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中国“英雄”譚としてのキャンデー物語「功夫 KUNGFU HUSTLE」

Thursday, January 20th, 2005

■■■ ネタバレ警告!■■■

一見弱そうな者、一見普通そうな者、一見醜い者たちが、見た目からは想像できない能力を持っているという前提。また、本当に能力のある者は、市井に混じって普通の生活をしているという前提。だが、ひとたび本当に必要が生じれば、その「能ある鷹」達はその「爪」を見せる。そうした形式をしっかり踏まえている。そこには、監督が誰の側に立つのかを明確にする姿勢がある。

つまり、映画「功夫」は、貧しい人の中から英雄が出てくる、普通の人が超人的能力に目覚める、しかし戦わないことが最も尊いという、おそらく中国では通例となっている物語の描き方、英雄譚の形式をしっかり踏まえているのである。「弱きを助け強きをくじく」という、いまでもわれわれこそが見たいと思っている勧善懲悪のパターンが立派に採られる。主人公が「悪に与すること」を決心しても、その人間の本質は善であれば変わらず、あるいは悪に与することが出来ない人格が最終的に勝つという内的な「善悪の闘争」がスターウォーズなみに描かれるのであるが、しかし、あくまでも庶民がその「懲悪」に目覚めるというアプローチである。

映画『カンフーハッスル』に出てくる侮れない「キャンデー」の象徴

そして、物語には全編を通底して出てくる象徴がある。主人公が少年時代に“授かった”「ある拳法の奥義書」学んで得た力を試そうとして、イジメられている口の利けない少女を助けようとするところで、その象徴は登場する。その少女は「キャンデー」を悪ガキ達から「奪い盗られ」ようとしている。少女はそれを必死で「守る」。少年は助けようとしてまったくその奥義書から得た技が効かないことを悟る。それどころか、反対に大勢の苛めっ子達から身も心も、ずたずたにされる。少年の「悪へ帰依しよう」とする決心は、まさにこの瞬間までさかのぼるのである。実は、彼はケンカに負けながらもここで少女と少女の「キャンデー」を「守った」のであるが、プライドをはなはだ傷つけられた少年はそれに気づかない。少女は、さっそくその守り通した「キャンデー」を少年に「捧げよう」とするが、自尊心を徹底的に傷つけられた少年はそのままその場を去り、少女の「キャンデー」はそのまま少女の大切な宝物入れに仕舞われる。そしてそれはその少年との再会だけを待っているのである。

街でアイスクリーム売りをする女が、まさにかつて少年時代に助けた少女であることを知らない主人公は、そうと知らずにその貧しい女からなけなしの金を奪うという「ちっぽけな悪」を実践しようとする。しかし、それは彼女との再会のために用意された宿命であって、彼女は強盗が探し求めていたかつての「正義漢」であることを見抜いている。そこで、彼女は古いキャンデーを、唯一のIDカードとして彼に「差し出す」ことで、自分が誰であって主人公が本当は何者であるのかを思い出させようとする。しかし、彼は「悪に身をゆだねる」決心をしているのであって、そのキャンデーをはじき飛ばす。少女の差し出したキャンデーは四分五裂する。

大詰め近くになって、悪に完全に魂を奪われている「いまのところ最強の悪役」によって、主人公が死ぬほど叩きのめされて動けなくなっても手だけが動く。そして自分の血糊で地面に描くのは、少女の差し出したキャンデーの図である。その象形文字のような絵を見て、助け出した者は「意味が分からない、ちゃんと中国語で書けよ」と嘆く。この「象形文字」は、明確に普遍的且つある特定の意味、しかも死に瀕している人が遺そうとするにふさわしいメッセージをコミュニケートしているのだが、それを映画ではすかさず「笑い」にして、ゴマ化す(それを正面切って詠い上げることは恥ずかしいことだからである)。

力(能力や才能)ある者こそ、それを隠し、市井で庶民の姿をとって普通の生活をしていかなければ、制御できない無知蒙昧な「力の発揮」がおこり、競争が起こり、結果、争いが絶えなくなる。こうした「暴力の連鎖」という抜きがたい「力の法則」をどう扱うか、という中国思想上重要なテーマがある。「戦わずして勝つ/負けるが勝ち」というのに関連がある思想なのだ、これは。

面白いのは、こうした「拳(こぶし)を防衛の道具とする」という武道の奥義書を売り歩いているのもまた、ホームレスに身をやつした「半ば物乞い」の賢者(サドゥー)であり、またグルジェフ風にいえば、第四の道の実践者でもある。

主人公が、最後の死闘を生き延びるのは、香港娯楽映画である以上、当然である。これはあくまでも英雄譚なのである。それは観る前から分かっている。だが、重要なのは、主人公が最も強い拳闘家であることが証明されることではない。勝利後に、その主人公が身をやつす「市井の人」が何であるのか、なのである。そして、その答えは…

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