Archive for the ‘Livestock’ Category

3月は、ライヴがない(ちょっと嬉しい)

Saturday, March 12th, 2005

3月はまるまるひと月ライヴがなく、4月も予定されている<もんじゅ連>の23(土)のライヴまでとりあえず何の予定も入っていないのである。ほぼ2月のお休みということになる。これは、ここ数年の中で相当な異常事態である。

そもそも、ライヴの回数を減らそう減らそうと思ってすでに2年以上が過ぎた。もっと積極的にライヴのあり方というのを考える必要があるとは考えていたのだ。ライヴ回数を減らすというのは、決して消極的な考え方ではないのだ。

確かに月に3度以上もライヴがあると、「兼業・週末音楽家」としてはかなりキツい状態になる。音楽を外でやるのは好きだが、他の諸々のことが疎かになりがちなのだ。人との縁やら偶然やら、いろんな有り難いことが重なってなーんとなく外で演奏をすることになって、もうかれこれ数年が経つ。そしてそれ自体が非常に楽しく、何よりも優先して取り組みたくなるほどのものだが、それでもライヴの時間が生活そのものを圧迫してくると、そわそわと落ち着かなくなる。だれでもそうだろうが、自分も音楽に気軽な気持ちで取り組みたくない性分でもあるので、精神的な余裕がなくなるのだ。単純な話だが、そうなると部屋は荒れ放題になり、自分で自分の部屋に足を運ぶことさえ億劫になるような「瓦礫の山」になる。それでもライヴに備えて準備だけはしなければならないので、荒れた自分の部屋で音出しをするという精神衛生上も非常によろしくない状態になる。

部屋自体に入りたくなくなるほどになると、もう悪循環で、いろいろな生活に必要なはずの書類の類いなども見つからなくなり、ぎりぎりになっていざ必要になるともう間に合わないという日常の生活にも支障を来すような悲惨な状況に陥る。ちょっと軽い気持ちで取ってある新聞や雑誌バックナンバーやチラシやらなんやら、あらゆるものが床に散乱して、とてもじゃないが突然の来客でひとを部屋に招く、なんてことは出来なくなる。整理整頓はこどもの頃から苦手だったが、本当は「きれい好き」なのである。部屋の混沌が好きという方もいるようだが、自分はそうではない。きちんとしているのが良いに決まっているのだ。だができない。だから精神的にも荒れてくる。こういう荒れた生活をなんとか解消するためには、週末を純粋に自分のために確保する必要がある。

そもそもライヴを始めた動機のひとつに「録音してそれを聴きたい」というオーディオやレコーディング趣味という側面があったので、自分のライヴに録音は欠かせない。だが、ここまでライヴの回数が増えると、音源ばかりがどんどん増えていくが、それを整理したり自分の望むようなカタチに編集し直したり、という「本来の目的(のひとつ)」が果たせなくなってくる。編集しなければならない音源がこれほどに溜まってくると、もうどれを優先しなければならないかという記憶や判断も怪しくなってくるのだ。人に渡さなければならない音源で最も旧いやつなんかは、もう5年以上経っているんじゃないだろうか? つまり、ウェイティング・リストが5年待ち状態とかいう人がいる訳である。まったく申し訳ない。

それに「練習」がしたいのだよね〜。オーボエはリードを削らなければならないし。練習なしに良い音楽もないものである。

そして何よりも、「結婚生活」がある。畏友I氏がどこかで実に旨いことを言っている。つまり「家庭政治的にきわめてマズいことになる」んである。

というわけで、もうすこし、「ちゃんと生活」を立て直さなければならない時期が来ているのである。(つまらん結論だと思うだろーなー、ハングリーなミュージシャンにとっては!)

(でも、「より良い音楽を創る」という努力となんらの矛盾点もないんだな、これが。)

嬉しいメール

Friday, February 18th, 2005

先日の18日のソロライヴを聴きにいらした方からやや長目のメール(でも大変嬉しいメール)を頂きました。私信のため具体的内容やその方がどなたなのかは公開できませんが、とにかく頂いて嬉しいメッセージでした。その方のメッセージの中でも特に嬉しかったのは、その方がボクの演奏する音楽を聴いているあいだ、自分の幼児時期の体験や以前いたことのある異郷の地や、その地で繰り広げられる幻想を見た、というものでした。私は以前から「音楽は音に過ぎない、でも音を捉える人間の心にこそ神秘がある」と言い続けています。この方からのメールはまさに私の信じることを裏付けるような内容であった訳です。

ひょっとすると、聴く人自身の体験や感受性のありかたというのが、得られる内的体験にとってより決定的である、と主張する方もいるかもしれません。それは否定するつもりもありません。まさにそうに違いありません。でも、どんな方であるにせよ、どんな内容であるにしても、その方が自分の音楽を聴いて、独自の体験を想起したばかりか、その世界にしばし遊ぶことが出来たのだとしたら、演奏家はそれ以上に何を望むことがありましょうか?

天国と地獄が混在したようなライヴ、その後

Friday, February 11th, 2005

morishigeyasumune + nakami zo duo (tempo primo live II)を終えて。

私が目指しているものを「予定調和」と呼びたければ呼ぶが良い。だがそれは注意深くボクの相方によって回避されたらしい。だが、音楽の方はどうか? おおきな疑問符が頭上に浮かぶようなライヴであった。もちろん、結果の「責任」を自分が引き受けての話である。

げに、何一つとしてナメてかかってはならないのが即興音楽である。音楽そのものだってナメて掛かったことはないつもりだが、即興の難しさも重々承知のことだ。だが、やはりナメたのか? いやナメたつもりはない。だが、結果的にナメていたと思われても仕方がないような、予想不可能性と即興につきものの根本的困難が露呈したライヴであったと思う。

もうひとつナメてはいけないのは観客の方の判断である(当然である)。どうしようもなかったと絶望して終わったライヴを絶賛してくれる人が現れ(それが社交辞令であると思えないいくつかの根拠があるんだがそれは割愛)、それで幾分なりとも救われたと思ったら(思った事自体がまた間違いだったんだが)、それと前後してきわめて貴重かつ鋭い批判の言葉を頂戴し、別の意味で頭を抱える、ということが起こった。

しかし、人に言われて初めて頭を抱えたと言うわけでもない。批評がすべて納得のいくものではないにしろ、最善からはほど遠いという事自体、やった本人が一番自覚していることではある。そして、どんな表面的な繕いが可能でも、本当に感じたことは相手にも十分伝わっていくということである。

最初の話に戻す。「tempo primo」というプロジェクト名は、二人が共通して持っているある種のタイム感覚を暗示している。即興していて、自然と二人が収まってしまうある種のビート感を「戻ってくるテンポ」と捉え、それを「原初の速度」、あるいは「最初のテンポで」という速度記号「Tempo I (primo)」と掛け合わせたものだ。だが、相方のmorishigeさんは、それで旨く行くという方法たるtempo primoを、演奏本番中に注意深く避けるという選択に出た。一方、morishigeさんが普段からある意味得意としているある種の「非楽音」以外の(おそらくもっと謡った)何かをボクは期待しているところがあって、そこにまず最初の音楽実現上の課題が潜在していた。

即興(の質)を優先する(これがどういうものなのかを自分には説明できないんだが)アプローチと、少しでも既視感ならぬ「既聴感」のある音楽性を選択することにためらわず、本能的に音楽的結果を優先しようとするボクのアプローチ(これは即興者の間では糞飯モノであるらしい)との間で緊張が起こる。どちらがどちらを引っ張るかは力関係でもあるが、どんな力で引っ張ったって相手がそれについていかないと決心していたら、それを音楽的にスポンテイニアスに相手に伝えることは不可能である。伝わっていてもそれを「無視する」という選択が可能だからである。そして、即興が安易に相手の思うようにしない、という選択の自由を含むものである以上、無視されるという事態も受け入れなければならない。むろん、この日のボクの演奏にmorishigeさんを無条件に「したがわせる」だけの力がなかったことが第一にある。いや、それは力の問題ではないのかもしれない。それはひょっとすると音楽以前の互いの間にある何か感情に起因する何かなのかもしれない。だが、それが何であったかなど、終わってしまった今は、観客にとってはどうでも良いことである。

いずれにしても、私から観たmorishigeさんは、普段見せるような「非楽音」をあまり多用しない、ある種、積極的に謡うチェリストとして存在していた(これを観客は賛同しないかもしれないが、それは依って立つ観点の相違である)。私はそれに喜んでノルべきだったのだが、その見慣れないmorishigeさんの積極的なアプローチは、私にとってはむしろかなり未知な部分であった。未知は未知で問題はない。それへの対応をする相方としての自分は、即興者としては十分にそのアプローチを生かす方向に切り替えられなかったのである。即興者としては実に落第である。

では、謡う音楽家として自分は及第だったかと言うと、その点でも自分は中途半端であったとしかいう他ない。自分の中で、自分の普段通りのスタイルとmorishigeさんの(私が思い込んでいた)スタイルとの間のギャップをどう埋めるのか、という前提からして間違った発想から抜け出すことが出来ず、苦しんだ。

確かに一度は期待したのにそれを得たいときには与えられず、それが与えられたら今度は受け取ることができない、というディレンマである。

こうした即興演奏中の不自由を、苦しみに変えず、楽しい過程(プロセス)へと置き換える何かが存在するとしたら、それはおそらく自由をハンドルできる強い精神力なのである。morishigeさんには、確かにそれにチャレンジできる強さがある。それが音楽の魅力ではないのかもしれないが、そうした強さによってこそ支えられる自由人の強さを、彼のファンはmorishigeさんの音楽から見いだしているのかもしれない。

セイフティ・ネットがなくてはしばしば不安を感じるボクのような人間が、即興にコミットすることが、そもそもマチガイなのかもしれない。(だが、わかっちゃいてもやめられない、のが他人と演る即興音楽なのである。)

& aspects & vol. 1/3 に出演して

Tuesday, January 11th, 2005

河合拓始さんの主催する& aspects & vol. 1/3に出演。河合さんのイベントに参加するのはこれで3度目。最初は吹奏楽器とトリオ、二度目はピアノの3人連弾。そして吹奏楽器四重奏が今度のもの。一度目のトリオに4人目のバスクラリネットが加わったもの。

しかし単に一人分楽器が増えたというような単純なものじゃないのは音楽の世界の常である。一人が増えれば音は一つ分増える訳だが残の3人にも影響を与えるので、変化の量は3倍だと思えるほどである。もちろんそんなに算術的に計算できるようなものではないが。

今回加わった花島さんによって、aspects Bは、前回と比べてずいぶん違った内容になったことは確かだ。彼の登場によって、河合さんの作曲の方法がやや変わった。実は一番大きな変化はその「作風」への影響であったかもしれない。即興パートが増え、特にそれの花島さんへの配分が大きかった。

前回、和声というか和音の作り出す音のゆっくりした歩みというのは、やや影を潜めた。第1曲では、前回にあったようなロングトーンを主たる演奏手法としたものではあったが、全面的にその手法によって曲を伸展させた1曲40分に及ぶ1回目の大曲とは当然のことながら異なる結果が生み出された。短いだけに演奏するものからすれば時間による制限がより強く感じられるものだったように感じる。第2曲は、音の相対的な長さとおおよその高低だけが決められた「半譜面」のようなものを利用した「楽曲」である。もっとも作曲を強く感じさせるものであったかもしれない。少なくとも聴いている人にとっては。そのかろうじて決められている相対的な「音の長さ」は、最初4人が殆ど同じ縦の線で動いているように見えて、曲が(というより時間が)進行していくに従ってだんだん縦のつながりを失っていき、それぞれの楽器が勝手に演奏しているようにしか見えないようなカタチへと移行していく。「譜面」を見るとその「逸脱」していく筋書きを書いている河合さんが、楽しんで企図したであろうことが伺えて面白いのである。だが、なによりも面白いのは「逸脱」が生じてから、自分の譜面を追いかけようとしすればするほど、他の人が何をやっているのかを把握できなくなるような譜読みの難しさがある。ランドマークのような他人の音が明確にない(あっても急に渡された譜面なので分からない)ため、他の人を注意し聴こうとすると、指定された音の高低の中でどのような即興をやれば良いのかに俄然気が回らなくなると言う矛盾が仕組んである。当然、譜面上の「縦線からの逸脱」は、演奏者の「譜面からの逸脱」とそれを何食わぬ顔をして譜面を追い続けている「振り」をすると言う「芝居」が発生する。どこまでそれを企図したのやら。企図したんじゃなかったら、ゴメンなさい、河合さん!

第3曲は第1曲にあったようなロングトーン、ロングトーンを短く切ったように奏する同音程スタッカート、そして、楽器に吹き込む風切り音だけを「吹奏」する部分、そして「ほぼ自由即興」などのもっともバリエーションに富むセクションを含む、いわば、今回の「まとめ」のような「楽曲」。しかもその楽器配置はソロやデュオやトリオの状態が公平に生じるようにということに特に留意して企てられたもののように思えた。ここで、花島さんがソロイストとして捉えようという河合さんの配慮を感じた。そして、狩俣さんは相変わらず、非常に水際立ったひらめきとロマン派を感じさせる熱い即興を聴かせてくれた。

自分に取って難しかったのは、前回よりもマイクによる集音に依存したかに思える音響設定(おそらく意図したというよりは、そうなってしまった)のため、河合さんのピアニカの生の音を捉えがたく、自分の音色や音量を以前のように彼の音に親和させるというライヴ中の工夫があまり生かせないように思えたこと。チューニングを最初にやらなかったせいだろうが、狩俣さんのフルートと音程が取りづらかったことなどもある。これは正直かなりつらかった。私のオーボエの音程が高くなりがちなのはあるが、狩俣さんの音程が相対的に低く感じられた。やはり、基本的なチューニングはカタチだけでもやっておくと、仮に音程を完全にできなくても、始まって泡食うことがないのである。これは反省である。オーボエ奏者なんだから、せめて河合さんに最初に促しておくんだった。

いずれにしても、今回の参加によって得るところは実は多かった。それは、もちろん作り上げた音楽自体のことでもあるのだが、花島さんと知り合ったことも大きいのだ(それは、翌週のもんじゅ連[27]ライヴのときにより痛感することではあるが)。木管楽器奏者というのは、いそうでなかなかこの世界にはいないのである。木の音を感じさせるバスクラの響きを再発見したというのは大きいが、アドリブをどうやって組み立てるのか、というところにも学ぶところが多かった。そして、高ぶらない誠実な人柄にも救われたのである。

とにかく、こうした機会をまわしてくれた河合さんには感謝なのである。

第8回「風の、かたらい」

Sunday, January 9th, 2005

石内矢巳の主催する詩の朗読と器楽即興を中心としたパフォーマンスあり。今年最初のライヴにふさわしい楽しい展開。主催者の石内さんはビジネスで不在であったが、皆の機転と、そして何よりも彼の一任した松田景子さんの「しきり」によって、難局を乗り切る。彼女には感謝。

出演者はいつものように多様にして多彩。前日に別用で電話連絡のあった黒井絹さんに助っ人を頼んだら快諾。電気ギターを持って駆けつけてくれる(そしてレギュラー出演者よりも早く現場で待機してくれていた)。ラッパの斉藤剛さんにも声を掛けたところ、顔を出してくれる。実に、頼もしい人々なのである。あとは、レギュラー出演者の小川圭一さん、永山、松田景子さん、えみゅさん、佐野さん、そして第3部に遅れて登場した廃人餓号さん(即興俳句、声)。

全体を三部に分けることにした。(以下敬称略)最初のセットで、小川+黒井+ナ カ ミ ゾ のトリオで始める。思いのほか、というか、推して知るべしというか、よく「合う」3人なのである。それを好しとすべきなのかどうかは、人のテイストにもよるだろうが、黒井さんと自分はかなり満足ができたのである。そのトリオに松田、永山の2人が機を逃さずに登場。

第2部は永山のプロットによる「朗読プレイ」。あらかじめ用意しておいた朗読用のテキストを永山+えみゅ+ナ カ ミ ゾ の3人で同時に読み始めるという一見ナンセンスな試み。テキスト朗読の即興性と偶然性を味わうという至ってシンプルなアイデアなのであるが、それを石内さん不在を良いことに試してみる。5人のヴォイス集団、「空・調・音・界」以来の試み。永山はこれが実に好きなのである。鑑賞者側にいた佐野さんは、実に率直かつ批判精神に富んだ反応を客席からしてくれて、正直なかなかつらいところではあったが、永山が演者側に招き寄せることでなんとかやり過ごす。その後は、小川さんがサックスで入り込んできたことをきっかけに、器楽即興の世界になし崩し的に突入。景子さんの朗読が始まると、フロアタムとシンバルを叩いてみようと思い、それを実行。

第3部は、やや演奏し過ぎのきらいを感じた自分は、聴く側に回る。最後はアルメニアのダブルリード楽器のduduk演奏を結局してしまったが、ピアノに切り替えて曲を終わらせてしまった。これには小川さんはやや不満のご様子だったが、時間的にはちょうど良かったのである(などと言えば、暴言かな)。

ライヴ後は、青梅街道沿いの中華料理店の二階に、餓号さん、黒井さん、えみゅさん、永山、そして自分の5人で打ち上げ。打ち上げの集まりとしては5人は少ないが、ここではまた、黒井さんと餓号さんが中心になって、「癒し系」「ニューエージ系」など音楽のジャンル談義が始まってしまった。究極的には、「カテゴリー」は各人の解釈の問題であり、解釈者の主観を如何に面白く、説得力あるカタチの器に盛るか、のハナシでしかない。それはそれで悪くはないが、いくら解釈してみても、音楽のあるがままの実態は、あるがままのものとして存在する。それは、何をどう捉え、位置づけたいか、享受者の希望を反映したものにすぎず、実態を把握することとは別問題なのである。

ニューエージと呼ばれて、嬉しい人がいないと言ことう(私の主張)が、いわゆる、後になって「ニューエージ」と呼ばれる音楽カテゴリーの、もっとも端的に現れる「本質」の一つだと自分は考えるが、それはなかなか分かってもらえない。第三者が名前を与えるカテゴリーから、実は、あらゆる創作者は逃れようとするものなのである。それは「ニューエージ」だけの話ではなく、「ジャズ」から逃れる、「ヒュージョン」から逃れる、「ロック」から逃れる、という感じで、名前の数だけ、われわれが逃れてきたいカテゴリーがある。「あんたの音楽はニューエージミュージックだ」と呼ばれて喜ぶ音楽家を、私の前に連れてきてもらいたいもんである。

それは、「癒し」の商品化に伴って、ビジネス上の便宜で付けられたというのが、おそらく真相だろうし、それをわれわれ鑑賞者が正面切ってそれを真に受ける必要などないのである。

それにしても、「ニューエージ」への分類というのは、実に悪意に満ちている(というのが言い過ぎであれば、「否定的感情と結びついている」)典型的分類だと思う。

即興勝手に小委員会[2]

Saturday, December 25th, 2004

土曜日。

まったく思いつくままに。

清水浩さんと望月治孝さんの2人で3つのデュオと1つのトリオをやった。この組み合わせはもちろん初めてだし、清水さんと望月さんがデュオをやったのもおそらく初めて。清水さんとは何度か顔合わせをしているが、いつもお互いに「むずかしい、う〜む」と唸って終わることが多い。全然合いにくい相手なのだ、互いに。音楽以前に、清水さんという人間に対する興味が先行しているのかも知れない。

しかし、「またやりましょう。少しずつ良くなりましょう」と約束して、また暫し後で再会することを繰り返す。実際、清水さんとは出会って5年近くなるが、一緒の音楽が少しずつ良くなっていることは確かだ。これまで聴いてきた音楽のシュミはすごく近くて盛り上がれるのに、楽器同士でなかなか「出会え」ない。今回も、自分が「待ったなし」の反応が出来ずに、全体的に鈍くなりがちだった。それでも面白いところは各所にあった。

清水さんも望月さんも私との組み合わせでスロットル全開でストレス解消するような、爆裂サウンドを聴かせてくれた。これは、互いにそう言い合っているだけの部分も「なきにしもあらず」だが、自分が含まれていなかったときのデュオが良かったと思えるのである。隣の芝生はよく見えるのである。

望月さんと言えば、サックス中心のアプローチと思いきや、当日真っ赤なギターを持ってきていて、演奏中はその楽器の「操作」にかなりの時間を割いていた。私とのデュオでサックスは吹けないのか? (え?)確かに私のピアノじゃ、サックスよりギターを弾きたくなるようなところはあるのかも知れない。彼とのデュオで、彼はそのギターを使って人間の声(言葉)を模したような部分があった。これは、おそらく最も面白い瞬間だった。平均率楽器たるピアノで、「それ」との会話が出来たように思えたのは嬉しかった。あれはじっさい笑える場面である。

自分にとっては一番楽しめたのは3人でやった最後のセットである。デュオの苦しみから解放されたこともあるが、どんどんくっついて併せてくる清水さんと全然くっついてこようとしない望月さんとの対称が明確だった。清水さんはそう後で言っていたが、私が「音楽の何を好きなのか」あらかじめ知っていたこともあって、敢えて縦の線を併せるアプローチを3人のときは採ったと言った。そうだろう。そしてそれは私には快感だった。共演者がひとりでやっている以上に、一緒にやることで普段以上のプレイが出来る、そして相手の良さを最大限に引き出そうという演奏、それを清水さんは自然と採ったわけである。単純な論理だが、それが私には有り難かった。苦しもうとして音楽をやっているのではなく、楽しもうとして音楽をやっているのである。

だが、一方「合ってしまっている2人」の出現に対して、3人目は(大雑把に言って)「それに乗る」「それを無視する」の二者択一を迫られる。これは実にフェアでない状況だ。のるかそるか、どっちでやるにしてもセンスを試される立場に追いやられるわけである。だが、望月さんの独特の方法でそれを乗り切っていたように思う。弾き続けない方法。鳴らし続けない方法。それが彼の武器となっているようでもある(今は)。

最後のセットの最後で、清水さんは「くりすますきゃろる」もどきを謡い、気持ちの良い和音の中で音を締めくくった。年の最後のライヴを締めくくるのに相応しい「終わり」だった。

その後、12月中の「1日断酒解禁日」のひとつだったこの日、ライブ後に荻窪南口の台湾料理飲み屋の「美香」に3人で行った(仕事の後の連れ合いが後で合流)。人数が少ないときはここに限るのだ。ここに連れてきた人は、必ずここにまた呑みに来る。清水さんも望月さんもこの場所を忘れないだろう。それだけの美味の皿と飲み物なのである。かくいう私も連れ合いに、2−3年前にここに連れてこられたのである。

「音楽は音なんだよ」ばなしを捲し立て、久しぶりにしこたま呑んでしまった自分はぐっすり翌朝の10:30頃まで眠ったのである。

& aspects & vol. 1/3リハ

Saturday, December 18th, 2004

という名前のライヴが翌正月10日(月・祝)にある。河合卓始さんの企画で、グレープフルーツムーンで。今回は前回のカリマタさんと河合さんとの3人に加えて、花島直樹さんというバス・クラリネットの方が入ってウィンド・クワルテットとなる。河合さん宅で今日はリハ。

終わった後荻窪で待ち合わせがあったので、6:40分頃河合さん宅を出たにもかかわらず、池袋で「まるのうちせん」という表示を見たので、「あ、だったら荻窪まで直通じゃん」と早とちりして、飛び乗ってしまった。都内の交通網というものをまるで理解していないことが露呈。7:10くらいに荻窪、と約束していて、さんざん待たせてしまった連れ合いに「バカみたい。丸ノ内線は10分くらいでつく距離を40分くらいかけてぐるっとつなげている、それを知らないの」といわれた。まったくそのとおりである。

荻窪で見つけたお酒の出ない刺身系の店を発見。お酒を避けている自分でもおいしいものを「安心して」食べられる場所。おかげでしっかり遅れて某グッドマンに着いたが、黒井さんの演奏は前半部の半分くらいが終わっていた。

単なる客だったのに、おそろしい疲労のため、まったく使い物にならず、テーブルに突っ伏して頭を休めながら聴いていた(ほんとうに聴いていたんです)が、後半の最後の回はあきらめて帰った。黒井さんの演奏を聴いていて少し頭の疲労が回復したものの、11時くらいまであそこにいるのはちょっと限界だった。清水さん、冨田さん、申し訳なかったです。清水さん、来週の「即興勝手に小委員会」は、よろしく、です。

破天空

Sunday, December 5th, 2004

今日は、現在比較的遠方に住む小川氏が実家での大事な法事を忘れていて「ダブルブッキング状態」となり、破天空に出演できなくなった。そのために、久しぶりにラッパの斎藤剛さんとのコラボレーションとなる。当の小川氏にはちょっと気の毒だが、「怪我の功名」と言うべきか、結果的には楽しい展開となった。「東京即興許可局東京即興許可局東京即興許可局」方式で、斎藤さんと餓号さん、そしてナベさんの4人から、3人を抽出して4つのトリオをやるというやりかたでライヴを行った。

廃人餓号さんのヴォイスパフォーマンスは、芝居掛かったセリフ調の語りをしていたかと思えば、感極まった調子で絶叫したり、ラッパさながらの美しいロングトーンで調性を感じさせるハーモニーを聴かせたりと変幻していく。言葉に関しては、オリジナルのテキストや、ある言葉の音(おん)から連想される他の言葉にどんどん逸脱していく即興性を感じさせる「言葉アソビ」、そしてある漫画家の「マンガの朗読」まで何が次に出るのか分からない。だが、彼のパフォーマンスには深刻になりがちな即興音楽の中にあって笑いがある。時にはシニカルなそして時にはホッとする笑いが待っているのである。

自分はと言えば、無我夢中で3つのセットをこなした感じだったが、帰宅後に録音を聴いていたら、今回のこの組合せに非常に高い可能性を感じる。これを「定期化」するのは諸事情でおそらく難しいが、餓号さんとも斎藤さんともライヴをやりたいと思った日であった。斎藤さんとは随分長いことご無沙汰していたが、また再びある程度定期的に顔合わせをしていければと願わずにいられない。

「銭を払ってでも苦しみを選べ」とはよく言った

Monday, November 22nd, 2004

辛くても後で笑えるたぐいの想い出は書き残せるが、本当の苦しみは記述にさえ堪えない。少なくとも、「癒えた」と実感できる頃までは。だが、一方、「癒えた」時は、それを忘れているのがほとんどなので、そのことは、結局記録されることはない。

だから、結果として「日記」は概ね「楽しいこと」か、「苦しくてもそれを乗り切ったという自信を反映するもの」となる。振り返ってみて、本当の辛さや苦しみを記述したことは、ほぼないように思う。実にその意味で他人にとっては何の足しにもならない詰まらない自慢話が連なることになる。

今までの私なら、この週末に味わった「苦しみ」は、何も記述しないで、あたかも何事もなかったように、心の中で反芻することもなくすませて、心が自ずから癒えるのを待ったところだろう。だがさっきも書いたように、「癒えた」ときはそれを忘れているのだから、自分にその経験はなかったことになってしまう。実に、オメデタイ性格である。

しかるに、今回の出来事は簡単に忘れてしまえそうもないだけの立ち直りの難しいと思われた精神的打撃であった。もちろん、動機がどうであれ、私の貧困な判断によって傷付いた本人にこそ打撃だったことは言を待たない。だが、良かれと思ったことがまったく裏目に出て、その「任」に対するなんらの「ねぎらい」も「部分的な評価」もなく、ただ批判された。しかも私の判断に対する自己説明(弁明)の一言さえ受け付けて貰えなかった。

それが具体的に何であったのかはともかくとして、掛け値なしに自分の成長に役立てられるような経験であったとまず記しておこう。

最初は、こんなミソを付けるだけの結果になるのであれば、こんな「任」を引き受けることはなかった、何もしなかった人が責めを受けずに、何かをボランティア的に役割を引き受けた人が責めだけを被った、なんの自分の現世的な足しにもならなかった、と自分を情けなくも思い、自分を責めもし、「任せたからには結果まで引き受けるべき」ではないかと、「任せた」ことに関する不徹底や根本的な不寛容を、あれこれ心中責めもした。だが、一夜経って、今はそう思っていない。相手の不寛容も感情的な反応にもすべて理由がある。私が誤った判断をしたことにも理由があったように。

つまり、無駄な経験というのは自分が能動的に働きかけて得たものである以上、それがどんな形で終わろうと、無駄であることはあり得ないということを学んだ。どうやって学んだのかは、ここでは敢えて説明すまい。

「風の、かたらい」

Sunday, November 21st, 2004

「風の、かたらい」アリ。

SGさん、HGさん、HMさん、他、初対面の2人を含むゲストアリ。

初めての構成まとめ役で、初めて登場するまったく予期できない出演者の配分など、現場で判断するが、心に余裕ナク、全然思うようにイカズ。それ以上に、主催者の逆鱗にフレル。また、自分の演奏にも集中デキズ、ほうほうの体(テイ)。すべて裏目裏目。その上、「自分勝手」との最高の栄誉まで授カル。

人生いろいろ、共演者もいろいろ、意見もいろいろ、の一夜。

まったくライヴやってて心底良かったと思う一夜。