Archive for November 8th, 2005

■ 「東西」を結ぶ「密教」的な象徴図像(メモ)

Tuesday, November 8th, 2005

以下の記述はフィニアルに言及する別の章に吸収される予定。

20051025-grandfather_clock_enlarge.gif 20051109-sannkosho_top.jpg

コロニアル風「グランドファーザー・クロック」とヴァジュラのひとつ「三鈷杵」の一方の先端

「最古の時代以来、神的存在を性格づける徴は角のある冠であった。したがってシュメールでは、中東諸地域のいたるところでそうであるように、新石器時代からその存在が確認される雄牛の宗教的シンボリズムが、とだえることもなく伝承されていたのであった。言いかえれば、神の様態は力と空間的「超越性」、すなわち雷鳴轟く荒天によって明示された。」

エリアーデ『世界宗教史 I』「歴史はシュメールに始まる」page 63

「角のある冠」とは、中央頂点へ到ろうとする左右の「波頭形状」の原初的図像と解釈することができる。「ひとりの神」の顔が、東西をあらわす双生児的なふたりの覇者の対面(対峙)である証拠は、中国の青銅器に刻まれる大食漢の神「饕餮(とうてつ)」の原型的なパターンではないかと憶測させるに十分な三星堆の遺物群からも見出される。

密教法具としてのヴァジュラ(金剛杵)と現在の欧州の工芸品に於ける職人的伝統が極めて近似した図像のパターンを共有するということを考慮するに、それはインド=ヨーロッパ語族が特定の秘儀の一部を共有していたと考えるのが妥当である。日本でも各所に見出されるいわゆる法具、密教的な美術品や工芸品の類が、ヒンヅー教や仏教の伝統、もしくは道教の影響を被っていることはすでに明らかであるが、そうした事実を踏まえると、日本の美術品・工芸品の伝統と欧州の工芸品の伝統の両方に共有した徴があることは、全く不思議なことではないのである。

いわゆる「絹の道:シルクロード」といわれるユーラシア大陸を横断する文化行路がギリシアから時間を掛けて日本まで「唐草模様」を伝えたという言い方は学校教科書を含めてなされており、そうした記述を思い出される向きもあるのではないかと思われるが、ここで扱われている秘儀的な象徴図像のつながりは、「唐草模様の伝来」というような、われわれの知る歴史時代に於ける象徴の伝播・交流という理説で納得できる以上の深みと広がりを見せるものだと考えるのが妥当である。その理由は「絹の道」という文化行路の範囲に収まることの出来ない「対称図像」が、南アメリカの古代遺跡にまで広がっているという事実からだけでも容易に想像ができる。そしてそれらは単なる対称性を称えた図像であるだけでなく同じ機能を果たす要素を含んでいるのである。

これは何を意味するのか? それはわれわれの祖先たちの上に起こった「歴史の始まり」を画するある種の「発端」が、文字通り地球規模のものであったし、ほとんどどの民族の祖先さえその影響を逃れることが出来なかった、それほどのスケールを持った「出来事」の記憶を伝えるものであるということである。それは歴史時代以降の、東西交易によって極東の地を含む「辺境の地」に至るまで、各時代を通じて波状に訪れたことを否定するものではないが、それが各時代においてある種の知者・覚者が、そして詩人や神話の解釈者たちが、それに意味のあるもの(内容)を捉える眼と洞察力を持っていたこと、そしてそれを、食器、家具、造形全般、織物、染め物、版画、絵画、などなどかたちや表現を幾度となく変えてでも伝え遺そうという努力があったのであり、そしてその意味の理解はともかくとして意匠化された図像を扱う職人の反復的な伝承、そして閉じられた結社による(家元的)伝承という「無条件的努力」なしにはあり得なかった筈なのである。

加えて、いまさらエリアーデの数多くの記述を引くまでもなく、歴史上記録に残っている或ることについての記述が、その記述の行われた時代に発見・発案された事象であるとは限らないという点が無視できない。むしろそれどころか、記述対象となった出来事が、それが記述された時代を大きく遡ったさらに以前の時代において、より盛んに語られ常識として広く所有されたケースが多いということは、現在さまざまな研究によっても明らかになりつつある。

それを元に考えれば、たとえばキリスト教を客観的かつ包括的に論じる記述が、キリスト教の隆盛を1000年以上過ぎた未来において多く発見されることはあり得るわけで、たとえばその記述が発見されるさらに遠い未来に於いて、あるいはキリスト教文明が遥か過去のこととなり神話化された時代において、キリスト教隆盛の時代を不注意な研究によっては千年単位で間違って推量するということはあり得ることなのである。これは記述の行われた時代の相当正確な時間推量が可能な「歴史時代」において書き記された記述にアプローチする際でも注意しなければならないポイントである。(エリアーデに同様の記述あり)

ならば、歴史的記述とはまた性格の異なった象徴図像の発生時代をそれが発掘・発見された遺跡の地層の時代からだけで憶測することは難しい。言うまでもなく、現在われわれが目にする家具上に聳える「フィニアルと波頭」の図像がそれの作製された1700年代や1930年代に「発見された」「作られた」と考えるのが間違っているように。