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映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』

Saturday, December 11th, 2004

チェ・ゲヴァラの学生時代のバイクでの冒険日記をベースとした映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』を劇場で観る。11月中に一度恵比寿の映画館の前まで行ったのに満員で見ることができなかったもの。1ヶ月半以上前にMから借りた原作はとうに読んである。この日は珍しく午前中の輝かしい朝日を拝みつつ、起床することができたので、きちんと「朝食」と名のつくものを食べ、コーヒーを飲み、午前中の回(11:00)を並ぶことにしたのだ。そしてそれは思いのほかうまくいく。

この映画に限らず、原作との違い、みたいなことを論じてみてもはじまらないことは分かっている。映画は映画だ。原作に忠実であることが立派であるわけでもないし、原作と違うことで映画として面白いものなどは沢山あるし、その逆もある。だが、自伝などを基にした作品はどこまで脚色ができるのか? ここには監督や脚本家の倫理とかを問いただそうというような無粋な「原典忠実主義」を披露するつもりはないのだけれど。

だが、まさに革命家ゲヴァラの若い頃の冒険箪を、イメージの先行した革命家像と「離れたもの」としていかに描き、読者に届けるか、というところが「モーターサイクル日記」の出版の眼目のひとつであったと考えれば、いかに革命家と離れたゲヴァラがこの映画で描けるのか、というところに自分は興味があったのも確かなのである。そして、その点に関して言うと、ガエル・ガルシア・ベルナルというゲヴァラ役の俳優は、とても納得のできる配役だったと思う。つまり、内向的で繊細な「喘息持ち」の青年のイメージとして相応しかったという意味でである。

原作の「日記」自体が、どきどきするような二人乗りバイクによる実際の旅の顛末を反映しているわけではおそらくなく、日記というもの自体が事実を反映していると考えること自体にすでに疑問がある(このblogだってそうだ)。それを裏付けるように、一緒に旅をした道連れのアルベルトも、この旅の回想録をなんらかの形で残しているようだが、同じ事件を扱った記述がすでにゲヴァラのものと違っているとさえ言われている(訳者による「あとがき」による)。視点が異なれば、ものの見え方が違うなどということは、いまさらことさらに言い及ぶほどのことではないだろうが、日記さえ「作品」として原作者の手を離れれば、さらに異なったものになっても不思議はないことの一例だ。

正直言うと、原作の「日記」自体が最初に予期した印象よりはるかに地味で、思ったほどおもしろおかしく書かれているというような感慨を持たなかった。加えて、文章自体が執筆活動を専門とする文学者のように練られた文体でもないので、どちらかというと、読みやすいものではない。非常に独特の語り口を持っていることが想像できる。おそらく翻訳者も頭を抱えたであろうところが何ヶ所もある。それは翻訳が不味いとかいうことではなくて、おそらく不可能なのだ、あれを訳することなど。

それにしても、やはりというか、この脚本家もこの「ダイアリー」を映像化するに当たって「革命家としてのゲヴァラ像」と日記の作者を結びつけないでは済まさなかった。「ダイアリー」自体が、革命家像と結びつけて読むとやや拍子抜けするような内容だと本書を日本で紹介した訳者自身が断っている。たしかにそうだ。それでも、この旅がゲヴァラにとって大きな体験であった以上、後にその経験が革命家になっていくゲヴァラに「影響を与えていない」と考えることにこそ、もちろん無理がある。だが、言い方は悪いが、この映画ではこの旅が「後の革命家ゲヴァラを作る主たる原因であるかのように描く」という脚色上の誘惑に、ものの見事に負けている(べつに負けても悪いわけじゃないんだけどね)。そして、おそらくそれ以外にこの原作を映画化する理由も動機も方法もなかったのだ。

つまり、それが映画を見ようと思う人々の「観たいモノ」に応える制作者の抜きがたい傾向なのだ。

むしろ、革命家ゲヴァラが「そうなって」いく直接の原因というのは、このモーターサイクル冒険を終えて何年か経った後の「何か」、しかも「活動に参加する直前の何か」であって、その点については、原作の「日記」には何の片鱗もない。それは、本人もそう断っていたはずだ。

理由もある。そうした本当に大事な「何か」は文章化できない。するヒマもない。それほどかように「大きな出来事」は本人を恐ろしく多忙にしたはずである。しかも、それはある種の暗合がばたばたと連鎖的に起こり、それも一見行き当たりばったりに動いているようにしか見えないものであって、多分に言語化するとものすごく「詰まらない理由」だったりするかもしれない。おそらくそれは「単なる運命の悪戯」だったかもしれない。同じ旅をしても、その「詰まらない理由」と「本人の世界解釈の思い込み」がなければ、案外革命家に生まれ変わることはなかったかもしれないのだ。だが、それをどうやって「あの地味な日記」から「面白い映像」に変換するのか、それが脚色家や映画製作者の追求するべきテーマとなるのは、まったく理解できないことではない。

だからということでもないが、若いゲヴァラたちが通った道中を映画に携わった人たちがカメラで辿っていくことで、おそらく「現場での出会い」のような連鎖があったとボクは想像するのだ。この映画は、作っていく間に、ゲヴァラの目から見た当時の人々の表情を、現代にそのままに映像として捉えることができるということが製作者達によって悟られた時点で、「革命家像と切り離されていないゲヴァラ像」、あるいは、その片鱗を描くための口実と化すことに決まったのである(きっと)...

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