Archive for May 14th, 2005

「文学」と「歌謡」の1日

Saturday, May 14th, 2005

■ 日本古典文学朗読研究会(仮称)の第一回@荻窪

16:00-18:00。

声に出して読みたい(ってなんか本の題名みたいだが)「日本の古典」を持ち寄って互いに朗読する、というのが目的で集まる。まず、参加者は自分を入れてたった3人からのスタート。永山と富岡さんと私。今後どのような展開になるのか楽しみ。

永山が選んだのは、いきなり日本古典ではなくアントナン・アルトーの『ヴァン・ゴッホ』。ゴッホ体験の直後でしかも今読み進みつつある書籍ということで理解できるし、確かに古典は「古典」かもしれないが、翻訳物。いきなり初回から原則破りを。おいおい。富岡さんはいろいろ持って来ていたようだが、結局彼が朗読用に今回選んだのは幸田露伴の短編『観画談』。自分は河上肇の「経済上の理想社会」という短い論文。

『ヴァン・ゴッホ』は、言葉で読まれるとなかなか頭に入ってきにくいというのが最初の印象。幸田露伴は、情景描写が極めて精緻で映画を見ているようなリアルな視覚的体験をする。場面の匂いまでしてきそうな感じである。非常にプレーンな富岡さんの読み方が露伴の短編の世界に誘う。このような、自分の知らない世界を知るきっかけが欲しい、というのがこの朗読会の目的のひとつでもあるので、自分には嬉しい。自分が朗読した河上肇の論文は、内容もさることながら明治時代のその文体の格調の高さに驚き、どうしても大きな声を出して読んでみたいと思ったのが理由。読まれたテキストがどのくらい頭に入ってくるのか興味があったので聞いてみたが、2人とも「よく頭に入ってくる」という答え。

一度、各自が自分の持って来たものを読んだ後、ひとつの本をみんなで回し読みして通読するのはどうか、と考え、まずは富岡さんの持って来た『観画談』の続きを永山と私も読んでみる。聞こえてくる文体は思いのほか口語体で現代風なのだが、書かれているスタイルを読むために視るとやはり時代を感じる。これがなかなか読みにくいのである。『観画談』を最後まで回し読みした後、残った時間で「経済上の理想社会」の続きを二人に音読してもらう。なるほど、確かに人に読まれても頭に入ってくる言語なのである(古いのに)。

自分は当面こうした「マニフェスト」的な明治時代の文章を音読したい。他のお二人には小説の類を音読してもらうのが良さそうだ。しばらくは、このような感じで読み、聞き、感想を述べ合う、という形で、この朗読会は続きそうである。永山は文語版聖書を取り上げるらしい(それって「日本の古典」か?)。私は、河上肇をしばらく読み、おそらく富岡さんは日本の古典を取り上げるのではないか。

終わった後のミーティングで確認したのは、やはり「日本(語)の古典を声に出して読む」というところに収まった。それにしても、日本の古典文学は奥が深そうである。親しんで来なかった自分には実に良い機会。来月は6/11(土)16:00からの予定。

■ 竹内紀氏のCD発売記念ライブ@渋谷

荻窪での「打ち合わせ」の後、渋谷に3人で向かう。竹内紀さんの弾き語りライヴを聴きに。2日前の梅崎さんとのライヴで竹内さんのライブの日程を知ったのだ。しかもCDの発売記念も兼ねていると言う。それなら、ということで足を運んだ。前回ほどひりひりするライヴではなかったが、はやり、「身とギターを削る」ような熱演。好きな歌詞はどんどん胸に迫る。

それにしても実に良い音で聞かせてくれる店だ。これについては私がいまさらあれこれ言うことではあるまい。パフォーマンス終了後も11:30過ぎくらいまで残って竹内さんやギターの共演者(稲生座のマスター)、そして店のマスター氏らと呑みながらの歓談。実に楽しいひとときであった。竹内さんのケイデンツの分かりにくい間奏とシンコペで、「入りが大変だ」という稲生座のマスターの話もリアルで面白かった。聴いているわれわれからすると、「音楽的に破綻」しても全然大丈夫なのだが、竹内さんはやはりそれを回避したらしい。ところで、竹内さんは身体的に少し無理をしておられるようで、ライヴパフォーマンス中に「どうにかなりそうだった」というが、そのような感じは聴いているわれわれからは全く分からなかった。翌日も高円寺でライヴとのこと。身体を大事にしてもらいたいと願う(ってすごくありきたりな願いだけど本気だ)。