Archive for the ‘伝統数秘学批判’ Category

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [14]
“4”の時代〜「元型的水曜日」(下)

Wednesday, May 24th, 2006

[随時推敲中]

■ 天使と「数性4」の間にある関連

The Four Archangels and the Twelve Winds Robert Fludd Four evangelists on ceilings

東方密教における「四天王」は、ユダヤ=キリスト教文化(厳密にはイスラム教伝統を含む)においては「四大天使」に相当する*。あたかもインド・ヨーロッパ語という言い方が示唆する古代の世界観と一致を見るかのように、いくつかの仏教伝承(仏教を通して伝承されたヒンヅー文化の中の神話的世界像)と、キリスト教の伝統として保持されている世界像の間には相当の共通性が存在する。

持国天増長天広目天多聞天

東寺(教王護国寺/真言宗東寺派本山)の四天王像(貞観時代/9世紀)

左から持国天、増長天、広目天、多聞天

* 四天王と四大天使間の憶測的呼応性:

毘沙門天/多聞天(ヴァイシュラヴァナ):北方の守護神、右手に宝塔、左手に金剛杵[ウリエル]

増長天(ビルーダカ):南方の守護神、右手に長い棒[ラファエル]

持国天(ドリタラーシュトラ):東方の守護神。右手に剣[ミハエル]

広目天(ビルーパークシャ):西方の守護神、右手に筆、左手に教典[ガブリエル]

Archangels

四大天使 (Four Archangels) と言えば、通常、天使ミハエル、天使ガブリエル、天使ラファエル、天使ユリエル(ウリエル)を指す。ミハエルとガブリエルはとりわけ聖書神話において幾度も登場するので広く親しまれている。この二天使は、キリスト教文化において、言わば男性性と女性性を濃厚に保持したある種の対(ペア)を成しているかのように描かれてきた。とりわけ他の二天使に比べて多く登場するのでその対照的な現れが際立って感じられるのである。処女マリアのもとに訪れ受胎告知をする天使ガブリエルは、多くの場合、殆ど女性と見まごうばかりの柔和さと優美さを持って描かれるのに対し、天使ミハエルは、多くの場合、龍を槍で串刺しにして蹂躙する、極めて粗暴で男性的な図版群を通して頻繁にわれわれの前に現れる。いわば「闘争と支配の天使」である。

Archangel Michael & Gabriel Three Archangels with Tobias

左:バルカン半島のイコンより「聖ミカエルと聖ガブリエル」 この図版から感じられることとは明らかにミハエルとガブリエルが男女として描かれていることであり、そればかりかあたかも夫婦関係にあるかのような印象すら受け取れるのである。画像引用先:Balkan Icons 右:ボッティチーニの(BOTTICINI, Francesco / b.1446, Firenze, d. 1497, Firenze)の「三人の大天使とトビアス: The Three Archangels with Tobias」にはユリエルを除く三大天使が描かれているが、これにおいてもミハエルとガブリエルの描かれ方は性別的に対称的である。[ここでは、一対(ペア)の天使が、UK(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国:The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)における主要な二大王国、すなわちイングランド王国とスコットランド王国に呼応するということを示唆しておく。]

天使ラファエル (Archangel Raphael) は、新約聖書の中にはその名前が全く言及されず、かろうじて旧約の「トビト書」において主要な登場者としての記述があるのみである。ただしラファエルは伝統的にエデンの園に生えているという「生命の木」の守護者として知られており、癒しの力を持つ天使という側面を持つ(また、ヨハネ福音書において言及される天使がラファエルであるとする一説が存在する)。

天使ユリエル (Archangel Uriel) は、バビロン捕囚後にユダヤの伝統中に成立した天使であり、偽典「ペテロ黙示録」において罪人を永遠の業火で焼く「懺悔の天使」である(仏教の末法思想において登場する地獄の懲罰者「閻魔: Yama」の役割を果たす)。それまでは大天使 (Archangel)の名前で呼ばれる天使は前掲の三天使だけであった。ユリエルとつながりを持つ象徴は「太陽の統率者」そして「神の眼球」であり、その名前の意味、神の炎 (Flame of God)からも強烈な火(光)との関連がある。ユリエルは炎の剣を持ってエデンの門に立つケルビム(智天使)であり、「第一エノク書」において描かれる「雷鳴と恐怖を司る」天使であるとも考えられている。ただし、われわれの議論においてユリエルに関してとりわけ重要視されるべき点は、724年のローマ教会会議において教皇ザカリアスによって「堕天使の烙印を押された」ことである。これには民間で加熱しすぎた天使信仰にブレーキをかけるため、という政治的意図を持ったいわば「人為的な堕天」であっただけのようであるが、ユダヤ教伝統における原初からの三大天使ミハエル、ラファエル、ガブリエルだけを大天使として温存し、その一方ユリエルを差別化するという象徴的な意味合いがここで生じたのである。「四者の中における差別待遇」という図式は、後にまた論じられるであろう。

■ 新約福音書家: Evangelistsと「数性4」

現在のキリスト教の経典たる新約聖書の最初に掲載されている福音書は、四人の異なる福音書家による報告という体裁を採っている。そして福音書家が四人選択されている事実にも当然のことながら秘教的動機が潜む。

Four Evangelits

画像引用先:symbols of the evangelists

福音書家を表す“evangelist(英), evangelista(ラ), evangelistes(ギ)”という語にもangelos、すなわち「メッセンジャー:告知者」の意味がある。ギリシア語の“to announce”に当たる動詞は“angellein”という語が当てられ、その語彙の中に「使い:メッセンジャー」の意味が入っているのである。「福音書家:エヴァンジェリスト」には「bringer of good news: 福音(良いニュース)をもたらすもの」[eu (good) + angellein (announcer) ]という構造を持っている。「天使」は、その日本語からは語源を推し量ることが難しいのであるが、欧州言語においては、「天の使い」というよりは、メッセンジャー(言付けの運び人)の意味合いを未だに色濃く残している。いずれにしても「福音書家」に当たる“evangelist: ev-angel-ist”には“angel”が明確に内包されているのをわれわれを見ることができる。

現在の新約聖書に「福音書」が四つ選択されていることには、「四人」の福音書家がいること、ひいてはそこには「四大天使」との呼応性の暗示が意図されていることを思い出す必要がある。

Four Evangelists (Book of Kells)

図版:「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800)

人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。

evangelist

c.1175, “Matthew, Mark, Luke or John,” from L.L. evangelista, from Gk. evangelistes “preacher of the gospel,” lit. “bringer of good news,” from evangelizesthai “bring good news,” from eu- “good” + angellein “announce,” from angelos “messenger.” In early Gk. Christian texts, the word was used of the four supposed authors of the narrative gospels. Meaning “itinerant preacher” was another early Church usage, revived in M.E. (1382). Evangelical as a school or branch of Protestantism is from 1747.

この四人のエヴァンジェリスト(福音書家)であるマタイ: Matthew,マルコ: Mark,ルカ: Luke,ヨハネ: John,と四人の大天使 (Michael, Gabriel, Rafael, Uriel) との間に存する呼応関係は、エソテリズムの世界において十分に知識として共有されるところでもある。ここにある四大福音書と四大天使との間にある興味深い共通性について言えば「ヨハネによる福音書」について言及しないわけにはいかない。「ヨハネによる福音書」は、とりわけ現状の新約聖書に収録されている福音書中、比較的グノーシス思想の影響の濃く見られることはすでに知られていることである。「正統」を決定するキリスト教成立時代の初期において、すでにさまざまな福音書が「異端的」として「偽典(外典)・偽書」の類として除外され破壊された中で、この「異端的」な福音書が新約聖書の中に残ったことは、正統としての聖書そのものを内的に相対化する(裏切る)役割を、「ヨハネの福音書」という体裁を通じて組み込まれたと考える余地がある。

四大天使において「堕天使」として認知されることになったユリエルが、その性格にも関わらず、「天使のグループ」の中に組み込まれている事情は、単に偶然的な呼応性があるというよりは、まさに四大福音書の選択と構成にも反映しようという意図があったと視る一定の根拠があるのである。

■ 天使ミハエルと聖ジョージの間に観られる相似性(混淆)

美術的作品によって取り上げられるある種の範型が、異なる題材を持った二つの作品の間に共通して見られるとすれば、それが意図されたものである可能性を疑ってみる価値がある。例えば、「ある勇者が獣的な存在(龍)を懲らしめる」という題材があるとして、同様の題材を扱った美術作品が「別の人物を描いている」とすれば、そこには二人の異なる人物が同じことを成した可能性、ないし、あることを成した一人の人物が異なる名前で知られている可能性の二つが考えられる。(いずれにしてもある題材を取り上げる際、美術家が参照先として別の人物を描いた似たような場面を取り上げる可能性もあるのである。)

Archangel Michael by Martin St George (by Tzanes

図版

左:龍を刺し殺す大天使ミハエル: The Archangel Michael Piercing the Dragon

Martin Schongauer (German, c.1450 - 1491) c. 1475@ The Cleveland Museum of Art

右:龍を殺害する馬上の聖ゲオルグ(セント・ジョージ)Icon with a depiction of Saint George on horseback slaying the dragon. By the painter Emmanuel Tzanes (1660-1680) @ Byzantine and Post-Byzantine Collection of Chania

参考:Michael (archangel)@Wikipedia

事実、この「勇者が獣的な存在(龍)を懲らしめる」という題材の絵画は、二つの異なる名前で知られた勇者の絵として今日知られている。この「龍誅殺の伝説: dragon-slaying legend」のひとつは天使ミハエルのものであり、もうひとつは聖ジョージのものである。絵画で描かれている聖ジョージの伝説の成立時期は4世紀頃と考えられており、しかもその成立場所は小アジアであるらしい。しかも聖ジョージはイングランドのみならずロシアにおいても守護聖人として捉えられているので、イングランドとの直接の関連は薄そうである。しかしながら、興味深いことに、イングランドが実際にウェールズ国と戦い、それを支配した事実と関連づけて当地では理解されていることも事実である。実際問題、ウェールズは伝統的に国(民族)の象徴として「龍: Pendragon」の徴を持っているのである。

Welsh Pendragon

イングランド王エドワード6世の治世下 (1465年) に鋳造された金貨には、龍を誅伐する聖者として大天使ミハエルと思われる像が刻まれているという。イングランドにおいては聖ジョージと大天使ミハエルの両方が競って図像表現の題材として取り上げられる。

参考:“angel” @ Etymology Dictionary

龍というのはある種の旧弊な世界の徴でもあり、実は「時の始め」に当たって行なわれる「龍とその退治の物語」は、古い世界の更新(ないし「最古の記憶」:歴史の始まり)と関連している。すなわち、この範型的場面は、現在の世界を今われわれが知るような世界たらしめた何らかの重要な発端を表す神話の中に登場する傾向にある。それは日本の神話の中にも八岐大蛇とそれを退治した須佐之男命の形で見出されるし、フリーメイソン儀礼に影響を受けたモーツァルトによって書かれたオペラ『魔笛: Die Zauberfloete 』の中でも主人公が龍と戦う(襲われる?)場面がストーリーのオープニングとなっていることもわれわれは知っている。聖ジョージの退治する龍も、ある社会(国)がキリスト教世界になったその理由と関連づけて把握されている。聖ジョージは、龍の殺害を民衆のキリスト教への改宗の条件としたのである。すなわち「皆を苦しめる龍を退治してあげる代わりに、皆はキリスト教徒に改宗せよ」と聖ジョージは迫ったのであった。

美術表現に話を戻せば、イングランドの象徴である聖ジョージと、四大天使の一人天使ミハエルの間に観られる絵画表現上の共通性は、殆ど意図されたものではないかと思われる程のものである。まさに聖ジョージはあたかも天使ミハエルの姿を模したものとして現れる。そして龍殺害の武器は双方とも槍であり、龍の身体の上に乗り(あるいは単に上方から)蹂躙しつつ槍を龍の上に立てようとする場面なのである。このほとんど作為的とも言いたくなるような二者の「混同」と表現上の「混淆」は、むしろ聖ジョージで象徴されるイングランドが、少なくとも四大天使中の大天使ミハエルの役割を果たしたことを意図した(暗示しようとしている)と考えることができる。もしそうだとすれば、イングランドの象徴である聖ジョージは、大天使ミハエルに関連付けがされており、間接的にイングランドと大天使ミハエルの間に呼応性があると読めるのである。

龍と闘う聖人像として伝承されているものに、聖メルクリアリス (Saint Mercurialis: ca. 359-406) という人物がいる。これは聖ジョージほど広く知られていないようであるが、イタリアのエミリア=ロマーニャ県フォルリ市の最初の司教とされる人物である。注目すべきは、この人物の名前「メルクリアリス」こそ、「メルクリウス: Mercurius」すなわち「翼を持ったメッセンジャー:マーキュリー」を思わせるものなのである。この聖人の歴史的役割は、町を龍から護るという聖ジョージとほぼ同等のものであり、名称的には「天使」とつながりがある点で大天使ミハエルと同一視が可能なのである。

マーキュリーはもともとギリシアのHermesに相当し、後にローマの神となるが、ラテン語の“merx”、英語の“merchandise, commerce”(通商と商売)と関連がある。さらに、マーキュリーはオーディン (Odhinn/Odin, Woden/Wotan) との関連により一週のうちで「水曜日」と強い関連があると言われている。スペイン語において水曜日はmi?rcolesで、それはローマの神マーキュリーから来ている。日本語においては「水銀」や「水星」などと訳されているMercuryであるが、曜日においては第四日は「水曜日」となる訳である。マーキュリーにしても「天使」にしても、そのいずれもがまさに「第4日:元型的水曜日」の時代を席巻する国家の徴に相応しいものである。

参考:

“Saint Mercurialis” @ Wikipedia

Mercury (mythology) @ Wikipedia

■ 閉じられた世界と「数性4」

あるコンテクスト下において、「数性4」が「東西南北」すなわち「全世界」を表すという象徴伝統中のほぼ不文律的な「約束事」がある。四天王のそれぞれが、東西南北の守護神であるように、世界を四隅に分割して捉えるという考え方は、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武の「聖四獣」の存在によっても表現されてきた。これはそれぞれ「青・赤・白・黒」の色が宛てがわれてもいる。

ある限定的な領域、とりわけ海で他者から隔てられている島のような区域において、この四隅の世界像というのはとりわけ意識されるようである。言い換えれば、その地域における海によって限定された「島国」的な精神性が、その島を「あるバランスの中で完成した、ひとつの世界を表徴している」と考える傾向として現れるのである。すなわちヨーロッパにおいても、大英帝国が4つの王国から成り立たなければならないということも、また(後に大英帝国によって併合を強いられようとする当の)アイルランド自体が4つの領域からなっていた*ことにも、われわれは注意を向ける価値がある。一方、日本は本州、九州、四国、北海道の四つの大きな島からなり、そのうちのひとつには「四国」という四つの国から成る島があり、巡礼地(ないし聖地)としての機能を果たしているところは興味深いのである。

だが、大英帝国が執拗にアイルランドの併合を謀ったのも、帝国本土を四つの王国によって完成させるという象徴完成の力が働いたものと見ることが出来るのである。実際はアイルランド全体を併合することは適わず、アイルランドの北部 (Northern Ireland) だけを無理矢理大英帝国の支配下に置いた訳である。

■ 英国と天使の間にある暗示

ブリテン島のEnglandの地は、伝統的にAnglia(アングリア)とも呼ばれる。Anglo-Saxon(アングロ=サクソン)と呼ばれる民族集団の名称の「Angl-」の語幹はもちろんAngliaと同じ語源から来ており、この「Angl-」で表されるものこそ「天使」のAngelを思わせる語幹でもある。当然のことながら、Angliaは「アングロ人の地」なのである。また古英語では「天使」は、“engel”とスペルされた。したがって、EnglandはEngel Landと考えることができる。あまり広くは知られていないことだが、EnglandもAngliaも「天使の地」の暗示を濃厚に秘めた地名ということになる。

もし、その「天使」の象徴的暗合を英国 (the UK) が確実に持っている*とすれば、後に記述するように、大英帝国自体がそのまま「数性4」との濃厚なつながりを証す別の一例となるのである。

* クシシトフ・キェシロフスキのきわめて秘教色の強い映画作品『トリコロール・白』において、主人公カロルを故国に連れ戻す役を果たす男が登場するが、この男はミコワイ (Mikolaj: Michaelのポーランド語)と言い、しかも主人公と再会を果たしたとき、彼はブリッジクラブでブリッジをプレイしているのである。ここにはミコワイが「使い:天使」であるという暗示を含ませていることが明らかだ。ブリッジはとりわけ英国においてきわめてポピュラーな紳士のカード(トランプ)ゲームであり、四人のプレイヤーが正方形のテーブルを囲んで行なう複雑なルールを持った交渉のゲームである。

「英国が“天使の地”である」とする暗合は、政治的メッセージとして英国人が好んで引用するエピソードが起源であり、「ほとんど取るに足らない」伝説の類に過ぎず、史実としてわれわれがこのソースに依頼することができないのはあえて断るまでもない。だが、そのような伝承が存在すること自体にわれわれはその象徴的意味合いの一定の濃度を垣間みるのである。聖書に対する解釈と同様、史実にだけ価値があるという考え方にも、重要な《徴》として機能するものが史実にだけ依存したものであるという考え方にも、そのいずれにもわれわれは与しない。どのような神話や伝承を後世に言い伝えようとするのか、という意図や年月を超えた民族の格別の努力、そして無意識の憧憬の中に、伝承者にとって「伝えるに値する秘儀」、後世の人々にとって「信ずべき秘儀」としての価値があるからである。そして、どのようなことを「象徴的事実」として伝えたいのか、という伝承者グループに背負わされた宿命(運命の力)も、その部分に潜むのである。

英国に関するその伝承とは、ローマ法王グレゴリー1世(大グレゴリー)のブリテン島へのキリスト教布教活動に関わる言い伝えとして残っている。グレゴリー1世の法王在位が西暦590-604年だから、6世紀末から7世紀初頭に遡れる伝承ということになる。彼がローマにてイングランド出身の若者と謁見した際に「Not Angles, but Angels (Non Angli, sed Angeli): アングル人どころか、天使そのものだ」と驚き評したというのがその言い伝えである。何度も言うように、それが史実であったのかどうかというのは、二次的な重要性しか持たない。そのようなエピソードがあったということを伝えようとする英国人(さらには欧州キリスト教徒たち)の下意識的(超意識的)な“諒解”こそが重要なのである。少なくとも、グレゴリー1世とイングランド布教は切っても切り話せない史実であって、そのように驚き評したのに伴ってグレゴリー1世は聖アウグスティヌスの異教徒の地イングランドへの派遣を決めているのである。信頼性の面で取るに足らない「史実に非ざるエピソード」は、より信頼性の高い史実の隙間に置かれるのである。

また英国を代表する詩人ジョナサン・スイフトが、「Ah, Britain, land of angels!: おおブリテン、天使の地!」という嘆息の言葉を残している(Ode to Sancroft: 「サンクロフトへの頌歌」)ことは、そうした伝説強化の一助を担って、イングランドの人々の意識に影響を与えるものとなっている。

■ 産業革命と名誉革命

大英帝国は、欧州列強間の植民地獲得競争において、最終的な覇者の地位を手に入れた。複雑な原因と込み入った事情があるが、簡潔に説明すれば、この結果は「数性3」の役割を担った国家であるフランスが、革命後の農地改革などの政策や様々な階級闘争に収斂される国内的な混乱のために、強い近代資本主義国の基盤としての農業が、十分な集約的生産体制を獲得できなかったこと、また、別の「数性3」の国家であるドイツが、30年戦争後のウェストファリアの条約によって多くの国に分割されてしまい近代国家としてどうしても弱体化させられてしまったことなどの理由で、同じ帝国主義的な植民地競争において、どうしても不利な立場に甘んじざるを得なかったことなどが起因している。

大英帝国は、島国という絶対的な地理的優勢と、王政から立憲君主制へのスムーズな移行(「名誉革命」という無血革命:王政の段階的無化)という、フランスと比較して相対的に階級闘争的混乱の緩やかな社会改革というものが可能であったことなどのために、英国人たちは、産業革命という怒濤の経済活動体制の改変へと集中的に勤しむことができ、またそれのもたらす旨味を最大限に味わうことができたのである。

これらの理由により、結果的に植民地獲得競争に関しては、仏独両国は英国に追随する形となる。だが、大英帝国が得たほどの利益や地位を植民地から得るにはついに至らなかったのである。大英帝国の「“4”の時代」における主要な役割は、こうして決定されたのであった。

すでに言及しているように、ユニオン・ジャックを通して象徴的に表徴している帝国の歴史的傾向、すなわち「信仰」を克服し、「科学」的思考を採ることを厭わなかった大英帝国人が、まさに産業革命の立役者となった。また、とりわけ「新大陸」(後の北米大陸)という世界最大の植民地を獲得したことにより、地球上に於いて圧倒的な覇権を握り、「日の沈まぬ帝国」という呼び名を恣にするような成功を得たのである。

だが何よりも、この時代の立役者となったことの二重の意味は、文字通り英国人たちが「翼を持ったメッセンジャー: angels/mercury」として世界中を馳せ巡ることになった事実の中に見出せる。北米大陸における、「後の新興国家」が欧州本土以上に宗教的な様相を呈してゆく原因は、渡航した人々がきわめて原理主義的なキリスト教信者であるピューリタニズムの信条を持った英国における被支配階級であった事実が大きいが、それだけではない。後のアメリカ合州国における最も権威的にして最大の規模を持つ教会が、英国国教会 (Anglican/Episcopal Church) であるということも無視できない。この事実は、新地開拓の先兵として、被支配階級に属する「純粋な信仰者」が使命感を持って大西洋を渡って開発の先鞭を切った後で、それを追う形で多くの生粋の英国人のエスタブリッシュメントたちが、イギリスの国教(Anglicanism)と共に新大陸に入植したということを意味している。これはアメリカの独立に先立つ植民地時代が十分に長かったことを裏付けるばかりではない。後に述べるように、アメリカ合州国という覇権国家が、資本主義と自由主義の権化であると同時に、秘教大国として世界における独自の役割を担っていくことも、こうした英国国教会と深くつながりのある被教通暁者(フリーメイソンなど)が大西洋を渡ったことを表しているのである。合州国建国の中枢的立役者たちの多くがメイソンであったことや、さまざまな儀礼がメイソン的な儀礼を模したものであったという事実は、今さらここで断る必要さえもないだろう。これは「数性5」と歴史の記述をする事象において詳述されるであろう。

「翼を持ったメッセンジャー: Angel/Mercury」の意味とは、近代資本主義の種を、その経済活動(植民地支配)を通して、世界中に蒔くということである。英語が後の世界語(Lingua Franca)となることの最大の理由は、大英帝国人が英語を話していたということに他ならないが、その英国人の子孫たちが作った世界最大の植民地が後に独立を果たすとき、世界支配のための言語としての役割をも果たしていくのである。「天使の地」アングリアを出身とする「天使の言葉:English」を喋るこれらの人々は、こうして最後にして最大の「布教活動」(最大規模の通商活動)のために、世界へ、旅立ったのである。

冒頭図版

左:ロバート・フラッドによる「四大天使と12の風」The Four Archangels and the Twelve Winds by Robert Fludd 右:スピネッロ・アレティノによる「4人の福音書家」サン・ミニアト教会(フィレンツェ)”The Four Evangelists” by Spinello Aretino, a fresco on the ceiling of the sacristy of the church of San Miniato al Monte in Florence, Italy.

(more…)

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [13]
“4”の時代〜「元型的水曜日」(中ノ下)

Sunday, April 30th, 2006

■ 大英帝国と“4”の象徴

Canterbury Cross (Miniature) Great Britain Map

そして複層的な秘教的図像の別次元においては、ユニオンジャックは中央を上下左右に分断する十字架によって「四つの領域」を明瞭に表徴し、大英帝国の「四つの王国: England, Scotland, Wales, Northern Ireland」が暗示されているのをわれわれは認める。「数性4」の権化である連合王国は、四つの国によって成り立たなければならず、こうした象徴的《兆し》は英帝国大連合へと北アイルランドが暴力的に併合を強要されることによって完成する。象徴完成への下意識的な動機が現実の歴史を造るおそるべき一例である。

地図引用先:Travel with Pooh through Britain!

こうした「四つの領域(王国)」が“4”の時代を支配する大英帝国の象徴であるという事実は、例えば花弁で表現される“quatrefoil”(クァトロフォイル)という擬似十字形の図像を通しても顕われている。十字架がそもそも本源的に「数性2」を表す記号として出発したことを考えれば、この種の「十字架」は、十字架の亜種 (one of variants) と言って良いものであり、二本の棒を強調するものではなく、四方に等しく伸びる部分(領域)を以て数性の象徴とするのである。すなわち、十字架は“2”に始まり、“3”へと変異し、それが最後は“4”となるのである。こうした建築装飾の要素としての“quatrefoil”は、イングランドその他の欧州各地で見出される。

こうした「花弁の成長」という秘教的図像における範型的な数的伸展は、“3”を表す「三重円」から“4”を表す「四重円」でも表現される。この“quatrefoil”に見出される図像パターンは、まさに交差点から等しい長さで上下左右に伸長する十字架の「四腕」が、膨張したものと観ることもできるのである。

“Quatrefoil”やそれに準じる図像に共通するのは、十字架が「ローマ十字」というよりは上下左右に伸長する「梁」の長さが等しいパターンを持ち、系統的には「ギリシア十字」に近いものである。また、特筆すべきこととしては、そして後に論じるカンタベリー・クロスに近い図像が現れていることなどがあり、この種の「数性4」を暗示する十字架は、ユニオンジャックの登場より数世紀先んじて英国には登場するのである。それらの例は英国内で使われたコインがある。

■ 「錯視図像」としてカンタベリー・クロス

Canterbury Cross [1]

イングランド本土における英国国教会 (The Church of England) の「大本山」であるカンタベリー教会をあらわすカンタベリー・クロス (Canterbury Cross) と呼ばれる「十字架」は、その考え抜かれた意匠によって、「ひとつの十字」が「数性4」を明瞭に表現することに成功している。数性はその十字架の上下左右に伸長する「本体」そのものが指し示すばかりでなく、聖ジョージ・クロス系の「十字架」(Christian Cross) を描く直線と曲線を通して、その「背景」が表徴として浮かび上がる錯視図的な効果*によっても指し示される。つまり反転して浮かび上がったプロファイルが聖アンドリュー・クロス系の“saltire”(力の十字)として見えてくることによっても、その中にも強い「数性4」の意味性が含まれる。カンタベリー・クロスは巧妙にもそのような視覚的に反転する効果を狙っているためにそのような入り組んだ意匠を採用したと思われるふしがあるのである。

Canterbury Cross Sakushi 1 [2] Northeastern Canterbury Cross (Sakushi 2)[3]

そしてそのようにして浮かび上がってくる形象こそ「信仰」と「力」というふたつの十字架なのである。したがって、ひとつの十字架のオブジェにも関わらず、その工夫の跡が観られる特殊な十字架の形象を通して、これまで観てきたように“4”の時代に相応しい二重の意味をコミュニケートするのである。

図版引用先

冒頭の図版:Fine Stone Miniatures @ Canterbury Cathedral

[1] A Virtual Tour of the Cathedral @ Anglican Cathedral of St. John the Baptist (Canada)

[2] Terra Sancta Guild (e-Shop)

[3] Spring 1998: Welcome our Interim Chaplain, Daphe Cody! @ Canterbury At Northwestern

* 錯視図の例としては、描かれた壷の絵において壷本体とそれが作り出す図像プロファイルが向き合った人の顔のようにも見えると言う「ルビンの壺」がよく知られているが、こうした意味性を発揮する内容部分とそれを浮き上がらせるための無内容部分の関係が反転して浮き上がるという錯視的な手法というのは、秘儀伝授的な目的を成し遂げるための儀礼ツールとしてはかなり一般的に広く使われているものと考えられる。

また「※印」形の図像*によっても、ひとつの十字架(十字ないしX字のどちらか)で区切られる四つの領域が暗示され、また「数性4」を伝達する記号として機能することがある。これは区切られた領域の振られたドット(点)の数が数性を暗示するのである。これは十字架が数性を表そうとする時のひとつの典型である。

Scotland Bank Bill

王立スコットランド銀行の発行した1ポンド札

Bank of Scotland logo

スコットランド銀行のロゴタイプ

* この徴は聖アンドリュー・クロスとの組み合わせで登場することが多い。現に、聖アンドリュー・クロスを持つスコットランドには日本の米印とほとんど同じ「※印」形の象徴が存在し、それはスコットランド銀行のロゴタイプに使われており[図版参照]、「数性4」の濃厚な「※印」の亜種的な図像も王立銀行の発行する紙幣などにも見ることができる。この図像は十字を単に聖アンドリュー・クロスであることを表現するばかりでなく、そのドットの数で「数性4」を暗示した例ということができる。

すでに最初の章で若干観察することになった聖母マリアに伴って登場する幾つかの八芒星の図像の幾つかは、この「二重十字」のヴァリアントと捉えることも可能である(またそれを明らかに意図した例も見られる)。通常の八芒星なら等しく八本の針が八方に放射されたものであり、二種類の十字架が組合わさったものと捉えることは困難であるが、あえてふたつの十字架が組み合わさったように表現される八芒星が散見されるのである。ここには秘教的には極めて大きな重要性が潜む。何故なら地母神を表す「数性8」が、等しく八方へと伸びる直線によって、「信仰」と「力」の絶妙な均衡さえも表すからである。

また、聖母マリアの八芒星においてもまた、直線で仕切られた八つの領域にそれぞれドットが振られて「数性8」を強調するケースが見られる。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [12]
“4”の時代〜「元型的水曜日」(中ノ上)

Sunday, April 23rd, 2006

■ ユニオンジャック(大英帝国旗)の表すもの

これまでの記述の順序からすれば、国旗を取り上げるのは様々な図像群を一旦検討してからというのが通例であったが、この章においては今日の世界において最も良く知られた「数性4」の権化ともいうべき図像の代表格としての図像、すなわち「国旗」を取り上げるのが最も手っ取り早い筈である。

「ユニオンジャック」という名称で広く知られている大英帝国の国旗は、以上の説明にあるような二つの異なる性質を帯びた十字架が組み合わされたものである。より正確を期すれば、歴史的に現在のユニオンジャックは三つの十字架が組合わさったものである。すなわち、それは最終的にウェールズを除く三つの王国(イングランド、スコットランド、アイルランド)のそれぞれが保持していた王国旗を合体させた (unified) ものであるからだが、その基礎となるのが二種類の十字紋章であることは議論の余地がない。

Union Jack

もう少し詳しく説明をしてみると、あのユニオンジャックの本体とも言うべきイングランド王国の象徴とは「聖ジョージ・クロス: Saint George Cross」と呼ばれる赤いクリスチャンクロスであった。これは白地に赤い十字架があしらわれたものだ。それに対し、伝統的に「聖アンドリュー・クロス: Saint Andrew Cross」と呼ばれるソルタイヤのX字紋章を持っていたスコットランド王国がイングランドに併合されることで、この連合王国は二重十字の紋章を得た。覇権国家イングランドの支配に対して永年に渡る抵抗闘争を展開していたスコットランド王国が奇しくも保持していたこの「X字」型の十字架は、青地(水色)の背景に白抜きに表現されていた。このイングランドの勝利、そしてこの強制的「連合」によって出来上がったのが、最初の「ユニオンジャック」であったのである。そして現在のユニオンジャックの原型となったこの初期の二重十字の国旗は、1601年にジェームズ1世の命令によって紋章学者によってデザインされたものである。

後に、北部アイルランドがついに大英帝国の支配下に置かれた1801年に、アイルランド王国が保持していたもう一つのソルタイヤの十字紋章、すなわち白地に赤の「X字」型の十字架の要素が加えられたのである。イングランドを永年の敵として抵抗闘争を繰り広げた両国が「X字」型の十字紋章を持っていたのは極めて象徴的と言わねばならないのである。

Structure of Union Flag

図版引用先および「ユニオンジャック」の歴史:Union Jack @ Wikipedia

■ 国家と世界の未来の《兆し》としての紋章の「予知力」

「紋章」を意味する“heraldry”という語は、“herald”、すなわち「予兆、先触れ」の意味を持つ単語を語源とする。また「お触れ」や「布告」という意味もあり、ある種のニュースの「伝令」のことも指す。欧米において新聞名に「ヘラルド」という単語を冠したものが多いのは、そうした報道や伝達をもたらすものとしての意味を込めたものと考えることができる。どんな意図があったにせよ、言うまでもなく紋章が「ヘラルドリー」と呼ばれることには、未来の予兆を告げる意味が込められていることが諒解されているのである。

欧州でも紋章学がとりわけ独特の発達をした大英帝国の国旗「ユニオンジャック」が表すものは、第一義的には王国のユニオン(連合)であり、以上のように複数の王国の持っていた三種類の異なる十字架が組み合わさることで端的に表されている。だが、伝統的秘教の世界においては、冒頭に述べた様な、より重要な意味が象徴的に「具象化」されているのである。

Fleurs des lys & chain No. 1 Fleurs des lys & chain No. 2

上の図版は、いずれもフランスにみられる紋章であるが、アヤメ(黄菖蒲)の紋章である「フルール・デ・リ」と「二重十字」を描き出す鎖という二つの全く異なる意味を伝達する紋章の共存が見られる紋章例である。すなわち、シールドの中に「数性3」から「数性4」への数の移行が示されている。鎖の紋章は、あきらかに聖ジョージ・クロスと聖アンドリュー・クロスの二重十字すなわち「数性4」を暗示するものであり、その範型は大英帝国旗へと見事に引き継がれるのである。例えば、「フルール・デ・リ」は、フランスという国の象徴として「青」の基調を背景としており、黄菖蒲の「黄」は、聖三位一体を教義とするローマ・カトリックが強く連想される色となっている(ヴァチカンの国旗を参照)。そして、鎖の紋章は「赤」の基調を背景としている。これはユニオン・ジャックにおけるイングランドの王国としての「本体」を表す聖ジョージクロスの色「赤」と一致しているのである。

つねにある種の図像的範型は、それを代表するより明瞭な象徴的図像に先立って一旦示されるのである。いずれもフランス国内の王侯貴族のものであるが、すでに「数性4」の《兆し》が告げられている (herald) と考えることが出来るのである。

England & Lions Four tiles

ライオンなどの「四つ足獣」は、英国おいて一般的な紋章の要素である。「四つの足」はそのまま「数性4」の暗示を含むと考えられる。ただしこの獣の足の指はすべて「三叉」になっており、その指の合計は「3 x 4 = 12」という風に「聖数12」を意識したものになっている。これは「三人一組がペアになった使徒が世界の四隅に向かう」という例のタイルなどの方形図版における「フルール・デ・リ」の表出するものと共通なのである。またひとつの図像単位が「三度繰り返される」というのは、もはや言うまでもないが、「数性の三度反復」以外の何ものでもない。すなわち三つの「フルール・デ・リ」は“333”を、三頭のライオンは“444”を表しているのである。

こうした「数性」の移行は、仏NievreのNotre-Dame-de-l’Assomption教会のフレスコの壁画(天井画)に驚くべき正確さで示されている。極めて特異かつ珍しい教会壁画であると言わねばならないだろう。これは天使と思われる存在が、あたかも星界を思わせる天空を中央で分断しているが、その天使に向かって右側には、「フルール・デ・リ」が、左側には「四つの正方形」を含む花模様の象徴が描かれている。地上に展開される歴史的エポックを顕現する「数性の移行」が、あたかも星界の出来事の反映であるかのように驚くべき秀逸さをもって描かれている図像例である。

Nievre, France (Three to Four) Nievre Trimmed

■ 「旧教からの離脱」と「信仰の超克」を象徴する大英帝国国旗

その一つは、「四つの棒:二重十字」を体現する国旗を保持する帝国が、現世界における「元型的水曜日:第4日」の局面 (phase) を表していることであり、また信仰が現世的力に置き換わる二つの異なる力の拮抗と、伝統的「信仰: faith」が新たなる「力: force」によって敗れるという歴史的エポックを表しているのである。それはローマ・カトリック(旧教)の「旧弊」かつ権威的支配から独立し、教会の聖職権さえも世俗権である国王が独占するという意図と、世俗的教会たる英国国教会の建設と安定化に向かうこの国の方針に相応しい紋章であると言える。

英国におけるカトリックからの離反は、同時代に欧州各地ですでに起こり始めていたプロテスタントのリフォーメーション(宗教改革)運動に連動したというよりは(むしろ利用し)、帝国イギリスのローマ(ラテン)文化からの離脱、帝国としての独立、やがて来る「4の時代」の先触れ (herald) として必要なことだったのである。未だに英国国教会は象徴的伝統の面では依然としてローマ・カトリックと同等、ないしそれ以上のヘリテージ(遺産)を持っている。その一方で、教義的には(顕教的/表層的には)プロテスタントの信仰を保つことになっているのである。

以上のふたつの十字架の表徴する象徴的意味性は、スコットランドとアイルランド両王国がイングランド王国に「敗れ、支配下に入った」政治的・物理的事象とは対照的である。すなわち、この象徴は、王国の大連合を表す一方で、さしずめ「信仰の十字架」が「力と抵抗の十字架」によって磔付けにされている様子を「詩的」に表現していると読むことができるからである。そのように読んだとき、まさに「木製の十字架」が、「金属製の斜め線」、すなわち槍や刀によって串刺しにされる模様(実質的な「宗教(信仰: Faith)の敗北」)を表現しているのである。

言い換えれば、この象徴的図像は今まさに言及した「二つの性質」の原理の拮抗関係においてどちらが勝利を治める(た)のかが端的に表されていることになる。クリスチャン・クロスである聖ジョージ・クロスは、見た目にはその太い水平線と垂直線によって大英帝国の本体が他ならぬイングランドであることを暗示する一方、被支配者としてのスコットランド及びアイルランドの象徴が細い二本の斜線(聖アンドリュー・クロス)で表現され、それはイングランドの本体に鋭く突き刺さる金属様の刃物として、そしてそれにこびりついた血糊として表徴される。

言わば、教会の推奨する「伝統的・宗教的な知」の、「科学的知による超克」が表現されている。宗教/迷妄に対する「抵抗の力」が、信仰をやがて凌駕するという英国の歴史的役割が、紋章の<兆し: herald>を通して預言されているのである。それは後に「産業革命」を起こし、近代的科学技術文明の中心地となる英国において、もっとも相応しい紋章であると言わねばならない。

(ここまでが[2])

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [11]
“4”の時代〜「元型的水曜日」(上)

Saturday, April 22nd, 2006

■「数性4」の構成要素

「数性4」の象徴は、もっとも端的には「4本の棒」によって表される。場合によってはこの数性は幾何学紋様的には正方形(などの四隅を持つ方形)ないし「四分割される領域*」、また後述するように「四つの花弁」などによって表されることもあるが、ほとんどの範型的なケースにおいて、あるいは数的図像の基礎という意味で重要なのは「4本の棒(直線)」である。

* 「数性3」と同様、「数性4」にも複層的な意味がある。「数性4」が「世界の四隅: four corners of the world」を表す時、それは「全世界: the whole universe」を示唆するための象徴となっており、当然のことながら必ずしもそれが「歴史的時間」を意味しない場合が十分にあり得る。「数性4」の複層的意味合いについては適時説明をしていく。

しかしここで「数性4」の具体的な象徴物を取り上げる前に、その基本的構成要素のひとつである「第二の十字架」とも呼ぶべき、ある基本的な祖型的図像について語らないで済ませることはできない。それはわれわれが「信仰の十字架」もしくは「従順の十字架」と呼び習わすところの、そしてすでにある程度の記述を行ってきた「十字架」の図像に加えて、それと対照的に表徴されるところのもうひとつの十字架、すなわち「力の十字架」もしくは「抵抗/反抗の十字架」とも称すべき図像についてである。

言うまでもなく前者は、すでに「数性2」の章で観てきたように、現在キリスト教の象徴として受け入れられている水平方向の直線とそれに垂直に交わる直線で出来上がっている十字架のことである。一方後者は、言うなれば、それを左右どちらかに45度回転させて得られる「X字型」の十字のことである。「X字型」の十字は伝統的には“saltire”(ソルタイア)と呼ばれる。

■ 「抵抗」「闘争」「力」の象徴としての「X字型」ソルタイヤ

キリスト教によって相続され現世界に伝達されている通常の十字架 (Christian Cross, Greek Cross, etc.) が、その形状の立ち現れ方から「信仰」や「従順」そして「受容」と「自己犠牲」が表現されていることはすでに明らかである。実際そのような文脈と「浄罪の場面」を通して「十字架」は、われわれの歴史の冒頭において、世に提示された。

Christian Cross Saltire

一方、ソルタイアと呼ばれる「X字型」の十字架は、対抗し交差する二本の斜め線*によって描かれる。これは大胆に抽象化すれば、そのまま「闘う二者の剣が宙空で激しく相交わる様子」を模したものと見ることもできる。これ自体が「力」の行使による闘争や抵抗の場面を表していると考えられるのである。また、城や町を守るために、ランス(槍)を手にした左右二対の番兵が、外からの訪問者を城壁の門前で止める場合も「X字型」にランスを交差させるであろう。これは「受容」とは全く逆の「拒否」ないし権威的力のプレゼンスを表現するポーズであり作法である。

Saltire heraldry Pen Saltire

また日本の学校などの徽章に現れる例として、知識を表すペンでさえも、それが「X字型」に二本交差すると、そのシンボルの表象するところは「力」や「競争」としての学問や学究を意味し得る記号となるのである。「ペンと剣」の交差というのは文武両道の「力」の追求を表していると考えることができる**。こうしたふたつの要素が交差するとき、それは「信仰」や「従順」を表す類の通常の十字架状に交差されることはほとんどなく、ほとんどが「X字」状に交差するのである。

ここでひとつ思い出す価値のあることとは、この「X字型」の十字架がわれわれに連想させる「材料/材質」である。ここにはペンや鎌、そして刀や槍など、金属との極めて深い関連があるのである。「従順の十字架」が典型的に木製であったことを想起すれば、その「抵抗の十字架」の材質的な対照性も極めて明瞭なのである。

* 紋章学の伝統においては、ふたつの直線には名称がある。左上から右下に引かれた直線を“Bend”と呼び、右上から左下に引かれた直線を“Bend sinister”と呼ぶ。ソルタイアとはそのふたつの「ベンド」が交差したものと考えることもできる。

Bend & Bend sinister

** 20世紀の例では「ソルタイア」のヴァリアントとしては、「鎌と槌」の「X字型」の交差によって表されたソヴィエト連邦の国旗があった。これは労働者たちのブルジョワ階級への反抗と闘争によって産み出された新しい階級を表す共産党(または労働党)のシンボルであった。またさらに近年の例としてはイスラムに改宗した闘争する黒人活動家であり「アフリカ系アメリカ人統一機構」創立者、マルコム・X (Malcolm X, 1925-1965) が、「X」を自らのシンボルマークとしていたのは象徴的である。「X」は「謎」であり匿名性を意味するものだが、祖先が奴隷としてアメリカに売られて来られ姓は白人に押し付けられたことを踏まえ「本当の姓は不明」の人物であることを主張するものと言われており、彼がイスラム教徒に改宗した時にそのように「名乗り始めた」と言われる。だが、図像的にそれが紛れもない「抵抗」のシンボルであることに則ったものであると、われわれには理解することができる。

Malcolm X Soviet Union

■ 二種の十字架の合成

われわれはこのように異なる意味合いをもった二種類の十字型の象徴を得た。そしてここでわれわれが理解したのは、これら二種類の十字紋様(ないし十字架)は、抽象化された図像において全く等価の直線という単純な構成要素を持ちながら、十字の傾き具体によって全く異なる意味合いを醸成するということである。だが、その二種類の十字紋様を組み合わせ、「ひとつの図像」として再構成することで、さらに応用的な意味伝達を成し遂げるのである。もはや断る必要もないだろうが、端的に表現すればその組み合わせとは、ある種の「二重十字」の表象であることが分かる。便宜的にここで「二重十字」と呼ぶことにする図像祖型は、従って四本の棒によって出来上がるのである。

Double cross

様々に偽装されてそのように受け取ることが難しいケースがあるものの、「二重十字」はふたつの十字架の相対立する性質の「拮抗」を描く。前述した木製の「従順の十字架」と金属製の「抵抗の十字架」の拮抗における優勢は、最も単純には、それを構成する軸(棒・線)の長さによって表現される。したがって、表徴され凍結された静止画的な図像においては、その立ち現れ方として「従順」と「抵抗」のどちらが勝っているのかというのを、その直線の長さを観れば、ほとんど瞬時にして了解することができるであろう。

Saint-Martin-Vesubie [1] Coptic cross[2] Catholic gift cross[3]

図版引用先:

[1] Crucifix de procession de la confrerie des P?nitents noirs de Saint-Martin-Vesubie @ Association Montagne et Traditions

[2] Crucifix @ The Christian Coptic Orthodox Church



[3] Brass Standing Altar Crucifix @ Divinity Religious Gift (e-Commerce shop)

教会アルター上の十字架の中には、伸長しつつある「4の数性」を暗示した例が見られる。

(ここまでが[1])

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [10]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(下)

Saturday, April 15th, 2006

■「三日目」を表す「三日月の象徴」の登場

Crescent moon & Star Fertile Crescent

巨大スケールの「分断: schism」によって衰退の色を濃くしていくローマ帝国を、決定的に弱体化させ滅ぼした幾つかの要因のうち、帝国領土への物理的浸食という極めて直接的な関与をしたのが、後の近代国家としてのドイツを造るゲルマン民族のはたらきであるが、加えて何よりも無視できないのが勢力を拡大するイスラム帝国である。そしてここでわれわれはイスラム教が「三日月の象徴」を保持していることを思い出さなければならない。

「三日月の徴」がイスラム教のシンボルであることについては、当然のことながら「顕教的に正統」とされる伝説的エピソードが伴われている。イスラム教という宗教が紛れもなく「月」によって象徴されるいくつかの性質や約束事を持っていることは至る所でその記述を見出すことができる。(エリアーデ『シンボルと宗教』参照) だがそれが視角化されるとき、「半月」や「満月」ではなく「三日月」でなければならなかったことには、単に「月」としての認知しやすさのみならず、複層的な意味合いをわれわれは見出すことができる。

預言者マホメットに最初の神託が訪れたのが「三日月の晩」であったという有名な説話が「三日月」の根拠のひとつである。だが、われわれが気を付けなければならないのは、そうした説話の持っている二重の意味性である。これは実際にその奇跡が起きた当夜が、旧暦(陰暦・月齢)の第3日であったという「歴史的事実」を伝達することだけに目的があるのではなく(それ自体には象徴的意味合いをおいてなんらのsignificanceもない)、むしろもっと大きなわれわれの「歴史時代」において、マホメットの登場(イスラム教の勃興)が(象徴的な)“第三日”であったということをも伝達するのである。

ユダヤ=キリスト教の秘教の地下水脈を辿ることで祖型的図像群中の「数性」の実在を論じるのが目的であるのでここでは深入りしないが、イスラム教の存在と、約束されたかに見える将来における一定の役割は、こうした秘教的な壮大な文脈の中に完全に組み込まれていることであるとだけ、ここでは記しておく。[将来『集団的な浄化儀礼と<三日月>の伝えるもの』で若干の詳述をする予定]

■ 前近代国家の「数性3」神聖ローマ帝国の子供たち(17世紀 中欧/東欧)

「数性3」の時代の中間期において中心を成すのが、その後近代国家になっていく、ドイツそして東欧諸国を含む(三色旗を持った)ヨーロッパの中でも相当に広範な領土を含む地域である。それはまさに“第3のローマ”とも言うべき神聖ローマ帝国のことであり、そのこの時代における役割を無視するわけにはいかない。この「最後のローマ」は長い「三の時代」の最終局面を含む。すなわち962年にオットー1世(大帝)がローマ教皇ヨハネス12世によって、古代ローマ帝国の継承者として皇帝に戴冠したときに始まり、「三十年戦争」の後、1648年のウェストファリア条約によって封建領主の独立主権が認められ、帝国は300の領主国家に分裂するまで続く。ほぼ700年間続くこの世俗権こそが、後の近代国家の数々を産み出す土壌となる「帝国」なのである。

そして神聖ローマ帝国は、ドイツ王国(フランク王国)・イタリア王国・ブルグント王国という言わば「3つの連合王国」を包含することにわれわれは注意を向けなければならない。このように「包含される国(王国)の数」というのが、ある数性を同時に象徴するというのは、実はローマが東西二つに分断された時点に始まり、この「3つの連合王国」に引き継がれ、後に華開く欧州中心的世界における象徴的国家構築の「祖型」となっていくのである。

この時代の最終局面において、ウェストファリア条約によって解体された神聖ローマ帝国は、ヴォルテールによって「神聖ではないし、ローマ的でもない。それどころか帝国ですらない: The Holy Roman Empire is neither Holy, nor Roman, nor an Empire. / Ce corps qui s’appelait et qui s’appelle encore le saint empire romain n’?tait en aucune mani?re ni saint, ni romain, ni empire.」とさえ言われ揶揄された。この「最後のローマ帝国」の細分化こそ、現代に連なる「数性3」を伝統的に保持したまま、近代国家生成の種を、欧州全土に蒔くのである。

■ 近代国家時代の「三色旗」支配の時代

Flag of Italy

イタリア

Flag of Belgium

ベルギー

Flag of Netherland

オランダ

Flag of Hungary

ハンガリー

Flag of Germany

ドイツ

Flag of Burgaria

ブルガリア

近代的国家が、その国の象徴的基盤として「数性3」を持っていることは、今日ではそれらの<国旗>を通じて最も雄弁に表現される。現在欧州で数種類の色の組み合わせがあるものの、三色旗を持っている国々は主に“3”に象徴される各国の王に対する法王による「戴冠権」(指名権/許諾権)を独占する権威的組織としてのローマ・カトリック(すなわちローマ帝国の宗教)による支配を受けた国(後にプロテスタント側に鞍替えするものも含めて)、もしくは神聖ローマ帝国の一部を成していた国々である。このことは、「数性3、4、5(そして6)」と続く「数の進行:曜日の進行」の文脈を未だ明瞭に語れぬ現時点ではにわかには諒解しにくいことであろう。

「黒・赤・黄」の三色旗は、ドイツ、ベルギー、「緑・白・赤」がイタリア、ハンガリー、「緑−白−橙」がアイルランド、インド、また旧チェチェン共和国)となっている。特殊なところでは「青−黄−赤」の三原色*を用いたルーマニアとアンドラがある。「青・白・赤」の三色を基調とする国家にフランス、オランダ、ルクセンブルグ、(それに旧チェコスロヴァキア)がある。

われわれは一般的に英・米の国旗を「三色旗」とは呼ばない。だが中でも「青−白−赤: Blue, White and Red / Red, White and Blue」の三色を基調とするこれら仏・英・米の三国は、その共有する色が示すように、今日、まさに「三位一体」である。そして、世界中に植民地を持つなど世界に対する支配的覇権を揮う経歴を持つ国々である(ここでは取り上げなかったが、同様の三色旗を持つオランダ**もそうした国家の例に漏れない)。いずれも時代の各過渡期において競い合い、また牽制し合ってきた関係だが、とりわけ仏・英・米の3国の「一体関係」は20世紀初頭から第一次、第二次両世界大戦を通じて濃厚になっていく。後述するが、特にイスラエル建国を始めとする中東政策を巡って、この3国の間にはある種の「申し合わせ」が存在するかのように一層一体感を強めていくという過程を目撃しており、その事実をわれわれは既に無視するわけにはいかない。また後にそれを思い出すことになるであろう。



* ルーマニアはローマ人の国、アンドラはフランスとスペインに挟まれたピレネーの小国。現在はフランスの大統領(世俗権)とスペインの司教(聖職権)によって統治される二頭制の国家。この三原色は、「ヨハネの黙示録」において幻視された「2億の騎兵隊」の三色の胸当ての色に一致することに注目すべきである。

** 現在、オランダの三色旗は上から「赤・白・青」の三色になっているが、一番上の「赤」は以前は「オレンジ」であったことが知られている。オレンジ公ウイリアム(ウィリアム3世)のシンボルにちなんだものと言われているが、オレンジ色のトーンを維持するのが技術的に困難で、後に赤に「変更」されたという説明がある。だが、それよりもフランス革命による影響が免れなかったオランダが「自由・平等・博愛」の理念とそのシンボルである三色を相続したと考えるのが自然である。オランダはフランス革命後、「本国の消滅」という期間があったが、このオランダの極東における地位の激変期にも、長崎の出島の商館長ドゥーフはオランダの三色旗を掲げ続け、再興されたオランダに帰国後国王から勲章を受けている。オランダ国旗は1630年以降、「オレンジ・白・青」から現在の「赤・白・青」に変わったのであるから、出島にはおそらく現在我々が知る“Red White & Blue”のTrois Coleursがすでに見られたということが想像できるのである。

■ 「数性3」の権化としてのフランス

Flag of France Bourbon Fleurs des lys

図版引用先:

右上:Armes de la Maison des Bourbons de France (avec les Fleurs de Lys : symbole de la royaut? de Charlemagne) @ Histoire et Documents

上:Philip II the King of France @ Wikipedia

バルカン半島から北部/東部にかけてのヨーロッパで影響を持っていた神聖ローマ帝国と平行するかたちで長期にわたり厳然と存在し続け、ローマ・カトリックの権力を具現化するための世俗王権としてその「文化」的影響力を揮い続けたのがフランスである。そしてあらゆる「数性3」の表徴を主張し続けたのがフランスである。

フランスにおいて起きるその時代を画する大きな事件のいくつかは、その国の役割を象徴するものである。時間はやや前の時代に遡るが、そのうちのひとつは「アルビジョア十字軍」と呼ばれる大規模な軍事行動を含む「異端」カタリ派(アルビジョア派)に対する徹底的な宗教弾圧である。これは12世紀末から13世紀初頭に掛けて行なわれたもので、この地におけるローマ・カトリックの勢力を確固たらしめ「フランス」(王家)の領土拡大をもたらすために、多大な意味を持つと言えるであろう。そしてもう一方はフランスの「独立国家」としての最大の危機と、その際に体験された「受難」として記憶されるものである。それはイギリスとの間で闘われた「百年戦争 (1337-1453) 」での時代であると言っても過言ではないだろう。

● カタリ派弾圧の意味すること

カタリ派の弾圧は、いわば今日のフランス国土の極めて大きな範囲を巻き込んだ一種の内戦とも呼ぶべき時代的エポックである。キリスト教の成立期に既に記録されているカタリ派の存在は、この時期の政治闘争に敗れたため実質的にカトリック側から一方的に「異端」というレッテルを貼られているが、それはひとつの大きな宗教運動の潮流であった。カタリ派はグノーシス主義の一種であり、グノーシス主義とは「ゾロアスター教、古代哲学、およびキリスト教の三大潮流の合流点に位置する大きな思想運動であった*」。

そしてこの思想とは単純化を恐れずに記せば、「善と悪の二元論」というものであったとさえ考えられるであろう。ゾロアスター教を単なる二神論であったと断じるのは危険であるが、カタリ派の思想はキリスト教成立以前にすでに起きていたある種の二元論的世界観を反映し、そして何よりも現世を「悪の究極の原因たる物質世界*」と観る。ここには「悪」の存在が神の業から切り離されて厳然と実在するという世界観がある。そしてその現世世界は滅ぼされなければならず、ゆくゆくは神(善)の支配が訪れるであろう、という考えである。

こうしたグノーシス主義は西暦216年にバビロニアで生まれ(だが血統的にはペルシャ人)マニ(マネス)によって始められた新宗教「マニ教」に受け継がれる。そしてその宗教は彼の生前期にそれなりの信者を集める。後にキリスト教に「改宗」する聖アウグスティヌスも最初はマニ教徒であったことを考えれば、当時相当のポピュラリティを持つ宗教であり哲学思想であったと考えることができる。あるいはマニ教が後のキリスト教という一大宗教に合流する一群の学者や信者をある程度まとめあげる機能を果たしたということもできるかもしれない。マニ教自体は、マニの生きていた時代に積極的に支持をしたパトロンの死去に伴い急速にその影響力を失うのであるが、その後も800年以上に渡って様々に「異端」と決めつけられるキリスト教宗派として名称を変えながら、地下水脈的なグノーシスの思想的潮流として生き延びた。

このマニの教義がグノーシス説のひとつであることからも想像できようが、精神界と物質界の併存、すなわち「神(精神)と物質(肉体)の絶対的な二元併存*」を最初の前提とする。つまり肉体的存在(悪)が神(の計画)によって産み出されたものではなく、「悪」ないし「物質」として自力で存在することを認める理論なのである。つまりこのふたつの対立する本質的存在の上に「上位の神*」が想定されないところにこの思想的潮流の特徴がある。ローマの「本流」からすれば、これがカタリ派が「二神論」的と決めつけ、徹底批判する口実となったわけである。

* 参考:フェルナン・ニーム著『異端カタリ派』(クセジュ文庫)より

だが、ローマ・カトリックのその後に開花する教義とは、マニ教以上に「いびつ」であるとしか思えない「三を以て一と捉える」“三元論”的な理論であったのは、われわれのすでに知るところである。ただし、天上にいる神(父)と地上的存在である我が「人の子」と、それらふたつを結びつける「媒介」としての「精霊」の存在を積極的に認めることで、「それはひとつの神なのだ:唯一神なのだ」という理屈へと発展・進化する。

Philip II King of France

図版引用先:Philip II the King of France @ Wikipedia

手と冠に黄菖蒲の象徴が描かれる「フィリップ・オギュスト」とも呼ばれるカペー王朝の王。ドイツ皇帝と連合したイギリスから北フランスを奪還した(1214年)英雄と評価される。カタリ派に対する徹底弾圧を強行したインノケンティウス三世の命により組織された「アルビジョア十字軍」という、仏国内における悪名高き異端討伐軍参加を命じられる。実際は殆どこの異端征伐問題に立ち入らずに王領拡大という旨味が転がり込む。

すなわち、12世紀末から13世紀に掛けて「フルール・デ・リ」の象徴を抱くフランス王家によって行なわれた「ネオ・マニ教徒」とも呼ばれるべきカタリ派に対する徹底的な宗教弾圧は、「数性3」の象徴を持つ人々による、前時代の生き残りの「数性2」の保持者たちの殲滅の意味があったと捉えることができるのである。

● フランスと「百年戦争」

14世紀半ば前(1337)に開始され、まるまる1世紀以上に渡って繰り広げられた百年戦争こそ、現在のフランスの王位継承権を主張した「3人」の継承候補者の登場によって始められる(その内のひとりが欧州大陸への領土的野心を持っていたイギリス国王エドワード三世であった)。そして、その百年以上に渡って続けられたフランスの英国との闘争は、言わば中世におけるフランスの民族と国土が、その後の近代国家フランスへと連なる歴史動向の中において、ひとつの自立的意識を決定的に根付かせるだけの強さを持った文字通り「受難」の過程であった。

それは第一義的には「シャルル四世の突然死」(早すぎた死)に始まる王位継承問題を発端とする英仏間で繰り広げられた実力行使を含む長期的な対立であり、権勢を伸ばし始めた「次の帝国」たる英国を退けその影響からの脱却を進めるものとしての意義もある。そしてそれはジャンヌ・ダルクの登場とその「犠牲的受難」ないし「人身供儀」によって劇的に幕を閉じる歴史的エポックとなる。

フランスにおいて女性が殉教者として国を代表する聖人となったという事実は、フランスの持つ国民性とも集合的無意識の反映とも言い得、きわめて象徴的である。これは福音書における代表的登場人物であるキリストと使徒のあいだの関係から読み解ける各登場人物の役割が、ヨーロッパの近代国家のいくつかに当てはめられるということ、そしてそうした呼応性の中で確固とした(しかも下意識的な)役割を宿命的に担っている欧州の国々を考えたとき、フランスにおける代表的偉人が他ならぬ女性であったというのは、納得できることなのである。それは女使徒としての「マグダラのマリア」とフランスの間に暗示される関係*についてであるとここでは一こと言及しておくことに留める。

* ここでは詳述できないが、寺院の名前でも知られるノートルダム: Notre Dame(我らが貴婦人)は、通常「聖母マリア」を意味する代名詞として信じられている。しかしエソテリズムの世界においては二人のマリア(聖母マリアとマグダラのマリア)の間には、「マリア」というコードで提示されるある種の「意図された混同」があり、ひとつの女性的原理によって表される実体の「ふたつの側面」を表すものであると考えられるだけの一定の理由がある。そしていかなる固有の名称で呼ばれようと、「キリスト教会」という存在自体が、「安息日に客を取りサービスする」ことを商売(なりわい)としている点で、現福音書におけるマグダラのマリアのエピソードの指し示すものとの呼応性があるのである。

いずれにせよ、「フランス」という国が女性聖人に与えられたコード名によってその役割の位置付けがされている以上、その時代(“3”の時代)を画する殉教者は女性でならなければならなかった。

Joan of Arc (whole)

Joan with Banner

図版引用先:Joan of Arc @ Wikipedia

ジャンヌ・ダルクの登場とその死 (1430年)は、大きく敗退し荒廃したフランス国土の英国からの防衛と独立の契機となった。その結果、フランス独立の“女傑”としてジャンヌ・ダルクは認識されている。そして彼女が護ったのは既に言及した「フルール・デ・リ」によって象徴されるフランス王家なのであった。そして「早すぎた英帝国の登場と退出」がわれわれの記憶となっているのである。

フランスと“3”の関連は、三位一体を表す黄菖蒲(アヤメの一種)の紋章 (fleurs des lys)がフランス王家の紋章となっていることや、近代国家としてのフランスが三色旗を抱いているということ以外に、「ボルドーの巡礼者: the Pilgrim of Bordeaux」が、西暦333年に新約の有名な舞台のひとつ、ゲッセマネの場所と信じられている「オリブ山の麓」の聖地を訪れたという古い記録からも伺える*。(Catholic Encyclopedia)

* それ以外では国際電話の国番号がフランスは「33」になっていることを無視することはできない。

●“3”の時代と三位一体の本質(まとめ)

ローマ・カソリックこそが「父と子と聖霊」が一体であるという三位一体説“Doctrine of Holy Trinity”を唱え流布した張本人であるのは、観てきた通りであるが、この説は三つの異なる存在が「同一」であるという「数性」に絡む謎(そして最大の謎)をヨーロッパの記憶に遺すことが目的であったかのようでさえある。このアヤメ(カキツバタ)の紋章を始めとする<兆し>は、その三つの花弁が一つに束ねられるその図像を以て、その「一体性」を象徴しているのであるが、それの真に提示しているものは、紛れもない「数性3」である。「三位一体」説こそ「父と子と聖霊」が同一である、という抽象的で理解困難な原理の受け入れを迫るものではなく、それは単に世界に向けて「数性3」を歴史に示すために登場したに他ならないかに見えてくる。しかも、教会の「三位一体」説を巡り議論が白熱し、それが歴史的にさらなる論議を巻き起こす程に、そしてそれが暴力的なまでの「異端審問」を通しての思想弾圧が高まる程、恐怖を人心に引き起こすひとつのサイン(徴)となった。そしてその運動が、その内容の本質とは関わりなく、意味のあるひとつの範型的イメージとして人類に記憶されるという仕組みになっていたのだ。

時に常にひとつの時代が終わり、次の時代へ移行する際、大きな争乱が起こる。“3”の時代から“4”の時代への移行でもそれは例外ではなかった。歴史の舞台はヨーロッパ本土から、ドーヴァー海峡を越えて、ヨーロッパ「辺境の土地」であるブリテン島に移る。歴史的にわれわれが諒解するところによれば、「ヘンリー8世の離婚の正当化」のという世俗的試みが契機になり、ローマ・カソリックの呪縛から逃れるべく英国王朝は、1534年、ついにイギリス国教会の独立を獲得する。そして今度は、ある濃厚な数性を抱いた<徴>を背負った人々が、クリスチャンクロスならぬ「ある徴」を旗めかせながら、通商活動と称して世界を飛び回る。彼らこそが「翼を付けたメッセンジャー」として、本格的活動に入るのである。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [9]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(中)【挿入節】

Wednesday, April 5th, 2006

【挿入節】

■ 2の図像から3の図像へ

Greek cross Latin cross

右:ギリシア十字:Greek cross (crux immissa quadrata)

左:ラテン十字:Latin cross (crux ordinaria)

十字架の「数性」遷移について若干の言及をしておく。

ローマ・カトリックの十字架は、水平の直線である「梁」が、十字図像の点対称の中心より上にある。そして水平軸は垂直軸よりも短い。この意匠上の控え目な改変は「数性2」の図像を通して「数性3」を暗示することを目指した結果である。「ギリシア十字」と異なり、中心軸がやや上に設定してあるこの「ラテン十字」においては、水平線の中心から左右に伸びる二方向の直線の長さと二本の直線の交差点から上へと伸びる垂直軸の「三本の線」の長さが等しいというデザインにより、その「数性3」への傾向が表現される。

Roman Cross = Trinity

クリックして拡大

確かに通常のラテン十字ではその暗示は控え目なものであるが、教会聖堂の平面デザインにおいて上記の三本の棒に当たる部分が等しい長さとして設定してあるものは、通常の十字架よりもこの「数性3」の暗示を強めることを意図した結果なのである。

範型的なローマ・カトリック「ラテン十字架」をデザインコンセプトとしている教会聖堂の平面プランの現れ方は、地上から伸びる一本の幹から天に向かって三つ又に分かれる「枝の伸張」が抽象的に表現されているものと理解することが可能であり、ということは伝説上、聖パトリックが「三位一体」を教示した時に指し示したとされる「三つ葉のクローバー」の形状と同じ図像的元型を教会の平面プランが共有していると言えるのである。

ローマ・カトリックの大本山であるサン・ピエトロ大聖堂*の平面プランは、まさに十字架が「数性3」を表現するためのデザイン上の遷移の範型的形象を保ったものと考えることができる。その他にもさまざまな教会聖堂の平面プランのバリエーションがあるが、十字架が「数性3」を明瞭に表すものとして意図されたものが、他ならぬバチカンの大聖堂のプランであるというのは極めて示唆深いことと考えなければならない。こうした「数性3」を十字架状の形状で表現しようとしたものとしてフィレンツェの大聖堂(同じくローマ・カトリック)がある。

Latin cross & St. Pietro

ラテン十字(左)とサンピエトロ大聖堂の平面プラン(右)

Filenze Cathedral St. Elizabeth, Germany

Florence Cathedral (Italian Gothic) 1296-1436(左)とSt. Elizabeth, Marburg (German High Gothic) 1233-1283(右)。いずれも「数性3」に変容した十字架がモチーフである。

図版引用先:Romanesque and Gothic Architecture

* サン・ピエトロ大聖堂に関しては聖堂の外側にある楕円形の広場にもわれわれは注目すべきである。十字架の向きを天地の基礎と考えた場合、その広場は転倒した「Ω祖型」的な図像とも捉え得るもので、それはイスラムの聖地、メッカのカーバ神殿の平面プランに見出されたものと同様の性質を持ったものであることが分かる。さらに驚くべきことに、ローマのこの「大本山」の正面広場に関しては、この転倒したΩ祖型図像の基部に「鍵が刺し込まれようしている」ものと見ることができる。つまり“Ω”によって表現される「周回の閉じようとする部分」、すなわち終わりと始まりの出会う地点の間隙部にその「鍵」は挿入されようとしているのである。それは他の多くの聖堂の平面プランにも見られる如く、大聖堂で表される十字架自身が「鍵」の形状をも模しているためであり、したがって“Ω”によって表徴されるある「コト」と「モノ」とを「開く」ための鍵を意味していると読むことができるのである。その場合、キリストによって聖ペトロに手渡されたとされる「鍵」が、何を封印し、何を解錠するするものであるのかを理解するヒントが隠されていることになるのである。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [9]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(中)

Saturday, April 1st, 2006

Trefoil: St. Mary of Sorrow333 [図版1]

Hindu Trefoil33333… [図版2]

Fleurs de lys & three magi33333… [図版3]

■ 天上的な“3”と地上的な“3”

これは“3”とその倍数であるところの“6”(そして将来的に“9”)の間にある関係を論じる際に再び取り上げることになるだろうが、ここでは簡単に「数性3」をめぐるもう一つの課題として、天上的な三位一体をあたかも反映したかに見える形で現れる数々の地上的な三位一体について、そして「数性3」の発揮する「上下相似」的、「天地呼応」的な象徴機能について言及する。

確かに「数性3」の地上的な表象化という視覚的な<徴>についてこそが、今回のシリーズ「公然と隠された数」のテーマと直接つながりがある部分ではある。したがって、ここではわれわれが後に「元型的金曜日」と呼ぶであろう超歴史的<周回>の「最終日」となる時間的エポックの完成(成就)の際に、再び、より明瞭に現れることになる地上的な<徴>と、それらの織りなす“星の座”(星座)を占める主要な「登場人物」たちに、この地上的な「数性3」の兆しが見出されるということを指摘しておくに留めよう。“3”の時代において、その象徴の担い手がこの歴史的時代に一気に勢揃いすることがこの象徴体系の理解における最大の重要事なのである。

今まさに述べたように、とりわけカトリック教会の一見詭弁じみた「三位一体」の神学論的教説について深い理解を得なければ諒解できないような論理展開が本論の目的ではない。ましてや深遠なるキリスト教の三位一体教説を置き換えるような挑戦的な理論の提示を目論むものでもない。そうすることはこの小論の扱える範囲を容易に超えてしまうだろう。だが、その教説の歴史上の登場と機を一つにして、“3”の時代のエポックが始まり、“3にして1”という三位一体、ひいては「数性3」にこそ注意を向けるべき秘儀があると、人々の下意識に「聞こえぬ大音声」を持って作用させたことは、「十字架」の集合的記憶の刻印に次いで実に大きな効果のひとつであったと言わねばならない。そして世の中のあらゆる事象にこうした「三つで一つ」という「三つ組:トライアード」の構成を象徴的に当てはめて行くことが、“雨後の竹の子”のように、まさにこの時期に一斉に開始されたのである。それらはすべてキリスト教的<聖三位一体>の代表格である「父と子と精霊」という不可思議な概念のバリエーションとなって地上的な象徴顕現事例の数々を欧州社会にもたらしたのである。

われわれの平面的世界上の構築物において、四脚より三脚が物理的安定を保証することが知られるが、ここからもその“3”と“3の倍数”に内在する法則が、形而上学的な世界にも通用されているのが想像できよう。あるいは大胆に言い換えるなら、そうした不可視世界における安定が、この物質的な世界において目に見える形で反映しているということこそが秘教的伝統において広く共有されるところである。これらは「天上的な三位一体の地上的な模倣」という、いわば「形而上学的な理想」を反映したものなのである。

例えば卑近なところでは、われわれが「血と汗と涙」と三つのものを並べ、また「三種の神器」という三つで一組という組み合わせを好み、それらの表現が成立した時にある種の「安定/収まりやすさ」を見出すということも、現在にまで残るそうした傾向の一つの現れと言えるかもしれない。また「三つの柱が一つの全体を支える」というような三脚式の世界観*は、現代の「立法・司法・行政」の三権分立の考えにも反映されている。そして「三人組」の政治体制・三頭制は、ロシアの三頭立ての馬橇(うまぞり)にならって「トロイカ」と呼ばれることも思い出されよう。

とうてつ

* 上に見るような古代中国の儀式用青銅器には三脚様のものが多々見られる。これは「安定」と「表徴」のふたつの機能に供すると見られる。上掲の青銅器(鼎)の文様は明瞭な饕餮であり、饕餮紋鼎は対面する二神(神的存在)がひとつの顔を作り出すことによって「世界」を表徴する典型的な対称図像と考えることができる。ユニークにも鼎は、その「世界」を三つの足が支える事例と考えられる訳である。世界軸: axis mundiとも世界樹とも濃厚な関連のある「対称図像」については既発表の『集団的浄化儀礼と<超歴史的秩序>について』でも取り上げた。これは世界像に関連する「3の数性」であり歴史の時代区分に呼応する「数性3」とは関わりがない。参照先:集団的な浄化儀礼と<対称>の伝えるもの [1]その他

画像引用先:饕餮紋鼎(とうてつもんてい)@ 東京都国立博物館

さらに、社会の三階層「式・民・兵」というものも中国や日本において、古代から伝わるものであるが、これはヒンドゥーの4つのカーストの上層三階級に相当するものである。すなわち「バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ」がまさにそれである。例えばまた、フランスにおいて1302年から始められた<三部会>は、「第一身分である聖職者、第二身分である貴族、そして第三身分である市民で構成される」のであり、これは“3”の時代に登場し、「自由・平等・博愛」の三柱のスローガンを世間に知らしめるフランス革命の生起まで続く。

これら地上的な具現化という事例の中でも今回のこの歴史において、その「数性3」の権化たるある国家が、象徴占有権の「正統な相続者」となり、そこから「数性4」「数性5」と象徴的数性を色濃く保持しつつ、世界の歴史の進展の上で極めて重要な役割を果たす「帝国的」な近代国家の中心となって行く。(その連続する数性の「三兄弟」自体が、また俗界における「グレイト・トライアード: great triad」を成しているのである。)その「正統な」最初の相続者として、「数性3」を持つ近代国家についてやがて論点を絞っていくわけだが、その前にいくつか回り道をしておかなければならないことがある。当然、この小論の包括可能な範囲でそれをしていく以外にないのであるが…

■ 「数性3」に関わる図像群

歴史を一コマ戻すことになるが、キリスト教をローマ帝国の国教として定めたのはテオドシウス大帝である。われわれの世界において、その後の欧州文明中心的な歴史的進捗に直接的な影響を与えた帝国、古代ローマを<2つ>に分割し二人の息子に継承させたのはまさにこのローマ皇帝である。西暦380年に「数性2」を強く保持したキリスト教自体、そして国教に認定されたばかりのキリスト教が、帝国の分割: schismによって事実上「ふたつのキリスト教」へと分断された。旧教と正教がそれである。そして帝国ローマの(そしてキリスト教の)東西分割というこの劇的な出来事こそ、“2”の時代の中心を画するエポックであった。

西ローマ帝国は分裂のわずか百年後の476年に滅亡。一方、東ローマ帝国は俗称を「後世ビザンツ帝国」あるいは「ビザンティン帝国」という風に変えて続いたものの、1453年にオスマン帝国によって征服されて名実共に滅んだ。だが「東ローマ」は、それまでも名前こそ「ローマ」としての国の格をかろうじて維持していたものの、もっと早い時点で有名無実化していたのである。事実上、「双頭の鷲」の一方たる西ローマ帝国滅亡が“2”の時代の終焉にほぼ一致すると考えることができるのである。

“2”の時代はこのような壮大な歴史的エポックの後に、“3”の時代に引き継がれる。その時代推移の象徴的な「兆し」はキリスト教が力を付け「帝国の宗教」へと昇格されてゆく直前の原始キリスト教の時代にすでに暗示されていた。それは現在では新約聖書の福音書の中に若干の記述として見出すことが出来る。生まれたばかりの「人の子イエス」には<兆し>を受信した<三人の賢人>が遠方より訪れ[図版3]、救世主到来を祝福する。キリストを囲む十二使徒は、三人一組の「ペア」となり、世界における東西南北の「四隅(しぐう)」に向けて、布教の先兵として放たれる。それはさしずめ三鈷杵のような矢尻(やじり: spearhead)状の花模様が正方の四隅(よすみ)に向かう徴として*各所様々な形で記録されている。いよいよ、“3”の時代が幕開けするのである。

* 世界の東西南北の四隅を表現する十字架の象徴の中でも、例えば下の「マルタ騎士団の十字架」と「第一回十字軍の十字架」からは、濃厚な「数性2」しか感じられない。十字架の二本の棒の先端は二股に分かれ、しかもそれはひとつの図像の中で四回繰り返されることでその数性が強調される。

Maltese Cross First Crusade

図版引用先:The Maltese Cross - a sinister design?

ところが、やや後年になると下に示すような「数性3」が十字架との組み合わせで登場する。そしてそれは四角い(正方形の)オブジェクトとの組み合わせによって装飾的に登場するもので、世界の四隅を表す「矢印」として機能する。

Fleurs des lys & cross[1] Fleurs des lys on tile[2] Fleurs des lys at 4 corners[3] J. Verne Bookcover[4]

「フルール・ド・リ」が四隅にあしらえられた例

図版引用先:

[1] 西Wikipedia

[2] Fleur-de-Lys Medieval tiles @ Encaustic Tiles

[3] Richard Butterworthのタイルデザイン

[4] Le Pays des Fourruresの表紙 @ Jules Verne

■ 三位一体のショウブの紋章

Picture of iris fleurs & rooster

端的に言えば、欧州文化において最も代表的な「数性3」の象徴の権化は「フルール・ド(デ)・リ: fleur-de-lys / fleurs des lys」という「アヤメ」(黄菖蒲: yellow flag*)の紋章である。後にフランスの王家の紋章となる、花でありspearhead(武具の一種)である「三を一つに束ねた」形状をモチーフとした図像こそが「数性3」の伝達を明確に目的としたものなのである。

* 実は、“fleur-de-lys”がユリの花なのかアヤメの花なのかという議論は古くから存在するのであるが、それは目下「アヤメ科の黄菖蒲であるらしい」ということで決着しそうである。だが、それがどちらであるのかというのは、こう言って良ければ、象徴図像学的には特に重要ではない。「三弁の花びらを持った花」を通して伝達する内容にわれわれを注目させることこそがこの象徴図像の眼目だからである。Iris pseudacorus: アヤメ科アヤメ属であり、Iris(アイリス/イリス)と呼ばれる花のひとつである。Lily(ユリ)ではない。

Yellow Flag Yellow Flag (from top) Bourgogne Heraldry

Iris pseudacorus(黄菖蒲)の実写。こうした明瞭な三弁の花びらから多くの詩人や紋章学者が魅了され、数性を表すための記号となったことは頷けるものがある。上から見たものからは明らかだが、完全に三支に分かれている(上右)

画像引用先:(上)ブルゴーニュの紋章。仏Wikipediaより

なお、Heraldicaの提供する“fleur-de-lys”の項目は有用な情報で満載である。

当然のことながら、「フルール・ド・リ」は三位一体を表象する代表的な図像ではあっても唯一のものではない。三つの輪や棒、三角形、三色などいくつかの元型的な基礎的図案が存在することは断っておかなければならない。ただ同様の意味を持つ他の図像と違って、この「フルール・ド・リ」の図像をとりわけ一旦「排他的」に取り上げざるを得ないのは、後に論じるように「近代国家としてのフランス」(より正確には、後に「フランス」となっていく領土内の実力者達)が、<三色旗>を獲得する以前の段階でひろく採用したものである(つまり歴史のやや早い段階で宿命付けられている)ということの意義が、「時間と数性」関連の議論の中でどうしても無視できないからである。

他の三位一体を表象する図像には三つ葉のクローバー、トレフォイル(trefoil) 、そしてある特定の形状を持った十字架、等々が存在することは確かであり、またいわゆる対称図像の関連でも取り上げられる世界至上権を体現する事物の中にも「3の数性」が見出されることがある。しかしながら、「フルール・ド・リ」ほど明瞭に宗教関連図像のひとつとして登場し、ほとんど十字架の役割を置き換えるほどの意味性: significanceを発揮するものはない。それは一見すると必ずしも宗教的とは言えないような──だが断じて本質的に宗教的な──例えば「楯」のような武具や「スタンダード」などに現れるシンボルという点でも、十字架が「数性2」の代表でありえたようにフルール・ド・リが「数性3」の代表格としてわれわれが捉えることには一定の正統性があるのである。

■ 2の図像から3の図像へ

[ここにひとつ小さな節を挿入]

■ 三を象徴する幾何学的図像

幾何学模様とは極めて純度の高い数性を保持する伝達手段である。それらはほとんど過不足なく純粋に<数>をコミュニケートするのである。無論表現された「数性」がある歴史的段階を意味するのか、別の意味を持った「数」を意味するのかは、それが表徴された文脈全体を無視するわけにいかず別途判断が必要であるが、幾何学模様と数というものの間にある関係は、ここで多大なる紙面を割いて論じるまでもなく、すでに切っても切り話すことができないことは明らかである。これについては「普遍的伝達」を目指した場合の<元カレンダー>について論じた「数性と歴史の回帰の秘儀」の章における若干の記述をいま一度ご覧頂くのも良いかもしれない。

●トレフォイル: trefoil

欧米の教会聖堂においては石の壁に穿ちを入れて作った透かし窓があるが、それらには花弁を模したような事例として教会などの建築物などに多く見出される。トレフォイルと呼ばれる窓はだいたいにおいて三つの円を一つに合体させたような丸い花弁のような形状になっている。[図版1] ここでご覧頂くのは「透かし」になっていない事例である。透かしは機能に正当性を貸与するが、「透かし」になっていない以上、実益的には何の役にも立たず、こうした例はその図像が伝える内容(シニフィエ)にこそ意味があるということの実証になる。

Trefoil

図版引用先:Illustrated Architecture Dictionary @ The Buffalo Free-Net (冒頭の図版1も)

縦長に垂直に天上へ向かって伸長するステンドグラスを伴う場合、こうしたトレフォイルの類はその頂点にしばしば見出すことができるし、単なる透かし窓として単独で現れることもあれば、回廊沿いの石でできた手すりの下に「繰り返しのパターン*」として列をなし複数現れることもある(冒頭の図版2:図版引用先:Sarasvati Sindhu (Indus Civilization) )。

* 以前も言及したように、「数性3」が「1を3で割った数」すなわち「0.333333…」を獲得するということを想起されたい。

Illustrated Trefoil (architecture)図版引用先:Probert Encyclopaedia

こうした花弁の透かし窓は、クァトロフォイル: quatrefoil、サンクフォイル: cinqfoil などのように数性をひとつずつ増して発展して行くところからも諒解できるように、極めて単純明快で分かりやすい数的図像の事例なのである。

Foilは、花弁を意味し、tre-, quatre-, cinq- などはそのままその花弁の数を意味する数字を意味することは断るまでもない。

● 三つ葉のクローバー

この三位一体の象徴的図像は、現在ではそれを教示した聖パトリックとの関連でアイルランドにおけるカトリックの象徴となっているが、ここにも普遍的内容を伝える数的意味合いが濃厚に存在しているのである。そしてその内容はトレフォイルを通じて図られようとする伝達内容と同様のものなのである。

St. Patrick with a clover [a]

Clover Peuter [b] trinity of church toward faith [c]

画像引用先:

[a] UNDERSTANDING THE TRINITY

[b] Three Leaf Clover Floral Pewter Pin @ Exclusively Yours Gift Shoppe

[c] HIS MISSION OF FAITH @ Father Baker

何度も述べているように、父なる神と同様にキリスト(子)と聖霊が同じ「神性」を持つという「三位一体」の教説は、現代の知性にとっては単なる詭弁以外の何ものでもないものとして捉えられるであろう。実際問題キリストの「人性」を否定して(例えば人の子イエスを)神と同列視する(ないしは、それに準じたものとして看做す)カトリックの教説は、神秘主義の世界観においては一定の真理を伝えるものであるとは言えようが、イエスが人間であったからこそ彼に降り掛かった受難に意味があるという本質を損なうものだとも言える。また三位一体の教説こそ、人間が文明を構成する以上、文明を象徴する<徴>に惹き起こる受難、言い換えれば文明そのものに降り掛かる受難がそのまま人類の受難を意味することを想起すればこそ、現世を肉体を持って生きる人々にとって重大な<普遍的人間>の指し示す象徴の本質的意味を骨抜きにするものとなる。すなわち、このカトリックが最終的に採用した教説は、そうした欺瞞的な「神秘主義」の意図の潜むものである。だがそのためにこそこの教説は、複層的かつ韜晦な神学論のヴェールによって神秘化: mystifyされなければならなかった。こうした神秘化は「霊的真理」というものに対する批判精神を欠いたご都合的な世界観を許容し、さらには結局その信仰が人類を救わないという事実からわれわれの注意を引き離し、それへの無反省な「信仰」と「救済の欺瞞」は、今後われわれに降り掛かってくる事態についての責任という認識を容易に忘却させるのである。

仮にわれわれの人生というものが、全く逆説的な意味で、そうした「神秘的な真理」の<実現到来>によって最終的に「救済」されるにしても、現世を生きる人間の実質的苦悩を相殺することはないばかりか、その真実認識はさらに深い懊悩をもたらすのである。そしてその冷厳な事実こそ宗教のメッセージが重大でありうる唯一の理由であったにも関わらず、「イエスの聖化:脱俗化」の実行によって、現世を生きるわれわれの罪過まで免罪されるという欺瞞を惹起させた。そしてその生き方を変更することの無き「免罪された人類」こそが、次なる歴史時代の終焉を決定付けるのである。

聖パトリックがアイルランドにおいて「三つ葉のクローバー」を提示して教示されたとされる「三位一体」の教説は二重の意味を持つことになる。それはひとの頭上に降り注ぐ精霊によるバプテズマについてその三叉のような形状の「緑の扇」を振りかざし、現世生活者に対してひとつの神聖示顕を司る役割をアイルランドはやがて演じるであろうからである。それは身体を二つに引き裂かれた怨嗟の集合的記憶が、<緑の兆し>を持つ人々と連合するときにその謎が解き明かされる筈である。

■ 「天蓋の星」としての三位一体の図形

後に取り上げる「数性4」「数性5」の記述において図像事例を見ることになるだろうが、「星」の象徴とは、その性質上当然のことながら、しばしば「天蓋」ないし「天上」の範型的図像(美術作品)中に登場する。だが、「数性3」においてもそれは例外ではないことが分かっている。「数性3」の象徴は、その形状の特質から「星」と認識されることはまれである。だが天蓋との組み合わせにおいてこの表徴の在り方はあたかも「星」のような性質を与えられたかのようでもある。それほど多くの事例を見出すことはできないが、本章冒頭でも掲げた図版2のように、「数性3」の象徴の「天蓋」との明らかな関わりを示すものがあることを指摘しておこう。たとえば同様のケースがブルゴーニュ地方のNotre-Dame-de-l’Assomption 教会の壁画[図版3]でも観察することができる。ここにおいては、三位一体の象徴である既に取り上げた「フルール・ド・リ」が、絵画の隅々まで鏤(ちりば)められており、背景が「天上」であることが暗示されている。したがって、ここで描かれている象徴世界自体が、天上界での出来事であるかのような体裁を見せているのである。

画像引用先:Eglise Notre-Dame-de-l’Assomption @ Montaron (Nievre)

このことは、地上の植物であるアイリス(あやめ)に、天界に示される星々の徴と同じ機能、すなわち「数性」が担われているということに他ならない。逆に言えば、これから見ていく展開の象徴たる「星の象徴」には無視することのできない濃厚な数性が封じ込められているのである。

(「中」の終わり)

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [8]
“3”の時代〜「元型的火曜日」(上)

Wednesday, March 8th, 2006

Oakchest furniture La Trinite Red Fleurs de lys

画像引用先:Image: La Trinit? et tous les saints @ Wikipedia 

■ 「数性3」を語る困難

「3」はとりわけ扱いの難しい数的元型のひとつである。その理由としては、「数性3」に関連した図像が出現する最初の時代のアルカイックさもさることながら、「数性3」の象徴がそもそもわれわれの目に数性を内包したものとして十分に認知されない事情がある。これらの点は、他の多くの数的図像に対する今日の一般的認識と大同小異である。だが、こうした困難に加えて「数的図像」と呼ぶべき象徴物がこの時代を境に一気に開花し始めるために、われわれにとっては、どうしても「語りうることの枝葉が多すぎる」と感じざるを得ないのである。だが、それこそがとりわけ「数性3」に見出される最大の特徴のひとつと言って良かろう。そしてその象徴は「特定の時代」だけを排他的に指し示す象徴物であるのみならず、ほとんどどの時代にも見出されると考えたくなるほどに時代を貫通して顕現する象徴物でもあるため、「時代のエポック」と連動していることについて、容易に理解を得ることが難しいだろう公算も高い。

もうひとつは、図像に内包される数性を認知したとしても、前章でも言及したように特定の数的象徴図像の中に「数性2」と「数性3」の間のどちらとも解釈できるような曖昧さが存在するということである。むろんこうした曖昧さは「意図」されたことであり、それもその数的図像の中に実社会における神学論争的・政治的な対立(ないし対立の未解決)が反映されたとも、時代の過渡期を反映したとも読むことができる。あるいはあるより重要な理由を以て、ふたつの数性をひとつの図像の中に内包させることを意図したケースや可能性があることも否定できない。

これら二つの数的祖型の間に象徴の造形意匠上の、ある種の曖昧さが介在しうるもうひとつの理由として、この二つの数的象徴を採用し世間に顕示したのがいずれも特定の宗教教団(とりわけローマ・カトリック教団、および正教会)であったこと、また図像の具現化の役割を果たしたのが教会の宗教美術家(とりわけキリスト教美術家)であったこととどうしても関係があろう。

議論の現時点で以下のように言い切ることは可能である。すなわち、ユダヤ=キリスト教の表象伝統(秘教的伝統)の中に、ここで語る7つ(8つ)の祖型的な数的図像がほぼ包含されているのだということ。だが、「数性4」の時代以降、その数的象徴図像の相続者(もしくは顕示者)は、教会外へ、すなわち世俗の権力へと移行して行くのだという指摘をここで済ませておくことは、象徴図像の広がりについてすでに宗教領域以外における展開に並々ならぬ注意をすでに払っている他の研究家の誤解をあらかじめ回避しておくためには有益であろう。

■ 「三位一体」

ヨーロッパ史において、「数性3」は「三位一体」という不思議な神学説によって登場する。「三と言えば三位一体」と断定しても良いほどに「3」の象徴は、それを如何に理解するかということに掛かっている。つまり数字そのものの理解に先立つ様々な了解事項の共有が要求されるのである。

最初に誤解を怖れずに言えば、この「三位一体」の教説とは「人の子」としてのイエス(人間としてのイエス)に起きた身体的犠牲を有名無実化する(すなわち「殺害」する)考え方と言ってもよい。これはほとんど「生け贄を二度屠る」行為に等しい。そして主イエスの二度目の殺害によって起こることは、歴史時代的な「十二使徒の時代」に入ったということに符合する。すでに死んでしまっている救世主の「二度目の殺害」によって“2”の時代は終わりを告げるのである。換言して、「人の子」イエスの「神格化」は完成し、ついに「神の子」へと昇格したのだと言うこともできるであろう。

「父と子と精霊」という「三つの存在」が神の顕現であるとする神学論上の結論は、積極的な信仰者にとっても、現代の世俗的知性にとってならなおさら、容易に受け入れられるものではないだろう。とりわけ理性的な頭にとって、ほとんど詭弁であるとしか考えられないような代物と捉えられても不思議はない。もちろんそれへの理解は、大きく分けて顕教的なものと密教的なもののふたつの側面が存在し、また解釈も個々人の理解のレベルに見合った複層的なものとなってしまわざるを得ない。これはある程度仕方がないでことであろう。

だが、ここで一旦、拙論『三本の光(光の三態)について』で論じられた異なる三つの「光」の存在と、それらが全く異なる「資源」に由来するにも関わらず、そのうちのふたつ(地上的な光、および天国的な光)が密接に関連しあってその存在が認知されるという人類史の発展があり、また、それら二つの出会い(再会)を実現するために、「三つ目の光」がわれらが頭上に到来する。この「第三の光」がこの世ならぬものでありながら地上に来臨しうる超地上的な「光」であり、先に述べた二つの光との関係性について大胆な解釈が可能だということをここでもう一度振り返っておかれたい。

■ 回帰の内側にある“3”と回帰の外側にある“3”

「数性3」が他の様々な数と異なり、際立って特殊である理由の一つとして、<超歴史的秩序>そのものを表す記号(コード)としても使われてきたという事情があることを今一度確認しておこう。

横方向に伸びる時間軸が「7進法」(オクターブ原理)とでも呼べるような七つの「目盛り」の物差しを持っていて、ひとつ桁が上がる毎に、それは別の層の始源的時間へと戻る。その時、われわれの祖先が採り続けてきたことは、正確に、<伝統的>な物差しを当てて、前回の周期の範型をのちの「世代」の一部の象徴継承者たちに指し示してきたことである。われわれの祖先らが維持していた<伝統>と<聖なる時間への記憶>とは、まさにそうした周期性に対する強い自覚に伴って生まれてきたものなのであり、「宗教以前」の生き方の作法として機能していたのである。

われわれが「宗教」として現在認識している種類の人間の運動は、そうした世界のあらゆる場所で見出される<根源的伝統>のわずかな名残と言うべきものだと断じても過言ではない*。だが、その範型を通した超歴史的「警告」が、とりわけキリスト教に関しては(例外的に)、その存在理由の意に反して、その繰り返し(回帰)のパターン(範型)を助成してきたようにも見えることがあり、あたかも否定的予言の成就に手を貸す共犯者のようでもある**。予言の自己成就性という宗教の持つひとつの逆説的範型にもなっている。この桁の「繰り上がり」「積み重ね」こそ、縦方向に堆積したいくつもの周回の層を表現するのである。その人類の特性がわれわれにとって普遍的と呼ばれるに相応しい唯一の課題なのである。

* その点にこそ、現在、儒教と呼ばれている「人生哲学」が、一部の知識人達からは宗教の一つと思われていないにも関わらず、断じて他の三大宗教と同じ存在理由という「根」を共有するのである。

** こうした一見矛盾する「救世主」像は、他ならぬ福音書の中に包み隠さず示されている。キリストが必ずしも平和の使者ではないことは、彼自身が告白しているのである。

それはイメージとしては「元カレンダーと第三周の世界」のところでも観てきたように、今回の世界というものが「三度目の正直」であるという「便宜的な約束事」としても「3」という数が機能させられていることとも関連している。仮に(たとえば)12000年をもって一巡する超歴史的周回を「秘教的1エイオン」と呼ぶことにしよう。そして、今回が本当に3回目の秘教的エイオンなのか、いや実は4回目なのかということは、如何に秘教に通暁していても、そればかりはよほど特別な「根拠(ソース)」にアクセスできない限りは言うことは出来ないであろう。加えて、われわれの世界が「“歴史”的事実として何度目なのか」ということは、この際われわれにとって重要なことではあるまい。「“3回”の繰り返し」という修辞上の表現に、われわれの世界が文字通り「3回目」(あるいは「4回目」)であることを読み取って満足することがわれわれの探求の目的ではないことは、幾ら強調してもし過ぎることはない。だが、秘教的伝統が、その<数>に「永遠回帰*」の意味合いを組み込んだことは、われわれの眼には明白である。

ここで扱っている象徴における「数性3」が、この「秘教的1エイオン」という周回の中における「三日目」を取り上げるものである訳だが、われわれの観察する「数性3」の象徴が、本当に周回内の「三日目」を意図しているのか、もっと大きな枠組みであるエイオン自体の「三度目」を指しているのか、というところで「数性」解釈上の混乱が起こるのである(これはある程度意図された「混乱」である可能性も退けるものではない)。

しかし、まさに、それは両方を意味していることもあり得るし、どちらか一方を明確に意味していることもあり得る。いずれにしても、こうした複層的解釈が許される「数性3」に極めて特殊な聖性のニュアンスが込められたことは確かであり、それは極めて広い領野において目撃することが可能である。われわれの世界において数字の「3」が「7」に次いで(というより、互いに補完する形で)<聖数>となっているということは、読み取る側に大いなる混乱を招きながらも、こうした象徴体系そのものが二重三重の意味性を保持させられていることへの注意を促すのに役立っている。

* 「1としての3」「3にして1」という三位一体説を数的に表したものは「三分の一」の数式である。1/3 = 0.3333333333… という「3」を無限に繰り返す循環数となることは象徴的である。「3」が永遠性を表すコードとして使われてきたことは、この辺りに事情があるとわれわれは想像することができる。

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [7]
“2”の時代〜「元型的月曜日」(後半)

Wednesday, February 22nd, 2006

■ 「数性2」とキリスト教会の関連

十字架を初めとして、「数性2」と教会の間にある深い関わりは、様々な伝統的な視覚創作表現の中に示唆されてきた。とりわけ建築や美術を通してその「数性」は繰り返し表現されてきた。「数性2」は、キリスト教が「数性2」の呪縛に囚われているとしか思えないほどに強調され、表現されるべき対象(シニフィエ)が、紛れもなく数字であることを強迫観念的に追求してきたことはほとんど明らかである。

文字通り「十字架の構造」を多くの教会が平面プランとして採用しているというようなケースの存在も、あまりに基本的なことであるので敢えて断るまでもないことかもしれない。

■ 象徴図像の進化について

例えば、ひと言に「十字架」と言っても、様々な種類があることをわれわれはここで一旦認めなければならない。そして十字架のうちのいくつかは、到底「数性2」を表しているとは言い難いようなものがある。具体的にはそれらは「数性3」や「数性4」などを表していることがある。だが、それらは十字架の原型的特質としての「数性2」を出発点として発展・進化したものであり、どのような象徴に分化してしまっていたとしても、「数性2」を基礎としていると言うべきである。十字架の象徴も実際の図像においては、例えばその装飾上の強調点や、水平に伸びる横棒の位置(高さ)や長さを変えることによって、伝えようとするメッセージの意味合いや「数性」が微妙に変化することも諒解していなければならない。

[1] Chartre Cathedral Plan [2] St. Paul Cathedra (London)

[3] San Pietro (Rome)

図版引用先:

[1] Chartres Cathedral

[2] St. Paul’s Cathedral: PATH OF MESSIAH

[3] Plan of San Pietro in Vaticano

十字架をモチーフとする典型的例として教会カテドラル(聖堂)の平面プランなどがあるが、こうした例には、数ある十字架のヴァリアント(変異種)の中でも、縦横二本の棒の交差点を中心点として左右に突き出た「横板」に相当する部分と、中心から上に向かって突き出た「縦板」に相当する部分の長さが等しい場合、その「突出箇所」自体で「数性3」を表現するケースがありうる。また、平面プランにおいて、「十字架」の頂点部分にチャペルのような小さな窪み(ニッチ)状の小部屋が設けてある場合、「数性2」を表す十字架上に「数性3」が内包されているかに見える場合がある。これらは後にも詳述するが、十字架の表出する「数性2」が「三つ葉のクローバ」の表出するケースのように「数性3」に発展・進化したと言うべき例なのである。このような教会の平面図に頻繁に観られるものに、数性に関連した「十字架の変異」とも呼ぶべき例が多くある*。

* 後に詳述するが、この“十字架”の変異(mutation) というのは「数性4」にまで及ぶ。

■ キリストの手(「数性2」から「数性3」への橋渡しとしての)

聖母子像などのイコン(Icon) は極めて象徴性の高い<普遍的題材>を扱った視覚表現作品とも言えるが、それらに描かれる幼子イエスや成人したイエス像の中には、十字架以外の手法によって表現された、重要性の無視できないいくつかの数的暗示がある。

[1] Orthodox Church Icon with 2 fingers [2] Holy Mother and Son (Vatopedi)

[3] Salvator Mundi by Titan [4] Giovanni

ひとつは前章でも見た聖母像の額や肩に見出される八芒星(乃至「二重十字」)であるが、もうひとつがキリストの手(指)である。中でも大きく分けて、キリストの手が示すものには大きく分けて二種類の数性がある。その内の一つはこの章で取り上げるべき価値のある「立てられた二本の指」であり、もう一つは後に取り上げるべき「数性3」を表す「立てられた三本の指」なのである。

「キリストの手」の表現に二通りの表象上の範型が認められるのは、正にそれが描かれた時代や描こうとしているものの目的や意図に関わりがある。イエスの磔刑を通じて表現された数的祖型が「数性2」であることはすでにわれわれにとって疑問の余地のないものであるが、後にカトリック(旧教)の教義の中に紛れ込んでくる「三位一体」の教説の登場によって、ほかならぬイエスに「数性3」を背負わせるケースが頻出してくるのである。従って(ここでは深入りしないものの)三位一体説によって世界に紹介される「数性3」を他ならぬカトリックが採用したために生じた「“3”によって呪縛される」一つの時代のエポックの<徴>であると考えるべきである。だが、それは後に述べる「“3”の時代」の章において詳述されるであろう。

[1] Various Orthodox Prayers

Greek Orthodox Archdiocese of Australia

[2] Mother of God of Vatopedi

アトス山上の正教ヴァトペディ修道院に伝わるイコンを元にしたというレプリカ

[3] Iconography: Wikipedia

Salvator Mundi (Saviour of the World) by Tiziano Vecelli or Vecellio (c. 1488-90 ? August 27, 1576) aka Titan

[4] Christ’s Blessing by Bellini, Giovanni (1430?-1516)

手の平に聖痕のあるルネッサンス絵画。

いずれにしても、われわれの目には、「イエスの指」が一見して数字であることが分からないほど巧みなまでに、控えめな表現がなされるケースが多いために、余程の典型的事例に運良く出逢った際に、しかも必要な洞察が訪れないことには見落としてしまうことさえ多い筈である。だが、聖母子像における処女マリアが「数性8」を表し、幼子イエスが「数性2」を表すとなれば、そこに読み取ることのできるメッセージは明らかである。「8(= 1)が2を生み出した」ことである。この数性の理解によって「何が何を生み出したのか」ということがここで読み解かれることになる。

Jesus with two fingers

出典不明。上掲の図版を初めとして、「数性2」から「数性3」の移行期ではないかと思わせる「イエスの指」がある。

画像引用先:The Face of Love(「イエスの手」にフォーカスした幾つかの図版を見ることのできるサイト)

■ 「人の子の祖型」「聖母子の祖型」の指し示すもの

イエス・キリストは「人の子: the Son of Man」と呼ばれる。気を付けなければならないのは、彼が聖書の中では滅多に「神の子: the Son of God」とは呼ばれていないことである(そのほとんどが「神の子というべき哉!」という聖書中登場人物による証言や意見であって、福音書家自体の結論としてではない)。日常的・顕教的な場面に於いては、キリスト教会もそのようにフレーズを恣意的に置き換えたりしている。要するに、イエスは解釈によって勝手に「神の子」であることになっている(一面ではそれは正しい)という捉え方が一義的には正しく、聖書にしてからが、彼を「神の子」と滅多に呼ばないことにわれわれは改めて注意を促すべきである。

控え目に言ってもイエスが「人の子」であるという記述があることにわれわれは十分な注意を払うべきである。「神の子」という記述のほぼ2倍の頻度で出てくる*「人の子」という表現の表す内容は何かと言えば、そこには何らの隠し立ても晦渋もない聖書の意図が見えてくる。「人の子」であるからには、それはやはり「人」であるか、「人によって産み出された何か」である。間違っても彼は神自身ではない。

「人の子」と呼ぶ以上、彼には父親の存在が想定されなければらないが、“the Son of Man”で示される“Man”とは「男性」のことであるのと同時に「ひと」すなわち「人類」のことである。一方で、母親(マリア)が肉体的な交わりによって懐胎していないことも、聖書の記述では前提として強調されている。ということは、“the Son of Man”で表されていることは、「マリア」というコードで表される或る「母親」によって地上的な生を与えられたものであって、しかも「ひと: Man」と直接関わる。

ここで、もっとも単純に考えることによって、それが「われわれ人類自身」であり、しかも「光を与えられた人類:文明: enlightened man」のことであることが諒解されよう。人類は、言うまでもなく、地母神たるマリア、すなわち“Mother Earth”による「一人子」であり、天なる神によっても祝福されたものと考えられるものである。それは第一の<真実>である。“Mother Earth”が人類を含めたあらゆる生命を処女懐胎しているというのは、地球という「閉じた系」の中でゼロから生命を育むことができた<処女>なのであり、それはほとんど否定のしようのない生物発生/進化上の事実でもあるからである。

*「神の子」は、新約聖書中、43箇所 (43 verses)に出てくるのに対し、「人の子」は、84箇所 (84 verses)である。旧約を含めると「神の子」44箇所に対し、「人の子」94箇所であり、登場頻度は倍以上となる。

しかし、その「文明」は、人類にとっての「福音」であり、祝福された生命であると同時に、「始まりもあり終わりもあるもの」(ΑでありΩである)として登場する。そしてキリスト自体がそのように自己を明確に定義した。いかなる生命も、誕生した以上いずれ死ななければならない。だがその限りある(文明の)生は、福音書でも記載されているように、人間の生にあらゆる「奇跡」をもたらす。癒されなかった病は癒されるようになり、見えなかった目は見えるようになり、立てなかった者は立って歩くようになる。死んでいたかに思われる者は息を吹き返す。

しかし、これら「奇跡」のすべてはまさに今日目撃するような技術文明がわれわれにもたらした「福音」そのものではないか。まさに「その一切をいちいち書き記すなら、世界はそれを納めきれないであろう」とヨハネ伝にあるほどに、こうした一切は、人類の文明のこの世で生起させている<あらゆるすべて: all and everything>である。だが、その「福音」は、文明の終焉(集団による救世主の拷問と処刑)によって終わる。どんな事情があったにせよ、「救世主」は憎悪の対象となった。そしてそれは天寿を全うすることなく、30代半ば前という若さで、殺害によって幕を閉じるのである。ただし、ひとつの予言を残して。「私はまた帰ってくる」という予言を。

寿半ばに死ななければならない「西洋(技術)文明」というものは、まさにこうした「イエスの人生」を祖型として構築されたものということができよう。

■ 教会音楽の中の「数性2」

例えば音楽の世界においても教会のsacred musicの楽曲形式には濃厚な「二部構造」が見出される。教会とのつながりのある楽曲が「二楽章」形式、ないし「二部」形式になっていることはまったく偶然ではない。そこにはふたつの部分、すなわち十字架の水平線(横棒)と垂直線(縦棒)を表現しようという意図が潜んでいる。それが当てはまる作品の中には、比較的新しいところでは、G・マーラーの交響曲第2番「復活」および交響曲第8番、そしてサン=サーンス交響曲第3番「オルガン」などがある。いずれも通常のシンフォニーホールで演奏されることが想定されているというよりは、オルガンやクワイヤを大胆に含んだものであるために、交響曲でありながらコンサートホールよりは、そもそも教会での演奏が想定されているように思われる。つまりこれらは交響楽形式を纏った宗教音楽 (sacred music) の亜種と呼ぶべきものなのかもしれない。

やや古いところでは純然たる宗教音楽であるバッハの多くのオルガン曲「プレリュードとコラール」「プレリュードとフーガ」「トッカータとフーガ」なども、ある種の「二部形式」の例と考えることができるであろう。

(更なる推敲と拡張の予定)

■ “2”の時代と深く関わりのある国旗に見られる「数性2」

よく知られた事実であるが、航海術によって人類が再び大海に乗り出していく大航海時代のさきがけとなった国は、スペインとポルトガルである。この二国が旧教の布教プロジェクトと表裏一体となって西方行路を見出そうとしたために「新大陸」発見に繋がる(無論、これは彼らが「新大陸」の存在を知らなかったという前提での話である)。

いわゆるカトリック教を始めとして「ラテン文化」と言われるものが今日南米に見出されるのも、この二国が競って行なったミッションの努力とそれに次いでやってくる植民地支配の結果である。大航海時代が専らこの「二国」によって進められたことは象徴的である。

Vatican Flag Portugal Flag Spanish People's Flag Spanish Royal Flag Swiss Flag

そして、ポルトガルとスペインの国旗が「二色旗」であることにもわれわれは注意を促すべきである。この「二国」とその後の世界の覇権、そしてその時代というのは歴史のあるエポックを表象しているものと考えるべきである。

現在のスペイン国旗は二色旗でありながら水平方向に3分割するパターンによって「三色旗」の時代への過渡期を表現している。(スペイン国旗には公用と民間用があるが、公用国旗にはヘラクレスの柱による「2本の棒」すなわち「数性2」の暗示もある。)

ローマ・カトリックの総本山であるヴァチカン市国の国旗(カトリック教団旗)が、正方形であり、また二色旗であるということは、象徴上、極めて重要な意味を持つ。「数性2」は、二色(黄 vs. 白 / 金 vs. 銀)であるということに見出される他、「ペテロに渡された鍵」の象徴が二本組み合わせられていることにも見出される。こうした「X字状」の十字図像の範型は「ソルタイヤ: saltire」と呼ばれる。詳述しないが、この「斜め十字」は、ここで論じられる十字架とは全く異なる性質や意味を持つ。この鍵の組み合わせ方は、「十字」のもう一つの表象のパターン、そして「数性4」を論じる際に、再び言及されるであろう。

スイスの国旗についてはここで詳述しないが、公用の国旗として使われるこの国旗は、正方形であり、その形によってヴァチカン市国の国旗のようなある重要な秘教的意味を伝達している。スイス国旗についての秘教的解釈は再び「“6”の時代」の章の中で再び論及されることになる。ここでは、きわめてあからさまな「数性2」を保持した国旗を持つ国家が歴史的に重要な役割を演じることになるだろうことを言及するに留める。

■ 「数性2」の宣言する「終わり」の始まり(章のまとめ)

そのあらゆる生命の源であるMother Earth / Mother Natureがついにその一人子である人類の文明を産み落とした。人類が、真に「文明」と呼ぶに相応しい段階に到ったとき、歴史的に“2”の時代に突入したことが宣言される。こうした「歴史的エポック」は、ひとつの時代の象徴として、必ず或る人物が生贄になり聖化されることで達成される。それは「燔祭の羊」のようなものである。今回の歴史における最古にして、しかもまだなお記憶に新しいその儀式は、およそ2000年前に行われた。決定的な宣言の方法とは、2本の「木の棒」によって造られた「極めて特殊」な形状の処刑台の上で男が自ら死ぬことであった。そしてその人物のポートレートはマリアに抱かれる「人の子イエス」として、あるいは西洋の中世絵画や木彫の聖母子像の中では指を2本立てることで、現在でもわれわれに彼が“2”の象徴であったことを示し続けている。

われわれの生活圏が、文明と呼ばれるものである限り、同時に「終わり」の「始まり」がある。「個体の生」にしても「集団の生」たる文明にしても、「生きとし生けるもの」の宿命として、「始まり」のときに「終わり」が確実に約束されるのである。救世主として知られるこの度の文明世界を象徴するコードである「イエス・キリスト」は、隠し立てせずに「私はアルファであり、オメガである」と語ることで「始まりがあり終わりがある人類の文明そのものである」ことを明白に告白しているのである。

そして、彼は、滅び往く「かつての文明」の最終局面において約束した通り「帰ってきた」のだった。だが、彼は「この度の文明」においても再び同じ受難の道を歩んでいるのであり、かつてそうであったように再び磔刑に処される可能性が高い。これについての悟りは、福音書が「過去の話」であると同時に未来を予言するもの(= 福音: Gospel)としても読むことができること、すなわちイエス: Iesus, Jesusという名の或る<普遍的人間>についての話であることの理解をもたらすであろう。

このパターンは古今東西の神話に見られる「王殺しの祖型」として表現されてきたもの、またバガヴァド・ギーターで表現されてきたものと本質的に同じである。ただこの神話的祖型についての理解とは、「王の殺害」という事件が、われわれ自身、今後「その影響を免れることができない種類の規模」を誇るものとして起こることだという文脈で実感することができるかどうか、すなわち、「われわれ自身の問題」として理解できるかどうかに掛かっているのである。

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [6]
積み重ねられる数的祖型

Monday, February 20th, 2006

伝統数秘学批判:「公然」と隠された数と欧州中心的な「文明史」と象徴体系の指し示す内容について [7] “2”の時代(後半)に進む前に、一旦、重要な寄り道をする。これは今後展開されていく、各「数性」への論述理解に必要な前提を提供するものとして、欠かせないものであると考えるためである。

■ 積み重ねられる数的祖型

地上におけるわれわれの日常的な視点からは、「数字」で象徴される「週七日間」に相当する歴史区分というものは受け入れ難いものであろうし、“D day”とでも呼べるような劇的なエポックが歴史の動向に作用し、その出来事を境に世界の様相が一変してしまうというような歴史観を容易には受け入れ難いであろう。実際、そのように明快に主張してしまえば、相当の不正確は逃れ得ない。したがって、より正確を期する努力をここで一旦しておくことは意義無きことではない。

歴史の一般論として、確かにある特定の事件の起こった日が、歴史的に重要な一場面として記憶されることはあるだろうし、それがその後の世界の行き先を決める一大潮流を作るきっかけになることもあろう。だが、これも至極自明なことであるものの、実際の歴史の流れや転換というものは、一朝一夕に行なわれるものではない。

例えばフランス革命にしても、「新大陸」における植民地アメリカの大英帝国からの独立にしても、そのいずれもが一夜にして起こった訳ではない。新勢力は時間を掛けた周到な準備と繰り返される失敗の果てにその力を拡大し、運よければやがて覇権を握るのであり、衰亡していくひとつの勢力も一夜にして歴史から姿を消す訳でもない。

こう言うことが許されるなら、「“D day”とでも呼べるような劇的エポック」に、ある<徴>が最初の兆候として示されることはあり得、その後も視覚化されたその「兆候」がひとつの運動(movement) の旗印として機能し続けることがある、ということである。

本質的に、歴史の転換とは保守する側と変革する側の間の、幾世代にも渡っての闘争であり鬩ぎ合いである。最終的に変革を標榜する側が時代を塗り替え、塗り替えた方が今度は保守する側に回るというのが歴史の範型である。それは悠久の昔から変わらない。だが、保守する側が変革を進める側に簡単に支配権を譲る訳ではない以上、ふたつの勢力の拮抗する場面においては、象徴に関しても新旧勢力を表す二つのものが同時に存在することにある。あるいは「拮抗」そのものを表現する象徴がこの世に現れる。無論、拮抗する前段階でも、新勢力の出現の初期に、その勢力が旧勢力を置き換えるものであることを誇示するために、<徴>が先行して登場することがある。

大抵の場合はこうした<徴>はどこからともなく登場し、それが広く認知される頃にはそれがなぜそのような形になったのかということを、敢えて人々が問わないほどにすでに定着しているはずである。あるいは時代が下ってくると、特定の個人にある徴の誕生の責任が求められるようなケースもある。いずれの場合も、ある特定の「象徴」は、われわれの心理の隙間に忍び込み、元型的イメージとして居座るだろう。数的象徴が祖型(元型)の一種であるとすれば、それはあらかじめわれわれ人類が(あるいは欧州文化圏の人々が)共有している内的実感と一致するからなのであろう。

また、忘れてはならないのは、旧勢力が新勢力に支配権を譲ったとしても、旧世界が文字通り「滅亡」を意味する訳でない以上、旧勢力を象徴する<徴>自体は、新勢力が覇権を握った後でも温存される。つまり異なった時代を象徴する<徴の共存>が生じる。<徴>は、新しいものによって古いものが完全に上書きされるのではなく、新旧が共存するのである。したがってあくまでもここで問題なのは、こうした徴の現れる頻度であり、またその頻度の「ヤマ」がその<徴>の数性を反映するかのように、その数字の順序通りに登場してくるということに注目すべきである。そして新しい徴がいつ頃から疑問の対象とならず日常的な象徴物として現れるのか、という、あくまでも登場頻度の程度を中心に勘案する以外に無いのである。

一旦その徴自体の持つ厳密な文法、あるいは数的図像同士に存在する法則が掴めれば、その象徴の出現頻度のヤマ場は、あたかもそれが歴史の道沿いに立てられる道標(みちしるべ/マイルストーン)の様に、あるいは日本庭園における飛び石のように、時間軸上に、ほとんど「数学的」とも言うべき「ある一定の間隔」をおいて置かれているのが眼前にありありと見えてくるであろう。こうした時間認識がまさに「超歴史的視点の獲得」に等しいのである。それは多くの場合、効果的に示されたイニシエーション(ないしそれに準ずる体験)によってもたらされるが、その初期段階の認知によれば、それは、あたかも「神の見えざる手」が人間世界への「聖なる浸入」を図り、人類史に介入を果たすかのような様相を呈したものとして認識されるだろう。神的なもの(聖なるもの/大いなるもの)が実在するという確証として、そうした名状し難い体験が一定の神秘主義者にはもたらされてきた。だが本稿には、その<実在>が、この理由を以て「証明されたと」主張する目的を保持しない。ただ、こうした数性を保持した数的図像を通して祖先達が何かを後世に伝えようとしたこと、あるいは伝えることができると信じられたこと自体、文明自体の超歴史的回帰という前提なしにはあり得なかったということが、控え目に述べられるだけである。

人間の世界観は時代とともに塗り替えられていき、人類はそれぞれの属するパラダイムにおける支配的な世界観以外の仕方で世界を観ることが難しい。だが、象徴は容易に塗り替えられない。組織的なイコノクラズム(聖像破壊)が存在すれば別であるが。忘れてはならないこととしてもう一度繰り返せば、<普遍的題材>を扱う数的祖型群は、ひとつひとつその<徴>を歴史の上に「積み重ねていく」のであって、正確に言えば「塗り替える」訳ではない。歴史的エポックをきっかけに転換されて行く歴史の流れは、旧勢力に属する<徴>を視覚的な刻印として残したまま、新勢力の<徴>を歴史の書棚に新たに「加えていく」のである。そしてその数的祖型を反映する図像は「歴史の終わり」が近づくにつれ、その「全七巻」の徴を、全て今回の歴史の周回として「歴史の書棚」に揃えるであろう。むろん、「七日目」にはついに休息するわれわれが、その七巻目をそれとして目にすることは、おそらく無いのであるが…