Archive for December 13th, 2004

Day 2

Monday, December 13th, 2004

格闘二日目、と言いたいところだが、日中は「仕事」をしているので、もちろん「作業」は帰宅後だけ。

結局、PowerBook G4のHDDを「パーティション*」で区切ったり、OS X用の新しいFirewallを入れたりすることにしたので、日曜日に実現した「すべての設定**」を泣く泣く一旦おシャカにすることに。

* パーティションで自分のMacのHDDを区切るという使い方は、10年以上前、IIsiを購入したのと同時期に1GBのハードディスクを「時代に先駆けて」入手したとき以来。異なるバージョンのOSでMacを立ち上げたりすることが頻発したことと、HDDが区切られていることで、大きなハードディスクの最適化や問題の発見等をするときも、いちいち「フロッピー」などを起動ディスクにせずともパソコンを立ち上げて作業することができた。また、パーティションの1区画だけなら、Norton Doctorなどでスキャンを掛けたりするときも、必要なHDDのセクションだけをチェックするので、HDDが分けてあると色々な点で便利だと思っていた。

** 比較的単純なメールソフトやネットのTCP/IPの設定といった「生存に必要なもの」から、Wireless MouseをPowerBookに認識させたり、AirMac Expressでネットにつないだり、プリンターからワイアレスでプリントアウトしたり、オーディオアンプからiTuneラジオの音をHi-Fi再生したりと言った、ほとんど「不要!」と世間様には呆れられるかもしれないような、もろもろの「贅沢」を可能にするおバカな設定すべてのこと。

設定が完了したばかりのパソコンのSystemフォルダやあれこれのアプリケーションなどをDVD discに全部バックアップを取るというような一見「brilliant idea!」も、気が遠くなるような永久に思われるほどのDVD writingに掛かる時間の長さと時計の針の動きの速さ恐れをなした。というか、ただ待っているということが“針のむしろ”に座っているような苦痛でしかないのだ、この時期は。これは、ほとんど病理学対象的な症状である。しかも何かしながら待つということができないくらい「画面」に去来することに注意が向いてしまっているから、結局本に目を通すというようなこともロクにできない。「ノイローゼになっている」と連れ合いに指摘されるほどの神経質さだ。だから、ほとんど何もすることができない状態で、画面をじっと眺めながら数十分の間、Macのbaby-sittingをし続けるしかないということになる。

何度もbackup作業を「このまま続けるべきかアボートするべきか」に逡巡したあげく、やはり「すべての設定」ごと、OSを最初から再インストールすることに決めた。別に1年掛けて築き上げてきた複雑な設定をおシャカにするというのではない。前日「たった1日」掛けてDay 1にやったことである。それなのに、理解した上で旨く行ったことも、なんだか知らないが偶然旨く行ったことも含めて、それをおシャカにするのは非常に辛かったのである。

一旦HDDを白紙に戻すことを決めたのがもう夜10時半を回っていた。パーティション設定の方法がOS 9のときと勝手が違う。なんども同じ動作を繰り返したりしながら、やっとパーティションができあがる。これですべてHDD上のものが白紙になった。さて、再インストール。それにまた時間が掛かる。巨大なDVD-ROMで提供されるデータ量である。時間が掛かるのも当然である。

思ったよりOS Xには慣れそうであるが、まだ新しいGUIの動きに戸惑うところがある。さっき「開いていたもの」が、一度閉じると、そもそもどこに在ったものなのかが容易に分からなくなる。バカみたいにキーワードを入れて検索して捜したりといったことも繰り返す。ブラウザを使っているときも、たいして早いとは感じられない。テキストのスクロールも然りである。やはりOS Xは重いのであろう。

しかし、そんなことよりなによりも、OS Xは、「パーティションを切らない方が速度が速い」などという記述を何かで読んだ。いまさらいうなよそんなこと。またパーティションを白紙に戻すか。まったく、何をしているんだろうボクは。

手紙

Monday, December 13th, 2004

Aquikhonneさま

(おっ。新しいメールソフトからメール書いてきてるじゃん! やったね。)

あたらしいOSに切り替えるときは、いろいろな不便があります。私もどうしようか実はとほーに暮れています。前のバージョンのソフトでしかできないことも無数にあるので、私の場合も影響は甚大です。まったくアップルも「おつ」なことをやってくれます。こうやってパソコン会社だけは新規需要を自ら造りだし、利益を確保していくのです。マイナーなOSバージョンのアップデートの場合、古いソフトも新しいOS上で「走らせる」ことができるのが普通ですが、今回の9から10への以降は、ほとんどのソフトを置いてきぼりにする過酷なものです。プラットフォーム(基礎)自体のプログラム形式の変更なので、「古いソフトが全然走らせられない」のです。他にも色々理由はあるけど、これが主たる理由でボクも長いことOS 9で頑張ってきたんですね。でも、さすがにもう時間切れです。世の中がどんどん新しい方に切り替わっていく。世の中で追従するのはいやなことはたくさんあるけど、こればかりはもう追従します。禁断のリンゴ(アップル)をかじってしまったからです。これで私が機種を変えるくらいだから、相当の人が新しいパソコンとソフトに再投資することになっていると想像できます。う〜む。

だから、どうせやるなら再投資に相応しい「大変革」で、しかも切り替えで生じる不便を相殺するくらいのメリットがないとやる意味がないことは確かです。そんなこともあり、「超便利」にしないと気が済まないので、正直、ファイナンシャル的にはちょっと無理をしている自覚もあります(まったくあきれるね)。ただ、中途半端な変革は却って不便が残るので、今回は、思い切って新しいアップルの戦略に「がばー」っと、乗ってみることにしたのです。

さて、Aquikhonneさんのメールのことですが、「送信済み」のアイテムが今のままでは出てこないことは知っています。受信ファイルが新しいメールソフトの方に出てきているのは、遠くにあるネットサービス(リンククラブ)のメールサーバにまだAquikhonneさんのメールが残っているからです。それを昨夜全部パソコン内に読み込んできたから、画面上に表示されているわけです。でもAquikhonneさん送った方のメールは、仕組み上、自分のメールサーバに残らないので、あそこに出てこないわけです。ただ、旧いメールの内容は、Aquikhonneさんのパソコン内にはあるので、まったく参照できないわけではありません。ただ、技術的に、今回の新しいメールソフトに読み込んでくることができるのかどうかは、いまのところ即答できません。できたらいいと思いますが、ちょっといろいろ研究する必要があります。だからちょっと待っていて下さい。

今日Aquikhonneさんが見ているメールソフトは、今まで使っていたものと「見た目」だけが変わったのではなく、OS10用の「まったく別のソフト」なのです。意味は分かりますか?

 

これもちょっとボクの研究が必要なことなのですが、新しいOS 10上にOS 9を上から載せて、「画面上に表示してみせる」という機能があるらしいです。OSの二層構造です。これは、新しいOSに切り替えても、古いファイルやソフトを使う必要があるひとがまだ世の中に沢山いるので、アップルが苦肉の策で作った機能です。これで表示された画面は、「クラシック環境」と呼ばれるものらしいです。つまり、時代は変わったけど、「古典」的な画面を表示してみせられるわけです。「大きな扉(OS 10)」に付いた「小さな窓」から、昔の自分(OS 9)を覗き見るみたいな、いわば「退行催眠型パソコン」機能もあるわけです(笑)。

あ、この書き方って初心者向けパソコン雑誌のライターみたいだね。こういう「作家」なら、今とあまり変わらないからゴメン被りたいけど、Aquikhonneさんのためなら書くのは楽しいです。

とんちんかん