Archive for November 12th, 2005

金剛への第一歩
集団的な「浄化」儀礼と<支柱と光輝>の伝えるもの
愛染明王と聖体顕示台に見る「台座 + 柱+ 炸裂する光」の象徴

Saturday, November 12th, 2005

20051110-mantokuji_aizen.jpg 20051110-Silver_Palmetto.jpg

20051110-Seville_Monstrance.jpg 

上左:「絹本著色愛染明王像」小浜市金屋 高野山真言宗萬徳寺

上右:サウスキャロライナ州の州旗「パルメットと月」のシルバータブレット

直上:40フィートある純銀の「モンストランス」Cathedral of Seville

■ 「柱 + 炸裂する光」の原型的図像

蓋のついた杯、もしくは壷。西洋において「フィニアル」の名称で知られる「器」の図像。これらはそれが有用な使用に供されるとき、その蓋は開けられなければならない。杯にせよ、壷にせよ、それらの内側には「中身」がある。蓋は開けられて、中身が外に「開放」されてこそ、その器の用は成就するのである。そして古今東西の器をテーマとした(あるいは含んだ)図像にはその中身についての(言語にならざる)「言及」を見出すことが出来る。それを見ていくのが今回のこの論述の目的である。

ところで、後に詳しく論じることになる「Ω祖型」のもうひとつの側面に「柱 + 炸裂する頂点」という図像的パターンがある。立ち昇って行き、中空で炸裂するという劇的で「分かりやすい」イメージである。このイメージは世界中の極めて広いエリアで観察できる。特に西洋においては紋章学的伝統の中に多く見出される。そしてそれらの多くは植物との関連が濃厚である*。

* これは生まれ、「幼年期を過ごし、青年壮年期を経て、病の時期があり、やがて種を残し、滅ぶ(自滅する)」という人類の文明進化のパターンが、他でもない「農耕の発見」を契機に開始された文明:人類の歴史時代そのものと関連しており、またその人類史が植物の1年という長いライフサイクルと呼応するという点でも、一定以上の必然性を持っているのである。(植物的文明が内包する植物のライフサイクルという入れ子構造)

天空へと真っ直ぐに(垂直に)伸長する植物のイメージは、古今の東西において重要な象徴的メッセージを伝達する役割を果たして来た。そしてそれらの多くは深遠にして秘教的な、ある種の理解困難な謎として、あるいは多層的な意味解釈を許すものとして受け入れられてきた(世界軸: axis mundi, etc.)。そして、後に若干言及するように極めて分かりやすい「陽物的暗喩」にも満ちている。それらは、仏教における「蓮の花」、日本の「菊の花」や「彼岸花」、西洋の「アザミ: thistle」、あるいは「収穫され束ねられた麦*」といったバリエーションを見せる。またこうした草花の類を除くと、パームツリー(シュロ)、パルメット、フェニックス、その他のヤシの類などの樹木の形で現れる。これらのどれもが、紋章や家紋の形を採り、簡略化されたプロファイルを見せ、新しいところでは国旗(州旗)やその他の象徴的図像としても現れるのである。

樹木(シュロ)が紋章や州旗となった例:

20051110-South_carolina_seal.jpg 20051110-Palm_Eberhard.jpg

上左:シュロのフィーチャーされた封印(シール)

上右:「有徳の象徴」(力天使:第五天使の象徴)エバハルト公のパームツリー

20051110-nunst066.gif



上:サウスキャロライナ州旗

20051110-candydishnewport.jpg

銀食器「キャンディ・ディッシュ」パルメットの形状を思わせる(サウスキャロライナ州のPalmettoという名の骨董屋の商品)

サウスキャロライナの州旗は「パルメット」と呼ばれているシュロの一種である。この木は州都チャールストン市街の至る所で見出すことが出来る。特に海岸線付近には現在でも街路樹として多く植えられており、特に南国調の町並みを演出するものにもなっている。これが州旗となった事情は、それが「事実」であるか否かはともかくとして、明確なエピソードを伴っており、地元では現在でも人口に膾炙する。それは新大陸の植民地の13州が大英帝国に対して独立戦争を挑んだ時の逸話となっている。英国艦隊がチャールストンの街を砲撃した際、急場しのぎで作った砦はその辺りに多く茂っていたパルメットの木を切って作った木造だった。それはその地に他の木材が豊富になかったからと説明される。そして大英帝国海軍の艦隊からの砲撃があったときも「弾力性のあるパルメットの木」の幹で建設された防御壁が「砲弾を跳ね返した」と伝えられている。ここに、このパルメットの木に「防衛力」との関連が見出されるのである。これだけの理由があれば州旗となって後々の世代までそのエピソードが伝えられるだけの強さを持ったものとなる。

これらのどれにも共通なのは、ほぼ垂直にまっすぐにその幹を伸ばし、頂上部分で葉や枝などが四方八方に炸裂的に広がるというイメージである。そのイメージはそれがれが時としてあまりに似通っているため、その図案化され簡略化されたプロファイルからはそれぞれの植物の種を憶測したり特定することが難しいほどである。それぞれが、紋章やその他の象徴的物品として採用されるに至った固有のエピソードや歴史・神話を持つために、その紋章(象徴)を認識できるローカルな人々にとっては、それらは「特定される」必要がないほどに自明で具体的な植物を表しており、また特別な感慨を引き起こすものであるにも関わらず、それらはそうした固有の個性的なエピソード(場合によっては御利益)を超えて、あるひとつの内容ないしイメージを伝達しようとしているとしか思えないほどに、同じような形状的特徴*を備えているのである。

20051113-milk_thistle.jpg 20051113-buckle_thistle.jpg

上左:スコットランドの紋章などに頻繁に登場するアザミ。上右:フリーメイソン用品店などによく売られているベルトのバックル。アザミは「定規とコンパス」の紋章などと併せて登場する図像である。「Ω祖型」に関して論じる際に再び取り上げる。

ここでは多くの図像を提示しないが、「収穫された麦」、「税吏官袋」、「アザミの花」などの紋章は、シュロの紋章に比べて、その「柱/竿」の部分が極端に短い*。だがその頂上部分の描き方は、ほとんどそれらが(アザミならアザミ、麦なら麦というように)具体的な何かを素描しようというよりは、それによく似た何かの形状を連想させることが眼目であったかのようである。それは下部に柱ないし竿の部分があるか、紐で束ねられて中間部が絞られているという描き方として共通なのである。これは、さらに後にわれわれが「Ω祖型」と呼ぶことになる後半なある形状のバリアントを検討する時に再び取り上げられるであろう。

* アザミに関しては、植物全体としてはシュロ、彼岸花、蓮に共通の伸長する「支柱」と頂上における「光輝」のパターンであるが、紋章の図案上はもっぱらその花だけ(と顎)が取り上げられる。そのようなことになったことには、花自体の形状という別の特徴が無視できないためである。

■ 彼岸花(曼珠沙華)

20051211-higanbana1.jpg

画像引用先:キメラのつばさ

別名「曼珠沙華」とも呼ばれ「天上の花」としても親しまれる彼岸花に対しても、その花摘みに対しては、「そんなもの取ってきたら家が火事になる」と警戒する慣習があるらしい。だがこの言い方にこそ、この花の指し示す内容に対するほとんど無意識の理解とも言うべき洞察ががあり、さもありなんと納得できるものである。垂直に真っ直ぐ伸びる茎、そして突然炸裂的に四方八方にその花弁と顎を広げる。まさに「支柱と光輝」の象徴の祖型を担う植物である。

20051211-higanbana2.jpg

画像引用先:明日香、彼岸花2

■ カトリック聖体顕示台の原型的図像

「柱 + 炸裂する頂点」といった象徴図像の中で言及が避けられないのが、カトリック教会に於いてしばしば登場する聖体顕示台である。ローマ法王がそれを両手で抱え額の辺りに掲げて拝礼する姿は写真や映像でもしばしば捉えられている。

20051110-pope_monstrance.jpg 20051110-monstrance_in_red.jpg 

聖体顕示台とそれに拝礼するローマ法王

http://aquinas-multimedia.com/adoration/

http://www.agdei.com/Commentary.html

「聖体顕示台」と日本で訳されているものは、「monstrance: モンストランス」と呼ばれるものである。別名としては「sunburst, sunbeam: 強烈な日光、日輪、太陽光線」など、見ての通り「太陽信仰」を思わせるような構成と意匠になってはいる(実際にカトリックの聖体拝領を古い異教 (paganism) の太陽信仰と結びつけてその類似性を論じる学者も存在する)。だが「monstrance」が呼び名としては正式かつ一般的だということにわれわれは十分に注目すべきである。

問題はこの「monstrance」という単語の語源である。現在、「demonstrate」や「remonstrate」など”monstrate”を語幹に持つ単語がいくつかあるにはあるが、それらは「見せる、顕示する、顕われる、露にする」などの意味との関連を持つ。だが何よりも深い関連のある単語は「monster」である。この古い用法(1300年頃)としては「奇形の動物」「出生異常による(先天的)後遺症を負った動物」という意味と持つ単語であり、その後、ケンタウロスやグリフィンといった「想像(神話)上の獣」の意味に転じる。1500年頃にはほぼ現在われわれが知るところの意味、「非人間的な残虐性や邪悪性を持つもの:モンスター:化け物」となる。

聖体顕示台が「獣(けもの)」と関連付けられる理由は、「獣帯: zodiac」との関連や明らかな二重の意味(聖体顕示と獣帯の機能の両方)を持つ物品が存在する事実のためである。だがその関連性は「monstrance」の象徴意図のオリジンについて混乱をもたらす要素として働いているとも言える。獣帯については確かに「空想上の生き物」12種を円環上に配置したものだという説明も成り立つ。つまりこれは西洋のホロスコープそのものである。そして、この円環状のホロスコープが顕示台状のものとしてデザイン化されたとき、それは現在の聖体顕示台のような現れをしたことも確かである。現に、輝く光線を発する聖体顕示台としての機能に加えて「獣帯の機能」が冠せられた事例があるのも確かである。

(聖体と獣帯を兼ねた画像例:TBA)

ところで、中世イタリアの画家、ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」のテンペラ画(1400年代)は、「プトレマイオスの宇宙」のモデルがそのまま絵画の中に大胆に取り入れられた、その時代には珍しい「円相的」作品であり、絵画全体の半分以上をそれが占める。そしてその外周部分がいわゆる「獣帯」を含んでいたことは明らかである。現在でもその痕跡を認めることができる。しかし、この獣帯は太陽(あるいは「輝くもの」)との関連性よりは、宇宙像(宇宙の地図)との関連で出てくるものである。それは天体の運行をまさに表すのに便利な道具だからである。

(図版:ジョヴァンニ・ディ・パオロの「天地創造と楽園追放」)

したがって、「monstrance」の語源がその後の「獣帯」との関連で理解されるより、そもそも第一義的に「モンスター:化け物」の意味内容を顕わしたもので、後にそれが無意識化されたと考えるのが妥当なのである。つまり、カトリックの聖体拝礼が何を一体「礼拝」するものなのかということへの興味深い示唆がここにはある。

monster

c.1300, “malformed animal, creature afflicted with a birth defect,” from O.Fr. monstre, from L. monstrum “monster, monstrosity, omen, portent, sign,” from root of monere “warn” (see monitor). Abnormal or prodigious animals were regarded as signs or omens of impending evil. Extended c.1385 to imaginary animals composed of parts of creatures (centaur, griffin, etc.). Meaning “animal of vast size” is from 1530; sense of “person of inhuman cruelty or wickedness” is from 1556. In O.E., the monster Grendel was an agl?ca, a word related to agl?c “calamity, terror, distress, oppression.”

■ 愛染明王の原型的図像

さて、次に検討するのは日本で礼拝の対象となる愛染明王について観ていくことにする。

http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/Japanese/data/084.htm

20051110-saigoku_aizen.gif

愛染明王はそれが版画であるか絵であるかの区別と関係なく、それらの多くが平面作品として描かれる際、それらが明王自体の姿ではなく、ある顕示台とそれに載る明王という既存の立体作品を素描したような間接的・二次的な表現として出てくるケースが多い。つまり、そのような「顕示台」がまずあって、その「顕示台」、もしくは明王そのものをそのまま立体的に再現する以上に、それを二次元的な平面で模写しているものが「作品」となっているように見える。言わば、聖体顕示台自体ではなくて、あたかも聖体顕示台を観た人がそれを平面的に素描したような例が多いというようなことと考えればいい。そしてその素描自体が「愛染明王の図」としてわれわれには知られる場合が多くあるというわけである。

20051110-chokeiji_aizen.jpg 20051110-nara_kokuritu_aizen.jpg

左:長禅寺「本尊・愛染明王像」戦国時代、京仏師・小河浄慶

右:奈良国立博物館「愛染明王坐像」鎌倉時代(建長8年・1256)

無論、立体表現として木彫などの愛染明王というのは各地に存在している。しかし、それを見るとなぜ愛染明王像を平面的に素描したときに現にわれわれが見るようなかたちで素描されるのかという理由が明らかになってくる。つまり、台座上に乗っている愛染明王自体だけでなく、それが載っている台座、そして柱も図像の重要な要素として描写されることが「全体の意味を伝達する」点で無視できないほど大きな意味を持っているからである。もし、愛染明王像自体だけが描写の対象であるのならば、「明王だけ」を描いた版画や絵画のような平面作品がもっとあっていい筈なのである。それでもその例が少ないということは、台座自体が明王本体と同じほどの重要性を持っている、つまり台座を含む全体像を描かざるを得なかったということなのである。

また、愛染明王の坐する場所は台座の上から「垂直に真っ直ぐ伸びる柱」の上であり、見たところ「請け花」的な皿(蓮華座)の上なのである。この形状的な特徴から推し量るに、愛染明王はそれ自体が石灯籠の頂点に載っている「宝珠」の機能を果たしているとさえ言えるのである。

以上の如き迂遠な説明を要するまでもなく、いくつか図版で観て頂く「愛染明王像」からも明らかなように、「明王」と「台座」は不可分であり、台座のディテール自体にも注目を惹くだけの形態上の特徴を強烈に放っていることに気付くであろう。

「宝瓶に活けられた蓮華座上で赤い円相を光背にして結跏趺坐」すると描写される明王が、あたかも台座上に位置する優勝杯にも似た「壷」から噴射され、その頂上で膨張しているかの様に見える。こうした「壷」と「明王」のパターンは、アラジンの不思議なランプとそのランプから出てくる「魔人ジニー」との関係さえを連想させるものである。緊急事態が起こるまで、ジニーは小さなランプ中に閉じ込められていて、何かことがあるとそのランプへ加えられる「反復的な刺激」に呼応してランプの注ぎ口から「吹き出てくる」わけである。こうしたアラジンのランプに見られる象徴的元型をこの「壷」(宝瓶)が担っているとすれば、愛染明王は「緊急事態」に主人の呼び掛けに答えるかたちで外に噴出して助ける、というその機能を担っていそうなことが想像できるのである。また、結跏趺坐という姿勢からも、静的で安定的な存在性よりも、ある種の次なるアクション(行為)を暗示するダイナミック(動的)で過渡的な存在性を持っていることが想像されるであろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/愛染明王

http://www.linkclub.or.jp/~argrath/goa.html

愛染明王が「ラーガラージャ」と呼ばれるインドの神であり、日本語に「愛染」と訳されているように「愛欲」と関連付けられていることは広く知られている。愛の成就をもって煩悩を断つ(愛欲煩悩即菩提)という、民間信仰を積極的に支持する。ここには「聖婚」を肯定するある種「性的」な暗示を豊かに保持した密儀との関連があるのである。

カトリックの聖体顕示台(Monstrance)も密教の愛染明王像も、形態的には「台座」「柱(優勝杯的な壷)」「炸裂する光」という点で極めて似たものである。そして、その獰猛なる獣性の暗示も共通ということが出来る。しかもこうした言わば人間の日常的意識を超えた時に理解できる「獣性」が転じて煩悩を「焼き尽くして」現世的な苦悩から解放するという点でもその機能は共通しているということが出来るのである。

そしてそれらはいずれも武具(防御)との関連が見られ、現在でも日常的な象徴図像の中で生き生きと「顕示」されている。「台座 + 柱+ 炸裂する光」という形式は、瓶(= 蓋の取れた壷)とそこから炸裂的に伸長する植物に置き換わる例もあり、その図像も枚挙に暇がない。それはペルシャやトルコのカーペット、タイルなどあらゆるイスラミック系その他の「左右対称」の伝統的作品の中にも見出せるパターンである。そしてそれらは時代(世界)の三重構造、発芽して伸長し、上昇するにつれ、幅を広げる植物的な成長進化のパターンを直感的に表象した作品で、一群の図像グループを成している。

20051112-jessetreefull.jpg 20051112-prayer_rug.jpg

最後に見るのは現実の世界における上昇と「炸裂」の例である。今後それらはより現実に展開された壷とその中身についての言及に比重を置いていくことになるが、そのひとつの象徴的な例、そしてその意味について象徴の提示者がそれを無意識的に認識しているという一例である。

20051110-shuttle_commemo.jpg 20051110-challenger.jpg

打ち上げ後中空で爆発事故に遭ったスペースシャトル「チャレンジャー」の乗組員を追悼するサウスキャロライナ州のコメモレーションノーツ(左)。同州出身の宇宙飛行士が乗組員であったため、名誉州市民となった。この州旗が象徴する如く、乗組員たちは、「上昇し炸裂し輝く光の玉」となったのだった。