Archive for October 19th, 2004

ヨーゼフ・ロートを語る[1]

Tuesday, October 19th, 2004

>> すでに三千年前の昔に「一つの国家」であり、いくつもの「聖戦」を戦い抜き、「偉大な時代」を体験したのちに、ドイツ人やフランス人やイタリア人のように、一つの「国家」であるであることが一体どんな幸せなのであろうか。異民族の将軍の首をはね、自国の将軍を打ち負かしたのちに。「民族史」や「祖国史」の時代をユダヤ人はすでに過去において経験済みである。彼らは国境を占拠占有し、都市を制圧し、幾人もの王を誕生させ、租税を支払い、臣下となり、「敵」をつくり捕虜となり、世界政策を推し進め、大臣を失脚させ、一種の大学や教授や学生を、誇り高き僧侶階級や富と貧しさと売春制度を、持てる者と餓えたる者たちを、主人と奴隷を、過去に持っていたことがあった。彼らはもう一度それを欲するであろうか。ヨーロッパの諸国家をうらやましく思うだろうか。<< (page 14)

一体この文章は誰が書いたモノであろう。実は、これは、「ユダヤ人がふたたび地上にイスラエルを欲するだろうか」と、目前まで迫り来る組織的なユダヤ人迫害を肌で感じているユダヤ人による自問自答である。書かれたのは1926-27の間。著者のヨーゼフ・ロートは、自らの民族を、支配と殺戮とあらゆるわれわれが知っている悪しき国家の制度や権力闘争というものを通過してきたことを認めた上で、それらを二度と欲するだろうか、と問うているのである。そしてその答は、「もう沢山だ」である。

始まりつつある若いユダヤ人たちのパレスチナへの入植という、シオニズムの実行部隊を指して、彼は「一種のユダヤ人十字軍を想起」せずにはいないと言う。その存在のために、ユダヤ人はヨーロッパ人の悪習を完全に否定できないと苦々しく思う。彼は続けてこう語る。

>> (入植のユダヤ人たちは)彼ら自身ヨーロッパ人なのである。パレスチナのユダヤ総督は疑いもなくイギリス人なのである。多分ユダヤ人と言うよりはイギリス人なのだ。<<

>> (われわれユダヤ人たちは)まったく新しい、非ヨーロッパ的骨相を備えた国民に生まれ変わることは、とうてい出来ないであろう。ヨーロッパの烙印がどこまでもつきまとって消えないからである。<< (page 15)

ここでロートの言う「ヨーロッパ人」とは、東方のユダヤ人を迫害する、あるいは時として東方の貧しいユダヤ人たちが憧れて止まなかった、「豊か」な、伝統破壊者としての西方ヨーロッパのことである。ロートにとってユダヤ人とは、東方に存在していた伝統社会を維持した非ヨーロッパ人の一民族のことである。その視点で捉える「進歩的クリスチャン」たる象徴的西欧人が、彼から見た「ヨーロッパ人」なのである。非常に具体的に、彼は「ヨーロッパ」という言葉を用いる。そして「イギリス人」という言葉にも似たようなニュアンスを込める。すでに非ユダヤ化されたユダヤ人が、西方ヨーロッパにはすでに沢山いるということを嘆いているのである。ロートは、自分たち東方のユダヤ人が、もともと抜き難く非ヨーロッパ的な存在であったと断っているのである。

一読してその思索の深さを感じるが、非ユダヤ人であるわれわれが「ユダヤ人について語る」ことは、きわめて難しい世の中であるが、他でもない、マイノリティであって社会の被支配層に属していた当の東方出身のユダヤ人がこのように語っていることには瞠目せずにはいられない。恐るべきパラドックスを生きなければならなかった迫害のユダヤ人が、民族や歴史について真の思想と呼ばれるに相応しい深みまで到達しているのである。

>> (世界が)いくつもの「国家」や祖国から成り立っていることが、世界の意義であることには決してならない(略)。自己の文化的特性を維持しようとするだけであっても、そのためにひとりの人間の生命を犠牲にする権利など、国家や祖国にはないはずである。ところが実際には、もっとそれ以上のものを欲するか、あるいはもっとそれ以下と言ってもよいが、とにかく物質的利益のために犠牲を欲するのである。それらは、銃後の本国を守るために「戦線」をつくり出す。ユダヤ人は、これまで生きてきた千年に亘る苦悩の全期間を通して、唯一の慰めを持っていたに過ぎない。すなわち、このような祖国を持たないという慰めだけを。いつの日か正当な歴史が書かれるときが来れば、その史書は、全世界が愛国的狂気に没頭していた時代に、ユダヤ人は祖国を持たなかったからこそ、よく理性を保ち得たと、その点を彼らの功績として高く評価するであろう。<< (pages 15-16)

現在パレスチナの地で進行しつつある自称ユダヤ人たちによる国家的侵攻プロジェクトをあの世からどのようにヨーゼフ・ロートは眺めているのであろうか。

今後、ロートの著作から多くの言葉を引きながら、民族や国家というものについて、そしてわれわれの住む社会において起こりつつあるさまざまな問題を、マイノリティの視点という視座を借りながら、自分なりに語り続けていきたいと思っている。

引用出所:

『放浪のユダヤ人 ─ ロート・エッセイ集』叢書・ウニベルシタス162

ヨーゼフ・ロート著

平田達治/吉田仙太郎 訳(法政大学出版局)