Archive for May 29th, 2005

「ソクーロフのオールナイト」という体験

Sunday, May 29th, 2005

体力的にハードな「映画のオールナイト」などほとんど行ったこともない。それにソクーロフを映画館で観るのは、これでまだ3度目にすぎない。一念発起して、土曜日の10:30pmから翌朝の6時過ぎまで池袋の映画館で過ごす。無謀なる8時間あまり。

実は、ソクーロフが1994年に日本を訪問したときの印象を、ロシアの映画雑誌に書き記しているという記事をネットで見つけた。その言葉から感じられる洞察の深さに心が動いたので、そのまま転載する。それぞれの作品に関して抱いた自分の印象をつれづれに書き記す前にひとつの言葉を引用したい。

「… 私は、日本から帰ったばかりです。驚いたことに、私は日本でいかなる異国情緒も感じませんでした。かの地で私は、世界のどんな国でも見たことのないほど多くの疲れた人々を目にしました。もしロシア人が、日本人のように疲れているのなら! あんなに疲れた民族を、いままでに一度も見たことがありません。疲労のあまり人々が泣くのを目撃しました。疲労からですよ。明日も今日より楽にならないゆえに、明日も明後日も今日のように辛いゆえに。きっとロシアでは想像もつかないでしょう … 一人の人間が疲れているのはわかります。でも、民族全体が疲れているなんて … 彼らは敬服にあたいします。地上の空間でせめて誰かが疲労の十字架を背負っていることは、きわめて重要なのです。おそらく私たちみんなのために、彼らはこの十字架を背負っているのでしょう、そう見えます。実際なんの罪もないのに、少なくとも人類を前に、ロシアの住人に比べて日本人のほうが、ずっと罪は小さいのです。私たちロシア人も疲れていると言われますが、日本人には及びません。

 私たちは、困難な時代に生きています。なぜなら、人々のこのような疲労困憊の要因が、現在ほどドラマチックで巨大だったことは、いまだかつてなかったからです。このような現象の後には、きっとなにかが起こるでしょう。こんなことが長く続くはずがない… なにかが起こるにちがいありません。」

これは、何かを予言した人間の言葉としてではなく、ある民族集団とその世界における「機能」への洞察、そしてその民族への深い慈愛のまなざしを感じさせる言葉である。このように、他人を、他の民族を、見つめることの出来る心とは! われわれこそが、このような芸術家を生んだ異境の地の文化というものに心を開き、そして謙虚さを学ばなければならない。

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