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新聞よ、さらば!(って今さらだけど)

Sunday, February 20th, 2005

気合いの入っていたライヴのひとつが終わり、久々に新聞(日曜版)なるものに目を通した。そうすると、“議論の「広場」を提供したい”という新聞社社長の挨拶なるものが目に飛び込んできた。それで、なになにと思って読んでみると、まず冒頭にこんなことが書いてある。

「私たちは、特定の意見を一方的に押し付ける新聞の時代は終わったと考えています。」

まず思ったのは、これって、今までは「特定の意見を一方的に押し付ける新聞の時代」だったと認めているんだな、ということです。

この社長メッセージには、いくつかの意味があることが伺える。ひとつは、上に指摘したような意味。つまり、新聞には、人々を啓蒙し、教え導く役割があるとどうやら思っていたらしいこと。であるからして、今までの新聞やテレビなどのメディアが時として権力側のスポークスマンとして機能し、時として到底われわれをバカにしているようにしか思えなかったことにも、十分の納得ができるのである。

だが、そんなことよりももっと大事なことは、次のような腰砕けのメッセージをそれとなく、あらかじめ読者に伝えておくことにある。「新聞はこれから起こってくる世の中のさまざまな事態に責任は持てないし、ジャーナリストとしての責務を全うできません、でもいろいろな人の意見の公開場としての場は提供します、勝手に意見交換してください、それで自分たちで善悪を判断してください」ということです。

そこには、ジャーナリストとしての気概も、依って立つべき哲学というものも、欠如している。反権力であろう(ありたい)という政治権力に対するアンチテーゼもない。だが、それこそが明確に彼ら新聞が保持しているべき<力>ではなかったのか。

議論の場などを提供してくれる必要もない。そんなことはネットがいくらでもやってくれる。教え導いてくれるような新聞も、もちろん必要ない。大本営発表を伝えるだけの機能なら、それは害悪だ。

いずれにしても、こういう卑怯者を社長として仰いでいる新聞など読む気もしなくなった。こんな新聞が、われわれが困ったときの助けになってくれるだろうとも思えない。連れ合いが「どうしても」と言うので、仕方なく新聞(それも夕刊のみ)を取ることを同意したが、早いうちに解約の手続きをとろうと思う。

新聞を取り続ける説得力のある理由を挙げてみて頂けませんか? だれか!