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黒井さんの「家庭急襲」

Monday, February 7th, 2005

「ダメモトで」「仕事が早く明けたので」と断りつつだが、黒井さんが吉祥寺から遠慮がちに電話をしてくる。ちょうどボクが「食事前のちょっとした練習」を終えた9:30pm頃、そして食卓に夕食が揃い始めたタイミングで電話をしてきた。こういうコールは実に嬉しい。ウチは、こういう突然の友人の訪問に基本的にウェルカムである。と言うより、皆さん遠慮されるのか、こういう粋な「家庭急襲」をしてくれる人はなかなかいないのだ、最近は。「食事をしてきた」と言うが、こういうときは空腹で来てほしいモノである。連れ合いに言わせると、食事の準備は2人分も3人分も変わらないということだ。

先日のDenny’sにおける非マックユーザとのマック話の続きをしたり、日曜日の小川さんのソロの録音を聴いたり、徐々に始めているという引っ越しの計画などに話が転々として、どんどん時間が流れる。食事後は、ホットカーペットの上の丸テーブルに毛布をかけて事実上「こたつ化している」リビングに三人で丸くなって会話が弾んだ。そして、時計の針が知らぬうちに12時を回った。

黒井さんが使っているSharpのPDAは、液晶画面は驚くほどの高解像度で、本当に手の平サイズのパソコンなのである。そしてSD cardに取り込んだサウンドファイルの再生音は非常に良く、まるでMP3 playerのようである。SD cardがひょっとしてボクのカードリーダで読めるかどうか試してみた。カードのフォーマットが違うだろうと言う予想に反して、何の問題もなくPBG4でそのファイルを開けてみることも、データを呼び込んでくることも、逆にカードへコピーすることも出来るのである。あのカードは一体どのようにフォーマットしてあるのだろう?

あたらしいパソコン購入者にマックを薦めると言う黒井さんは、私の知る限り唯一の非マックユーザの「マック・エヴァンジェリスト」なのである。はやく真性マックエヴァンジェリストになって下さい。

During these new year days

Tuesday, January 4th, 2005

この正月休みにあったこと。

忙しければなおさら書けない、という典型的状況...と思いきや、大したこともせずに時が過ぎ去ってしまった。やったことと言えば、iDVDやらToast 6を試験運用してDV映像の「取り込み」とそれの「DVD化」がうまくいくかどうかの「気の長い」「気の遠くなる」ような作業とbaby-sittingである。そうしたことの合間に、以下のようなことがあった。

年末に観たビデオ作品。

『昭和残侠伝3 一匹狼』監:佐伯清(3作目ということもあるのか、これまでのテンションから言うとやや緩い。高倉と池部良の出会いにもあまり緊迫感がない。)

『日本侠客伝4 血斗神田祭り』監:マキノ雅弘(野際陽子が登場し、かわいい女を演じるのが珍しい。)

『総長賭博』監:山下耕作(仁侠映画の中でも「博徒」だけを中心に、ヤクザ一家の分裂と「兄弟」間の不条理を描ききる異色の作品。)

1/1(土)

実家へ。夕方6時頃到着。姉夫婦と下の甥っ子の3人と合流。甥の長男は高校生で、こういうところにはいよいよ顔を出さなくなった。それにしても、久しぶりの姉弟・親子一緒の夕食。父の撮った写真のスライドショー鑑賞をテレビで。もちろん花ばかりの画像。持って帰るために、いくつかの画像を持ってきていたPBG4に取り込む。一緒に持参していたAirMac Expressを父の家庭内LANに接続して実験すると、そのままネットをワイヤレスで「間借り」できることがわかった。これは便利。

1/2(日)

一泊して翌日午後に帰宅。仁侠映画をビデオで観る。

『緋牡丹博徒3 花札勝負』監:加藤泰 名作。

『昭和残侠伝4 血染の唐獅子』監:マキノ雅弘

1/3(月)

午後から神田川沿いを浜田山の天満宮まで歩く。ビデオ撮影。MさんとCさんの二人と浜田山の珈琲館で待ち合わせ。浜田山駅踏切近くの酒屋・伊勢屋で日本酒(牧水)を仕入れ、四人で我が家へ。燗を付け、おおいに飲み、食べ、よる9時頃まで楽しむ。自分は断酒解禁を謳歌する。

「マルクスを再読する」を巡り、話に花が咲く。さすがに酔ったが、本書の結論、「市民社会そのものの否定」に対して、むしろ「その緩やかな解体」と「ダメージ最小限化」のための処方箋として、ボクは「減価する貨幣が有効」という持論に結びつける。Cさんの「減価する貨幣」への批判(そのような貨幣は誰かがババを引く、あるいは時の権力が黙っていない論)は、予想できたものであるし、気持ちはわかるが、反論可能だと考えている。むしろ、現代社会を支える「プラス金利」を生む貨幣こそ、世の中に「ババを引く」人々をこしらえるのだ。だが、そこへどのように話を持っていくのか、というのは酔った頭ではうまく説明ができず、フラストレーションを感じる。酔った頭でも理路整然と持論を展開できるだけの理論強化が必要と実感。

1/4(火)

正月休み最終日。あっという間に終わってしまった休暇。買い物に出ようと思ったが、夕方近くになって久我山まで散歩がてら夕食の買い出しをすることでお茶を濁す。目当ては自家解体をしている鶏肉屋である。価格はスーパーより安いのに遥かに質のいいものがある。

久我山の駅は、駅ビルを造っているようで雑然としている。完成すれば、「急行の停まる駅」にふさわしい、線路の両側から踏切を渡らずに出られる構造になるのだろう。ピーコックの品揃えはさすがにスーパーが一つしかない富士見ヶ丘のSEIYUよりは全然マトモである。街にスーパーが一つしかないのは寡占市場になるので問題なのである。その点、久我山には競争の原理が働いている。

Playing Numbers

Sunday, January 2nd, 2005


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☆☆☆

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Heart Wrenchingな交遊

Sunday, December 26th, 2004

久しぶりに林君と諸遊君がウチを訪れる。二人ともソトでの活躍がめざましく、以前のような行き来は出来なくなっているが、それでも年末か年始に彼らが時間を作ってくれることでなんとか1年に1度のHeart Wrenchingのメンバーが揃うという感じになっている。林君が来たのは彼のBotti氏とのコンサート前にチラシのデザインのことで打ち合わせをしたとき以来。

林君は花曜社の代表取締の重責の中で日本中を飛び回る一方で、人を集め、コンサートの場所の手配から共演者の選出などあらゆる雑用をこなし、主演するというすばらしい演奏実績を積んでいる。諸遊君はあちこちの楽団の指揮をしながら音楽家の指導をしている。ウチに来ても今度二人で目論んでいる林君をソロ奏者とするコンチェルトの演目の相談に余念がない。考えていることはふたりとも音楽のことだけだ。そんな二人と時間を共有できるのは実に楽しい。

諸遊君は相変わらずの忙しさで、夕方からのある楽団との仕事兼納会で5時前に発ったが、林君とはその後、Mac話やら家庭の話やらで盛り上がる。いつもならいそいそとウチに戻るところを、この度はゆっくりボクに付き合ってくれた。

今回Westminsterの一連のCD、Mozartのヴァイオリンソナタやコンチェルタント、そしてBeethovenのオーボエ三重奏や弦楽四重奏やらを矢継ぎ早に掛けまくるDJに。

その後、Barretの二重奏を二人でやる。林君はいつもの通り、へ音譜表の伴奏譜を器用に読んでどんどんセカンドを吹いてくれる。彼のセカンドはいつも最高だ。しかもいつも楽しんで下の声部を歌うのだ。彼の中ではBarretは単なるエチュード集ではなくて、演奏用パフォームしたって何の遜色もない名曲集と考えられている。折に触れて10年越しで彼とBarretを吹いてきたボクも、時間があるとひとりで吹いている。林君は、今でも二重奏に付き合ってくれる貴重なプライヴェートな「共演者」なのだ。すぐにバテてしまうわれわれは休み休みForty Progressive Melodiesを吹いていく。スタミナさえあればいつまででも吹き続けていたいような劇的な音楽性をもった名曲の数々なのである。

今年初めてやったダブルリードソロによるライヴの実況録音「衒学のためのレクイエム01」を林君に聴いて貰った。厳しい聴者である彼から、ディレイマシンを使ったこの作品に対してどんな厳しいコメントがあるか一瞬構えたが、思いのほか肯定的で、「続けるべきですよ」という一番嬉しい言葉を貰えたのである。

断酒解禁日の3日目、林君と連れ合いの3人で近所のお気に入りの飲み屋「藤」に行く。いつもの愛想の良い女将さんのウエルカムを受け、小さいが楽しい酒宴を持ったのである。「岩魚の骨酒」というのを呑みたくて。考えてみたら、彼の田舎は岐阜の飛騨で、まさにこの骨酒というのの地元なのである。

そこで、今後の自分のダブルリード演奏に影響を与えるような大事な示唆を受ける。

MFC-410CN!

Thursday, December 9th, 2004

ホーム用に購入を検討している、BrotherのMFC-410CNを家庭のパソコンによって無線LANで共有するためには、クライアント側(PowerBook, iBook)にはAirMacカードが入るので、あとは、MFC-410CN側に何らかの無線受信装置が必要。こちらには無線LAN NC-2200wがBrotherから出ている(\ 19,800 税込)が、AirMac Expressという受信装置でも代用可であることが判明。15,540円(本体価格:14,800円)。NC-2200wというプリントサーバ専用機よりも、AirMac Expressの方が多様な使い方ができよう。

これは、アップルの出しているAirMac Extremeベースステーション(23,100円 税込)と無線でコネクトできるもの。しかも、マック側からのサウンドデータの発信を受けられるので、ステレオの近くに置いてアンプとつないでいれば、マックからの音をステレオで受信して「再生」が可能だという。つまりAirMac Expressは、単なる「プリントサーバ」以上の「何か」なのだ。

完全に備忘録。こんな「日記」を人が読んで何か意味があるとは思えない。申し訳ない。

ソルボセイン、おそるべし

Saturday, December 4th, 2004

カーペットのないリビングの方に最近移動したスピーカーのサウンド・インシュレータを入手。さっそく試してみる。

こちらに越してきて2年以上住人がいなかった階下に、ついに入居者が来たために、夜遅くまで聴いているステレオの音の下への影響が気になり始めていたためだ。スピーカーの下には鉄アレイのように重量のある金属製の専用スタンドを敷いているのであるが、それでも床に伝わる振動がやや感じられていたので、より一層の音の伝道遮断が必要と判断したのだ。

購入したのはDAIKにあった「ソルボセイン」という素材を使ったもの。先週末に吉祥寺のオーディオユニオンで見たのは、どうも音を向上させる目的ためのものであるらしく、どれも硬質のものばかりで音の遮断に効果があるとは思えなかった。ソルボセインも決して安価ではないが、目的を考えると試す価値ありと考えたのだ。適用法は、インシュレータをスピーカーとスピーカスタンドの間に挟み込んだだけだ。

結果は、床への振動はずいぶん押さえられたように思えた。柔らかな材質なので、音にある程度「もや付き」が出ても仕方がないと最初から覚悟はしていたが、驚いたことに、音が「好み」の方にチューニングされたことだった。

床から伝わる音が、実は却って「もや付き」の原因になっていたらしく、こうした共振のファクターを遮断したことで、音の輪郭はこれまでよりもくっきりしたような印象さえ持つ。しかも耳に痛いような感じもなく、実にまろやかな味が出たような気がするのだ。音量を上げても昔ほど疲れない。

今日は、いろいろな作業をしながら昔入手して最近聴いていないジャズのLPソースを聴きまくったりした。そのあと、セルの「田園」のLPを聴いたが、あまりの音の暖かさを再認識し、オーディオの深さを垣間見た気がした。

リビングの蛍光灯を暖色系に変えたために起きた「錯覚」なのだろうか? まさかね。

明日は、ライヴ。あまり夜更かししないで明日に備えなければならない。

調和の夢

Saturday, November 27th, 2004

夢で感動して目が覚める。大学か高校生くらいの若い人たちが集まってコンサートの準備をしている。学生達の中に知っている人は独りもいない。が、自分はOBのように彼らと親しく接している。混声合唱団のようなクラブ活動のようだが殆どが女子である。だが、準備しているコンサートはオケとの共演という大がかりなもの。どうやら自分はオケの方の出演者の一員のようである。

ほどなくして照明装置に明るく照らされた舞台上でコンサートをこなす。聴いたことのない音楽。自分は楽器を吹いているだけではなく、指揮者のような一でキューも出すという役割。一体どういう趣向なのかは分からぬが、この世界ではコンサートはそのように行われるのである。そしてその音楽の感動的なこと。合唱団の作りだすハーモニーとオケの感動的なほど劇的な交響。

コンサートはいつの間にか終わり、自分は学校か合宿場の中庭を上から見下ろしている。その場所は山の中腹のような所にあり、周りは優しい自然に取り囲まれている。制服を着た先ほどの女子学生たちが中庭のあちこちに分散して佇んでいる。これは合宿のようでもあり、何か儀式を思わせる空気が張りつめている。

やがてどこからともなく、そして誰ともなく歌が始まる。あちらでもこちらでも歌の澄んだ声がわき起こり始める。そして、統一的な和声を築き始める。いつの間にか自分は下の中庭の女子学生の間にいて、そのハーモニーのまっただ中にいる。そして、女子学生達の顔を見つめている。すべての学生も感動を表情に顕わしている。だが、抑制して最後の儀式を終わらせるために感動を怺えながら歌を歌い続ける。そうだ、これは今まで行ってきたすべての終わり、卒業式、それも自分たちで企画した卒業の儀式なのだ。

透明で、信じられないような感動的な旋律。建物の隙間から差し込んでくる黄昏の光。その中で彼女たちは歌い続け、だんだんに一つの場所にゆっくり移動してくる。そして、彼らは一列横隊し、最後のハーモニーを長く延ばした。感動で、私は涙を流している。

そして目が覚めた。まだ旋律の余韻が残っていたが、感動して涙が出た。

あのような調和と旋律が自分の中にあったとは。いや、それともある何かが自分を訪れたのか。それにしても、彼の旋律を書き留めることが出来たなら。今は感動以外の何も思い出せないのである。

完璧なうた

Wednesday, November 24th, 2004

コスモスの八の花びら幽美かな
復活告げる秋のあけぼの      鈴木宣明

(旧い手帳をひっくり返していたら出てきたメモから)

聖母の騎士」で見つけた短歌

こういう「方法」があるんですね。短歌が芸術なのではなく、短歌の中に芸術があり得る。(当たり前のようでいて当たり前でないこと)

「いきおい」の原理

Tuesday, November 23rd, 2004

一旦始まると、止められず、やっていて身に付いたある種の「ノウハウ」や「メソッド」は、そのまま別の場面でも利用シタクなる。

職場の場所が変わり、仕事を始めて以来10年間溜まりに溜まった職務上の垢をそぎ落としてきれいサッパリなった。それに対して自分の部屋の、文字通り足の踏み場もない混沌は何だ? よくもこんな場所で、楽器の練習や音源のミキシングをやっていたものだ。精神衛生に良くないぞ、これは。ついに我慢の限度が超えて、今日は休日返上で要らぬものの処分と整理、そして掃除をした。

場所が悪くて機能不全になっていたキャスター付きの棚からキャスターを外し、場所を移動。窓側に移動して、見てくれよりも機能性を優先した。別の棚の上に積み重ねることで、面積効率を上げる。

いつも持ち歩いているためにすり減ったリーフレット、堆積したメモ書き、意味不明の数字の書いてある紙の切れ端、そうしたあらゆる物が挟まったフォルダーをかばんから取り出し、ケースやら書類袋の積み重ねを壊し、いちいち物品を取り出して、捨てたり、いちいちクリアフォルダーに再分類をしたり、地面にとぐろを巻いているあらゆる種類のケーブル類、すなわち電話コード、ACアダプタ、ライブ用のスピーカケーブルやコンセントの延長コード、ミキシング用に使っているシールド、ここ1年ほど使っていないMIDIケーブル、などなどをまとめ、とにかく、足の踏み場を確保することを先決とし、掃除機を掛ける。埃をどんどん吸い込んでいき、やっと床に座れるだけの余裕が出来る。堅く絞った雑巾で棚やオーディオ装置に積もった埃を拭うなどして、どんどん片付けていく。それで8時間に及ぶ<当面の整理>が終わった。これは、前哨戦である。

相変わらず机の上はヒドイものだが、次はキャビネットの中の整理をして、机の収納スペースを確保したら、それも片付けるつもりだ。これは、職場の引っ越しでこの数週間のうちに身につけた「ノウハウ」だ。

きれいになった机で、今度は棚上げになっていた譜面の整理やある古典楽曲のトランス・スクリプションなどができるようになると思えば、片付ける気にもなる。リードも削りたい。人に頼まれて、ずっと放っておいたことも腰を落ち着けて取り組めよう。

今回片付けをやってみた思ったのだが、後で必要になると思ってとってあるものが、結局「堆積」を厚くして、必要なときに必要なものが見つからず、結局、必要なはずのものまでが無駄になっていくというパターン。心をオニにして捨てることや、「拾ってこない」ことがこれからは必要だ。

新しい習慣を身につければ、これまでやりたくてできなかったことまでも実現できそうな気がする。

職場で起きた整理の「いきおい」は、自宅に及んでいるのである。

会社のおひっこし

Saturday, November 20th, 2004

1年余りの間に2度目のおひっこし。今回はより大きなもの。朝から自分のセクションが問題なく移動できるように業者に現場での指示を出し、現場合わせをしたりして夕方まで奔走。

全体の調整をしながらこれだけの大所帯のひっこしプランを立案した人たちの方が間違いなく大変だっただろうと思うが、自分はこういう現場での即興の方が好きだ。

広々としてきれいなオフィスで来週からまた新規蒔き直し。