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美輪明宏の何を「観る」べきか - NHK教育の『人間講座』

Thursday, March 10th, 2005

最初はなんて髪だろう、これが<美>を語る人のスタイルだろうか、そう思った。あの、真っ黄色に染めた長髪。しかし違うのだ。 あの髪の色はハレーションで飛ばして<観る>べきもので、われわれの「目で見る」ためのようであって、実は見てはいけない色なのだ。

それは、ある物体の実体のみに目を奪われると、その周縁の方こそが「絵を作っている」事実に気がつかない、だがあることがきっかけで電撃的にそれに気がつくことのある「ルビンの杯」みたいなことなのだ。

髪を光で完全に飛ばしてしまうと、残るのは顔だけだ。そして、顔を残すためにそのような突拍子もない色の髪にしている訳だ。だが主張している主体は、美輪氏の髪ではなくてあくまでも顔だ。 色に目を奪われると見えなくなる。そして、あの顔が表しているものは、純粋な人間の顔であって、表しているものはわれわれに知る男のようなものでも女のようなものでもない。 それは誇りを持って抵抗する人間の顔だ。

いや、敢えて言おう。男かもしれない。いやいや、やはりそれはナンセンスだ。だが、そこで男か女かということを問うてしまうわれわれのコモンセンス自体がここでは逆に問われる。その<男>が、<女>の様な格好をし、あの顔を通してテレビカメラの前でしゃべっていることは、あらゆる暴力を否定して生に資する美の力を賛美してやまない、美の追求者であり、それをプレゼントするための、いわば「標識」である美輪氏の顔なのだ。

だから、あの姿を日常的なわれわれの目で見て美しいかどうかを語っても意味がない。あくまでもわれわれが見つめるべきは、そのライオンの鬣(たてがみ)のように燃える黄金色の中心に輝いている<顔>の方なのだ。

それにしても、美輪氏は真の語り部だ。歌は役者によってもたらされる。そして声は、どこか高いところから響いてきて地面さえ轟かせるような深さを持っている。