Archive for October 25th, 2005

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<対称:symmetry>の伝えるもの[1]

Tuesday, October 25th, 2005

■ 人間の図像作成に於ける対称性

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つい先頃、「自然界に完全なる対称図形はない」という名言を聞いた。つまり広い自然界において、「対称」という意匠は大抵が人為的かつ抽象的なものであり、すなわち決定的に「観念的」なものであり、われわれの目にも極めて強いインパクトを持った立ち現れ方をする。こうした「強さ」を持った形状が秘儀を伝えるための視覚的手法として採用されないはずもなく、人間界における対称図像の選択とは、ある意味必然的な結果であったとさえ言うべきであろう。建築のような巨大規模のものではインドのタージマハール、カンボディアのアンコールワットなどが有名であり、それらがわれわれを魅了する第一の真相は、まず最初にその左右対称の構成(あるいは単に対称であるというよりは、「対称性」を強調する意匠)にあると言っても過言でないほどである。

■ 闘争と勝者の獲得物

勝負事の公式試合には優勝杯やトロフィーが付き物であるが、優勝カップがなぜ「杯」もしくはそれに準じる形になっているのか、トロフィーがどうしてあのような「杯」を4柱が支える形もしくはそれに準じる形になっているのか、ということについて、日常的にその「問い」に出会うことも「答え」に出会うこともほとんどない。世界の「至上権」をめぐる闘争において、最終的な覇者が獲得すべきものが「杯: さかづき, 逆月」であることは、当たり前の前提として受け留められていること自体が、特筆すべきことである。だが、その起源を探ることはさらに興味深い作業となるだろうことに疑いはない。

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要するに、トロフィーは「優勝杯」である。いわゆる「スタンダード」タイプのトロフィーは、優勝杯を4つの柱で支えるという世界像を表したものである。

世の至上権を巡る闘争は、伝統的に「左右対称で対面するふたつの像」によって表現される。とりわけ、それは対面する2人のひと、もしくは対面する2頭の鳥獣によって象徴化されてきた。それは一部の例外を除いてはほとんど場合、同じ人間、同じ鳥獣が対面する図像によって。そして多くの場合、東西の代表的勝者が左右からそれぞれ登場し、至上権を象徴する<ある物品>に「どちらが先に到達できるか」を競う場面を描いたものである。つまり、「左右対称に配置される対立物(ペア)」に加えてその中央にそびえる「至上権」を象徴するもの(シングル)という組み合わせで登場する。こうした対称図像は世界の至る所に、そして新旧のあらゆる時代に見出されるが、それらはほぼ同様の<普遍的題材>を伝達することを明白に意図していた。

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これは探求不足なのかもしれないが、いまのところこうした「至上権獲得闘争および獲得物」という観点で対象図像について論じられた記述にお目に掛かったことはない。

日本においては東と西からそれぞれの代表的戦士が現れ(あるいは「紅白*」に分かれ)、その力を競い合って勝負を決めるという闘争の祖型的パターンが見出されるものに相撲がある。そしてその舞台は「土俵」と呼ばれる「円相」系の限界線で区切られた「世界」で繰り広げられる**。この「世界」の覇者を決定するための長いプロセスは詳細に儀礼化されており、今日われわれの目撃する相撲も、言わば神(あるいは神格を持つとされる王)の御前で行なわれる奉納の儀式であることは広く知られたところである。それは仏教や神道の伝統というよりは、その儀式の構成要素はむしろ中国から渡って来た道教にこそその起源が求められる***。当然のことながら、日本の神道儀礼と混淆していることは否定すべくもないが、相撲には「木火土金水」の明瞭な五元素、および「東西」によって象徴される「陰陽」の要素が明瞭に見られ、茶の湯と同じく、「陰陽五行」の世界観が濃厚に反映されている。

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* 相撲において、赤(紅)は「赤房」の下がる南東の角(朱雀の区域)、白は「白房」の下がる西南の角(白虎の区域)である。

** また世界各国で見出される拳闘(ボクシング)は「世界」を表す正方形の「リング」が設定され、その四隅の内の二隅(red corner / blue corner)から戦士が現れ、世界の至上権の決定をする。覇者が獲得するものは「チャンピオンベルト」という「時間的円相」(=歴史時代)である。ユダヤ=キリスト教系の世界像は、円よりは東西南北を表す四角形に親しみがある。「All corners of the world」と言えば、「世界の津々浦々」というニュアンスを表す。「From the four corners of the world」は、「世界の隅々から」となる。このように言葉からもボクシングの様式からも、世界に「隅」があるというほとんど無意識の聖書的世界観の反映が見出される。

*** 西洋の代表的宗教の秘教と「(思弁的)錬金術」の伝統との関係、密教と「道教」的伝統との関係にはある種の平行関係がある。だがここではテーマを単純化するために詳述はしない。とりあえず、ここではそれぞれの伝統や作法がその近隣で発達した宗教芸術や宗教儀礼の中に取り入れられていることには不思議はないということだけを断っておこう。