Archive for May, 2005

「文学」と「歌謡」の1日

Saturday, May 14th, 2005

■ 日本古典文学朗読研究会(仮称)の第一回@荻窪

16:00-18:00。

声に出して読みたい(ってなんか本の題名みたいだが)「日本の古典」を持ち寄って互いに朗読する、というのが目的で集まる。まず、参加者は自分を入れてたった3人からのスタート。永山と富岡さんと私。今後どのような展開になるのか楽しみ。

永山が選んだのは、いきなり日本古典ではなくアントナン・アルトーの『ヴァン・ゴッホ』。ゴッホ体験の直後でしかも今読み進みつつある書籍ということで理解できるし、確かに古典は「古典」かもしれないが、翻訳物。いきなり初回から原則破りを。おいおい。富岡さんはいろいろ持って来ていたようだが、結局彼が朗読用に今回選んだのは幸田露伴の短編『観画談』。自分は河上肇の「経済上の理想社会」という短い論文。

『ヴァン・ゴッホ』は、言葉で読まれるとなかなか頭に入ってきにくいというのが最初の印象。幸田露伴は、情景描写が極めて精緻で映画を見ているようなリアルな視覚的体験をする。場面の匂いまでしてきそうな感じである。非常にプレーンな富岡さんの読み方が露伴の短編の世界に誘う。このような、自分の知らない世界を知るきっかけが欲しい、というのがこの朗読会の目的のひとつでもあるので、自分には嬉しい。自分が朗読した河上肇の論文は、内容もさることながら明治時代のその文体の格調の高さに驚き、どうしても大きな声を出して読んでみたいと思ったのが理由。読まれたテキストがどのくらい頭に入ってくるのか興味があったので聞いてみたが、2人とも「よく頭に入ってくる」という答え。

一度、各自が自分の持って来たものを読んだ後、ひとつの本をみんなで回し読みして通読するのはどうか、と考え、まずは富岡さんの持って来た『観画談』の続きを永山と私も読んでみる。聞こえてくる文体は思いのほか口語体で現代風なのだが、書かれているスタイルを読むために視るとやはり時代を感じる。これがなかなか読みにくいのである。『観画談』を最後まで回し読みした後、残った時間で「経済上の理想社会」の続きを二人に音読してもらう。なるほど、確かに人に読まれても頭に入ってくる言語なのである(古いのに)。

自分は当面こうした「マニフェスト」的な明治時代の文章を音読したい。他のお二人には小説の類を音読してもらうのが良さそうだ。しばらくは、このような感じで読み、聞き、感想を述べ合う、という形で、この朗読会は続きそうである。永山は文語版聖書を取り上げるらしい(それって「日本の古典」か?)。私は、河上肇をしばらく読み、おそらく富岡さんは日本の古典を取り上げるのではないか。

終わった後のミーティングで確認したのは、やはり「日本(語)の古典を声に出して読む」というところに収まった。それにしても、日本の古典文学は奥が深そうである。親しんで来なかった自分には実に良い機会。来月は6/11(土)16:00からの予定。

■ 竹内紀氏のCD発売記念ライブ@渋谷

荻窪での「打ち合わせ」の後、渋谷に3人で向かう。竹内紀さんの弾き語りライヴを聴きに。2日前の梅崎さんとのライヴで竹内さんのライブの日程を知ったのだ。しかもCDの発売記念も兼ねていると言う。それなら、ということで足を運んだ。前回ほどひりひりするライヴではなかったが、はやり、「身とギターを削る」ような熱演。好きな歌詞はどんどん胸に迫る。

それにしても実に良い音で聞かせてくれる店だ。これについては私がいまさらあれこれ言うことではあるまい。パフォーマンス終了後も11:30過ぎくらいまで残って竹内さんやギターの共演者(稲生座のマスター)、そして店のマスター氏らと呑みながらの歓談。実に楽しいひとときであった。竹内さんのケイデンツの分かりにくい間奏とシンコペで、「入りが大変だ」という稲生座のマスターの話もリアルで面白かった。聴いているわれわれからすると、「音楽的に破綻」しても全然大丈夫なのだが、竹内さんはやはりそれを回避したらしい。ところで、竹内さんは身体的に少し無理をしておられるようで、ライヴパフォーマンス中に「どうにかなりそうだった」というが、そのような感じは聴いているわれわれからは全く分からなかった。翌日も高円寺でライヴとのこと。身体を大事にしてもらいたいと願う(ってすごくありきたりな願いだけど本気だ)。

電流を視よ 虹色の咆哮を聞け

Friday, May 13th, 2005

(梅崎幸吉氏に捧ぐ)

彼の声を雷の轟に例えたのは単なる比喩としてではない

それは、地上において畏怖、憧憬の稲妻として作用する

雷鳴のように大気を震撼させ、かつての熱い情念は呼び覚まされる

身を伏せようとするものあれば、逃るるを得ず

そして電撃(う)たれし者は、ただ直立する

叫ぶ彼を咆哮する虎と呼んだのは単なる譬えではない

それは、地上の獲物を追いつめ、憤怒の眼差しは天空へ投げかけ

天に向かいし吼え声は、彼の地にて住まわる者へ届かんと欲す

足元の崖の淵より転がり墜ちゆくものに一瞥を投げかけるが

天からの炎に一瞬身低くせしも、鋭き爪はそれを鷲掴まんとす

雷をたたえた虹色に輝く躯に帯びるは高電圧

丹田に共鳴するは耳に聞こえぬハム音

牙のある裂け目で電極同士が克ち合えば

その赤き深みから大気を割る目映い閃光が吐き出され大地をドラムする

この電撃する嵐の中で、ぼくは謡えるか

彼方へ届く言葉を音律に載せ得るか

咆哮する虎を音色で懐柔(てなずけ)られようか

吼え声をやがて喉奥から悦楽の遠雷へと転じ得ようか

だが聞けよ、この反響の怒号こそ慈雨の前兆(しるし)

プリズムの如き虹色に縁取られた地平に

刻印される稲妻こそ朋友招集の狼煙(のろし)

ねがわくば、いつまでも

耳、澄ましたきは地を割る咆哮

やがて、聞こえきたるは未来からの残響

ねがわくば、いつまでも

身、晒したきは震撼する雷鳴

そして、見据えるは地平に閃く稲妻の眼光

龍神伝わる遥けきブータンは水冴え渡る峡谷の森の

天球を覆わんばかりの無数の綺羅めきは、泳げる彼の鱗

地の雷電集めたる彼の髭のひとつに届かんばかりに

吹けよ

我が大空にも呼んでみせよう龍神の乗り物を

朝(あした)にも二枚の震える葦片(あしぶえ)の舌で

「鬼神ライブ」の舞台(ステエジ)に吹き荒ぶ嵐に身を曝した翌朝の幻影を記す

いよいよ明日(鬼神ライブ)

Thursday, May 12th, 2005

と言いますか、日が変わってしまったので「今日」ですが、美術家・梅崎氏とドラマー・石塚氏の「鬼神ライブ」でゲスト出演。私が演るのは、オーボエ(とピアノ少々?)の予定。渋谷のアピアにて。

今回の梅崎氏からのお誘いのおかげで先週から今週に掛けては、すごく集中して練習できた。集中度が高かったためか、いまだに吹奏法に関していろいろ発見あり。自分のからだで発見したことを、また覆したり、疑いがもたげたり、それが晴れたり、いろんなことが起こる。とにかく「純粋集中」できるように明日の22:00に備えたい。

時間と気力のある方、是非お立ち会いを。

「詩と即興の妙」を体験してみて下さい。

『梅崎幸吉個展』@ 青山『HAYATO NEW YORK』

Sunday, May 8th, 2005

美術三昧の4日目。最終日の今日は梅崎幸吉氏の個展に行く。

HAYATO NEW YORKは、骨董通りに入ってほどなくした通りの右側にある。美容院の建物の地上入り口から3階までの階段と踊り場、そして美容院の店内に至るまで、すべてのスペースを利用してのユニークなギャラリー空間。梅崎氏の作品が入り口から見る者を奥へと誘う。一体この奥に何があるのだろうと思って階段に足を一歩踏み出せば、そこにはあらゆる日常的に入手可能な素材と本格的な画材が絶妙にブレンドされた梅崎氏のパッシオの世界が始まる。[パッシオとは「憂」と「仁」をまとめたつもりの言葉である。]

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(Photo by entee)

以下のことをうかつにも言葉にしたら、3秒と経たない内にあきれ顔の連れ合いによってきっぱり否定とともに教示される結果となったが、極端に単純に言ってしまうと、最初、私にとっては「きわめて抽象性の高い図象」であった。つまり、意味を考えずに、ただ造形の美しさに打たれる作品もあるのだが、意味ある図象として圧倒されるという感じでないものもあった。だが、スパイラルビル内の喫茶サロンで梅崎氏と会ってひとしきり会話して別れた後、再びHAYATO NEW YORKにちょっと立ち寄ってみると、そこには永山が言うように、「明らかな具象」ととるべきイメージが、その抽象的な絵から浮かび上がって見えてきた。そうなのだ。永山が言うような「心眼」、梅崎氏の語るところの「本当の視力」を以て対峙すれば、そこからは宗教的と言っても差し支えないあらゆるパッシオの場面が浮かび上がってくる(それが唯一の見方であると主張するつもりはないが)。

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(Photo by Aquikhonne)

例えば、結果として私が観たもの。シナイ山から戻ってきたモーゼが十戒の石板を高らかに提示する図。三美神が舞を踊る姿。聖母とも菩薩ともとれるようなベールと長いロ−ブを纏った普遍的「女神」の姿(部分:photo by Aquikhonne)、など。

日常のあらゆるものに意味があり、「美は見出すもの」であり、あらゆるものに美を見出す人の心に美が到来する。そうした日常意識の一枚障子*を隔てた向こう側に、無意識の美術とも言うべきものが控えている。このようなことは、新しい知覚の扉を爆裂的に開け放ってくれたカンディンスキーの絵画 (Sur Blanc II) との瞠目的で神秘的な出会いを通じてすでに「学んだ」はずのことであったにも拘らず、いまさら改めて教えられなければ気が付かないとは!

* その障子は、そこに映る影に気付くこともなく、また開けてみようとさえしなければ、その「向こうの世界」が存在することさえ、伺い知ることのできないものであるが。

白を基調とした不思議な素材の上に乗せられる黒の油絵の具やインク。木材を画材として大胆に用い、赤のアクリル絵の具で着彩した作品、髪を洗うエリアの壁にひっそりと掛けられた「黄」を貴重とした小振りな作品。これらが私には気に入った。

しかし、店内入り口左側に掛けられていた大胆にもカンバスを水平に切り裂いた作品を見た時、その手法で実現してみたい自分の作品の具体的イメージが頭に浮かんだ。こうした「ぜひ自分でやってみたい」と思わせてくれる触発性を持った作品というのが、実はもっとも有難いものでもあるのだ。

クリックすると写真がポップアップ↓ (photo by entee)

店内の様子 #1

店内の様子 #2

まるで、店の一部のように作品がとけ込んでいる。とけ込む梅崎氏の作品が素晴らしいのは言うまでもないが、とけ込ませる店は店で、それがまた作品自体のようでもある。

(more…)

ゴッホの「黄金色」そして梶井基次郎の見た「檸檬」の輝き

Friday, May 6th, 2005

美術三昧の3日目。だがその前に…。

先日のライヴでピアノの上に放置した財布に「足が生えて」立ち去った事件であるが、練馬の警察署からの連絡で財布が拾得されたと通知される。出てきたのである。足が生えて立ち去ったが、自分の足で私のところには戻ってこず、その代わり人に拾われて、しかも出てきた場所が阿佐ヶ谷ではなく、私が行ったこともない某所からである。実に面白いな。電車とバスを乗り継いで「遠方」の警察署に出向く。いずれにしても、すでに凍結して現金を下ろせなくなっている銀行のキャッシュカードやら、もはや期限が切れて使えなくなった運転免許やら、もろもろのカード類がそのままになって出てきたのである。だが、現金の類は小銭を含めてきれいさっぱり「吐き出された」状態であった。財布そのものが戻ってきたのは良かった。だが、全く選択的に財布の中から金品がなくなっていた。「不幸中の幸い」と人からは言われたが、そうだろうか。お陰さまで、カードからは知らない人の指紋やら何やらがついているし、気持ち悪いったらない。

鬱陶しい雨と気分を転換すべく、駅近くの珈琲屋に入って席に着くと、ゴッホの複製画が目の前にある。気を取り直して、竹橋の国立近代美術館へゴッホ展を観にいくことに。雨が降っていたことに加えて「平日」であったためか、5/3に初めて来た時よりは全然混んでいなかったのは幸い。とりあえず、舗道まで溢れるほどの行列とかはなかった。中に入ってみると確かになかなか進まない列や人の頭で観づらいところはあったが、イライラしたり耐えられないほどではない。また、あまり近距離で観たくない絵もあって、列から離脱したり、隙間の空いているところに適当に移動しながら縦横に鑑賞することも可能だったので、その人の数さえあまり気になるほどではなかった。もちろん、人は少ないにこしたことはないが、私もその集団のひとりだから不平を言っても仕方がない。

ゴッホの原画というのは今までも「単品」であちこちのミュージアムの常設展示とかでいくつかを観たことはあったが、これほどのまとまった数で、しかも適度に調光された光の下で観たのは初めてである。また、同時代の画家による作品との併設展示もあっていろいろ見比べられるのは、私のような美術に関してシロウトにとっては、いろいろなことを憶測したり学習することができて有り難いのである。

よくご存知の方なら反論もあるかもしれないが、それにしても、ゴッホの画風がまったく突如として突然変異のように世に出現したというよりは、ある種の同時代の作家のさまざまな手法(例えば点描など)を自分なりに試したり取り入れたり、取り除いたり、はたまたミレーなどの「古典」の熱心な模写を行ったり、という試行錯誤の果てに到達したものだ、という感を新たに得た。また、色彩のない初期の<<職工>>などのスケッチを見るに、きわめて精緻な素描テクニックを確固たる基礎として獲得しているということ。知っている人には当たり前のことだろうが、そうしたゴッホの作風の発展史を概観できたことには、非常に得るところの多かった。

それにしても、油絵の具の「照り」と輝くような色の艶やかさは、とても百二三十年前の古典絵画を見るような感じはしない。私はまずその絵の具の、つい昨日描かれたように見えるその新鮮さに、原画からしか感得しえない感動を覚えた。これは、最初に特記しておきたいことだ。

■ 職工 ─ 窓のある部屋 (1884)

正面の窓を通して黄金色の光が美しく描かれていて、逆光の中で織物をする職人の顔の輪郭や糸がそれを反射して黄金色に輝いている。これは、1889年から始まるサン=レミの燃えるような一連の作品群に先立つこと5年前の作品だが、黄金色に輝く「あちらの世界」の光の萌芽があるように思った。

■ レストランの内部 (1887)

併設展示のシニャックやリュスといった点描の画家たちの追求したのと同様の作風が濃厚に見られる作品。なんと言ってもレストランの壁にかけられているファン・ゴッホ自身の絵というのが、同じ日に珈琲屋で見たように、あたかも現在ゴッホの複製画が当たり前のようにレストランや喫茶店の壁に掛けられているのを預言するかのような作品(Aquikhonne曰く)で、楽しくも明るいレストランの内部の風景は、実際のゴッホの人生を思うに、かえってやるせない気持ちにさせるものである。ゴッホの悪戯はおそらく彼自身の祈念を反映している。

■ 芸術家としての自画像 (1888)

手にパレットを持つ自画像。解説によると、このパレット上の「絵の具が、色彩を混合することなく用いられた」形跡を残しているのであり、それはつまり印象主義や新印象主義の影響を物語っているらしい。その辺りは、どれだけエポックメイキングなことなのかはよくわからないが、混ぜられることなく絵の具が展開されていることは確かにキャンバス上からも伺える。しかし私が印象深く感じたのはそういうテクニックのことではなくて、ファン・ゴッホ自身が羽織っている、ボタンのひとつだけ付いたマントのような衣服であった。これが実に、同年に描かれた<<夜のカフェテラス>>の夜空のように、青地に黄金色に輝く地色で、あたかもゴッホが星で輝く「天球の空」を身にまとっているように見えてくるのである。しかもそれは常にある極点を中心に回り続ける蒼穹をカメラの「解放(バルブ)」で撮影したかのように、回り続ける夜空なのである。

■ 夜のカフェテラス (1888)

今回の「ゴッホ展」のポスターにもなったいわゆる展覧会の目玉のひとつ。この絵を見てただひとつだけ書きたい個人的なこととは、梶井基次郎の「檸檬」の次のくだりである。ちょっと長くなるがそのまま引用する。

「そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。」

断言しても良いが、ファン・ゴッホが見たものと梶井基次郎が見たものは、ほとんど同一ものだ。そして基次郎を魅せた檸檬の輝き、「電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」「裸電球が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ射し込んでくる」それとは、ゴッホの描き続けた「黄金色」に他ならない。われわれは、その色に魅せられる。

■ サン=レミの療養院の庭 (1889)

あまり手入れに行き届いていないような雑草が生い茂り、花をつけた木々の葉のひとつひとつが生命の息吹を発散していて、ほとんど「やかましい」ばかりである。ベンチが草に埋もれそうなほどの手入れの行き届いていないこのような庭自体が、最も美しい。解体が始まっており、近々「やがて記憶の景色」と化してしまう我が家周辺の都営住宅廃墟周辺や公園予定地の草むらを思い出させる。ゴッホは狂気と正気の狭間で、そうした息吹に美を見出していたのだ。

■ 糸杉と星の見える道 (1890)

解説によれば(あるいはゴッホ自身の記述によれば)、これは夜景であるそうだが、絵自体からは、描かれている糸杉の右手にある「三日月」からかろうじて推測できるものだ。だが、これが夜景であると諒解しなければならない理由が私には分からない。白っぽい道も、そこを行く人々の姿も、それが夜の道であるというなんの証にもなっていない(私には)。三日月であれば、道をあれほどの明るさで照らす「月明かり」であるはずがない。題名から伺える「星」も、その輝きは、誇張されているとは言え、まるで太陽のようだし、三日月よりも強烈な光を発しているように見えるその天体は、明らかに「太陽」を意識したものだ。そのことから僅かな私の知識の告げるところは、この絵画の描いているものが、夜景でも昼間の景色でもない、ある抽象的な(というか、現実にない)風景であるということである。それは、中央に堂々と据え付けられた燃え立つ糸杉によって左右に分断される。そしてそれぞれの世界は、三日月と太陽のように輝くもうひとつの天体、によって象徴される。これはまさに、われわれの住む「非対称の世界」そのものである。

そればかりではない。「月の下」にある右手の遠くの世界から、「太陽の下」にある左手の近景へと蛇行しながら進行する白い川では、人が押し流されているの図なのである。そして、白い道の向こうに描かれている黄色い穂をたわわに実らせる「畑の階層」は、右奥から左手前へと近づくに従ってまるでグラフのように幅広くなり、「収穫」が近いことを告げている。これが、単に「夜景」にほかならず、黙示録的なものでないと一体誰が言えよう?

■ 全体として(あるいは「神話解体」への立ち会い)

今回のゴッホ展は、展示作品の図版集に収録されているエフェルト・ファン・アイテルトによる論文が冒頭でも断っているように、「ゴッホに関する神話」の客観化がさまざまな研究によって進行する*今という時代を、おおいに反映したものであったのではないか。それが、今回の「ゴッホ展」の特徴とさえ言えるのではないだろうか。良い悪いを言っているのではない。ゴッホ神話とは、アイテルトによれば「近代芸術が社会の評価を得るための苦闘の中でたおれた殉教者」「社会によって自殺させられた犠牲者」という天才画家のイメージである。神話を信じる理由も経緯(いきさつ)も、われわれの間にさえ、さまざまあるだろう。だが、その殉教者のイメージというのが、「精神を病んだ不幸な画家(殉教者)に自分自身を重ね、ファン・ゴッホの名を借りながら、世間一般の順応主義に対してあらん限りの怒りをぶつけた(アイテルト)」らしいアルトーのように、ある創作家に対する評価が私怨によるものが幾分でもあるのだとしたら、私はそれをそのまま字義通り受け入れることはできない。すくなくとも、その「古典的ゴッホ像」でゴッホを知るに事タレリとするのは、やはり十分ではないと考えるのだ。

* 「今日では、フィンセントの作品がいつどのように売られ、彼の名声を築き上げ永続させるために遺族がいかなる努力を払ったかを含めて、彼の生涯と死後の評価の形成を正確にたどる事ができる」(同アイテルト)というのだ。

すなわち、神話とともにある作家の幻影を、自分の受け入れたい形で受け入れている状態よりも、神話が解体されて、再び作品と各自が向き合うという状態の方が、遥かに健全であると私には思えるから。私は、作家への幻想の喪失(“幻滅”と言ってしまっても良い)によって、作品を見る目が変わるくらいなら、それだけの事だったわけだし、ファン・ゴッホの作品が、「幻想の喪失」によってその質自体が簡単に失われてしまったり「再評価」されてしまうほど脆弱なものとも思えない。つねに、初めてそれに出逢ったような目で、われわれ自身が何度でも作品と「出逢えばよいこと」だと信じている。

自覚的であるということが、創作内容の芸術性の決め手となるか?

Thursday, May 5th, 2005

表現者が自分の役割に関して自覚的であるということが、芸術家であるかどうかの決め手となるということに、何か根拠があるのであろうか? 自分にはそれがまだ分からない。これについては、4/9のblogでも言及した。

ここ数日、美術に親しむ日が続いているために、それについて集中的に考えるきっかけとなった。それで随分前から購入していたがきちんと読んでいなかったS・リングボムの『カンディンスキー ─ 抽象絵画と神秘主義』を取り出して読み始めている。するとこのような一節が出てきた。「カンディンスキーが自らの使命を、ニーチェをも含めて他の先駆者たちの功績と全く類似するものとみなしていたことは間違いがない。また、カンディンスキーの初期の文章は、彼が抽象を芸術の最終段階の始まりと見なしていたことを十分すぎるほどはっきり示している」。

以上の2つの文章には実は二つの異なる課題が含まれている。「自分の使命を他の先駆者たちの功績と類似するものとみなす」というのは、結果として自分の行っている(きた)ことが歴史的にどのように位置付けされるかということについて<考えたことがある>、という意味であって、それが自分の「使命」である、と考えたかどうかとは別問題であるということ。また、仮にそこで彼が「使命」を自覚したとして、その自覚によって彼の創作の内容自体がわれわれの今知るものと違うものになったかどうかは分からないということ。

さらに、カンディンスキーが「抽象を芸術の最終段階の始まり」と見なしていたかどうかも、もちろん検討の余地のあることだ。彼が、画家ではなく、美術史家と同様の美術手法について歴史を概括する目を持っていたとすれば、そうした「最終段階の始まり」との認識を抱いた可能性はある。だが、彼が「芸術における最終段階である」という時代感覚を得たとして、そうした世界観を美術そのものから感じ取っていたとその根拠を美術にだけ求めることは片手落ちであろう(むろん、リングボムもそのようなことは言っていないが)。

自分について言えば、「ある種の音楽手法が、音楽の最終段階の始まりである」という認識を持つことができても、自分がやれることというのは、そうした時代認識とは別に存在することを「自覚」している。時代認識的な「自覚」が私にある種の音楽手法を採らせているのではないのである。そうした認識は、自分の行為の後から「後付け」でついてくるものに過ぎないのである。しかし、自分の役割の自覚こそが芸術であるかの「決め手」となるのだとすれば、私はどこまで行っても「芸術家」であることはできないであろう。そして、そのような自覚が芸術を規定すると言うのであれば、私は「芸術的であること」自体に背を向けることすらやぶさかではないのである。

つまり、そうした意味での「自覚」とは、歴史とに関係のあるものであって、自分が如何に生きるか、と言う、内的動機とはどこまでいっても無関係のものであるからである。内的衝動(動機)を肯定するのであれば、自己存在の歴史的位置づけとは次元の違う行為にコミットしているのであって、一方、自己存在の歴史的位置づけへの自覚が芸術を規定するのであれば、「内的衝動」などというものは、何の価値もないものであるはずだ。

リングボムによれば、カンディンスキーの生前にすでに起きつつあった人文上の大変動、<宗教>、<科学>においては、それらが神智学、心霊・心理学、物理学といった、当時同時多発的に生起し始めていた欧州地域に於ける革命的な新領域への展開があり、それはシュタイナー、フロイト、ユング、そして中でも物理学に於いてはおそらく1905年に発表されたアインシュタインの「特殊相対性理論」によって行われた。一方、<道徳>に関しては、ニーチェによる<神の死亡宣告>があり、宗教教義の規定する道徳律の転覆が起きた、というわけである。そして、美術においては、そうした各方面に起きつつあった革新的な動きに類比できるような革命をカンディンスキー自身が、「非再現的芸術への転回」を以て行い、「非対象絵画」を起こしたというわけだ。だが、リングボムが憶測するように、カンディンスキーが、自分の後にやってくる未来の歴史に関する鳥瞰的な視野を獲得し、「自分の役割を自覚していたかどうか」を確定することが、この際、われわれにとって何か重要な意味をもたらすのであろうか。

以上のことが、美術史家にとって重大な問題であることは想像に難くない。だが、それは、果たしてわれわれに関係のあることなのだろうか、と私は問うているのである。あるいは、具体的には、彼の作品の伝えようとした内容やその価値が、こうしたカンディンスキーの「自覚」によっていささかも変化し得たか、ということを私は問いたいのである。カンディンスキーの絵画の価値は、歴史的な意味付けよりも、その絵画によって描かれている内容そのものによって判断されるべきではないのか?

美術史においては、カンディンスキーが当時起こりつつあった「非再現的芸術」をより高い抽象表現の領域まで高めたことや、当時はやりつつあった超心理学的な思想や仮説を反映しようとするかのように、「非対象的世界」を絵画の<対象とした>ということは、解釈上重要であることに理解を示せないわけではないのだが、「描くべきことを描く」という最も第一次的(プライマリー)な創作家自身の動機が、自らの「立ち位置」への自覚のために、そっくり何か別のものによって置き換えられてしまうというようなことがあるだろうか? 私の考えによれば、否、である。

創作家の「自覚」が問題となる、全く別の局面があり得ることを否定する気はない。つまり、現世的な評価がまったく期待できないにも関わらず、その手法なり方法が、その後の世界に於いて、広く一般の人々にとって意味ある表現手段の獲得につながることを知っていたとしたら、「自分の登場」というのは未来の歴史にとって意義深いものとなるかもしれない、という憶測にすがるということである。

また、ものを喋る人が自分の言葉がある種の前提を必要とするということ、すなわち条件的でしかない、ということを知っていること。これは「自覚」という呼び名に相応しい表現者の態度である。

カンディンスキーは自らをあまり説明しなかったようだが、物を喋るという点に於いて、条件が伴うということを知っていたとすれば、それは「自覚」の一種である。だが、彼が未来の美術史に於いて意味ある存在となる、ということについて自覚していたかどうか、は分からない。また、自覚していたとして、それが彼の創作手法の決め手になっていたかどうかには疑問の余地がある。ただ、彼が創作を続けるにあたって、そうした「考えられる自己存在の意味」について文字通り自覚していたとすれば、それが、彼の創作行為へのコミットメントを勇気づけたことは想像に難くない。だが、それ以外の局面に於いてその自覚が何らかの意味を持っていたかどうかは、今の私には分からないのである。

リングボムの著書を最後まで通読し得た時に、また書くことになるかもしれない。

フレデリックの描かれざるキリスト像
(ベルギー象徴派展を観る)

Wednesday, May 4th, 2005

休日中は遠出をすることをスッパリ諦め、午前中は12日のライヴに備えて練習をして午後からは展覧会へ行くという美術大食漢コースに決めた。決めたので、「ベルギー象徴派展」(於・BUNKAMURA)に行く。昨日鑑賞してきたルオーの深い衝撃からまだ立ち直りきっていないせいか、あるいは作品に質そのもののせいも当然あるだろうが、かえって昨日観たルオーの衝撃が減衰して行くどころか、大きな銅鑼やら釣り鐘が初期打音よりも数秒経ってから残響するときの余韻の方がむしろ大きな音になってくるが如くに、自分の体内でより大きな音響の衝撃となって広がり始めているほどである。これについてはもっと書きたい。

だが、気を取り直して今日のベルギー象徴派について書く(「ルオーの残響」がすべてを覆い尽くす前に)。全体の印象としては「嫌いではない」だが「夢中になるほどでもない」というのが正直なところ。だが、いくつかの特筆しておきたい作品についてだけ、備忘録としてしたためて置くに留める。

レオン・フレデリックの大作「聖三位一体」と「祝福を与える人」の2作。

■ 聖三位一体:いわゆる3つ1セットのトリプティック(triptych)の伝統を踏まえた作品であるが、きわめてモダン。連れ合い曰く、右翼にある「少女」の作品は以前も別の展覧会で公開されたらしいが、そのとき単独で公開されたらしいことからも、必ずしもtriptychとして扱われなければならないわけではないらしい。

左翼にあるのは、「天地創造」の場面。主は両手の各掌にひとつづつ玉(ぎょく)を持っている。主の頭部の周囲に五芒星が散りばめられているところがきわめてモダン。だが、見逃してならないのは星のひとつが「迷子」のように雲の切れ間から地上に落ちようとしていることだ。これこそが地上に炎をもたらすプロメテウスの第一のトーチとなる。

中央の絵に描かれている二人の可憐な子供の天使は、おそらく四大天使の二人である。左側にいて右手で百合の花を高く掲げている方が後に「受胎告知」をするガブリエルで、右側にいて左手で百合を低く持ち蛇を手なずけているように見えるのが龍と闘うミハエルである。6弁(3弁)の百合は「祝福」であると同時に、「敵を殺めるもの」である。その二人の「大天使」が広げているのが、「布上のイコン」=「マンデリオン」である。時系列的には前後するが、その顔は、全時代を超えてまぼろしのように“疾走するもの”である。「私はあなたの陰に寄り添って走ります」。アルファでありオメガであるものが、それぞれイエスの「旗」の左右に配されているのである。

右翼の少女は、「フレデリックによる創作である」と会場にて解説があったが、とんでもないことである。彼女こそ、エデンの園において蛇に騙されて禁断の木の実を取り、それを食したイヴ。幼い少女イヴは、泣きながら自分を誘惑した蛇を足で踏みつけている。そしてその周囲を囲むすべての天使たちも同様に嘆き悲しんでいる。だが後悔は先にたたずというのはわれわれの知るところである。これは、楽園追放に通じる場面に他ならない。

左翼において「天地創造」、そして右翼において「楽園追放」というように1セットでふたつが同時に描かれるというのは、ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造および楽園追放図」から試みられている挑戦的な手法と同様のものを感じる

■ 祝福を与える人:ほとんど写真のようなリアリズムによって描かれている「祝福を与える人」は、現在でも世界の各所で現存しているような非文明的な「知恵者」の姿であるが、その雛形になっているのは洗礼者ヨハネ (St. John the Divine) である。これほどのリアリズムによって描かれた他の「ヨハネ」を私は知らない。ヨハネとは一言も断られていないが、それが「荒野に呼ばわる声」の主であることは私の目に明らかであった。こうしたリアリズムによって眼前に出現したヨハネが祝福を与えようとしている相手が、画面には描かれていないにも関わらず(というか、描かれていないからこそ)、その祝福を受けて(画面外の)そばに跪いているのがイエスであり、この「祝福を与える人」が持っている写実性を以て我が眼前に迫り来るのである。これは、「イエス不在のキリストのイコン」と呼んでも言い過ぎではない。

この上に言及した2作品だけでも、「ベルギー象徴派展」を見る価値があったと今は思うことにしている。

ルオー断章

Tuesday, May 3rd, 2005

展示#21「二人の友」これは、第二次欧州戦争が間近に迫った1938年の作品。色彩的には暖色系が少なく、やや目立たない印象の作品であったが、そこにはひとつの明瞭な秘技伝授系の伝統を感じた。向かい合う二人の顔は、波頭や神話上の獣や動物などが側面から描写されるのと同様に捉えられており、彼らが身にする黄色い服の色彩がそうであるように、ポーズ的にも構図的にも対峙し合うその対称の配置が強調されている。そして注目すべきは、右側の人物の頭上に描かれている窓からは、いつもの白い太陽、そしてそれとは正確に線対称の位置には置かれていないものの、左側の人間の頭上に、室内の明かりなのか、黄色く彩色される人工の灯火が、あたかも月(あるいは目)であるかのように、欠けた天体として描かれている。対称な二人の人物とその頭上の月と太陽の配置は、錬金術絵画のウェヌスとマルスの婚姻(そして生まれ出ずるはメリクリウス:水銀)の図と相似である。そして、この伝統的な構図を完成させるものは、向き合った二人の「友」の間に置かれている「花瓶」である。その花瓶からは暖色系の花々がまさに「炸裂せん」と咲き誇っているのである。これを私はブレイク風に「fearful symmetry」と名付けている。

展示#65 <<受難>>25「善い盗人…悪い守銭奴…」この2人の罪人とのイエスの磔刑を捉えたイコンは、ゴルゴタの丘に立てられる3つの十字架上の典型的な磔刑図のひとつのようでありながら、左右の罪人の十字架は、左右脇ぎりぎりに押しのけられており,それらはもはや十字架ではなく、イエスの左右に打ち立てられる2本の柱のようにしか見えない。そして、左右に伸ばしたイエスの腕はその二人を結びつけ、あるいはイエス自身がその2本の柱によって支えられているかの如くに見えるよう巧妙にデフォルメされている。左右ふたりの磔刑者の肉体は、柱に刻まれる文様パターンに半ば変容しており、右側の罪人はイチヂクの木に絡み付くイブを誘惑した蛇のようにさえ見える(こちらがおそらく磔刑によっても改心することのない「悪い守銭奴」の方であろう。となれば、左が、十字架上の改心を遂げる聖ディスマス、すなわち「善い盗人」ということになる)。

展示#103 <<受難>>63「聖心と三つの十字架」においては、左右の磔刑者がルオー一流の「絵の中の額」のように、絵の中に描かれた木枠となり、とりわけその左右が絵を支える「人柱」であるかのように、すでにあたかも「トーテムポール」と化している。そしてその構図の奥に、丘の上の3つの十字架が朝焼けの逆光の中に黒く浮かび上がっている。この二本の柱のモチーフは<<受難>>1「受難」、<<受難>>2「聖顔」、<<受難>>22「燃ゆる灯火の芯のごとく…」、<<受難>>48「マリアよ、あなたの息子は十字架の上で殺されるのです」でも繰り返し現れている。そしてその「柱」の通常ならざる特徴は、人間の頭部が柱の上に載っている点である。この門のような「二つの柱」はメイソン・ロッジの左右の柱においては、柱とその上に載っているグローブ(地球儀)の形でそのバリエーションが今に伝えられている。

展示#92 <<受難>>52「おお主よ、唯一の顔…」これも「fearful symmetry」のひとつ。「二人の友」と同じ対象の構図を採っている。対面する二人が互いに手を差し出しているところも同じ。だが、花瓶の位置に置かれているはずのその「華」は、聖ヴェロニカの差し出した亜麻布の浮かび上がったイエスの顔である。イエスが対称な配置の人物に挟まれるよう中央に、「今にも届こうとするそれ」として描かれているのである。

(一度イエスの血を拭ったその布は、その痕跡をその布地に残す。そしてそれは、地図のように浮かび上がって「炸裂」するのである。顔の存在自体がひとつの福音の伝播として機能する。すなわち「enlightenment(「光」をもたらすもの)」として。)

監獄の「監視窓」から覗いているのは誰か(ルオーの窓に啼く)

Tuesday, May 3rd, 2005

清澄白河(きよすみしらかわ)の 東京都現代美術館 へ、「ルオー展」を観に行く。実は、「ただ券」を入手した関係で竹橋の東京国立近代美術館のゴッホ展を観に行こうとしたのだが、美術館前の舗道まで溢れ出した「70分待ち」の無慈悲で長大な行列に恐れをなす。そして結局夕方再び戻るつもりで、一旦、竹橋を立ち去る(だが今日は決して戻ることはなかった)。5月の紫外線を浴びながら喉には乾きを覚えつつ皇居の内堀沿いを大手町まで歩く。そこから半蔵門線に乗り、初めて赴く清澄白河に向かったのだが、この番狂わせが実に幸運であった。ジョルジュ・ルオー。そのステンドグラスを思わせる黒く太い輪郭線。青や赤の光。三次元的に迫り出してくる油絵の具のクラスター。そして苦悩する人々、キリスト像。受難の道行き。

展示物の最初の方から、本物の木枠の額の中に、さらにルオーによって描かれた「額縁」がある。フレーミングされ、その中にはめ込まれた顔がある。まるで「絵」を絵の中に押し込めたような絵。「肖像画」という顔の絵をカンバスの中に大事に収めた絵の絵。つまりそれは肖像画という絵を対象として扱う絵画なのである。ルオーの「フレーム(額縁)」を絵の中に取り込んだそうした手法に、最初すこし興味をそそられたが、多くの受難画を観ている間にそれを忘れた。やがて展示物の最後の方に出てくるシュアレスの詩による「受難」のシリーズにおいて、そのフレーミング(場面の切り取り)そのものに、重大な意味が込められていることに気付き、慄然とする。

切り取るということ。切り取ることで絵の中に選択される場面とは、穴のこちらからあちらのシーンを覗いている自分が、実は覗かれる側でもあるのだ。だが、これまでこのルオーのフレーミングについて語っている人というのはいるのだろうか? 

大きさを自在に変える小さな「監視窓」によって切り取られ描かれた(様な)、聖書時代を扱った囚獄の図は、それを窓から覗いている自分こそが、実は現世における囚獄の身であり、その受難を生きている主体そのものに他ならない。

ミセレレ12の「生きるとはつらい業…」で、やがてくるだろうこの世の地獄を想い、そしてミセレレ13の「でも愛することができたなら、なんと楽しいことだろう」のふたりの見つめ合う顔と顔に、そしてミセレレ22の「さまざまな世の中で、荒れ地に種播くは美しい業」に私は涙した。そして誰ひとり人の姿のない街角を描いたミセレレ23「孤独者通り」にひとり佇むルオー自身を見た。

欧州の二つの大戦に挟まれたその時期に(というより二つ目のより大戦の直前まで)描かれるキリスト像、そしてミセレレ。「懊悩」と呼ばれるに相応しい深刻な課題に正面から取り組んだ黒の版画。これは、20世紀の半ばまで続くキリストのイコン像の絶えない系譜の生き残りであるに他ならず、また、時代を正確に照らし出した証言でもある。

そしてこれはひとつの必然か、キリストの顔を描き続けている梅崎幸吉氏の絵を思い出していた。

「われわれの社会」に関する当たり前のような再認識(その4)

Monday, May 2nd, 2005

■ この事故は裁判でその責任の所在が問われるだろうし、労使との間で熾烈な闘争になることも予想される。「事故の責任は誰のものなのか」ということ。その点、この時点で、待ったなしの記者会見をして、「過密ダイヤが脱線事故を起こした一因である」ことを明言したJR西日本労働組合・中央本部の田村豊執行委員長の行為は英断であると言って良い。その後のメディアの報道の方向を決めたとさえ思える。会社の業務を通じて知り得た情報(企業機密情報)を公にすることでしか開示できない被雇用者の当然の権利の行使である。個人情報保護法など、こうした企業内情報の開示に自発的な自主規制的なブレーキをかける悪法であるが、こうしたこともこれからはますます難しくなる。

■ 「安全第一」を、ただお題目として現場職員にオウムのように口で繰り返させる一方で、このような犯罪的に危険な経営方針を現場に強いていた会社の利益優先の姿勢は、徹底的にあぶり出されてほしいものだと思う。

そのためには、事件から時間が経つほどにメディアの熱が冷め、人々の話題に上らなくなる、という「通常の時間経過」に安易に連動しない、地道でさらに声高なる人々の声が求められる。