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競馬がこんなに…

Thursday, February 3rd, 2005

映画『シービスケット Seabiscuit』を観る。こんなに良いんだったら映画館で観ときゃ良かった、と心底後悔。

動物モノの映画は、どんなにショーモナイものでもそれなりの客の動員がある、というようなことをどこかで聞いたことがある。それほどに、ボクらは“動物映画”に弱いらしい。考えてみたらこの映画もある種のドーブツ映画であるのかもしれないが、見終わるまでこれをドーブツモノであるという考えは一度も頭をよぎらなかった。映画に関してもだいたいジャンルを意識して鑑賞するということがないのだが、これはあくまでも人間モノ、その中でも、「敗北者人生挽回」映画なのである。「年齢不問青春映画」と呼んでも良い。

ある意味、Seabiscuitというのは、動物でありながら、あくまでも人間の操る乗り物(競争馬)なのであって、「動物と人(特にこども)との間の心温まる異種間交流」というような展開にはならない。むろん、Seabiscuitという名の馬自体を映画がまったく描かない訳ではない。描かれるにしても、その馬に関わる周囲の人間たちを描くような距離感(あるいはそれ以下)を伴うものでしかなく、小説で言うなら、複数の主人公たちを結びつける「ハブ」のような役割を果たす登場「人物」の一人のような役割を担っているに過ぎない。だから、カメラは過剰に馬に近づかない。馬のいかにも人好きするような愛らしい目、とか、同情を誘うような哀しい目、とか、そういうものを強調する「卑怯」な方法をこの映画は採らない。かといって、過剰に馬を即物的に描くわけでもなく、結果として、映画に出てくる登場人物が劇中でそうなるのと同じような意味で、馬に対する感情移入がやがて生じてくるのである。疾駆する馬から発せられる美は、映画の過剰な演出によるというよりは、語られる物語から鑑賞者が自発的に見つけていくよう(な錯角を覚えるみたい)にうまく仕組んである。

むしろ、最初から最後まで描き通されるのは、その馬に人生挽回を賭けるどろどろしたヒューマンたちなのであり、必ずしも愛されるようなタイプのハンサムガイたちではない。だが、みな魅力的である。

■■■【以下はあらすじ含み注意】■■■

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