Archive for May 8th, 2005

『梅崎幸吉個展』@ 青山『HAYATO NEW YORK』

Sunday, May 8th, 2005

美術三昧の4日目。最終日の今日は梅崎幸吉氏の個展に行く。

HAYATO NEW YORKは、骨董通りに入ってほどなくした通りの右側にある。美容院の建物の地上入り口から3階までの階段と踊り場、そして美容院の店内に至るまで、すべてのスペースを利用してのユニークなギャラリー空間。梅崎氏の作品が入り口から見る者を奥へと誘う。一体この奥に何があるのだろうと思って階段に足を一歩踏み出せば、そこにはあらゆる日常的に入手可能な素材と本格的な画材が絶妙にブレンドされた梅崎氏のパッシオの世界が始まる。[パッシオとは「憂」と「仁」をまとめたつもりの言葉である。]

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(Photo by entee)

以下のことをうかつにも言葉にしたら、3秒と経たない内にあきれ顔の連れ合いによってきっぱり否定とともに教示される結果となったが、極端に単純に言ってしまうと、最初、私にとっては「きわめて抽象性の高い図象」であった。つまり、意味を考えずに、ただ造形の美しさに打たれる作品もあるのだが、意味ある図象として圧倒されるという感じでないものもあった。だが、スパイラルビル内の喫茶サロンで梅崎氏と会ってひとしきり会話して別れた後、再びHAYATO NEW YORKにちょっと立ち寄ってみると、そこには永山が言うように、「明らかな具象」ととるべきイメージが、その抽象的な絵から浮かび上がって見えてきた。そうなのだ。永山が言うような「心眼」、梅崎氏の語るところの「本当の視力」を以て対峙すれば、そこからは宗教的と言っても差し支えないあらゆるパッシオの場面が浮かび上がってくる(それが唯一の見方であると主張するつもりはないが)。

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(Photo by Aquikhonne)

例えば、結果として私が観たもの。シナイ山から戻ってきたモーゼが十戒の石板を高らかに提示する図。三美神が舞を踊る姿。聖母とも菩薩ともとれるようなベールと長いロ−ブを纏った普遍的「女神」の姿(部分:photo by Aquikhonne)、など。

日常のあらゆるものに意味があり、「美は見出すもの」であり、あらゆるものに美を見出す人の心に美が到来する。そうした日常意識の一枚障子*を隔てた向こう側に、無意識の美術とも言うべきものが控えている。このようなことは、新しい知覚の扉を爆裂的に開け放ってくれたカンディンスキーの絵画 (Sur Blanc II) との瞠目的で神秘的な出会いを通じてすでに「学んだ」はずのことであったにも拘らず、いまさら改めて教えられなければ気が付かないとは!

* その障子は、そこに映る影に気付くこともなく、また開けてみようとさえしなければ、その「向こうの世界」が存在することさえ、伺い知ることのできないものであるが。

白を基調とした不思議な素材の上に乗せられる黒の油絵の具やインク。木材を画材として大胆に用い、赤のアクリル絵の具で着彩した作品、髪を洗うエリアの壁にひっそりと掛けられた「黄」を貴重とした小振りな作品。これらが私には気に入った。

しかし、店内入り口左側に掛けられていた大胆にもカンバスを水平に切り裂いた作品を見た時、その手法で実現してみたい自分の作品の具体的イメージが頭に浮かんだ。こうした「ぜひ自分でやってみたい」と思わせてくれる触発性を持った作品というのが、実はもっとも有難いものでもあるのだ。

クリックすると写真がポップアップ↓ (photo by entee)

店内の様子 #1

店内の様子 #2

まるで、店の一部のように作品がとけ込んでいる。とけ込む梅崎氏の作品が素晴らしいのは言うまでもないが、とけ込ませる店は店で、それがまた作品自体のようでもある。

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