転して鎌倉時代頃に男子の節句となったという説がある。それ以前でも、おそらく中国の影響を受けたと思われるが、宮中ではこの端午に薬玉(くすだま)を贈り合う習慣があったという奈良時代の記述があると言い、そこでも薬草や菖蒲との関連が見出される。

なるほど端午の節句には邪気を払うと言われる菖蒲の束を浴槽に浮かべて入浴する菖蒲湯の習慣が今日でもあるが、この菖蒲にこそ、(後に)天空で割られることになる「薬玉」に負けずとも劣らない秘儀(エゾテリスム)が潜むというのが筆者の考えである。

菖蒲

▲菖蒲の花(イー薬草ドットコムのサイトより)いわゆるアヤメ科の花とはまったく異なる。

「菖蒲の節句」が男子の節句となった経緯としては、武士の時代であった鎌倉時代に「菖蒲」(ショウブ)の音が、「尚武*」と同じ読みであることなどで転じたというのが有力な説のようであるが、間違いなくそこには「勝負」への連想もあったはずである。

* 武道・軍事などを大切なものと考えること(大辞林)

このショウブという植物のもっているという「邪気の祓え」の魔力は、ある種の秘儀の名残と言い得る理由がある。菖蒲(しょうぶ)の古名はアヤメであり、アヤメは「殺め」に通ずる。アヤメグサは「殺め草」でもある。このことは、端午の節句について説明する「菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ」(Wikipedia)というような、最もありふれた記述の中にも見ることができる。

確かにショウブがサトイモ科で、いわゆるキショウブ(黄菖蒲)やカキツバタ(燕子花)などの三弁の「アヤメ(菖蒲)」と一括りにされるアヤメ科の植物とは似ても似つかない花を付ける*のであって、ショウブがアヤメ科の植物と混同されている不思議には様々な説明が必要でありまた可能でもあろうが、そのどちらにも連関がありそうなのが、まさに前述した《武具》への連想なのである。

* 参考サイト「いずれがアヤメ?カキツバタ?」

いわゆるショウブとは違うが、西洋のアヤメの紋章は、その三弁の花弁の形状からフルール・ド・リ(fleur-de-lys)として繰り返し現れる「三位一体」の象徴であるが、それはそのまま西洋の伝統においてはスピアヘッド: spearhead(槍の先端)、つまり武器の形状としても認識されるものでもある。つまり「アヤメ」(菖蒲)は、洋の東西を問わず武器(殺める道具)への連想が存するのである。

spearheads

Qingdao Andireal International Inc.より

Fleurs de lys

Déguisement de chevalier Fleur de Lys avec armes en mousseより

この写真で見られるように西洋のスピアヘッドは三位一体の象徴である「フルール・ド・リ」(アヤメ/キショウブの紋章)の形状を採ることがあり、武具と三位一体の間にある関連性が示唆されるのである。これは日本における正月の門松(かどまつ)が、竹槍状に斜めにカットされた三本の青竹を束ねて、αとΩ(阿吽)の位置、すなわち門や玄関の左右に置くことで、武具(あるいは穢れの祓え)と三位一体、そしてわれわれの住む世界の始まりと終わりの位置に発生する何かを象徴する習わしと根を同じくする。

まさに端午の節句とは、5の並びの日(5/5)を目印とした勝負/尚武の節目であり、鯉のぼりとともに空高く翻る五色の吹き流しによって強調される「五行」の徴によっても「5の数性」は高らかに顕現させられる。ということはまさに今日の世界──数性“5”と数性“5”の権化が仁王像のように東西から立ち上がり、大洋を隔てて対峙する現代社会──において、男子に秀でた武具使いとなることを真剣に祈念する日なのである。

そして菖蒲の湯に浸かることは、菖蒲の持っている邪気を祓う魔力の滲み出した液を以て全身を「洗礼」されることで、武具と同様の魔力を身に付けようという迷信として伝わったもの言うべきであろう。

象徴の作法とは、時間の経過と共に発展し、不明瞭は明瞭へと転じて、解釈可能な形象へと徐々に改訂されて行くのである。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像《目次》

Monday, May 19th, 2008

ナビゲータ・メニューの「カテゴリ」から「伝統数秘学批判」をクリックして遡ることでも全文を読むことができるが、およそ94,000文字(2007年3月28日現在)のテキストおよび図版データをわずか数ページで表示しようとするので開くのに時間が掛かる場合がある。《目次》

タイトルをクリック

[1] 序論(上)

[2] 序論(中)

[3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀

[4] “1”の時代(“8”の時代)〜「元型的日曜日」

[5] “2”の時代〜「元型的月曜日」(前半)

[6] 積み重ねられる数的祖型

[7] “2”の時代〜「元型的月曜日」(後半)

[8] “3”の時代〜「元型的火曜日」(上)

[9] “3”の時代〜「元型的火曜日」(中)

[9] “3”の時代〜「元型的火曜日」(中)【挿入節】

[10] “3”の時代〜「元型的火曜日」(下)

[11] “4”の時代〜「元型的水曜日」(上)

[12] “4”の時代〜「元型的水曜日」(中ノ上)

[13] “4”の時代〜「元型的水曜日」(中ノ下)

[14] “4”の時代〜「元型的水曜日」(下)

[15] “5”の時代〜「元型的木曜日」#1

[16] “5”の時代〜「元型的木曜日」#2

[17] “5”の時代〜「元型的木曜日」#3

[18] “5”の時代〜「元型的木曜日」#4

[19] “5”の時代〜「元型的木曜日」#5【補遺 01】[未完]

“伝統”数秘学批判──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [19]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#5【補遺 01】

Tuesday, December 25th, 2007

補遺 01

■ 近代日本(維新後の日本)で観察される五角形・五芒星

五稜郭は、明治維新前夜、函館に建てられた日本における最初の近代的軍事施設である。この存在や建設の意図、またそれに楯篭もって戦争をした榎本武揚の行動などに胡散臭い部分があるのは知られたところである。五稜郭は、1857(安政4)年着工、1864(元治1)年に完成した江戸末期最新式の西洋型要塞で、現在特別史跡に指定されている。設計したのは蘭学者の武田斐三郎*。この建設に関しては謎が多いが、むしろこの五稜郭を有名にしたのは、明治維新後に起こった函館戦争である。函館戦争は、別名「五稜郭戦争」とも言われるが、これは榎本武揚が1868(明治1)年から翌年にかけて明治政府相手に抵抗して戦った(と言われた)内戦である。これが大いに機となって反政府軍(旧幕軍)の抵抗した戊辰戦争そのものが終結されたという「歴史的経緯」がある。その点から言えば、榎本武揚が旧幕側であり、すなわち明治新政府への反動分子/反乱者であったという旧来の捉えられ方が当然であるように見えるが、伝えられるところの彼の“真意”が「共和政府樹立、開拓統治に当たる」ことであったということから、彼が単なる反乱分子であった、というのは考えにくい。

* 武田斐三郎が初めて函館に来たのが安政元年。しかも彼が歴史に名を残すような最初の貢献というのが、その際に丁度函館を訪れていたペリーの相手をするという仕事で、その談判が始まった日が、これまた奇しくも5月5日だという記録がある。

「8隻の旧幕艦隊の軍艦を品川から率いて仙台に立ち寄り、そこで兵を募って蝦夷地に到着後、函館府知事を追放し、五稜郭周辺を占拠して戦った」のが本当で、それ自体が通常なら無視できない反逆行為と捉えざるを得ないことは疑問を挟む余地がないとは言え、蝦夷地に“共和国”を建国しようとしたというのが、「旧幕側の意図したところであった」とすれば、常識に則れば非現実的であるばかりか、「天皇を担ぎ出した明治新政府」の意図とも、それに「抵抗した旧幕側」の意図とも単純に解せないところがある。榎本の真意が何であったかを知るのは容易でないが、彼が新政府軍の軍門に下った後、罰せられるどころか、「新政府に登用され珍重された」というその後のいきさつを鑑みると、この五稜郭戦争そのものが旧幕側と明治新政府の対立、という単純な構図だけでは説明できない。これは今は亡き作家の安部公房が、その研究成果であるその著「榎本武揚」で展開した「八百長戦争説」である。

五稜郭はペンタゴンと同様に数性5を濃厚に抱く軍事施設である。明治政府が威信を賭けて建造したと言われるだけのこともあり美しい五芒星をしている。それがどのような実利的に有効な機能を果たしたかはともかくとして、五稜郭戦争とも呼ばれるこの「事変」は五稜郭を国際的に有名にしたし、北海道を象徴するモニュメントと成したのである。

第二次大戦後に独立した「共和国」の多くが五芒星を持つことはすでに触れたが、北海道と五芒星の関連性というのも、この五稜郭のみならずあちこちに見られるのは特記に値する。たとえば函館市の市旗と札幌市の市徽章にはどちらも五芒星が見られる。北海道自体が歴史的に浅いことを考えれば、こうした「近代的図像」がその象徴となることは納得できることではある。また多くの人々の目に触れているものとしてかつて札幌に拠点を持っていたサッポロビールのロゴにも見られる。サッポロビールの自社紹介の説明文によれば、「明治新政府は1869(明治2)年、開拓使を設置し、北海道の開発に乗り出し」、「以降、開拓使が廃止されるまでの十数年間、さまざまな事業が北の大地で展開され」る。「その中にはビールの醸造も含まれてい」た。「1876(明治9)年6月、開拓使はドイツでビールづくりを修業して帰国した中川清兵衛を主任技師に迎え、醸造所の建設に着手」。「同年9月、開拓使麦酒醸造所が完成。翌年、開拓使のシンボル、北極星をマークとした冷製『札幌ビール』を世に送り出し」たという。

北海道と五芒星のむすびつきは、「北極星」をこの新天地の徴としたことにおそらく直接の理由がある。下に見るように、北海道新聞の一面で現在も使われている題字には8つの五芒星が見られる。これは北極星と北斗七星*である。だが星の象徴が五芒星でなければならない理由は、日本が西洋文明と出会った時期とに関係性が求められる。あまりに自明であるが、日本が「5の象徴」と出会ったのが「5の時代」のさなかであったこと、そして何よりも日本が「5の時代の権化」としての合州国を通じてその時代精神へのイニシエーションを得たことに関わりがある。そのように考えたとき、もし近代国家の別の謂である「共和国」の建国が北海道で成されたとすれば、五芒星が国旗にあしらわれた新興国家が本州を北から睨む形で配置された可能性がある。そして、それが合州国完成のための50番目の州となったかもしれないのである。

* 北斗七星/北斗星と同様に、「北斗」という言葉自体が《西洋》を象徴する記号として顕われることがある。北斗の「斗」が単独で「柄杓 ひしゃく」を表すのであるから、北斗とは「北のひしゃく」のことであり、それが7つの星で表されることで「7の数性を文化の基礎とする文明圏」のことが暗示されている。そしてその言葉は日本の室町時代のマンダラ画にも見出すことができる。例えば「北斗曼荼羅」とよばれるものがそれである。北斗曼荼羅の内実は西洋占星術の十二宮を図画化したものである。したがって北斗曼荼羅は「西洋式曼荼羅」という意味の呼称に外ならない。驚くべきことにこうした西洋式の占星術も室町時代には実は密教と共に曼荼羅として日本に紛れ込んできているのである。

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補遺 02

江戸幕府は215年に渡って鎖国政策を採ってきたとは言うものの、キリスト教の布教と日本人の海外往来の禁止がその政策の主たる目的であったわけで、幕府による強力な貿易統制はあったものの、長崎市内には中国人の居住地区があった。建前上、禁止の対象はあくまでも西洋文明に関してなのである。だがその一方で、同市の出島は制限付きではあるが、オランダ人の商人などの往来・居住が例外的に認められていた。当然出島はヨーロッパ社会と日本のあいだの連絡窓口となっていた訳で、日本文化は出島からオランダ経由でヨーロッパにも紹介され続けていた。また同時に、近代化されていくヨーロッパ社会の動向は日本のエリート達のあいだには出島を通じて持ち込まれていた。

出島はキリスト教の伝播を畏れた江戸幕府が1634年に長崎の豪商25人に命じて造らせた扇形の埋め立て地であった。しかも当初の利用目的は禁教政策の際の被弾圧民であった切支丹宣教師等のポルトガル人の隔離収容施設だった。禁教政策を強化する直接の原因になった1637(寛永14)年の「島原の乱」以降、こうしたポルトガル人たちはマカオなどに追放され、さらに平戸にあったオランダ商館の倉庫も破壊された(1640年)のであるが、旧教徒(カトリック)を敵とする点で日本の権力者と利害の一致があった上に、日本国内における宣教活動もしないとの約束によって、さまざまな条件付きではあったがオランダは日本との付き合いを許された。そしてその居留地としてこの出島が利用されたのである。移転したのは1641年のこと。出島での商人等の生活監視は厳しかったが、オランダ商人は江戸幕府と深い関係があったため、島原の乱で原城に篭城した一揆勢に対して、商船を使って海上から砲撃を加えるなど切支丹による乱の平定に協力している。島内にはオランダ国旗の掲揚柱(フラッグポール)もあり、国旗は常に掲げられ続けたという。

長々と幕府の鎖国政策や出島のことに関して言及したのは、江戸時代の鎖国期が、実は一般に信じられている程、「情報からの隔離」を意味しなかった、ということを示唆するためである。少なくとも一般庶民は、ヨーロッパで起きているような民主革命や英国の“新ルネッサンス”(産業革命)に関する情報から縁遠かったに違いないが、政府の要人たちはそうしたことを蘭学者を通じて逐一知っていた。無論長崎などで学ばれた革命的な最新の知識が、最終的には江戸幕府を倒すような戦術を極東の辺境の地たる日本にもたらしたことは事実だが、こうしたエリート達による知識の独占は、幕府の終焉から大政奉還に到るまでの怒涛のような変化の裏側で、幕府側と新政府側のあいだに信じられないような「申し合わせ」が存在していた可能性さえ示唆しうるのである。

五稜郭の塁形が星形五角形(五芒星)を成しているのは「射撃の死角を少なくする」意味を持つとされているが、ヨーロッパの文化を学びシンボリズムにも通じた蘭学者の一部が、幕末の日本に“5”の時代の幕開けの象徴として五稜郭を設計築城させ、さらにほとんど意味不明とも取れる五稜郭戦争を一部のエリートたち(榎本がその首謀者)が引き起こした、ということは十分に考えられるのである。{29} 五稜郭がその形状のみならず、この函館戦争というイベントによって日本史の「一こま」となり記憶されたということに違いはなく、その戦争なければ、全く一度も利用されないままの「函館の飾り」として残らざるを得なかったであろう。

「象徴の具現化」という一見実用性のないことのために、戦争などの大乱が画策されるというのは、歴史の意義を一面でしか捉えられない「経済一元論主義」の歴史学者にとっては信じがたいことかもしれない。しかし、この小論を通じて私が試みているのは、そうした象徴主義者の象徴具現化という「信じがたい」策動によって歴史は正に動かされている、という可能性を提示することなのである。繰り返すように、現在のイギリス(大ブリテンと北アイルランドの連合王国)は、アイルランドを「数重なる闘い」の後に北と南に分割して北部を王国に取り込み、その結果として現在の4国連合が存在している。アメリカ南北戦争(市民戦争)は、南軍“Confederacy”の「連邦からの州独立」を違憲であるとして、北部が認めないことから起こった。州独立を「違憲である」として断固戦った北軍“Union”が勝利し、その延長上として現在の合州国50州がある。

さて、バージニア州にあるアメリカ国防総省が『ペンタゴン』という愛称で呼ばれている五角形の建物を本部としていることも決して忘れることが出来ない。これは五稜郭がかなりきれいな五芒星を描いているのに対し、建物の外郭が正五角形を成している。

国際連合 常任理事国5ヶ国

今日、日本で『国際連合』の名で広く知られている“国際紛争解決機関”である「連合国」{30}の安全保障理事会常任理事国が、第二次世界大戦の戦勝国(アメリカ合州国・イギリス・フランス・旧ソビエト連邦・中国)であるのは「当然」であるが、この“連合国”の常任理事国は“5ヶ国”である。そして、投票で選ばれる非常任理事国を含めると合計“15ヶ国”と定められている。ちなみに「星状五角形(五芒星)」を意味する“pentacle”や「五角形」を意味する“pentagon”の語源のひとつに“penkwe”がある。これには“5”以外に“50”(まれに“15”)という意味も含まれている{31}。

現在、日本などの敗戦国が「国連」憲章、すなわち「連合国憲章」の敵国条項の削除及び常任理事国入りを画策しているが、常任理事国の数を増やすことが、政治的以上の象徴的意味を持っている、ということは一般に認識されていない{32}。常任理事国が6ヶ国になるということは、それはとりもなおさず、象徴主義的歴史主義者にとって、安全保障理事会全体の構成国再編成が必要になると言うことである。ここでは詳細を述べないが、象徴的な歴史動向の実現を真に狙うものがいると仮定すれば非常任理事国が12ヶ国になり、安全保障理事会は合計18ヶ国(6+6+6)によって構成されなければならない。これは私の超科学的な預言であると言うよりは、それが成就されたとき、むしろそうした歴史主義者達の実在を裏付けるものとなろう。

さて、我々は未だに“5”の時代の直中にいるのだろうか。もしそうでないとするならば、どの時代にいるのであろう。そして、この数字によって象徴される時代区分は永遠にその数を増やしつつ発展していくのであろうか。こうした疑問について一口に説明するのは容易なことではない。確かなこととして私が話せるのは以下に示す通りのことのみである。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [19]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#5

Tuesday, May 15th, 2007

St John Divine Cathedral

ニューヨーク市122丁目のアムステルダム通りにある世界最大級の大聖堂──聖ヨハネ教会カテドラル St. John the Divine Cathedral(監督派教会系 Episcopal Church / 英国国教会系 Anglican Church)の中にかつてあった同カテドラルの設計の基本モチーフ。いくつもの五芒星が設計上の隠れた神髄 (quintessence) となっていることを証している。キャンバス自体を五角形にしていることも興味深い。

■ “五芒星国家アメリカ”

アメリカの独立以降出てきた五芒星は、“5”の時代の黎明を告げる明けの明星であったのだが、この五芒星もアメリカの独立の宣言と同時に歴史に登場したわけではない??それは18世紀後半まで待たなければならない。独立記念日の1776年7月4日から遅れること1年弱(11ヶ月と10日)、1777年6月14日、ようやく初代の星条旗が発表される。そこには独立した植民州を表す13の星が縁取られることになるのだが、興味深いことに、その際の星の形状は六芒星であった。なぜなら合州国国旗の「青地に白星」の「星」が何芒星でなければならないかということまではその時点でルールとして定められていなかったというのがひとつはある。

参考図版:History of the Stars and Stripes (U.S.)

とは言え、ここには独立州を表す13と、六芒星によって表される「数性6」のあいだに関連性が伺われ、その意味については論じられるべき内容を持つのであるが、「数性5」との関わりが薄いのでここでは詳述しない。こうした時代性を無視したかに見える数的象徴図像のいわば「錯誤的使用」は、アメリカ史においては後にも何度か観察されるのであるが、それがあたかも「何かの間違い」であったかのように錯誤として認知され、すぐに訂正されたかにも見える。こうした例外的な国旗の意匠が一般から忘れ去られることも、象徴図像のひとつの範型的な働きなのである。(ここで一度断っておけば、この種の「錯誤」と「修正」は、合州国の南北戦争 The Civic War の時にも繰り返される。)

実際興味深いことに、五芒星のモチーフが合州国国旗として正式に定められる1780年には、彼らが実際に用いる国旗の幾つかにようやく五芒星が見られるようになり、それが最終的な決定となっていく。しかるに1800年代の初頭は、まだ作成するのが容易*な八芒星がむしろ一般的であったこともある。ここにも一見して象徴図像の錯誤的使用が見出されるのだが、その“八芒星”星条旗も、イギリス軍の敗北が確定化した(1781年秋)後、ようやく2年経ってパリ講和条約の締結があったという経過もあり、合州国がひとつの連邦国家として認められるまで、砦や戦場のある特定の建物に掲げられる以外は正式に使われることがなかった。したがってこの「八芒星国旗」が国際的に知られることは滅多になかったのである。

[錯誤の六芒星の星条旗については、星の並べ方に重要な暗示があるため、「数性6」のセクションで詳述することになる。]

* 八芒星の作成が容易なのは、単純な90度と45度の角度からだけで成り立つために高度に洗練された道具なしでも再現可能な幾何学パターンであるためとも言える。それが容易であったことは、布地類を利用して表現された星形図像の最も古い形態であることからも正しいと言えそうである。その最も容易に星形を表現ならしめるものが、意味的にも「数性8」であるということは、仮にそれが偶然だとしても極めて興味深い暗合であると言わなければならないだろう。

このように一瞬出現しては消えるというアメリカ独立最初期の国旗に見られるある種の「事故」は、ある程度理解可能なことである。例えば独立戦争中、星条旗に先立って使用された「抵抗州旗」に、“Don’t tread on me”というものがある。そこには世界史更新後に「原初の蛇」が現れてくるように、この独立戦争というエポックがひとつのエイオンの終末と再生を意味していると当時の象徴主義の通暁者が理解していた可能性があるからである。

DON'T TREAD ON ME FLAG  with stripes

そのように考えた時、欧州中心的なひとつの世界が終末(周末)を迎え、新しい世界の再生がこの新天地を中心に起こるのだと、当時のひとびとが「解釈」したとしても、それは諒解可能なことだからである。同様に、この「再生」や「復活」の意味合いを含んだ、国家成立の最初期において「8の数性」を保持した星形が選択されたということも、全く理解可能なことである([4] “1”の時代(“8”の時代)〜「元型的日曜日」を参照のこと)。

■ 世界最大の大聖堂と五芒星

現在さらに建設が進行中であるニューヨークの聖ヨハネ教会大聖堂が、キリスト教最大の教会でありながら、教会正面の扉、飾り窓、尖塔などの位置や形が多数の五芒星によって支配されている、という驚くべき事実がある。教会建築のデザインを決める基本モチーフが「十字架」や「三位一体を象徴する図形」であったりするということは、よくあることだが、他ならぬ五芒星が「教会」全体の隠れたモチーフになっているというのは注目に値する。合州国内のみならず、全世界で最大規模とも言われる教会の大聖堂が五芒星をモチーフとしており、しかもそれが他ならぬアメリカにあるという事実は、同国の象徴するものと数性5とのあいだに切り放せない関係が存在することを示唆して余りある。

さらに、アメリカの建国と同国に隠然たる影響力を持つ「英国教会」の関係。さらに後述するフリーメーソン Free Mason と英国教会 Anglican Church に見られる象徴主義の驚くべき類似性に関しても、言及する価値があることをここで断っておいてもいいだろう。

■ 数性5と五弁の花

日本では古来から「はな」と言えばそれが梅を指すと言うくらい、五弁の梅は古くから親しまれている。それは「日本のヘラルドリー」である家紋においても伝統的に「梅鉢 うめばち*」と呼ばれるひとジャンルを成していることからも分かる。梅鉢紋にはいくつものバリエーションがあるが、そのどれもが「数性5」を強調したものになっている。欧州の図像伝統においては五弁の花を模したと言われる五弁飾り/サンクフォイル cinqfoil/cinquefoil** がある。日本において五弁の花の象徴が桜に取って代わるのは近世以降(江戸時代)である。園芸品種であるソメイヨシノが大ベストセラーになったために桜の地位が一挙に上がり、梅に替わって「花の代表」となる。

Umebachi mon a Umebachi mon b Umebachi mon c Cinquefoil at Westminster Cinquefoil illustration

* 梅鉢紋の図版引用先:

東京染小紋の模様(もよう)

を蔵出し着物屋 ぬっ記

Art Center Internet Gallery

** Cinquefoilの図版引用先:

Inside The Da Vinci Code

Clipart ETC

一方、現在「星条旗 Stars and Stripes / Star-spangled」と呼ばれている合州国国旗に多くの日本人が出会ったのは、1854年(「五芒星」星条旗が定着して半世紀後)にペリーが日本に黒船でやって来た時だ。その際、艦上にはためいていた国旗の青いカントン cantonに縫い込まれた五芒星を見て、日本人のほとんどが「星」だとはあきらかに思わなかった。幕末当時の日本人には少なくとも「星状五角形とは星のことである」と認識する約束・習慣がなかったのだ。すでに言及している通り、「五芒星 ≒ 星」と捉える一般則は世界においてもまだ日が浅かった事情を鑑みれば、日本においてはなおさらのことであるが、やはり新しいものであった。五芒星を大胆にあしらった合州国の星条旗を初めて見た江戸時代人たちが、それを最初「花条旗」と呼んだらしいところからもそれが伺える。幕末の日本人はそれを星であると「読む」決まりを知らずにも、梅鉢のパターンがすでに知られていた日本において、白い5つの角を持つ星々を五弁の花びらと見た。

ここで重要なのはそれを日本人が星と気付かなかったという点ではなく、むしろ「5」という数性にはおそらく無意識ながら着目していたという点にこそある。つまり、その五芒星が星であるということを度外視しつつも、シンボルのより重要で本質的な性質は、きちんと「異境人」たる日本人にコミュニケートされたと言うことができるのである。

さて、さらに興味深いのはその日本が(どんな手続きを経たにせよ)合州国と国交を持ったあとに、日本の時の為政者が行なったことである。それは日本が米国に「ソメイヨシノ」を贈ったという歴史的逸話である。今では春になるとポトマック川河岸で満開になり、そこを訪れる観光客たちをはじめ、政界を含む権力に近い人々をも喜ばせているワシントンDCのサクラであるが、明治時代に「日米親善の徴」として贈られたものであることを知る人も少なくないであろう。

Cherry Blossoms in D.C.

Someiyoshino

上:図版引用先:NACC.National Park Service HP

下:ソメイヨシノ(筆者撮影)

参考資料:

日本国内のD.C.の桜の紹介サイト:ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花

D.C.の桜祭りの公式サイト:National Cherry Blossom Festival

NPSによるNational Mall & Memorial Parksのサイト:Cherry Blossom History

だがこの五弁の花、しかも満開になったらすぐに潔く一気に散ってしまうというその「無常の徴」を米国に贈り物として献上し、ホワイトハウスからほど近い場所に植えさせ、しかもかの地の人々がそれを愛でるようにした、というのは、実になんとも心憎い計らいであったと言うべきであろう。隠しながら「情/こころ」を伝えるという万葉の時代からのヤマト人の伝統的マナーは、当時も生きていた訳である。まさに「地上の星、天上の花」としての桜であり五芒星であった。

繰り返すが、青地に白く縫い込まれた徴を五芒の「星」と見るか、五弁の「花」と見るかは、さして重要なことではない。大事なのは“5”という数性の伝達である。そして、伝達は異文化間においても成功したのだった。

■ 「完成」を象徴する数字“5”

われわれにとっても極めて親しみのあるこの“5”という数は、アメリカの独立宣言以降の「新世界」において「完全」や「完成」を意味するシンボルとなった。すでに述べたように、これは今後徹底して追求される「近代的ヒューマニティ:五欲」の完成と重なる部分である。

Five Star Managers

この新大陸においては、サービス産業における業者クオリティ等級を表現するのに五段階評価が用いられ始める。ホテルやレストラン、そして劇や映画の質を評価するのにこうした五段階評価法が一般的に用いられ始めた。それは星の数で決められる(星はもちろん五芒星である)。フランスにおけるレストランやホテルの「3つ星 = 最上級」といった言われ方をするのがそれであり、星の数が多いほど等級が上なのは言うまでもない。「5つ星」は最上級のクオリティに対して付けられるレイティングであるが、滅多にそのような評価が下ることはない。だが、リムジンサービスなど合州国内の観光サービスなどで“five-star / five stars”を謳っている業者も多く、そうしたサービスの質を会社名として冠しているところさえあるほどだ。三ツ星を最上の等級(ランク)として認識しているフランスなどと明らかな違いを見せている。これはきわめてアメリカ的な現象(あるいは「ポスト“新大陸独立”的な現象」)と言うべきであろう。

Five Star Limo Five Star Concierge Five Star Security Five Star Hotel System

「五つ星」を謳うサービス群

リムジンサービスコンセルジュサービスホテルのセキュリティ会社ホテル予約システム(クリックすると引用先にリンク)

「レイティング・システム」に見られる様な星の増加は、単なる商業的理由による「星のインフレーション」のためであるという言い方では十分に説明できない。なぜならば、仮に自然な「インフレーション」が星を増加させていくのだとすれば、間もなく、「6つ星」といった六段階評価が出てきても良さそうであるが、いまのところそのような気配は目立たない──後に述べるような「6の倍数」の象徴の登場という歴史的エポックを除いては。少なくとも、「5つ星」の評価制度が市場において広く正式に採用され、その上でアメリカで暮らすアメリカ人が“6”という数に対して好印象を持つというような経過を辿らなければ「6つ星」などという制度が現実のものになることはないだろう。それは「50ないし5を以て完成とする」という「数性5」の権化たる合州国において受け入れられそうもないことは、今となっては敢えて断るまでもないだろう。

■ 50の五芒星を作り出すもの

五芒星は、正確には五角形ではなく、5つの外向きの角と5つの内向きの角を持つ一種の十角形である。そして一筆で描けるその形状はしたがって10の点によって結ばれている。言い換えると、10の小さな星があるとすれば、それらを結ぶことによって星座のように「ひとつの大きな五芒星」を描くことができる。50の小さな星があれば、「5つの大きな五芒星」を描くことができるのである。合州国の50州はこのように大きな五芒星を5つ描き出すことのできる数を表す。5つの大きな五芒星は「5の時代」の完成を図像的に表徴したものである。したがってアメリカ合州国の「50の州」は「ヒューマニティの完成」に向かうための180年に及ぶ建国以来の歴史的過程をそのまま直截に表現したものなのである。

50 small stars to draw 5 large stars

50の小さな星は5の大きな星を描く。

“Nereid and Seven Kings”(Heavenly Talks, Earthly Talks)の背景画を意図して作った“Nereids Now”or “Dragon Horns” 筆者作

古代神話の原色世界 @ 壁画のあるグロッタ(洞窟)@ 課題が見出される庭園

また、“50”という数が促す連想は海の精 sea nymphs である。その原型はギリシア神話におけるネレウス Nereus の50人娘 Nereides/Nereids のエピソードによるものと言える。アメリカ海兵隊 Marinesの海兵隊旗が、海を象徴する青地背景に50の白い星が描かれたものとして知られる。これは合州国国旗のカントンをそのまま旗にしたもので、50州が一群になって互いに協力し合う海兵隊の象徴は、ギリシア神話上の海の精霊である「50人姉妹」を強く連想させるのである。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [18]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#4

Saturday, May 5th, 2007

US flag (Stars and Stripes) The Pentagon

(左)五芒星をあしらった最初の国旗──五芒星を解放し大衆化させた時代の権化としての国家が登場する。それはかつて大英帝国の国旗、ユニオン・ジャックがまさに「“4”の時代」を表象していたことに重なる。「数性5」をモチーフとした国旗は登場してから僅か230年余しか経っていない。

(右)アメリカ合州国の国防の拠点。その名もペンタゴン(五角形)。

■ 古くて新しい図像の深層と秘教的伝統

五芒星が紀元前3000年以上の昔から存在していたという言い方で、その歴史的な旧さを強調する紋章学者や図像学者が多く、筆者もその自体を否定するわけではない。事実、そのことこそが超歴史な周期性を証しているとさえ言い得るのであるが、旧さに言及する言説のほとんどが時間軸上における五芒星の使用頻度や出現頻度の分布や、その出現様態やコンテクストに意識を向けたことのない人々によるものである。確かに全ての数的祖型図像には複層的な意味がある。だが、そのうちのひとつは本論で繰り返し示唆してきたように時代精神(ツァイトガイスト)の反映なのである。したがって筆者はそのポピュラーな使用が5千年以上に渡って持続的に行なわれてきたという考え方に与しない。

むしろ五芒星は最も古層に属する歴史的・文化的地層から再発見されて、近代においてついに本格的に復活を遂げポピュラライズ(大衆化)されたと言うべきなのである。古代エジプトのヒエログリフの刻まれた石盤や粘度版、あるいは石室の壁やバシリスクのようなモニュメントに同じく刻まれた五点星形(「大文字 だいもんじ」のようにも見える記号)が、ペンタクルの亜種(ヴァリアント)であることは今さら議論を待たないが、それをもって、数性“5”の超時的な普遍性を意味しないのである。したがってこの節で扱うのは、あくまでも「復活後」の五芒星図像の意味する内容に関してであり、その近代性についてである。

■《呪縛解放》された五芒星

再び話は五芒星そのものに戻る。五芒星はひとたび日常的な「星をあらわす記号」として採用されるや否や、かつては忌まわしいもの(禁忌)として、あるいはまじないの類(呪物)として聖別化されていたにも関わらず、それをまったく忘れてしまったかの様に、野火の勢いで世界中に広がることになる。

20世紀に入って、ことに第二次世界大戦を戦った国々の軍帽の徽章としても五角形の星が当然の様に採用されたことは特筆すべきである。軍帽の徽章について言えば、第二次世界大戦中、連合国/枢軸国のどちらに関係なく両陣営で広く採用された。中国も合州国も日本も五芒星を額の上に掲げ、それを自らの徴としたのである。

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旧帝国陸軍中将の軍帽 (1)

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旧帝国海軍下士官軍帽 (2)

人民解放軍

人民解放軍(中国)の軍帽 (3)

Soviet pin

旧ソヴィエトの鎌とハンマーのピン Red Star w.Hammer & Sickle (4)

US Air Force

米空軍の徽章(USAAF Shoulder Sleeve Insignia)(5)

Airforce

U.S. Army Air Forces in World War II (6)

画像引用先:

(1) 佐藤賢了陸軍中将軍帽

(2) 昭和17年制 海軍下士官軍帽

(3) www.easterncurio.com

(4) Angie’s Outdoor

(5) United States Army Air Forces @ Wikipedia

(6) U.S. Army Air Forces in World War II

第二次世界大戦後は、アジア、アフリカ、中近東など世界の各地で、欧州各国の植民支配を受けた地域が「近代国家」として次々に独立してゆくことになる。特筆すべきことに、国家として新たに「国際社会」へと登場したこれら独立国の多くが、五芒星を国旗の要素として持つのである。この徴の広がりは、資本主義圏、(旧)社会主義圏、イスラム文化圏、ラテン(カトリック)文化圏、などの国政を支配する思想/文化、宗教/宗派/教義の別なく見られるもので、比較的若い国々の間で見出される共通点なのである。

Singapore People's Republic of China 中国 ガーナ シリア キューバ パナマ

上国旗:シンガポール、中華人民共和国(中国)、同国璽 National Emblem、ガーナ、シリア、キューバ、パナマ

以後、同様のことは本稿によって何度も繰り返されるが、この徴の存在自体やその理由をわれわれが訝しく思わないのは、その図像の登場とほぼ時を同じくしてわれわれ自身がこの世界に生を受けたためであると言えるかもしれない。われわれにとって五芒星があまりに日常的、且つありふれた図像でしかないのである。したがってそれが特別で重要な何かを表しているということさえ着想できず、意識さえを向けられないでいるのである。だがこの五芒星に限らず、時代を象徴する図像とはまさにそのように機能するのである。

以下に挙げるのは、五芒星を国旗に持つ国の例である。社会主義/共産主義体制であった旧ソヴィエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、キューバなどから、アメリカ合州国、リベリアなどの資本主義国家、そしてイラク、シリアなどのアラブ/イスラム圏、カメルーン共和国、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国などのアフリカ圏、ホンジュラス共和国、パナマ共和国、チリ共和国、ブラジル連邦共和国、プエルトリコなどのラテンアメリカ圏まで、さまざまな由来を持った国がある。

その伝播はまさに20世紀の人類の行為なのである。

■ 「数性5」の図像群の現代性と「数性5」の象徴としての五芒星: The modernity of pentangular archetypes and pentacle as the numericity five

現代という時代を特徴付けるものは、前述したような「五欲」についての個々人のレベルにおける成就である。「時代精神」という観点からすれば、現代という時代区分における究極目的はこれら身体的充足の達成である。そしてその目的は文明化された世界の各所において、着実に実現されつつあるものとして視ることができる。

ポップアートにおける五芒星の取り上げられ方からは、他ならぬポップアートが新興国アメリカ発であるということによっても、それが時代を反映するものであることを無意識に受け入れているのである。

マン・レイ(マルセル・デュシャン)による五芒星形に頭を剃った男の有名な写真は、まさにそうした象徴としての五芒星に対する「自覚」をあからさまにしたものに等しかった。またそれにさらに触発されたという武満徹の管弦楽曲《鳥は星形の庭に降りる》は、まさに秘教的数性としての「5」を正面から扱ったものである。作曲作品の英語のタイトルも武満徹本人が考えていたことが知られている。同作品の英タイトルは、“A Flock Descends into the Pentagonal Garden*”と賦与されているが、これも数性“5”を歴史的に固定化させるものである。

* これはむしろ「ある(動物の)群れは五角の庭に降下する」であり、英語タイトルから解する限りにおいて庭の形は星形(星状五角形)ではない。五角形である。またflockは鳥の群れも含むが必ずしも鳥だけではなく羊の様な哺乳類の群れも指す。

■ “5の時代”の象徴とアメリカ合州国

冒頭の口絵キャプションでも示したように、五芒星を近代国家の国旗として最初に採用したのはアメリカ合州国である。そしてその事実にこそ五芒星の大衆化の最大の原因を求めることができるのである。

“5の時代”の幕開け(あるいは“4の時代”の凋落の決定)は、大英帝国が新大陸アメリカの13植民州の抵抗勢力に対し、植民地護持の戦いに挑み、その挙げ句それに敗れ、広大な植民地と世界覇権国としての地位を一挙に失ったのを契機として始まる。これまでもそうであったように、ひとつの時代区分の終焉と次の時代への過渡期には、それぞれの時代を代表する新旧の権勢の間で闘争が起こるのが常である。しかもそれは大規模な戦争という形態を採る。“5の時代”の黎明を告げるエポックとは、まさにアメリカの「対英独立戦争」なのである。

Naval Flag of the US

合州国海軍の軍旗。50州の州を象徴する50の五芒星が海軍そのものを表す。国旗の左上端は、その国の本体を表す。

国旗に限らず、紋章を十字によって四分割した時の左上はカントン Cantonと呼ばれる部分(下図左の黄色の四角で囲まれた部分)で、それはその紋章を通じて表現されるべき主たる要素となる。一方、それ以外の3/4は多くの場合、その主たる本体要素を取り囲む外部(外界)要素と考えることができる。紋章学的には「国体」とは、単独には存在し得ず、外部条件との関係で決まってくる相対的なものである。すべての紋章や国旗がそのようになっているとは限らないが、四分割されたものにはそのような意味にとれるものが多い。

下図右は米監督派教会 The Episcopal Church in the US の教会旗。左上の部分(カントン)が教会の主要部分を表す。クァトルフォイル quatrefoil(四葉飾り)にも見える9つの十字が、全体で聖アンドレ十字 St. Andrew’s Cross を描いている。この英国国旗 Union Jack と合州国国旗 Stars and Stripes、そしてこの教会旗が両国旗間を埋める役割についてはいずれ記述するであろう。

Canton of the US flag The Episcopal Church in the US

アメリカ合州国は、“5の時代”の権化として、周回するひとつの“エイオン Aeon”の中で、おそらく最大級の「帝国」を築くことになる。その建国に際しては、それ自体にひとつの象徴的目的があるかのように「5の数性」を表現する儀礼的な機能を大いに発揮するのである。

合州国と「50州」

例えば、アメリカ合州国は、その国旗(星条旗)に見られるように州の総数と同じ数をカントン部に持つ。これは後にも述べるように合州国が50州になることで建国の目的を果たし「完成」したことを意味する。

合州国と「ペンタゴン」

Pentagon Plaque Pentagon photo

冒頭の写真(右)でも見られるように合州国国防総省 the headquarters of the United States Department of Defenseは五角形の建物になっており、その名も「ペンタゴン」(五角形)である。このワシントンDCのすぐ南のヴァージニア州に位置する建物がそのような形状になったことの経緯は、ペンタゴンがそのサイトでも紹介しているように、そのビルの形状が土地とそれを囲む道路の形状に合わせたためで偶然であるというような建前的な説明があるが、そのようなことは到底受け入れられるものではない。あらゆるデザインには紋章学的な伝統が踏まえられているのである。また、その高さが、建設が始まってからの設計変更(追加工事)によって「5階建て」になったことなど、「5の数性」を濃厚に打ち出している点など特筆すべき点が多い。またその竣工式が1941年9月11日であったことなどは思い起こしておくべきことであろう。

参考サイト:Pentagon Renovation & Construction

合州国首都と星状五角形の都市計画

ワシントンDCのホワイトハウス周辺の都市区画はピラミッドと五芒星(逆さ五芒星)がモチーフとなっており、ピラミッドの頂点に当たるところがホワイトハウスであると同時に、逆さの五芒星の下の頂点角がピラミッドの頂点に一致するようになっている。

アメリカ合州国建国と、その陰に見え隠れするフリーメイソンの存在がこれ程までに広く知られている一方で、ホワイトハウスの北側に「逆さ五芒星」と思しきラインが道路によって引かれている、というようなことは未だあまり知られていない*ようだ(1990年代)。以下、それに関して詳述する。

DCのホワイトハウス北側には5つのスポットが存在する。すぐ北側の(1)ラファイエット・スクエアから時計回りに(2)ワシントン・サークル、(3)デュポン・サークル、(4)ローガン・サークル、(5)マウント・ヴァーノン・スクエアと位置している。これらの広場は、それぞれが道路で五角形に結べるばかりでなく、それぞれ一つ飛びに線(すなわち道路)で結ぶことが出来る(厳密には後述するようにそれは完璧ではないが)。それはすなわち (1)(2)(3)(4)(5)(1)という風に直線を辿ることができ、それによって星型五角形を描くことができる。

下の画像は1992年に筆者がDCで入手した観光マップである。五角形のみならず星形の都市計画が明りょうに視て取れる。逆さ五芒星の頂点に当たるところにあるのがホワイトハウスである。五芒星が逆さであること、国会議事堂の上空から見た形状が「双頭の鷹」(民主党と共和党を象徴する?)のデザインになっているのが、フリーメイソンの伝統的な定規とコンパスの徴であると読めるという主張もある。ワシントンDCの都市計画とフリーメイソンとの関連、また陰謀史観的な記事はウェブ上でいくらでも見つけることが出来る。

* 『ダ・ヴィンチ・コード』を書いたダン・ブラウンの別の小説はワシントンDCを舞台にしたものらしく、その点について包み隠さず詳述する小説の中では最初のものではないかと思われる

参考ウェブサイト

BIOLOGY OF THE BEAST(獣の生物学)

Mundane Astrology (世俗的占星術)by Ed Kohout

Washington DC map

クリックして拡大

(1)ラファイエット・スクエアからコネチカット・アヴェニューが北北西に伸び(3)デュポン・サークルに到る。(3)からは東南東にマサチューセッツ・アヴェニューが伸び(5)マウント・ヴァーノン・スクエアに到る。(5)からは真西にKストリートが伸び、(2)ワシントン・サークルに到る。(2)から(4)ローガン・サークル到る動線は『完全』でなく、(2)から西北西の位置にある(4)ローガン・サークルへ伸ばした線はコネチカット・アヴェニューとぶつかる点までまで道路がないが、それは再び同アヴェニューからロード島・アヴェニューが始まり、(4)に到る。(4)からはヴァーモント・アヴェニューが南南西に伸び、ついに最初のポイントであった(1)ラファイエット・スクエア、すなわちホワイトハウスに戻ってくる。ここで「ホワイトハウスに戻ってくる」と言ったのには理由があり、これらをきれいに五芒星として結ぶことの出来る点のひとつが、実は厳密に言うと(1)ラファイエット・スクエアにではなく、ホワイトハウスのすぐ北側の中庭に存在しているからである。

フリーメーソンとワシントン・モニュメント

さて、生前のジョージ・ワシントンがメイソンリー Masonry(メイソン団員)であり、彼の大統領就任式がフリーメイソンの儀式に則って行われた、などということは周知の事実であるが、ワシントンDCのワシントン・モニュメントの冠石設置の儀式及び、1885年のジョージ・ワシントンの誕生日(2月22日)に行われたモニュメントの「落成式」も、メイソンのグランドマスターの主催によるものだった。こうした一連の記録をひもとけば、合州国の国家的建造物がフリーメイソンによって「決定」され続けたと主張するための根拠となるような物証は幾つも見出すことができる。

Washington's heraldry

ジョージ・ワシントンの家紋(3つの五芒星が特徴。「555」と読める。)

画像引用先:White Boar Heraldic Design

このナショナル・モニュメントの建設計画は、ジョージ・ワシントンの1799年の死去後直ちに浮上した。最初の計画は、現在見られるような塔(オベリスク)ではなかったが、1833年頃に、フリーメイソンであったジョン・マーシャルが初代会長を務めたワシントン・ナショナル・モニュメント協会によって、現在のような計画にこぎ着けられたという。オベリスクを基本デザインとしたのも、ロバート・ミルズというメーソンリーであった。1848年に始められた工事は、1861に勃発した南北戦争によって途中20年ほど中止されたが、1880年に再開され4年後の1884年に完成する。

Washington Monument 555 feet 全長555フィートの塔を50本のフラッグポールが取り囲む。

Washington Monument from Web banner

ワシントン・モニュメントの55フィートの長さを持つ尖塔部分は東西南北に向かって二つの目のような覗き窓が開けてある。これはさながら「白ずきんを冠った人間の頭部」のようにも見える。また、このモニュメントの足下には50の合州国国旗が掲げられるように50本のフラッグポールがモニュメントを囲むように円周状に配置されている。

モニュメントの高さは、正方形底面の一辺の10倍で、“555フィート”であるこれはほとんど驚くべきことのように思われるが、数字を3回繰り返すことで、特別な意味を表すという「ヨハネによる黙示録」以来の伝統を踏まえたものと理解することができる。この数字を3回繰り返すという作法については「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀で言及した、周回する歴史の普遍様式を表徴する元カレンダーの説明を参照のこと。

三度繰り返す数字[付録]

3回繰り返す数字の意味を証すのに元カレンダー以上に有用なものはない。数字自体は、言わば「横軸」とも考えるべきもので、その周回内における時間を意味し、繰り返しの回数は、「縦軸」とも言うべき、どの周回(何度目)に属するのかを表すのである。このような秘教的な「繰り返す数字」を、大胆不敵にも商標にする製品があることにもわれわれは注意を促すべきである。そのプロダクトの生産されている場所が、その数字との濃厚な関連を持つ国であることが明らかだからである。

555 Cigarettes 333 beer (Vietnam)

「333」ビールは、ベトナムでよく飲まれているビールであり、長いことフランスの植民地であった事実を反映していると考えられる。「555」タバコはアメリカで発売されているものである。あまり有名な銘柄ではないが特に合州国の中華街においてよく見られるタバコである。

Forest Gump 555

映画「Forrest Gump」(邦題『一期一会』 監督:ロバート・ゼメキス)の1シーンを掲載した米 Time誌の記事。3つの中国の国旗(五星紅旗)が背景になるように注意深く撮影されている。五星紅旗は赤地に黄の五芒星であるが、その数は5つである。気になるのはこの3つの国旗が天地を逆転されて掲げられているように見える点である。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [17]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#3

Monday, April 23rd, 2007

■ 禁忌としての五芒星

五つの角を持つ星の光輝は、現実の人間の肉眼では見ることができない。星の輝きが尖ったように見えるのは総てのヒトが大なり小なり持っている「乱視」のせい*である。乱視がなければ星は小さい明るい点の様にしか見えないだろう。そして乱視はわれわれの目に夜空の星の光輝を偶数数の光線として捉えさせることがあっても、奇数である五芒星に見せるということはない。言わば「五芒星:星状五角形」というものは、自然物の模写(写実)を起源とするものではない、全く別の抽象的な観念とその伝達に由来を持つものである。それはここまでくれば言うまでもなく「数性」という抽象概念である。

そして、すでに21世紀を生きることになったわれわれにとってさえ、五芒星の図像から受けるのは、未だ「比較的モダンで真新しいもの」という獏たる印象である。実際、典型的五芒星が中世やルネッサンスの美術史上に顕教的/世俗的な身振りで現れることは極めてまれであった*。言い換えると、五芒星のモチーフは永いこと顕教的な宗教美術作品においてほとんど登場することもなかった。あったとしてもせいぜい極めて秘教(密教)的かつ通過儀礼的な限られた者に公開される種類のものが主である。今日「星」を当たり前の様に表徴することになった五芒星のモチーフも、近年に至るまでこれほどには一般的に親しまれて来なかったのである。この5つの角を持つ「星」の世間一般への登場は、西洋文化圏に関して言えば、この千数百年の美術史を振り返ってもせいぜい二、三百年ほどしか遡ることが出来ない。このことは特筆すべきことの様に思われる。

* 後述する様に、さらに古い時代(例えば古代エジプト)まで溯れば、数性5を濃厚に体現した「星」が素描や宗教的美術品の中に見出される。

Egyptian stars (5-pointed) Egyptian star (in tablet) Star in hierogliphe

画像引用先:textverarbeitung

MYSTERIES OF EGYPT

われわれはあらためて五芒星が「星を表す記号」として一般化されたのが比較的新しい事態である意味を検討すべきである。かつて五芒星は中世社会では魔的なものと捉えられ忌まわしいものとして嫌われる風習が一部にはあった。今から思えば、それこそが相応しくない時代に五芒星が公衆の面前に現れたり、世俗的目的のために借用されてしまわないようにブレーキを掛けていた感さえある。禁忌が実際に忌まわしいものである必要はない。だがまさしく、禁忌こそが濫用を防ぐ封印として機能して来たのである*。

Inverted pentacle baphomet

とりわけ「逆さ五芒星」などは「角を持った山羊/牡牛」などの呪術的・悪魔的な表徴と重なる部分もあり、また、そのために今日子どもたちが夜空の星を描写するのに「星状五角形」を描くようには、例えば中世の西洋社会でこの図像モデルが日常的に用いられることはなかったのである。当然のことながらそれを服飾のパターンとして日常的に用いるなどということなどは考えられないことであった。

* 「北枕が縁起は悪い」というのも実は嘘で、「北枕」本来の利点を民衆から隠すものであり、その習慣がエリートたちによって独占されていたという様な話も一部には知られることである。「禁忌が濫用を防ぐ封印として機能する」「禁忌が聖別を可能にする」という例は、数性に関する例として「13日の金曜日」や「13階段」などがあり、現在でも特定の聖数を濫用させないための聖別としての働きがあるのではないかと疑われるところである。

図版引用先:

Inverted Pentacle > Pagan / Wiccan Religion @About

Witchcraft Exposed by Kraig Josiah Rice

Dealing with ‘Dealing with the Devil’ By Vaughan Wynne-Jones > Pagan Views @PaganNews.com

一定の象徴図像の範型(モデル)が汎用されないということは、さしづめ一定の時代まで「ソロモンの印章: Solomon’s Seal」もしくは「ダビデの星: the Star David」と呼ばれる「星状六角形」(六芒星:二重三角形)が、キリスト教社会で半ば恐れられ、ほとんど禁忌とされてきた傾向と相似する。欧州世界ではつい20世紀半ばまで六芒星が被差別民であった「ユダヤ人の烙印」として知られているのみであった。そしてそのことは、特定のシンボルが或る時が満ちるまで特別なものとして保存され、一般人による濫用から守られることを意味する。現に「ダビデの星」は特定民族(ユダヤ人)についての濃厚なる連想によってそうした濫用から未だに(そしておそらく今後も)守られているとさえ言ってもよかろう。

六芒星については後に本シリーズの『“6”の時代〜「元型的金曜日」』の中で主に論じられることになろう。

■ タロットにおける五芒星

タロットカードにおける四つの要素は、中国の五行(木・火・土・金・水)のうちの「土」を除く四つ、もしくは四大(元素)に相当するという捉え方ができる。ソード(剣:火)、カップ(杯:水)、ワンド(棍棒:木)、そしてペンタクル/メダル(金貨:金)であるが、それぞれがトランプにおけるスペード(数性1)、ハート(数性2)、クラブ(数性3)、ダイヤ(数性4)という元素を暗示しつつ、それぞれが括弧に示したような数性を濃厚に保持した元型的図案のモチーフへと変形したことは知られていることである。

トランプにおいては「菱形」(四角形)で表象されたところのダイヤ(金貨)が、「ペンタクル:五芒星」に相当するスートに置き換わって表現されるようになるのは、実に近代以降である。これも「4から5へ」のいわば数性のインフレーションが起きた一例と言うことができるかもしれない。

メダル(金貨)に相当するスートが「ペンタクル」になっているタロットカードに関しては、近代以降は《黄金の夜明け団》にも在籍したオカルト研究家のA. E. Waiteの発注によって、Pamela Coleman Smithという画家が描いたものが有名だ。William Rider & Son Publisherという出版社からリリースされたため「Rider Deck: ライダー・デック(デッキ)」ないし「Rider-Waite Deck: ライダー・ウェイト・デック(デッキ)」とも呼ばれ、古いマルセイユ・デック等に並んで今日代表的なセットとなっている。このカードの出版年は1909年であり、現代においても占いの世界で極めてひろく「実用」に供されるタロットのデックはまさに20世紀初頭の創作なのである。このバージョンの出版によるタロットカードの大衆化も、ペンタクル(五芒星)が比較的新しい時代に大衆化された証拠のひとつとしてが浮かび上がるのである。

蛇足になるが、タロットに於ける五芒星が正邪両面を表していることは、ここで引用する実際の画像によっても諒解可能である。言及したRider-Waite Deckにおいてはそれがきわめて顕著に表現されている。ペンタクルの持っている正の性質をよく表していると解釈できる「ペンタクルのエース」と「ペンタクルの8」を取り上げた。

Pentacles (Ace and 8)

一方、次に上げる画像は、ペンタクルの保持する負の性質を表している。「死 Death」のカードに於いて死神の手にする黒い旗にあしらわれているのは明らかに「逆さ五芒星」を暗示したものであり、また「悪魔 Devil」のカードにおいては角を持った山羊が悪魔の姿として描かれているが、その顔と角に相当する部分に五芒星がオーバーラップさせられている。このように逆さに描かれる五芒星が、きわめて邪悪なものを連想させるものとして位置付けられていることは否定のしようがない。

Pentacle (Death & Devil)

改訂版 “3”の時代〜「元型的火曜日」(中)【挿入節】

Saturday, March 31st, 2007

伝統”数秘学批判──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [9]

“3”の時代〜「元型的火曜日」(中)【挿入節】に新たな図を入れて若干の改訂をした。

これをクリックする。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [16]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#2

Monday, March 26th, 2007

■ 「数性5」の普遍的特性: Universal nature of the numericity five

まず「数性5」にまつわる一般論から始める。「数性5」と人間との関係というのはインド教(ヒンヅー教)の伝統、わけてもヨーガ哲学(そして仏教哲学)の中ですでに総括されていることを想起するのは価値のあることだろう。それは「五欲」とも呼ばれるもので、人間の「生存への指向」の五つの様態とも言い換えられるものである。

さまざまな表現の仕方があるようだが、この人間の心に存する五種の欲望の対象とは、概ねそれは財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲、と考えられているようである。あるいは、また五種の欲望とは「色・声・香・味・触」すなわち人間の五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)に起因する欲求のことと考えられる説もある*。とりわけ仏教的な救済論、すなわち欲を断つ(回避する)ことで苦を超克する(因果の法則から離脱する)という哲学方針においては、克服されるべき対象としてピンポイントされる五つのテーマでもある。これについてはヒンヅーの伝統的教示画がテーマとして取り上げているものでもあり、往々にして五芒星、ないし外に向かって開かれた五つの花弁のような形状の図版の中に描かれることがある。

Five powerful enjoyments (Thames and Hudson)

図版:聖人を囲む聖餐式のグワッシュ水彩画。19世紀頃。「五つの最強の享楽(食肉、飲酒、食魚、特定の穀物、そして性交)」 from Tantra - The Indian Cult of Ecstasy (Thames and Hudson)

* ごよく 【五欲】人間の欲望を起こす色・声・香・味・触。また、財欲、色欲、飲食欲、名誉欲、睡眠欲のこと。

人間にとって超克されるべき人生のテーマが「五つ存在する」ということは、裏返せばその五つが人間性そのものである、ということをも意味する。このような人間の五つの欲望の対象とは、現代の価値観の範囲において*は、ほぼ逆説的に「社会人/成熟した人間」としての完成、あるいは「成功」した人生において当然の如く「獲得を目指すべき目標」であると言い換えることもできるのである。むしろこうした五欲を満たすことで、「人間」が完成するということになる。

* なぜなら成功は勝つことであり他者を負かすことである。他者より知力体力を鍛え、少しでも早く高みを極めることである。そこには他者を少しでも出し抜くこと等が含まれる。こうした勝利を伴う「人生における成功」は資本主義社会において美徳とされている。そこには仁愛や慈愛という観念が入る込む隙間はない。

ところが「完成した人間性」は、その完成の頂点を極めるや否や、腐敗への坂道を転げ落ち始める。人間とはまさに発展し滅び往く周回を特徴とする《生命》についての名称なのである。「完成」は、すなわちその後の崩壊を約束する。そして人間性の獲得と崩壊という繰り返しが、人類の歴史性を決定する。

個人のこうした完成と腐敗は、集合としての人間、すなわち文明そのものにも当てはめることができる。歴史性とはすなわち変化であり変化とは完成・腐敗・崩壊の周期性に外ならない。この、「あまりに人間的な」始まりがあれば終わりがあるという欲望が端緒となって、限りある未来に向かって走り出すものが「人間性: humanity」の実体(本質)であるという反省から、限られたエリート(選民)にとって「人間性を追求しない」という思想的オルタナティブが検討対象となる。こうして初めて「超人」を目指すのが目標となるような極めて例外的な(聖なる)状況において、それが克服すべき問題となるのである。こうした「人間性の完成」が、人間の欲望の五態という形を通して古代から逆説的に論じられていたのである。

それが「五弁の花の開花」という元型的な表現で歴史時代のある一区分に一致する形で出現してくるだろうという予言が、アジアの聖なる教典によっても保持されて来たのだ。

ここではまた、様の東西を問わず身体という人間における普遍的実体(ミクロコスモス)においても、それを「五体*」という言い方で捉えられる慣習があることが思い出される。

* ごたい 【五体】

身体の五つの部分。仏教では頭・両手・両足、漢方では筋・脈・肉・骨・毛皮。また一説に頭・頸(くび)・胸・手・足。また、その五つの部分から成る体。全身。

大辞林 第二版 (三省堂)による

五体投地

「五体」とは、日常において「全身」とほとんど同義との前提で用いられる言葉であるが、仏教用語としては、特に、頭・両手・両足といった、体躯の外縁五方向に向かって伸長する身体パーツを指しているらしいことが解っている。チベット仏教徒(ラマ教徒)などが行なう巡礼者の礼拝──五体投地(写真図版)──も、自己を諦め、運命を大地や天の思し召しに委ね、より偉大な絶対者に対し身体を放棄してみせるという意味を濃厚に持つ儀礼なのである。この「全身を地に投げ出す」その礼拝法は、まさにその「五体」への締念 (giving up) が表現となっているのである。それは翻って「五欲」の放棄を儀礼的に表した態度であると読むことができる。

Vitruvian Man Archetypical pentacle

そして五欲と同様にこの中心から五方向に向かう身体(五体)の描き出すものが、また「五芒星」と呼ばれることの多い「星状五角形: pentacle, pentagram」なのである。“Vitruvian Man”という呼称で知られるL・ダ・ヴィンチのヒトの身体素描は、ほとんど「ヒトのアイコン」としても有名で、商業主義も含めてさまざまなところに顕われる範型的図像だが、両腕・両足を拡げるこの図版は、人間の五方向へ伸長する五体の性質をよく表している一例であると言えよう。

ダ・ヴィンチ素描 (Vitrubian Man) 引用先

Leonardo da Vinci Biography

Vitruvian Man (ca. 1492) @ Wikipedia

以上見てきたように、「数性5」と「ヒト」との間には、人間性の本質(通俗性)に関わる暗示が存在するのである。それは数性の時代区分との関わりを一旦度外視したとしても、すでに存在して久しい伝統的な表徴である。それは、あたかも「数性2」が天(垂直方向)と地(水平方向)の混合を意味し、「数性3」が「天と地(上下)を結ぶもの」との強い関わりがあり、「数性4」が「全世界:四隅を持った世界」と強い関わりがあると捉えられたが如き種類の、もっとも大きな枠組みとも呼ぶべき前提的暗示なのである。これらのことは、後に再び想起することになるであろう。

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [15]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#1

Wednesday, August 16th, 2006

■ 「数性5」に先立つ前提的序説

「数性5」が、秘教的数性の中でも、元来われわれにとってきわめて「身近な」ものである以上、他の諸数性に比べてやや特異であると言ったとしても、そう公平に欠く言い方ではあるまい。その特異性というのは、われわれがその正に渦中にいるためにほとんど意識されないものとして「在る」ことに尽きるのであるから。

真相は、われわれのまさに頭上すぐ近くに常時掲げられているために、気付かれないでいることにある。それはあたかも水棲魚が水を意識せずに生存しているのにも似ている。もっとも、いかなる秘教的数性というものも例外ではない。どの時代にもその時代を表す数があるとして、それをそれとして多くの人々が意識しただろうかと考えれば、それは大いに疑問の余地があるからだ*。だがいずれにしても、この時代区分を象徴する秘教的伝統を前提としたとき、われわれの生きている「この時代」(もっと批判的には「われわれの生存する始まりがあって終わりのあるこの文明圏内のこの時代」)というのも、例外なくこうした数字による範疇のどこかに属さざる得ず、一定の「宿命」を背負わされている。われわれも例外なくある時代区分に属している。

そしてその時代は「数性5」のあらゆる特徴と「その後の兆候」をすでに備えているのだが、それが如何に未曾有の問題を孕んでいるのかに関わらず、それを驚くべきこととさえ思わずに、その時代の「水」の中で、あって当然のこととして呼吸し、その象徴を栄養として日常的に消費している。われわれにとって、われわれ自身である「5」が、特別な意味を持つという主張は、理解を得難いとしても、その最も卑近でありながら無自覚であるという点にこそ理由が求められる。

* ユニオンジャックの意匠を行った紋章学者たちのレベルなら意識されたであろうことはほとんど疑問の余地がない。

この章において論じられる「数性5」が、図像表現として視覚化されるとき、その視覚化が行なわれたのが比較的近年であるために、それらの作者や創作意図の背景というものが、以前の諸数性に比較すると特定できる場合が多い。「新しさ」こそ、「数性5」の最大の特徴のひとつである。例えば、「数性4」といった「比較的新しい」数的象徴と同様に、特定の人物の役割や運動などを成立せしめた由来に、われわれが現在確認できるような結果をもたらした因子としての責任を求めることがある程度まで可能であることも、特異性のもう一方である。

むろん、こうした具体的人物による「発案/創作」の事実については、扱いを慎重に行なわなければならない。それは、ひとつには特定の人物による意匠決定や創作の着想に直接の原因を求めることができたとしても、その人物だけに象徴決定についてのすべての責を押し付けることはできず、その人物自体が、ある伝統的な秘教の地下水脈的な潮流の相続者の一人に他ならないだけかもしれないこと、あるいは独力で「爆発的な包括理解」を得たかもしれないことなどがある。すなわち、人間の無意識の天才性をわれわれは無視できないということは特記しておく価値がある。

そして最後に注意すべきこととして、一定の人物や運動に創作結果の責を帰することが、安易な陰謀説に与することでもあり得るためである。

われわれは、如何に隠然たる政治的策謀や陰謀的な運動を特定の人物や権力の具体的行動として確認できたとしても、それを以て、すべての「周回する数的祖型」が特定の結社による陰謀だけで説明できるとする単純な陰謀史観を受容することはできない。また、こうした一部の人物だけが世界の歴史を動かしてきたと言い切れるほど単純なものでもない。「周回する数的祖型」の歴史は、われわれが観察できる範囲で、いかなる秘密結社の歴史よりも古く、また西洋の象徴主義・秘教的潮流の影響領域よりも広く、またその意味するところは深い。われわれは、これらがあらゆる時代と場所において観察できるものとして捉える視点と習慣をすでに獲得しているのであり、断じて特定の(たとえば西洋発の)陰謀史観にだけ支持を与えるものとして意図したものではないのである。

それよりも、一見して陰謀的な数的祖型の「顕われ」というのは、むしろ時代が下るに連れ、その意味合いが明瞭かつ具体的になってくるというひとつの傾向によるものと考えるのがむしろ妥当であろう。つまり過去に存在した数的祖型群が時代遷移を象徴するものとして《解読》され、その解読内容に沿うことで次なる歴史の方向性が明確になり(予測可能となり)、同時に、それにふさわしい象徴物の特定が可能になっていくということであって、要するに、象徴読解者自身の未来の歴史への介入というファクターの発生が無視できなくなるからである。言い換えれば、象徴と歴史の発展の間に、手に手を携えるという(共犯関係的で)双方向的な影響の面を勘案しなければならないのである。

小論は、陰謀組織の存在やその歴史への介入の可能性を頭ごなしに否定するものではないが、そうした言説が、まことしやかに一定の象徴に注目する人の言葉として熱烈かつ警鐘的トーンで繰り返し出てくるという現象も、その点で理解できない話ではない。だがこうした教団や結社が、たとえば2000年前の時点で、出現していたという史実はない。薔薇十字団やフリーメイソンなどの秘教的結社のいくつかの「宣言」が、こうした秘教的潮流の存在を明確に肯定し、場合によっては、自分たちが古代エジプトの時代から途切れずに続く《普遍的題材》と《伝統》の直接の相続人であるという主張が出てくるのも、心理的に理解可能なことであるし、象徴的には正しい。

だが、文字通り「一度も途切れず」にそのような知識が世代から世代へとバトンを渡すように伝えられてきたと考えるならば、それは幻想小説の類の夢想である。それらは何度も遺棄されたし失われもした。そして再発見もされたし再構築もされた。そしてそれぞれの時代の研究者や幻視者によって、それぞれのパラダイムにおいて再解釈され、そして加筆や注解などを加えながら、より豊かに脚色されながら伝えられてきたものに外ならない。こうした加筆や注釈というものも、シニフィアン(象徴そのもの)としての《物証》は変わらず存在するにしても、時代を経るにしたがって明瞭になるシニフィエ(象徴の伝える内容)という「象徴物の指し示す意味」が、時代的に変遷する(明確化する)ことの説明の一部を成す。

いずれにしても、歴史的にこうした象徴物の誕生よりも日の浅い秘教的結社が、すでにそこに発端として既存していた秘教的な伝統的知識の地下水脈的潮流の「相続者」のひとりである考えることはできても、すでに選ばれていた起源が測れぬほど古く、深遠にして秘教的な象徴体系の最初の記録まで時代をさかのぼって、それら象徴物の出現に影響を与えることはできないのである。こうした結社に属する彼らのうちの“達人: adept”と呼ばれるに相応しい秘教的象徴の通暁者のごく一部の者らによって、幾つかの象徴物の意味内容への「暗示の始動」ということが起こされたであろうことを否定するものでもない。これは、時代それ自体の発展という文明発生以来の必然としての「人類の不可逆的運動」が、成長的/発展的であるために終末(終わり)が避けられないという普遍的事実についての《気付き》が基盤として存在し、その基盤が、象徴の“予言”することを時代が実現・成就し、成就によって象徴の効力が補強されるという相互補完性を、説明する。

この章では、これまで観てきたのと同様に、数性そのものの持つ意味の複層性を駆け足で概観し、その上で、時代区分としての「数性5」というものが、「2,3,4」とこれまで続いて来た秘教的/数秘学的伝統をほぼ完全な形で補完する事実を確認することを目指す。

さらに、われわれの周囲に放置される建築物や美術品、そして国旗といった図像を通して、ほとんど露骨なまでの表現を以て我らが眼前に表出していること、そしてこうした顕現の露骨さ故に、それをそのようなものとして捉える《視力》を、われわれがほとんど失い掛けている事実を論じていくつもりである。