Archive for April 21st, 2006

「われわれは技術を提供するだけだ。この技術をどう使うかは、○○○次第だ」

Friday, April 21st, 2006

なんというムシの良い言い草だろう。そんな論理が通用する程、われわれは大企業にとって単に「見下げられた食い扶持(ブチ)のネタ」にすぎないのだろうか。世間にこのような言い方をする技術者がいる限り、技術開発者自身が「無責任」との批判を受けたとしてもしかたがないと言わざるを得ない。いやはや「御開発者」には心から「お愛でとう」を言いたい。

今回のニュースに関して「○○○」には、「放送局」という単語が代入される。すでにご存知の方も多いと思われるが、これは「コマーシャルを強制的に視聴者に見せる技術」を提供する開発社のCommunication局代表 (Caroline Kamerbeek @ Philips Electronics*) の弁なのである。確かに、自分は開発された技術そのものにあまり関心がない。テレビの世界がそのようになったらなったで、視聴などしなければ良いくらいに思っているからだ。だが、むしろ以上のような言説を成す技術者とそのスポークス・パーソンの「精神構造」と、彼らの目覚ましいばかりの「想像力の欠如」方に興味を覚えるのである。

* われわれにはPhilips社製品の不買運動を展開する選択がある。それこそ今や、アコギな企業に対して消費者の「意気込み」を見せる正念場かもしれない。

この技術は断じて一般視聴者のためではなく、コマーシャルを提供し強制的に視聴させることをもくろむ放送局などの大企業の利便に資するものでしかない。

敢えて言うまでもなく、どんな技術も「利用されること」を前提としている。単なる自然科学的な発見というのではなく、人為によって何かを「開発」したからには、サービスや製品という形で広く用いられることを願っている。そして今回の「コマーシャルを強制的に視聴者に見せる技術」というのも、具体的利用業者を想定してのことであり、利用と金儲けに供されることを期待しての開発によって実現されることを否定することはできまい。

そもそも、そのような商業的技術によって金を儲けたとしても、開発者の彼ら自身がテレビの一般視聴者の一人であることを忘却しているのではないか、と想像される。それとも開発者本人である彼らには、その機能を自分が視聴する時に限ってキャンセルする「裏技」でも仕込んでいるのであろうか?(そのようなことがあったとしても驚かない) それとも次世代技術の開発に忙しく、「テレビを見る」などという前近代的な気晴らしなどからは彼ら自身が縁遠いのかもしれない。

ここで別の単語を代入しよう。「われわれは技術を提供するだけだ。この技術をどう使うかは、<時の権力者>次第だ」。これは、あらゆる種類のひとを殺傷し文化を破壊する軍事技術を開発してきた技術者たちが自己弁護する時に使いそうなフレーズだ。だが彼らが、あるいは彼らの子孫が、その「利用」による影響を被らないとどうして言えるのであろうか? 技術開発者は、開発の成功によって、将来子々孫々に何がもたらされるのか、というビジョンを持たないことが、開発者当人の「理念無き利益追求の企業の論理」によって免罪されるのだろうか? 例えば、20世紀半ばに核開発に手を貸した技術者たちの幾人かが、その行為に対してすでに責任を感じ後悔の念の表明をしている歴史があるにも関わらず。