Archive for February 7th, 2006

“伝統”数秘学批判
――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [4]
“1”の時代(“8”の時代)〜「元型的日曜日」

Tuesday, February 7th, 2006

[推敲中 Feb. 7, 2006]

あらゆる人々は元型の知識を持っているのである。そういった元型を彫像によって、装飾によって、住居にするためではなく象徴化するために設計された建物によって、少なくとも愉快に思い出されるような領域があるものである。(略)元型は壁面に掛けられており、胸にぶら下がっており、指に示されている。すべての者は元型に仕えているのだが、しかし元型がなんであるかを理解するものはごくわずかの人々にしかすぎない。

エレミーレ・ゾラ『元型の空間』(法政大学出版局・丸小哲雄 訳)第2章「元型」第十三節「人間に対する元型の働き」 page 141より

比較文学・錬金術・神秘主義研究者のエレミーレ・ゾラがいみじくも書いたように、元型(ここでは数的祖型)が、これ見よがしに、これに注意を向けよと「壁面に掛けられており、胸にぶら下がっており、指に示されている」のを、われわれはこれから繰り返し繰り返し見ていくだろう。

ベツレヘムの星と「東方の三博士礼拝」の図ベツレヘムの星(拡大図)

「ベツレヘムの星」と言われる八芒星。この星の出現により「キリストの復活」が明らかになる。(「Adoration of the Magi: 東方三博士礼拝の図」製作時期:6世紀・ラヴェンナ、サン・アポリネール・ヌオーヴォ教会)

東方三博士の夢

「The dream of the Magi: 東方三博士の夢」の柱頭 (capital) に描かれた「ベツレヘムの星」。天使によってヘロデ王が赤子のキリストの誕生を嫉妬し、問題視していることを警告する。(製作時期:12世紀・フランス、オタン)

聖家族のステンドグラス

「聖家族」のステンドグラス(撮影:ニューヨーク・メトロポリタン美術館、製作時期:15世紀?)聖家族を照らす光はその形状(八芒星)からベツレヘムの星と推測される。

世界の庭園(ペルシア絨毯)

ペルシア絨毯に描かれた世界を表す庭園(製作時期:17-18世紀)。東西南北に伸びる水の流れの間に世界の四隅に向かって伸長する樹木。この樹木の育っていく場所が「母なる地球」であり世界の生命を育むものである。八芒星のバリアントのひとつで2つの四角形を組み合わせたものである。八芒星が生命を産出する何かを表していること、八芒星が四角形を2つ組み合わせたものとして描かれること、この二点が明確に表現された作品である。

Wales Southeast Islamic Garden at Alice Street

いわゆる「イスラム庭園」(Islamic garden)と呼ばれる伝統的庭園意匠の核に位置する「世界の中心」を表すモザイクを使った典型的図像。八芒星が「二重十字」を具象化した「数性4」と濃厚な関連を見せる一例。八芒星が「“4”の時代」の章において再び取り上げることになる「二重十字」の意味を保持しつつ、「数性8」を表現すること、そして世界の生命を育む母性的存在を表す数的祖型そのものであることが、この図像からも理解できる。核となる八芒星(二重十字)以外に小さな八芒星がモザイクによって表現されている。

図版引用先 :「Islamic Garden」Wales South East、アリス・ストリートのモスクにあるステンドグラスを元に地域の子供たちが制作したと報じられたモザイク作品。(BBC.co.uk)

ローズウィンドウ

八芒星を含むローズウィンドウ(円相型ステンドグラス) 後に見ていくことになるキルトの題材として繰り返し現れる八芒星と同じ構造をしたもの。一筆書きで書くことの出来る八芒星。教会に「世界」を表すことが要請された時に、しばしば採用されるローズウィンドウの中心に描かれる八芒星。

キルト(8つの八芒星)

8つの八芒星が星を取り囲むパターンPersian Star:

■ “1” ─ このアルカイックな象徴

数字の“1”についての説明の難しさの第一の理由は、その古さ、すなわちその「余りにアルカイックな起源」にある。数字の徴が歴史の経過とともに明瞭になっていき、「知ったところでもはや間に合わない」ほどの最終的局面においては誰の目にも明らかな徴へと変容する人類の表徴活動の動かし難いひとつの法則のために、われわれの世界にとっての“1”という数性によって表される「時の始め」というものは、とりわけ観測が困難なのである。

■ 8 - 7 = 1[8引くことの7は、1。]

加えて、われわれの世界というものが、繰り返される歴史の最初ではなく、それが正確に幾度目なのかはともかくとして、少なくとも「最初のものでない」ために、前回(あるいは前々回、前々々回、…)の周回からカウントした“8日目”を顕す図像的象徴が、“1”という記号を置き換えるやりかたで顕われる「考古学」上の、あるいは「図像学」的な傾向もあるために、却って分かりにくくなっている面もある。だがむしろ、円環的歴史の「初めの時代」の数字であるはずの“1”が、別の数字(具体的には“8”」)によって置き換えられるという事実によって、この回帰するわれわれの世界の儀礼的範型(パターン)の実在が、浮き彫りにされるのである。

何度も既に観てきたが、改めて「元カレンダー:archetypal calendar」を載録する。

         月  火  水  木  金   土

第1周      2  3  4  5  6   7

第2周      9 10 11 12 13  14

第3周   15 16 17 18 19 20  21

第4周   22 23 24 25 26 27  28

すなわち、われわれの世界の歴史の初めには“8”があった。われわれにとって図像起源上、極めて「古層」に属するものの多くが興味深いことに“8”の数性を表す象徴なのである。図像学的には無限大“∞”の記号ともしばしば置き換わる*ことのある“8”、そして日本では『末広がり』として知られる「目出たい」数字としての“八”がそこにあったのだった。

「オクターブの原理」によって説明される次周期の最初を表すこの“8”こそが、「反復」を意味する記号となり、また、反復される歴史と「無限・永遠」を象徴する記号となったのはある程度必然であった。

タロットカードのマルセイユ・セットにおいて「1. The Magician: 魔術師」の頭に被せられている鍔(つば)付き帽は、まさにその円環する歴史を司る魔法使いとしての意味を表している。それは円相であり、また捩じれたメビウスの輪(“∞”)のようでもある。一方、実際のカードリーディングにおいてしばしば用いられているらしい近代的なA. E. Waiteのセットにおいては、同じ「魔術師」は帽子を冠らぬ姿で描かれているが、頭上に“∞”記号がまるで「天使のわっか」のように浮かんでいる。

Tarot I. Magician / VIII. Strength

これは意匠上の変容の例である。同様のセットにおいて第8番のカード「8. The Strength: 力」において描かれる「柔」が「剛」を制する場面の「女神」の頭上にも“∞”記号が浮かんでいる*のである。ここには西洋のアラビア数字の“8”と“∞”の間に切り離し難い関係があることが暗示されているのである。

* より古い起源を持つマルセイユ・セット(左)における「Strength」のカードは、“∞”ではなく、「Magician」と同様、鍔(つば)付き帽を冠る女性をフィーチャーしたものだが、その順列を表す数字は「XI (11)」であり、「VIII」ではない。これは、時代と共にカードの順序が変わったことを明示するものであるが、比較的新しいA. E. Waiteのセットにおいて「Strength」のカードが“11”から“8”へと移動したことには一定の必然性がある。これは時代と共に数性を表す祖型がより明確になる一例である。もともと「VIII」の位置には「Justice:正義」のカードがあった。これは右手に剣を保持しながら左手に天秤(秤)を持った女神像であった。これは「数性4」のところでも取り上げるように二つの異なる「力」の均衡との関連がある。

“1”を説明することは、とりもなおさず<元カレンダー>を理解することが前提である。

■ “1”の象徴としての蛇(大蛇・龍)

前段で論じたように、“1”の説明は“8”の象徴についての説明によって大いに置き換えられる部分がある。だがそうであるとしても、“1”を表していたであろう図像を完全に飛ばしてしまうことはできないであろう。

“1”こそが、しばしば「齢を経た蛇」として太古の昔から言い伝えられたとされる、一本の棒なのであった。それは「我と我が尾を食む蛇/龍」として出現すれば、西洋における円相関連図像の中でも最古のもの(エジプト起源)と言われるウロボロスに変容し、その後あらゆる円相のバリエーションとなって世界各地で観察されることになる。あるいは、この細長い1本の棒は、時にはイヴを誘惑した「原初の蛇」として歴史の初めにその姿を現す。そして別の場面では蛇に変身してみせるモーゼの杖として現れるのである。いずれもわれわれにとっての神話時代*の話である。

だが、忘れてはならないのは、ヘルメスの杖と呼ばれる「カドケウス: caduceus (sg)/caducei (pl)」である。

Caducei Caducei Numbers

特にこの特記すべき図版に関しては、2尾の蛇が交差して極めて明瞭な三層構造を見せることで重大な秘儀の伝達に成功している点が見逃せない。これは「炸裂する植物」を中心に、獣(蛇)が向き合う対称図像のヴァリアント(変異種)であり、しかも歴史の秘儀を極めて効果的に表象するものである。そして超歴史的な円環が3回起きていることを杖に生える葉によって表現している。

一番下層の最初の胴体の交差によって歴史の最下層においてすでに最初の「円環」が閉じたことを意味している。しかも2尾の蛇の胴体で囲まれる(蹄鉄のような形状の)中心に「植物」の第一の節(フシ)が葉の炸裂によって表現され、そこで植物特有の最初の爆発的な展開があったことが示唆される。そして真ん中の第二の階層において第二の交差が起こり、2尾の蛇の胴体で囲まれる内側には、二つの節が存在する。これによって二度目の円環が閉じたことが暗示される。その上の最上部においては2尾の蛇が向かい合って対峙し、第三の円環が正に閉じようとしている場面を描いている。そしてその周回が三回目であることが、内側の植物が三つの節を見せていることで表現しているのである。これは、超歴史的円環の三重構造と、その都度大きくなる円環の規模を暗示するものでもあり、向かい合った蛇が今にも交差しようとしていることで、最上段において「時が満ちている」ことが表現されているのである。

メルクリウス(マーキュリー)の杖として知られるこの蛇の図像は、蛇で表さされる歴史の円環を、1尾の蛇(ウロボロス)によって描くのではなく、世界の至上権を巡る二つの勢力によって世界の円環が閉じられるという歴史の秘儀を、2尾の蛇を利用することで描いているのである。

小さな文字* 誘惑の蛇は旧約聖書「天地創造」において、蛇に変容するモーゼの杖は同じく旧約聖書「出エジプト記」にて言及される。

■ 「歴史」の原初に出現する蛇

原初の蛇(大蛇/龍)は歴史時代の開始と関連がある。少なくとも時の初めが語られる際に関連づけられるほどに古い象徴である。

蛇は例えばアメリカ合州国の独立以前から独立戦争に至る期間存在した「国旗(植民州旗)」にも見出される(厳密にはまだ国ではなかったので国旗というのは不適当なのだが)。それは旗に書き込まれたまさに「Don’t tread on me ドント・トレッド・オン・ミー: 我を蹂躙するなかれ」という言葉と共に現れるもので、時の初め(この場合、国の初め)に出現し、殺害されんとする大蛇の図像なのである。また「1本の細長い徴」を用いた数性を表す記号なのである。言うまでもなく、アメリカ建国は比較的最近の歴史的エポックであるが、この建国期(アメリカという国の「建国神話」の発生期)に、蛇が登場するということには、「蛇」と「原初」というものの明らかな関連があるからである。「秘教大国」としてのアメリカ合州国の象徴主義は、このように建国以前に遡れる徴にも顕われていることを想起することは無駄ではあるまい。

DON'T TREAD ON ME FLAG  with stripes

星条旗の「条:Stripes」の部分をフィーチャーした「DON’T TREAD ON ME」フラッグ。画像引用先

Gadsden Flag

クリストファー・ガズデンがデザインした「Gadsen Flag」と呼ばれる「DON’T TREAD ON ME」の別バージョン:画像引用先:WIKIPEDIA

ガラガラ蛇が三周とぐろを巻いており、「三周(三層)の円相」を思わせるデザインとなっている。背景は黄色が通常であり、これは「ここに(無防備の)人あり」の注意のサインを表している。黄は、POW (Prisoner Of War: 戦争捕虜)を表す色でもある。色については別途論じることがあろう。

Culpepper Flag

「Culpepper Flag」と呼ばれる「DON’T TREAD ON ME」の別バージョン:画像引用先:Allison-Antrim Museum

「Liberty or Death: 自由を、さもなくば死を!」という大英帝国と闘う抵抗者のメッセージが読める。

■ 前史的存在としてのユニコーン

また「1本のもの」との深い関わりがあり、またアルカイックな意味を持つものに「一角獣: Unicorn」の神話がある。ユニコーンの象徴には、「歴史時代の始まり」に関しての記憶を保持するものだとわれわれが考えてもよい理由がある。それはまた「楽園の喪失」とも関連がある。一角獣は「俗人」によってハンティングのターゲットとなり、捕獲されることによってその魔術性を喪う。極めて興味深いことに、この一角獣は処女に対してのみ心を許すのである。ここにはふたつの意味合いをわれわれは読み取ることができる。ひとつは一角獣と処女の間には何か性的な結合を暗示する関係があると言うこと。一角獣には汚れを知らない処女が相応しい、と同時に処女は一角獣の“角”によって蹂躙されることで聖婚が完成するのである。だがそのために一角獣の象徴する「純潔」が処女に手なずけられることによって脱聖化(俗化)され失われる。したがって、ふたつめはユニコーンの魔力の喪失とともに、われわれの歴史時代の出発が画されるという象徴的一致がある。

このように1本の棒(この場合1本の“角”)とは原初の徴として機能していることをわれわれは銘記すべきである。そして「角:つの」を表す単語“horn”は、“cor”, “corn”に語源的な関連があり、「角:かど」である“corner”とも関連があることを明記しておく。例えば、五芒星は“five-cornered star”, “five-corner star”となる。

ユニコーンのタペストリー

図版:「第7タペストリー:囚われたユニコーン」製作時期:16世紀初頭(不詳)・ブリュッセル(不詳)ニューヨーク・クロイスター中世美術館(メトロポリタン美術館別館)

■ キリスト教文化における“1”もしくは“8”について

その蛇は自らの尾に噛み付く事によって自らを消費し、自らを養った。自らを食べることで、永劫に生き続ける夢魔でさえあった。だが一方、同様の意味を体現しうる“8”とその徴は、「ルネッサンス以前」{6}のキリスト教美術の中では、聖母マリアの額や肩の部位の八芒星(もしくは「二重十字」)として現れているか、「人の子」の誕生を告げる「ベツレヘムの星」としても現れる。この「星」は「東方の三賢者」が空に輝く星を観て「ひとの子: the son of man」の誕生を知ったというエピソードに関わっている。「人の子」がまさに生まれ出そうとしているその直前に現れる星が、古代美術においてしばしば八芒星によって描かれることにわれわれは鋭い注意を払うべきである。これは、まさにわれわれ人類の歴史があたらしい「周回」の途に就いたことを告げる象徴とエピソードだからである。つまり“8”には生命を生み出す「母」としての意味の他に「再生」の意味が含まれている。

聖母1 聖母2 聖母3 聖母4 聖母5

意味的に“1”に置き換えられる“8”の徴は、キリスト教美術の世界では、処女懐胎し「子」を生み落とす地母神なのであり、それが「イエス」という名のメシア/キリスト(油を注がれたもの)を世に送り出す。母に抱かれた赤子イエスは、八芒星を額や肩に輝かせていると同時に、その胸に抱かれる子は自らの指で“2”という数字を提示する。まさに“1”でありながら“8”である「母」なる存在によって“2”がこの世界に産み落とされるのである。

次は、捕捉的に近代美術に見られる「数的祖型」を体現した作品の一例を掲載する。

ブルジョア作「ママン」

六本木ヒルズにあるこの巨大な蜘蛛の造形作品は、現代の彫刻作家のルイーズ・ブルジョアによるもの。鋳鉄製の8本脚のクモの作品であるが、その秘教的意味性はその作品タイトル「ママン:母」によって完成する。この母蜘蛛は、腹に子供の卵を抱いている。正にこの母なる存在はこの世界に新しい生命を産み落とそうとしているのである。(筆者撮影)

あらゆるペイガン(異教)的な象徴でしかもキリスト教以前の創作物に登場する「星」は八芒星であることが多い。“8”と次にやってくる“2”との間の緊張は、その親子のやり取りの中にも見出される。息子はその母を否定することによって前進することを選ぶのである。しかし、この“8”で象徴される存在は、その産み落とした一人子がどのような命運を辿るとしてもそれを「黙って観ている」ことを選ぶ。

“8”を表す象徴は、そのアルカイックさを裏付けるように、きわめて旧い起源を持った伝統や習慣を維持していると考えられている民族グループの中の民俗美術・工芸品の中にも広く見出すことができる。アメリカ先住民の美術品の代表的モチーフとして知られる『日の出(ライズィング・サン)』は、アメリカン・キルトの中に意匠範型の一つとして取り込まれ、ひろく白人社会の中にも見出される。

あるいはムスリムの頭に着けるキパのような帽子(クーフィ: kufi, coofi)にも、同じ八芒星が“8”を象徴して出てくる。これは、“8”が起源を量ることのできないほど古い伝統に遡ることを表している。この八芒星はペルシア絨毯にも中国の伝統的な刺繍パターンにも見出される。

Muslim Kufi 八芒星刺繍

これは単に8つの角を持つ星として現れるばかりではなく、その数と同様の「点」をその周囲に持つことが多い。これはこの点の数や星状多角形の角の数にも注意を喚起するためのものである。

キルト(8つの八芒星)

■『永遠の反復』の象徴としての数字“8”

その“1”(いち)であり、“8”(はち)である「原初の時代」は、我々が推し量るに難しいほどの長さであった。そしてその無限の長さとは、すなわち地球そのものを象徴することさえあった。地球は自らを消費し、自らを養っている。聖母マリアとはまさにマザー・アースであった。その推し量るに長すぎる“1”の時代こそが新しい人類の夜明けであり、計り知れないあるものの「終焉」、すなわち「休み」の時代の後に来た文明人の第一歩であった。それは歴史学、もしくは、考古学的には旧石器時代{7}と言う風に分類されたかも知れなかった。

“8”を顕す八芒星の図像バリエーションが、意匠の利便上も実はその一見した複雑さにも関わらず、実はその描画が他の奇数の角を持つ多角形(たとえば五角形や七角形)に比して相対的に容易であったということは特筆すべきであるし、さまざまな民俗美術・工芸品の類の中にこの八芒星の図像が極めて歴史時代の「日の浅い」段階で出現し得た理由のひとつを説明しているのである。

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