Archive for June 3rd, 2005

Shine on your babies, crazy parents.

Friday, June 3rd, 2005

<< ほとんど人生の目的に達したような目眩がするほどの「至高の瞬間」>> かあ! ゆうてくれるやないの!

でも良い話だな。そいつは良い音楽を即興的に作ったと思えたときの瞬間に似ているな。でも「子供を抱いている人」が得られる感慨だと言われれば、うぬぬ?と立ち止まって、生来の負けん気が頭をもたげるのであった!

「子供持つ者 vs. 子供持たぬ者」の勝負ってのは、明らかに「持たぬ者」方の分がワルい。だって、こと<子供>に関しては、どんな「持つ者」でも最初は「持たぬ者」を出発点としているからです。つまり、「持たぬ者」は「持つ者」の経験の中に一見包含されてしまう(本当は違うと思いたいけどそれは後述)わけです。その論理は{子供を持つ豊かな人生}⊃{子供を持たない人生}という図式で表されます。そして、「持つ者」はこう言うことが出来るのです。「昔なら自分も想像もできなかったけどサ」。決定打です。「持たぬ者」は尻尾を巻くしかない(ホントはそう思ってないさっ)。

「子供を持つ」ということはおそらく生得的に「特権的」なものだし、まさに「特権」というもの(=「持てる」ということ)の主たる特徴をまさに含んでいます。

つまり、「子供を持たぬ者」という人類共通の、「原初の状態」を経由して、自分が「持つ者」という今の状態に変化(成長・昇格)して来たと言わんばかりの自信と優越、しかもどうしたって「否定のしようのない」ある種の経験の“非不在”が彼ら口調には有る。彼ら「持てる者」たちは、確かにそのほとんどが「持たぬ者」が子供について語ろうとする以上のことを知っているんだろう。そりゃそうだ。でも自分の優越感に「おやばかなんです」という一言で話をファイナライズすることの出来る強烈なレトリックを持っているところもいかにもズルいんですよ(爆)。自分を免責してお話は終わりだ。ヒットエンドランです。好きなだけ自慢されて、「オレ、バカなんです」と言って逃げちゃうんだからまっことタチが悪い(爆)。むしろ、持てる者だけが得られるだろう「全き味わい」を自分が知っているという「優位」が「特権」に他ならないことをよーく自覚してもらえればいいです。

さて、子について話す人に子を持つ経験の“優位”を主張する気なんかなくても、「子供を持つ者」が子供との経験に関連して何かを話すのを聞くと、「持たぬ者」にとっては十分に“劣位”を感じているのだということを知って欲しい。だって、他でもない「私」がその“劣位”感じてるんだから。なんか哺乳類として完璧でないみたいな“劣位”をね。

オレたちの親の代ならまだ言いそうな「人間はコドモを育ててこそイチニンマエ」みたいな乱暴な言説は、いまでこそ少なくなったが、子供を持った人は結構本音ではそういう「考え」になっているんじゃないか、「転向」しているんじゃないか、と想像するわけです。はっきり言って、子供を作ってしまったひとはその大抵が「転向者」なんですよ。すっぱり180度転向してしまわないと、post-child(ren)の人生の条理に合わない。

少なくとも、子育てにまつわるどんな「苦労話」でも、その背景には高らかなる「勝利の鐘」が鳴り響いているのが聞こえてくる。これは単なる思い込みじゃない。でもね、そこで「持つ者」が「だったら自分も持てば(作れば)いいじゃーん」と言うのは、「なし」に願いますよ。そういう風に話を持ってっちゃうひとは結構いるんだなーこれが。そういう話を聞くと、「だったら日本人になっちゃえばいいじゃーん」と言われた在日朝鮮人みたいな行き場のない気持ちになる(あくまで想像だけど)。人の気も知らないで気軽に言わないでくれ、ほっといてくれってことにもなりかねない(でも、「肝心なとき」にはほっとかないでくれ)。

知的であることと知的たろうとすることは違うのは分かる。アエラに載っていたという記事のように、一見知的な「子供に対する言説」というものが、無思慮であればあるほど反感を持つ親が出てくるのも分かる。まともな親ほどそうだろう。そういうことに疑問を感じる人にこそ親になってもらいたい(無理な願いだけど)。でも、そういうことを言うヤツは、子供を育てることを知らないから口惜しいだけなんだよきっと。だって悔しくないと言えばやっぱりウソになる。

「持たぬ者」が「やっぱり持つべきだった」と後悔することはあっても、悔しいかな、「持てる者」が「やっぱり持つべきでなかったーっ」と後悔するケースはほとんど無いだろうことも想像できる(不慮の事故があったりとか、子供が「極悪人」とかにならない限りは)。つまり「持っている」ことが親の人生の前提となり、それ以前の状態に自発的に後退することは、滅多なことでは起きないからです。持たぬ者は、持つことで得られるかもしれない「人生のオルタナティブ」をとりあえず「想定しない」ことで、持たない自分の人生を好しとする以外にない。どうです。やっぱり分がワルいじゃないですか。

だから子供を持たぬ(持てぬ)以上、どこかにそもそも劣等意識(コムプレックス)が潜んでいるかもしれないことを子供を持てる特権階級たちは「知っている」べきだと思うんですよ。「持てる者」たちが子供にかまけて素晴らしい「人生の体験」を積み上げているその瞬間にも、それに負けないような経験を積んでやろうじゃないの!という「持たぬ者」なりに特有の負けん気が生まれる訳です。これは言わば権利を周囲と同様に保障されていないマイノリティとして生まれて来たようなもの、に近い感覚かも。従来なら味わえたはずの「人生のオルタナティブ」を頭の中から排除して跳ね返すしかない訳です。

そんなこんなで、いろいろ「創造的なこと」やらせてもらってますわ。ま、見てて下さいな。ボクの「子供」がどういう発展を遂げるかを。可愛いもんですよ〜。おむつの交換とか要らないし〜。

さて、なんか相当アプセット(狼狽)しているように聞こえるかもしれないので、それを差し引いてあまりあるのではないかと思うような、美しい真実らしき言葉が綴られている別の日記を紹介して、今回は終わりましょう(これがなんとも突き放しながらもジーンと来る文章なんですよ)。Shine on your babies, crazy parents. (Have a marcy!)

(でも、かくも転向者を執拗にbashingする人間が「転向」したときのその転向ぶりってのもみものらしいから、気を付けようっと。ぽりぽり)