Archive for November, 2004

ライヴ・スケジュール「これから出る音」を更新

Wednesday, November 17th, 2004

「課題が見出される庭園」の更新が出来ない。ライヴ告知など、10月に更新して以来、ひと月以上、放置した状態(まま)だった。こんなblogを書いているのに、肝心なライヴ情報をアップしないのだから、まったくしょうもない。blogは、簡単に「遠隔地」でも更新できるが、FTPファイルのアップは、だんだん難しい状況になっている。まったく「個人情報保護法」め!

だが、今日は一念発起してライヴ情報を含む“音のする彫像・詠う噴水”の更新をした。やってみるとつくづく思うのだが、自分のライヴの日取りさえ、空で覚えていない。ひとのウェブを見て確認したり、グッドマンの月間プログラムで確認したり、まったく、「二次情報」で出来ている自分のライヴ告知って何なんだ? 情けない。もう少し、人に知って貰うための熱意を出さなければ。

話は変わるが、「衒学者の回廊」を公的に閉じようかどうしようか真剣に考え始めている。だが、決心が付かず。blogがその代替物になりつつあることに加え、「衒学」を公の場から「葬る」ために。現実との折衷案としては、読みたいひとだけに限定公開とするという方法も、つらつらと考えてはいるものの...。

季刊『前夜』が創刊

Sunday, November 14th, 2004

これは「本」ではない。(創刊してちょっと経ってしまったが…)

10月に「文化と抵抗」をテーマとする『前夜』という「抵抗文芸*」雑誌が創刊した。

自分は、運良く創刊に先立つ「プレ・イベント」というのに出る機会があり、彼らの「前夜宣言」を目撃していたし、高橋哲哉氏や徐京植(ソ・キョンシク)氏を初めとする執筆者や編集部の人たちの話を聞いて心底共感していたので、ぜひ何らかの形でこのグループを支持(サポート)したいと思っていた。いろいろなサポートの仕方があるのだが、「財政上」の問題で、とりあえずは向こう3年分の『前夜』を購読できるという、もっともお手軽なリーダーズ(読書会員)というのになった…

という文章をGood/Bad Books Bulletin** に投稿。

* 「文芸」と呼んで良いのかどうかは実は分からない。だが、他に自分で思いつく呼称がなかったので、便宜的にそう呼ぶことにした。「文芸」が「文(文化)および芸術:art and letters」を意味するにせよ、「文による芸:art through letters = literature」を意味するにせよ、言葉による主張を通して、他者と積極的に関わろうとする取り組みには違いない。「文芸」には、幾分「遊び」の要素があるかも知れないが、主張によって命を懸けるとき、それは「遊び半分」でなくなる。実は、本来、あらゆる種類の創作者(あるいはいかなる形であるにせよ、曲がりなりにも「文化」ないし「芸術」的な何かに関わろうとする者)が、生きている時代(の他者)との関係性抜きに表現や主張をするということはありえない。他者に影響を与える積もりのない表現や主張など、もとより意味がない。その中で、「文芸」は、あらゆる表現手段にも増して、その「芸」の機能の意味を明らかにする。『前夜』を“文芸”雑誌であると呼ぶのは、そのテーマを「文化と抵抗」とした彼らの思想を鑑みて、「文化および芸術」の意味での「文芸」に近い意味で私は言ったのかも知れない。

** こうしたリンクを張っても、通常のcgiのbbsだから、投稿が増えるに従って記事自体の位置が移動していく。したがって、後々、該当記事を見つけようとしても、すぐに見つからない。その場合、bbsの「検索」機能を使って見つけるしかなくなる。だからじきに、各記事自体が固有のURLを獲得していくというblogの方がやはり便利ということになるかもしれない。これは、「blogのアドヴァンテージが何なのか分からぬ」とぶつくさ言っていた自分に、数週間前、懇切丁寧に「blogの何たるか」を教えてくれた殊勝なる友人がいたからで、言われたとおり、ほぼそのまんま書いているのである。自分と似たような疑問を持っている人がいたら、これはタメになる知識でっせ。

ソロ・パフォーマンス「衒学のためのレクイエム 01」

Friday, November 12th, 2004

やや尚早とも思ったが、ダブルリード(オーボエとイングリッシュホルン))だけを使ったソロパフォーマンスに踏み切った。このシリーズを今回から「衒学のためのレクイエム」と名付けた。今回はライヴとその第1回を終えて感じたことを忘れる前に記録しておくことにして、「なぜ衒学を鎮魂(レクイエム)するのか」については、いつか詳述したい。

対バン出演者だけでも7人の方がいた。その上、どの方も普段から共演をしている特に「最初の立会」をして頂くのにまったく不足はない「強者揃い」であったし、人数的にも十分に過ぎるほどであった。その上、こんな私のライヴに自分のお客様だけでも数名の方々が忙しい中、足を運んで下さった。実に感謝である。ソロを了解して下さった主催者の新井陽子さんや対バンの方々にも、ここで謝意を表したい。

毎回のライヴは真剣勝負だが、今回のようにまったくひとりでスポットライトの下で演奏するのは、実に、留学中にやったリサイタルで無伴奏の何曲かを演奏して以来ではないだろうか? 確かに準備した曲ではあった。だが、純粋即興と言うよりは若干のテーマと幾つかのリフ以外は“アドリブ”パートとも言うべき手法が殆どの上、曲の長さも予想できない中でのソロ・パフォーマンスだったので、正直実に緊張した。その緊張が「聴者にとっての不快な緊張」ではなく、「音楽によって起因される心地よい緊迫感」となるように、まだまだ精進しなければならないのである。

自分では録音を聴いて、良くも悪くも「なるほどこういうことか」とやや客観的に今回の演奏の質を省みているのであるが、ライヴを現場で体感した人々が、おおむね好意的に?受け止めてくれたようにも感じており、今は救われている。今後への展開を考えると、続けられそうな...というか、「続けなければならない」一つのプロジェクトとして確定したと思う。今後の展開を思うと実に楽しみなのである。

ひとりで自宅でリハしているときは、気持ちもリラックスしているので、アドリブも結果を余り意識せず、より自由に奏でられるように感じるのであるが、ライヴ本番では決まったフレームの中で、よりよい結果を、「出た所勝負」で決めていかなければならないと、未熟故に自意識過剰になるので、四面楚歌のプレッシャーの中での演奏になる。こうした、ある程度決まった枠の中での音楽というのは、譜面化された古典楽曲に取り組むのに近い難しさがある。それをこのたび深く実感した。

ディレイを使うことについては、純粋器楽演奏を至上のものと考える向き(そんな人がいまだにいればの話だが)には抵抗もあるだろう。それは仕方がない。しかし、私はこの際、他人がどう思うかと言うことは考えずにこの道をしばらく追究したい。装置を使いながらも、その目的はギミックや小手先の勝負ではなくて、装置を楽器の一部として自由に使いこなせば、音楽的な説得力を持つ。これは、ディレイを使ったソロ・パフォーマンスの大御所であるエバハルト・ヴェーバーがすでに実証しているし、自分でも遅かれ早かれ実証できることだと信じる。「装置を使うことの是非」ということは、観念上あれこれ言うことは出来るだろうが、大事なのはそれについて言葉で何が論じられるか、ということではなくて、現場で音楽が出来るか、という実践上の問題でしかない。実践している人たちにとっては「言わずもがな」に自明のことであろう。

さっそくあるお客様は「ディレイ装置も楽器なんだな(肉体的修練が必要)と再認識できた」とメールを下さった。これは、「この僕に肉体的修練がもっと必要」という意味ではなくて、「なるほどそうか」とライヴを観て思って下さったことであると、わざわざ断っている。つまり、楽器としてのディレイ操作というのもいろいろな課題があるのだ。

■ ループしてしまう「カチ音」について

今回の反省点のひとつは、ディレイスイッチを踏むときの「カチッ」という音を楽器付近の2箇所に用意した高感度のマイクが拾ってしまって、それも一緒にループしてしまうこともあった。自宅でリハしているときからある程度は気付いていたが、それが演奏会場で、あれほどの大きさで「再生」されてしまうことは、やってみなければ分からなかった。それに、それが気になる人も気にならない人も同程度の人数いた。自分は、単にペダルの踏み方に慣れていないだけと思ったが、ひょっとすると、確実に踏もうとすると、どうしても避けられないことなのかも知れない。とすれば、装置のスイッチ部に何か「カチ音」を和らげるフェルトのような緩衝材のようなものを噛ませる必要があるかもしれない。

このスイッチは、おそらく踏んだことがはっきり分かるようにバージョンアップによって敢えて新規採用されたものだ。だが、ラインで集音するエレキギターやエレキベースなら問題はないだろうが、アクースティック楽器の音をマイクで拾うということになると、無視できない要素となる。

しかし、そんなメカニカルな問題よりも、ディレイスイッチの踏み間違いは今やっているようなアプローチを続けようと思う限り、致命的であることは確かだ。スイッチのうるさくなく、しかも確実な操作というのはどうしても必要だ。

■ 演奏中の<構え>について

管楽器を座って演奏するときの<構え>というのは、僕の連れ合いがいつも指摘するように、演奏上、非常に重要なファクターであることは最近自覚が深まっている。足の開きや足の裏を地面にしっかり付けること、そして椅子にどのような深さで腰掛けるかなどは、浮つかない落ち着いた演奏をするには、実に研究の価値があることなのだ。それが、ペダルを足で操作するというファクターが加わるので、どうしても解決しなければならない。

■ リターンするループ音とリアルタイムの音について

そして、ディレイのループでリターンしてくる音の大きさと、実際に演奏しているときのリアルタイムの音量の差をどの程度付けるのか、というのが考えなければならない、より大きな課題だ。ライヴ会場では、楽器そのもののマイクを経由しない生音も聴者に聞こえているはずだが、今回ミキサーからライン取りした録音を聴いてみたら、その二つの音の間に差がないので、あれが会場で聞こえていたのだとすれば、あきらかなミキシング上の失敗である。仮にどんな良いアドリブを演奏しても、あれではリターンしてくる音量に負けてしまう。

リアルタイムの音量とループの音量の差をどうやって付けるかと言うことについては、設定と演奏中に楽器をどれだけマイクに近づけるか、という両面で解決可能だ。ループ音の音質を「痩せた」ものにしたくないという心理で、ループ音もめいっぱいマイクに近づけてしまうと、ループ音はリッチになるが、今度はリアルタイムの音との差が付かなくなってしまうというディレンマがある。これも、フット式のヴォリウム・ペダルの採用で解決可能かもしれないが、その前に、機械に頼らないなるべくシンプルなやり方でどこまで解決できるか試したい。

以下、いつもライヴ直前に配信している「告知文」を記録のために張り付ける。

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チェチェン大虐殺

Thursday, November 11th, 2004

Archivelagoドメイン内世相批評サイト、窒素ラヂカルの『正論・暴論』に新しい記事が掲載された。ロシアはチェチェンで何をしてきたかこれはおそらくチェチェンで起きていることのごくごく一部に過ぎないと思われる。

一体、人間は同じ人間に対してどんな残虐を成すことが出来るのか。米海兵隊による「ファルージャ大虐殺」にしても、ロシアの「チェチェン大虐殺」にしても、60年前の出来事ではない。現在進行中の狂気である。

人間が真の「仁の精神」(compassion)を身につけるのはいつの日か。それまでに、人類は一体どれだけの残虐に手を貸さなければならないのだろうか。

任侠か、仁侠か

Wednesday, November 10th, 2004

実は、いろいろな媒体でも「にんきょう」のことが現れてきているような気がするのであるが、そのスペルに「任侠」というのがあるのに気が付いた。それで、ちょっと慌てた。自分の「仁侠キネマログ」というのがミスペルなのかと早合点したからだ。それで、某検索エンジンで調べた。

【検索結果】

任侠(24100件)

仁侠(6430件)

数の上では「任侠」が「仁侠」の4倍もある。さて、どちらが「正しい」のか? と思って、職場の事典(広辞苑*)で調べたら、両方とも存在する。意味は「弱きをたすけ強きをくじく気性に富むこと。また、その人。おとこだて」とある。仁侠を「おとこだて」とするのは、こうした気性が男の特質(あるいは男の持つべき徳)だと決めつけている感じで抵抗があるが、「弱きをたすけ強きをくじく」というのは、「仁侠/任侠」の定義としてなかなかいい。

(* 広辞苑を権威として信頼しているということではなくて、職場には広辞苑しかなかったから。)

「任」の意味は想像できる。「まかせられた職分・役割」と言ったところだろう。しかし、「仁」の意味は?と訊かれたら...

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「減量ログ」というカテゴリを作った(単なる自慢)

Monday, November 8th, 2004

「最低半年の断酒!」を親しい知り合いのほとんどの方々に高らかに宣言して、早2ヶ月(もとい、まだ2ヶ月)。この「期間限定断酒」とほぼ同時に始めたのが減量であった。だが、他人の減量の話など、たぶん誰も有り難がりはしない。しかし、「5週間で5キロ、7週間でほぼ7キロ痩せた」と言えば、くるっと振り返って「え、どうやって?」と訊かれるのである、けっこうね。

しかし、ここまで旨くやってきたことが、今後もそのまま続くことを意味しない。このペースであと77週間減量を続けると体重はゼロになるし(笑)。

結婚して3年、僕の体重は「順調に」増えつつあって、このジョークが暗に示すように、7週間前の僕の体重は「相当に立派なもの」に達していた。駅のプラットフォームに駆け上がるときに息切れはするし、ここ1年以内では、ひどい足の捻挫もしていた。

さて、減量のペースだが、おそらく驚くには当たらないのである。ものすごく太った人が、ただしい減量を実行すれば、ものすごく速いスピードで痩せることは想像しやすいだろう。つまり、「5週間で5キロ」とは言ったが、一体、総体重何キロに対する「5キロ」なのか、が大切なのである。体重が多すぎる人は、ある意味、目方上では痩せるのも簡単だと思う。だから、私の体重のほぼ半分しかない連れ合いが、もし仮にダイエットに挑戦したとして、「5週間で5キロ」のペースで痩せていったらおそらくヤバイのである。私の半分の体重の人間は、「5週間に2.5キロ、7週間でほぼ3.5キロ痩せた」でも良いわけである。

そして、いま痩せつつある自分も、総体重そのものが減っているわけだから、昨日より今日、今日より明日、と痩せるペースが遅くなっていかなければならない。1週間に1キロなどというペースを維持できるはずがない。理想の体重に近付くほど、減量のペースは落ちても可笑しくはない。

だが、なにより、「何をやって減量したのか」というのがミソなのである。そして、ダイエットに関心のある皆さんの聞きたいところであろう。

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3人で1台のピアノを弾く

Sunday, November 7th, 2004

【3人で1台のピアノを弾くこと】

河合拓始さんの「Piano Real シリーズ」第1弾に、連弾ピアニストの“ひとり”としてゲスト出演。渋谷の「公演通りクラシックス」にて。3部構成に分かれている今回のライブの第3部で、「一台のピアノを3人(6手)で弾く」という、一見、突拍子もないバカげたアイデアだが、それを河合さんが考えた(実は彼がそれを思いついたのは、前回のGrapefruit Moonでのwind ensembleライブの直後だったのだが)。そのゲスト出演オファーに対して、もう1人のピアニスト、新井陽子さんと、兼業ピアノ弾きの僕が、「やりましょう」と引き受けたのである(モノズキにも)。

横長のピアノ椅子を二つ並べ、ベンチのようにして、それに無理矢理3人で「メジロ押し」状態で座る。僕は二つの椅子の割れ目の上だ。真ん中のピアノ弾きだったからだ。おそらく視覚的には、それだけで「かなり笑える」はずである。その3人が、神妙な顔をしてピアノを弾くのである。(それは、3人のビデオクルーによって3台のビデオカメラが捕らえているはずである。)

分かりやすい構成要素。それを時間軸に沿って並べただけの、実にシンプルなプロット。であるが、それを3人がマジメに取り組むところが、まず見ていて面白かったはずである。特に、3人の腕が交差し、鍵盤を奪い合う所なんか...。

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金曜から土曜の「夜を駆ける」ろまんす

Saturday, November 6th, 2004

仕事の帰りに、海を観たいという連れ合いと待ち合わせをして、泊まりがけの「小旅行」をした。今から思えば出だしから無謀だったが、まったく何のプランも立てずに、とにかく三浦半島の三崎口まで行ってみようと、普段乗り慣れていない京急線の「特快」に乗る。その時点ですでに21時24分。久里浜行きしかなかったが、そこに着いてみると三崎口行きの電車が連絡待ちしている。それに乗り継いで23時近くに三崎口に到着。電車に乗ってから1時間半ほどしか掛かっていない。だが、こんな時刻に電車で三浦半島まで「観光」しに来る酔狂はいないらしく、駅の外も人がまばら。周りは暗いので一体どこに海岸があるかも、果たして宿泊するような場所があるのかも、まるで五里霧中。

バスを待つ数人の人がいたので、その辺りをうろつきながらどうするか思案する。とにかく、駅の周りには何もない。国道を適当に歩いて「いかがわし系」の宿泊施設のひとつも見つけようかと思ったが、駅前の地図をみて、思いのほかどの海岸にも相当の距離があることを知って一瞬唖然とする。最低でも直線距離でも1.5kmは歩かなければならない。しかも、主要幹線道路は海岸線に面してもいない。それでは風光明媚な宿泊所も期待できないではないか。

まだ「油壺」を通るバスがあるのを知ったので、とにかく気を取り直してそれに乗ることにする。もう少し観光地らしき場所まで辿り着けば、何か情報もあるだろうと期待したのだ。バスの中で彼女は緊張していて、空いた席に座ろうともしない。油壺を通ったときは、バス路線近辺に宿泊できるような「施設」のネオンもない。とりあえず、乗っていたら三崎口駅付近よりもっと暗くて、右も左も分からない終点(三崎東岡)に着いた。

とりあえず海岸を観たいのか、宿泊場所を確保するべきか、それさえも判断が付かずに幹線道路を右往左往していたら、さるタクシー会社の「詰め所」が煌々と明かりを付けていて、10人ほどのヒマを持て余した運転手たちが待機している。この期に及んで相変わらず港がどうのとぶつぶつ言っている連れ合いを無視して、宿泊場所の確保を優先することを決意した。タクシーを出して貰い、「油壺辺り」というあいまいな指示をして、とにかく「街を目指して走って貰う」ことにした。

そして、「宿泊できるよーなトコロはありませんかね」と落ち着き払ってドライバーに尋ねた。一瞬、運転手さんはあっけにとられたような沈黙をしたが、油壺にあるという何軒かの観光ホテルを目指して走ってくれることに。2箇所のホテルのロビーに寄ったが、「満室」。そのたびに僕は小走りにタクシーに戻った。その内の1件(民宿)には、親切にも運転手自身が当たってくれたりしたが、「やっぱり時間が遅いですからねー」と言って運転席に戻ってくる。

僕たちとしては、どんな種類のホテルかは問わなかった(最初から)。運転手の立場でいきなり「その手の宿泊施設」の前に止めて、「さ、着きましたよ」というのはサスガに気が引けるらしい。それで、「どんなところでも良いんですよ」とこちらからそれと分かるように念を押した。そして、ネオンのあるところを通過したときに、「あすこはどーですかねー。空いてるんじゃないですか」と促してみると、「いいんですか...」と運転手さん。「(こんな時間にこんなところをウロウロしている僕たちには)選択できる立場じゃないですからね。ちょっと戻ってみて貰えますか?」

すると、運転手はこう言うのである。「あすこは汚いっすよ。」ほう、きれいじゃない? 知ってるんだ...。それで、「三浦海岸の方はどうですか」と試しに訊き返すと、あるという答え。10分くらい走れば着くと言うし、まだ走行距離もまだ大したことはない。「そこいいっすよ」。そうして「そこ」に大いに期待して走って貰うと、美しい三浦海岸から房総まで見える東京湾の夜景が高台から見えてきた。すでに来た甲斐があったと言いたくなるような景色。

ほどなくして到着した「宿泊施設」は、海岸の波打ち際に面していて、とてもその手のものとは思えないような理想の立地条件なのである。しかも、ご存知の通り、この手の「素泊まり」は観光旅館や民宿よりはるかに「リーズナブルなお値段」である。期待に胸を膨らませて部屋に行く。

レースのカーテン越しにバルコニーが見える。そこでは、優しく絶え間ない波音がすぐ下に聞こえる。薄い雲の隙間から下弦の月が赤く輝き、海面を青白く照らす。遠く海岸線には明滅する夜景。そして月明かりにうっすらと照らされる静止したような遠くの大型船。まるで、正確に「ここに泊まるため」に無謀な小旅行を企てたかのようであった。

共犯者になってくれたタクシードライバーにはお礼を言いたい気持ち。サスガ地元の人!

部屋の作りもプロバンス風を装った簡素なもの。まったくケバくない。

薄ベージュの木製のフレームに入った鏡。



貝殻?をあしらったセンスのいいベッドサイドの装飾。たっぷりアロマの入った、ゆったりと身を横たえられる湯船。有線からはドヴォルザークの熱いピアノ五重奏が聞こえてくる。
そして…。

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自分の位置 (in terms of what?)

Friday, November 5th, 2004

>> むろん、自分の「位置」を見定めたからといって、それで何かが大きく解決するわけではないんだけど。でも、日常、社会的に、時間的に、つねに「自分の位置」を確かめているように、自分が地上の「どこにいるか」を確かめたい、という抜きがたい衝動が僕らにはある(いや、あんまり関心のない人も多いみたいだが、経験的に、20人に1人くらいはそういう欲望を持っている人がいる)。これは実は、わりと根源的に、僕らの自己同一性に関わってくるくらいの「衝動」に思える。「地図好き」は、日本で初めて「茫漠たる座標系の上での自分の位置を確かめつつ」列島を一周した伊能忠敬から連綿と続く、「地表系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「伊能組」。<<

「20人に1人」というのは、コリン・ウィルソンも言っているような、人類の約5%位のひとがソウだというアレみたいだな。(← 何のことかすごく分かりにくい)

その確率論はともかくとして、自分はその1人に含まれるのかというと、正確にはソウではないのかもしれない。だって正直言うと、地上の「どこにいるか」というのには、自分はあまり関心がない。だが、ある種の「自分の位置」には関心がある。たとえば、「(政治)思想的な位置」とか(笑)。だが、それよりもなによりも、一番関心があったのは、おそらく「時間的に」というヤツだろう。もっと言えば、「終わり」と「始まり」のある有限な人類史(歴史)の中の、どのあたりに自分がいるのか、と言うようなことだ。そして、それがありありと見えたことがある。

どうして、それが見えたのか。「見たかったから」だろう。それは、いしかわ風に言うと、根元的な自己同一性に関わって来るくらいの「衝動」だった。今はちょっと違う。見えたものは、もはや隠せない。フタはできない。だが、それを常に確認したいとは今は思わないのだ。

パロディ:「歴史好き」は、ギリシアで初めて「茫漠たる時間軸の上での自分の位置を確かめつつ」歴史を一望した古代ギリシアの歴史学から連綿と続く、「時間系の系譜」の末端にいるのである。名付けて「ヘロドトス組」。

幕末残酷物語

Wednesday, November 3rd, 2004

叙情と忿怒」と題した脚本家・加藤泰の映画特集のひとつ、「幕末残酷物語」を阿佐ヶ谷ラピュタで観る。

仁侠映画の脚本家らしいが、新撰組を取りあげているのが一見異色。しかし、考えてみれば何の不思議もない。倒幕を図る薩長の殲滅を画策する「外に向かう暴力」の組織が、組の内部へは、ほとんど恐怖政治に等しい「法」と統制を敷いて、その「機動力」を保持していたからだ。そうした、暴力装置の当然持っている残酷な側面などは、「仲良しグループ」として大河ドラマで描かれがちな「新撰組!」には出てこようはずもないもの(おそらく)。

芹沢鴨がどうやって死に、一方、その後の世の中で一部の人々の間で英雄化された近藤勇や土方歳三が、その地位を如何にして我がものにしたのか、という暗黒面を描く。

一見、新撰組を舞台とした「青春群像」みたいな劇映画かと思いきや、後半から主人公の存在感がぐっと増し、一気に、「ひとりで斬り込む」復讐仁侠ものとなっていくところが、この映画の見所。

(加筆予定)