Archive for September 27th, 2005

<普遍的題材>への理解は世界の複層的様態を喪失させるか
(あるいは、「ある証言者の虚妄」)

Tuesday, September 27th, 2005

今回も、コメントに対する当方のレスが長くなったこと、また参照先のリンクがコメントでは付けられないので、こちらで公開することに。

(辛抱強い対応に感謝します > ぴかたれらさん)

さて、このたびの本題:

>> <普遍的題材>が登場する,その強い普遍性ゆえに「目の前の複層的な様態が失われる」ことを恐れているのだと言えるでしょう.<<

「恐れている」ことをお認めになるこの言い方は、かなり控えめに表されたものであると思いますが、かなり最近、似たようなトーンの主張と出会ったような覚えがあります。これは、表現されたもの(作品)の解釈を巡る議論の中で出て来たものでした。ひとつの作品に対峙したとき、それが複数の受け手の中にそれぞれ異なった「解釈」が生じることを、肯定的に捉えている(捉えるしかない)方々からの意見というのが、「複層的な様態を複層的なままに捉えて、何が悪い?」と言い換えられるものであったように思い起こされます。

ここでの私の意見も、ちょっと前なら、相も変わらず、「表現者が明確に単一の意図をもって創作したものには、実はたったひとつの意味しかない。ただ受け手の方が準備できていないためにそれに肉薄できず、自分の主観的理解というものにしがみついているために、多様な「解釈」が生まれるだけだ」という極めて挑発的なもので、それを言ってしまえば同じことを言い返されて終わるだけ、の主張だったでしょう。ただ、自分の解釈が「正しい」かどうかはともかく、表現者が存在する以上、その意図はひとつである、という言い方自体には今でも(懲りずに)何の問題も無いと思っています。むろん、表現者自身が多様な解釈に対してウェルカムであれば、何をか言わんやですが

ただ、「受け手の数だけ意味がある」という、今では世間でほぼ絶対的な優勢を誇る「作品に対しての受け手の哲学」は、私の中では凡人の「開き直り」以外の何ものでもなく、哲学と呼ぶに値しない笑止な自己への「甘やかし」でしかなかった。だが、私独りが何を叫んだところで、「受け手の数だけ意味がある」のはやはり「事実」な訳です。でも事実(現実の有り様)を言葉で繰り返すところに努力も理念も無い訳で、私は「それが万人の受け入れる現実であることは百も承知の上で、それであなた方良いのかい?」と訊いてきた訳です。

芸術の価値の相対論者からすれば、おそらく相当に刺激的な主張だとは自覚しているつもりです。まあ相対論者や主観論者が百万人集まっても、その百万人の人間が主観的に作り出すものに、その深化のレベルに違いはあっても、ある種の普遍的な題材が「かいま見られる」ことがある、ということを了解した今では、創作者が何を自覚しているのか、というのは、もはや重要な問題ではなくなりつつあるわけです。自分は一見不毛な議論に時間を費やしましたが、それがより深く自覚できたこと、そして自分なりの解釈論を具体的な作品を取り上げることで表記しようと、ついに思い立つことができたこと、このふたつが得られたので私には意味があったのです。

さて、これは「その強い普遍性」についての「こちらの側」からの意見です。この強さは多様性を消失させるどころか、現にそれが成しているように「眼前に複層的な様態」をむしろ作り出している(芥川の『南京の基督』を参照)。でも、<普遍的題材>への肉薄によって失われるのは、各々がしがみついている主観だけであって、すべてが統一的な法則の中に入っているということの認識は、むしろ「歓喜」や「畏敬」をもたらすものではあっても、「われわれは独りでしかない」という誤った認識を根底から更新してしまう強さをもったものです。それに、何を美しいと思うか(何を重要と感じるか)という美意識自体は、おそらくこの発見によっても影響を受けない。私に言わせれば「失われるものは何も無い」のです。特に受け手にとっては。

その発見によって「失われた」と感じる人がいるとすれば、それは表現者の方であり、特に主観主義を教条化させて「何でもアリ」の状態を心地よく感じる現代の似非表現者の一部が「表現する理由を失う程度」のものです。あるいは、その初期衝撃をなんとか生き延びられた表現者にとっては、表現題材が決定的に「変わってしまう」だけの話かも知れません。私に言わせれば、ほとんどの人々にとって何の被害も被らないということになります。

最後に…

<< あるいはこうも言えます.「そのこと以上に「語るに値する題材」があるのか」と問われれば,「そのこと以下であっても語ることを許された題材はあるだろう」,と.>>

むしろ「そのこと以外に」と言うべきだったですね。素直に反省。「上下」のレベルに還元するのはやはり問題だし。でも「そのこと以外に」ならば、「そのこと以外であっても語ることを許された題材はあるだろう」となります。もちろん全く反論の余地がありませんね。実際、どんな題材でも現に語られているし禁止もされていない。誰にも禁止はできない。それに対する「評価」があるだけです。それぞれ自分の理解に応じて、秘儀だオカルトだ集合的無意識だと言いたい人は言い続けるだろうし、体験の裏付けの無いにも関わらず、「何かそこにはある」と思わせぶりに言う神秘家の発言も止まらないだろう。でもそれぞれにそれぞれの理解の程度に相応な「題材」を語って悪いはずが無いわけです。

最後に強調したいのは、<普遍的題材>を諒解したところで、すべてがそこで終わる訳ではなくて、むしろ、そこから始まるもの、そこから派生する様々な課題があり、それだけを採っても、充分に一生を退屈なしに過ごすことができるほどの可能性の広がりがあるということです。

これは私の体験を元に話すのですが、「一度死んで再生する」とエリアーデが韜晦気味に(しかし恐るべき正確さを以て)繰り返し表現するイニシエーション体験というものは、現実世界においても「存在する」ということなのです。もし、意味の多義性を言うなら、「一度死んで再生する」ということの二重の意味は認めてもよく、このレベルの話でならあり得ると思います。

「大きな羊」としてのアメリカ

Tuesday, September 27th, 2005

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日本ではアメリカのことを「米国」と表記することがあるが、中国においては「美国」である。それを滞米中、中華街などを行き来している内に知ったのだが、そのときの驚きは正直言って大きかった。中国から渡米して一旗揚げようとした初期中国人移民が、憧れの国を「美国」と呼ぼうとした、ということなら分からないでもない。が、まるでKatharine Lee Batesの愛国歌「America the beautiful」を地で行った感じでさえあり、かの国がそのように呼ばれていることに一種のアイロニーとそれに重なる不思議を見出すのである。

アメリカ合州国という国が、その建国の由来/原点からして、俗の権化であると同時に極めて宗教的な様相を呈していることは、いまさら敢えて断るまでもないことだろう。しかし、この「新大陸」へ1620年にメイフラワー号で入植をした最初の一群が(「巡礼の始祖たち」とでも訳すべきか)伝統的に「Pilgrim Fathers」と呼ばれることも広く知られている。つまり「新大陸」とも「新世界」とも呼ばれる「かの地」への渡航(ということは、初めての渡航)でありながら、その地への入植者たちがこのように聖地への「巡礼者」のように呼ばれている不合理に対する本当の理由に関して、納得できる説明になかなかお目に掛かることはない。だが、それは彼らにとってさえ、この約束の地が「初めての土地ではない」ことを、かなりあからさまに「暗示」しているようにも聞こえるのである。

もちろん、「新しい聖地を作る」入植者たちの意気込みや後世の人々による口承を通じて行われた伝説化を単に反映したものでしかないという説明で納得される方は、それ以上の問いと答えのプロセスを経由することはないだろう。仮に百歩譲ってそれが「新しい聖地の建設」を示唆する以上のものでないとしても、それでは「聖地」とはどのような場所がそのように呼ばれるに相応しいか、ということについても更なる考察の余地があることを忘れるわけにはいかない。

「荒野に呼ばわる声」の主たる洗礼者ヨハネは、イエスに対して「水によって」洗礼を与えた。しかもヨハネは「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、精霊と火とによってバプテスマ(洗礼)をお授けになるであろう」と言った(マタイによる福音書)。アメリカの「水による洗礼」は京都議定書を批准しない合州国によってこのまま行けばさらに進行する。また洗礼者ヨハネ*は「イエスの磔刑」に先立って人身御供となることに注目すべきである。彼はキリストの出現を予言し、水による洗礼をイエスに授けた後でヘロデ王によって「首を取られる」のである。

* 洗礼者ヨハネ(John the Baptist)は、別名St. John the Divineとも呼ばれる。合州国には世界最大規模の教会がある(ノートルダム寺院やサン・ピエトロ大聖堂をはるかに抜いてだんとつの最大規模)。ニューヨークのアムステルダム通り沿いにあるSt. John the Divine Cathedral(聖ヨハネ教会大聖堂)こそが、それである。

一方、聖地とは「犠牲の地」の別名である*。聖地と呼ばれる場所で「血の流されなかった」場所はない。ある多量の生命の生贄を伴う燔祭(holocaust)が行われた地所こそが、記憶の固定化によって「聖化」が完成されるのである。すなわちこの「新大陸」への巡礼者たちは「犠牲の動物を祭壇で焼き、神に捧げ」る燔祭の地所に率先して嬉々として赴いたのである。そして、その地は2億の住人で満ちた。

* 「聖なる」を意味する「sacred」は「犠牲」を意味する「sacrifice」と同じ語幹を持つことは敢えて言うまでもなかろう。

「美国」の「美」という字には、「大きな羊」という意味があるということを聞いたことがある人は多いだろう。つまり、「美しい」もののモデル(祖型)として「大きな羊」のイメージというものが存在したのである。白川静氏の膨大なる漢字研究というのはつとに知られているものらしいが、その「美」という字の説明を改めて読んでみる。

<< 「美」の字形には確かめがたいところがあるが、金文の字形によると、それは立派な羊の形を記したもののように思われる。神への犠牲(いけにえ)としてえらばれた羊の姿に、人々は美の典型を見たのであろう。>>(白川静『漢字暦』より)

燔祭の伝統を持つ中国の人々の直感が、(おそらく)無意識のうちに犠牲(いけにえ)として神への供物として捧げられることの定まった人々の国の姿を、宗教大国、儀礼大国、秘教大国、「美国」の中に、視てとったのである。

正に「美」とは、「表」において疑いの余地のない肯定的意味を表出すると同時に、重大な揶揄をその「裏」では表現しているのである。