Archive for March 15th, 2007

Jの陰謀
〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論 [5]

Thursday, March 15th, 2007

JR Logo JA Logo JT Logo JCOM

J Wave

J-League

■ 日本──もうひとつの“J”

日本が英語で“Japan”と表記されることには、覇権国アメリカの母国語である英語と、その言語文化圏およびその周辺における「日本の宿命的役割」の歴史的真相と不可分である。

日本に“J”の記号が付けられていることは、偶然と決めつけるにはあまりにも象徴的である。象徴研究の立ち場からは、図像形状の決定理由については、少なくとも歴史的経緯からだけでは説明できないある種の「申し合わせ」の暗示があるように思われる。ただしそれが最初から最後まで人為的な努力や制御によって可能であったと断じるには証拠が不十分であることは確かだ。

さて、もし英語などの表記が偶然であるとしても、今日日本人自身による“J”の扱いはきわめて意識的かつ恣意的であることに違いはない。仮にそれを選択する理由や重要な真相について、日本人自らが無自覚であったとしても、ここまで検討してきたさまざまな事情、そして英語が事実上の世界言語になった経緯を踏まえると、特定の国名の「頭文字」や「省略記号」が世界に向けて発信するイメージについて、われわれは改めて意識を向けるだけの価値があるということが、少なくともできるであろう。

■ 濫用/過剰使用される聖文字“J”

おそらく一番古くまで溯れる“J”をイニシャルとする日本の国際的に通用する記号の代表格は、放送局のコールサインかもしれない。コールサインとは国際電気通信条約に基づいて発行されるもので、商業ラジオ放送とテレビ放送には頭二桁が“JO”で始まるものが充てられている。“J”はJAPANの“J”であるが、“O”は「明朗な音が放送の将来にふさわしい」との理由で充てられたという説明もある*。ここで注意すべきなのが、「コールサインの頭文字が当該国名の頭文字を充てるのは必ずしも当然ではない」ことである。現に放送業のパイオニアであった合州国内の放送局のコールサインのほとんどは、“K”や“W”から始まるものであるし、英国では“G”や“M”が充てられている(“G”は“Great Britain”の“G”か?)。また例えばインドは“AT〜AW”で、中国は“X”や“BAA〜BZZ”であって、まったく国名のイニシャルを反映していない。放送コールサインに国名を反映させることが必ずしも普遍的でないことがここからも諒解できよう。だが、日本の商業放送局のコールサインが“JO”であることは特筆すべきであろう。

参考サイト

コールサイン基本的情報

通信用語等の基礎知識

Call sign @ Wikipedia

現在、日本に関わるもの、日本発の諸事物に付けられている“J”から始まる名称や愛称というのは容易に把握し切れないほどである。“Japanese”ないし“Japan”と呼ぶ代わりにそれを大々的に「J-」に置き換えるのがトレンドでさえある。幾つかの有名な事例を挙げてみよう。

日本の国鉄分割民営化で作られたのは「JR: Japan Rail」である。日本専売公社は「JT: Japan Tabacco, Inc.」となった。その他に「JA: Japan Agricultural Cooperatives(農協)」、日本プロサッカーリーグが「J-League: Japan Professional Football League」。ちなみに、国際通用性はないだろうが、和製ポップスの愛称は「J-Pops」である。

その他にも企業名で日本発の会社や「日本を代表する」を標榜する大企業に“J”が付くものが実に多い。J:Com, J-Phone(旧), J-Wave, J Sports, JOMO, J-Cast, J-Debit, J-Naviなどと枚挙に暇がない。そしてそれらのほとんどが80年代後半ないし90年代初頭に出現しているものである。現に最初の“J○”は、1987年の国鉄分割民営化の時期頃に始まる。また、1989年から日本タバコ産業の愛称が「JT」と呼ばれるようになり、また「J-League」が正式名称に代わる愛称として採用すると発表された1991年頃を境に、“J○”表記のブームは日本国内で一気に開花する。

この3−4年の間でも日本発の企業、イベント、サービス名など諸々を「J○」で統一し、いわば“J Brand”として世界に認知してもらおうという申し合わせがあったような勢いがあるのも事実である。これらが依然として“J Brand”の世界的認知を実現したものではなく、あくまでも日本国内に限定された、やや独り善がり的な動きに留まるものとしても、最近の目立った動きとしては、昨年紹介された日本発の日本の伝統や工夫をアピールできるすぐれた発明や開発製品に贈られる名誉的称号が、「新日本様式: Japanesque Modern」という協議会によって作られたことは特筆に値するだろう。Japanesque Modernの認証記号は、ずばりJマークである。これは、優れた工業デザインの製品に与えられるグッドデザイン賞のGマークにも似たものであるが、世界に通用する優秀な「ジャパンブランド」を積極的に売り込んでいくことに焦点を合わせた、日本の行なう野心的、かつ極めて意識的なアクションである。

ところでイニシャルが国を表す記号として普遍的かどうかの結論を得るには、各国の事情を別途見ていかなければならない。ここでは全てを検証できないが、幾つかの例を見ることにする。

英国の国有鉄道は、BritRailという名称で親しまれている。これはBritish Railを縮めたものであることは明らかであるが、“BR”と省略号になることはない。フランス国有鉄道は、Societe Nationale des Chemins de fer Francaisなので、SNCFの略号で知られているが、“F-Rail”や“FR”などの省略号で呼ばれることはない。一方、ドイツの鉄道はDeutsche Bahnと呼ばれ“DB”と略されることがある。同じグループ組織のひとつである旅客用のDie Bahn (The Rail) の社名にもこの“DB”が冠される。ただし欧州の中ではDenmark/Danmarkなど“D”をイニシャルにする国が他にもある中で、“D”と聞いて反射的にドイツを連想するのは難しいだろう。特に英語圏においてはGermanyと呼称されることもあり、なおさらそれは難しいと言わなければなるまい。「ユーレイルパス」で有名なヨーロッパ鉄道は、“Eurail”と呼ばれているが、この正式名はThe Eurail Group G.I.E.である。これは“Eurail”と呼ばれることはあっても“E-Rail”などと略されることも“ER”という略号で親しまれていることもない。欧州言語圏においては同じような省略号が多く存在できてしまう以上、そうした略号に全面的に依存することが出来ないのである。

参考サイト

Die Bahn

Britrail

Eurail

この点については、“J”が特別でありうるのは、第一に日本国内においてそもそも英字アルファベットが母国語でないためにそれが特別に際立って見えるためでもあろうし、また、その記号が国外的に利用可能なのであれば、それは「偶然」にも“J”をイニシャルにする国が多くないためなのかもしれない。

日本が“Japan”と綴られる歴史的経緯について(参考文):日本はなぜジャパンか?

■ 順列の機能としての“J”

欧州文化において、全てのアルファベットに特定の数価があると考えられているのは知られたことである。特にヘブライ・アルファベットについては独特の数価が存在することはユダヤのカバラの伝統に並んで重要である。アルファベットに付けられた数価は、文字が単語として組み合わされた時には合計数価として、その単語の持つ性格や宿命を決定/判断するものとしても機能する。ここでは詳述しないが、こうしたヘブライ(ユダヤ)の数秘学は「ゲマトリア: Gematria」と呼ばれる。

また何番目のアルファベットであるのか、という順列が問題になることがある。例えば、「Fは6番目である*」とか「Gは7番目である」とか「Mは13番目である」などに、特別な意味合いを読み取ることができ、またそれをある種の隠された暗号として機能させることなどは、欧州文化圏ではありふれた慣習である。

* 小説家、故 Philip K. Dickは、自著作品の中でFrederick F. Fremontという政治家を登場させ、それに三つの“F”が「ぞろ目」で並ぶイニシャルに注意を喚起させている。すなわち“FFF”というイニシャルで“666”という数字のぞろ目を表現できるという考えである。

その意味から言えば、英字アルファベットにおいて“I”の次に位置づけられることになった“J”は、実に第10番の記号なのである。これはヘブライ・アルファベットで同じ音価を表すYodh (“Y”音)が同様に10番目の記号であり、またゲマトリアにおける記号の意味も「数価10」であることから考えてもたいへん興味深いことなのである。あたかもヘブライ語のアルファベットのYodhに数価を一致させるために、後年追加されたのが“J”だったのではないかと穿ちたくなるほどである。このために結果として“K”は、10番目の地位から押し上げられて第11番のアルファベットになってしまった。一方、英文においては“J”がY音(母音)ではなく子音の音価を持ったために、ヘブライ語のオリジナルの音から離れていったわけである。

いずれにしても、“J”が数価10を持つことは数秘学的にも無視できない重要性を持つ。例えば、「10」とはタローカードなどにおいて解釈されているように、「ひとつの世界」における「完成」や「成就」を意味する数字である。また、聖数は7であると考えられ、広く信じられている一方で、それでもモーゼが神託として受け取った「戒め」は、十項目からなる「十戒: Ten Commandments, Decalogue」なのである*。

数字「10」に特別な意味が賦与され得るのは、それぞれの手に5本ずつ、しかるに計10本の指を持つわれわれの身体的構造に起因すると先ずは言い得ようし、十進記数法の発生原因とも共有される事情があったと考えられるが、数字の桁がひとつ上がる劇的な節目になる数性10が「完成」や「成就」などの意味を持ち得るのは、その辺りに事情があるのであろう。

* ただし欧州地域や聖書世界など(インド=ヨーロッパ語文化圏)において、「7」に次いで重要な意味を賦与されたのが「12」であるのはよく知られている(十二使徒、ユダヤの十二部族[ヤコブの12人の息子]、欧州共同体の発足時の十二ヶ国、二十四長老、などなど)が、「12 = 1ダース」をひとつの単位とする記数法に並んで、「10」をひとつの単位とする記数法も古代から広く採用されてきた。事実、十進記数法は紀元前に溯る古代エジプトの時代から伝わるものである。それが人間の身体的構造を発端とするのはほぼ間違いないが、モーゼの受け取った神託が十項目からなるのは、合わせた手が「祈りの手」であり、すなわち合掌のポーズから手を解いたときに、それぞれの掌に5つの戒めが顕われるということを、石盤に刻まれた十戒が表したのであろう。

さらに、10の数価(「数性10」)が5の倍数であることで、今一度それが濃厚な「数性5」を暗示するものでもあることも思い出す必要があるだろう。それは数字5を二度繰り返す表記上の作法とほぼ同様の意味を持つ(10 = 5 + 5)。例えばその応用としては、15なら数字5を、18なら数字6を、21なら数字7を、それぞれ三度繰り返したものと分解することができる。そして「繰り返し」は、何よりも数性の強調方法の基本である。

「数性5」の最大の特徴とは、“伝統”数秘学批判──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像(“5”の時代〜「元型的木曜日」#1)でも言及している様に、その「近代性/現代性」など、新しい時代性にこそある。今回確認された様に、アルファベット“J”が若い記号であった如く、その数性自体にも「完成」以外に「現代性:若さ」の意味合いが濃厚に潜んでいることが同時に言えるのである。したがって、現代社会においてこのアルファベットが繰り返し強調して顕われることは、時代性の象徴を鑑みても矛盾しないのである。「メイシーズの陰謀」によるクリスマスの慣習が比較的新しいこととも矛盾しない。

JJJ image

■ 反復される“J”

秘教的な数性が、2度ないし3度繰り返されることでその意味を伝達するのは『“伝統”数秘学批判』でも繰り返し見てきたが、特定のアルファベットに数価が潜んでいるとすれば、その記号が繰り返されることにも秘教的なメッセージの存在の暗示がある。

それが“JJJ”と繰り返される表現パターンである。そうした例をここでは羅列するに留める。そこにある暗示は、「周回する数字」の考え方から言えば、10 ? 7 = 3 という数式から10が第二周の「3」に相当することが諒解できる(「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀 http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=141165 を参照)。また、上述の様に「分解され反復される数字」の考えに乗っ取れば、10は「5」に相当する。

だが、今回の数字10が「周回する数字」の第二周に相当すると考えなければならない理由がこの度は見当たらないこと、また数価10を得るに至った元々の記号が「反復される“J”」に求められることから、特定数の倍数としての10を想定する方がむしろ自然である。すなわち、“JJJ”と繰り返される記号は、“555”を表現していると考えるのがおそらく妥当なのだ。その種の反復的暗示を持った例を挙げていく。

1950年代に活躍したジャズ・トロンボーン奏者にJ.J. Johnsonがいる。トロンボーンという楽器自体がまさに“J”の記号自体の形状の様に、直線とヘアピンカーブする曲線から出来上がっていることとの暗合は大変興味深いが、そのJazzプレイヤーが自分のステージネームに“JJJ”と繰り返される表記を充てたのは、その時代的の反映を思えば実に秀逸としか言いようがない。

J.J. Johnson photoTrombone

また、主に1970年代に活躍したアヴァンガルド・ロック・グループのHenry Cowは、Virgin Recordsから発表した初期の3枚の連続するアルバムに、「靴下の図案」を充てた。それぞれのアルバムカラーは、白(淡いグレイ)・青(濃い群青色)・赤となっており、「平等・自由・博愛」のトリコロール*を意識したとも、錬金術の3つの段階、すなわち白化(アルベド)・黒化(ニグレド)・赤化(ルベド)を意識したとも言えるような、秘教への濃厚な精通を思わせるコンセプトを採用している。そして、それは三つ並べると極めて象徴的な“JJJ”の図像となる。

Henry Cow 1Henry Cow 2Henry Cow 3

* ロシア国旗のトリコロールの並べ方は、blue, white and redではなく、white, blue and redになっている。ロシアの現国旗は2月革命(ロシア民主革命)と10月革命(社会主義革命、別名「レッドオクトーバー」)の間の、僅か8か月間だけ存在した、ロシア共和国の国旗の復刻したもの。フランスの民主革命に触発された三色旗である。ところが、赤と青の原色の間に白が入らず直接接触している(「火」と「水」の接触)もので、伝統的紋章学によれば極めて不安定なデザイン。資本主義(水)を象徴する「青」が、社会主義(火)を象徴するの「赤」を上から押さえ込む形に読める。また件のバンドHenry Cowが社会主義者であったことは、よく知られている。

まさに20世紀とは、失敗したユダヤ人 (Jewish) の絶滅プログラムとそれに引き続き発生した英米 (blue, white and redの三色同盟)によって工作されたエルサレム (Jerusalem/Yerusalem) のユダヤ人への奪還、イスラエル(ヘブライ表記:Yisra’el)建国の成就、それを達成した戦争、また、“Japan”の対英米戦争、そしてその敗北と復興などなどの事件に彩られる“J” (5 vs 5) の時代であった。この辺りの話は、未完の“伝統”数秘学批判──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像(“5”の時代〜「元型的木曜日」)の方でも引き続き論じていくことになる。

■ “J”に引き続く“K”

順列を表象する特定のアルファベットの存在は、同時にそれを引き継ぐもの、あるいはそれを超克するものの存在を前提とする。歴史の流れからすると、“I”は“J”によって引き継がれ、また“J”は“K”によって克服される運命にあるという解釈が可能である。そしてそのように読まれることで、“J”が“J”である理由が明らかになる。そして“J”やその周辺記号に賦与された象徴は目的を遂げ、その表現は完成する。

やがて“J”を超克するかもしれない“K”は、英語圏において「黙字: silent letter」としても機能する。もともとゲルマン系の言語において発音された“K”(特にイニシャル)の幾つかは発音されない“K”として英語圏に輸入された。このように英語圏において「発音されない音」の文字が用意されたことは興味深い。それが人為でなかったとしても、後々にある単語の上に任意に頭文字“K”を「加える」ことを可能にするだろうし、そうした人為的綴りの操作の下意識レベルでの前準備なのではないかとさえ穿った見方を可能とするからである。象徴的記号としての“K”は、すでに幾つかの場面で歴史に登場している。

その最右翼はク・クラックス・クラン: Ku Klux Klan / KKKである。19世紀後半に結成された白人至上主義のこのグループが、「反復する“K”」を持つのは興味深いことである。幾つかの致命的なスキャンダルの後に、その政治的影響力は急速に衰退したが、合州国社会における貧富の格差の拡大など、今日的な社会現象を背景に、再び勢いを盛り返しているという観測もある。基本的には伝統的なfamily valueや女性の貞淑(男女不平等主義)などを強調するKKK団員の思想は、反近代主義と片付けることも可能だが、むしろ民主主義や自由主義、そして何よりも平等主義への反動と考えるのが適当であろう。

KKK with Stars and Stripes

キリスト教原理主義とも結びついたこの結社が、ユダヤの民族や伝統を低く看做す反ユダヤ主義者であることも知られた事実だが、そのキリスト教自体がそもそもその成立まで起源をさかのぼれば、そこにはユダヤ人とユダヤの伝統があることを考えれば、皮肉のひと言に尽きる。

参考サイト

クー・クラックス・クラン@Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/クー・クラックス・クラン

図版引用先

The Real Flag Of The Ku Klux Klan

Ku Klux Klanが「団旗」として最も頻繁に用いるものが、合州国の星条旗であることを告発するサイト。南北戦争時の南軍の用いた軍旗 (The Confederate Battle Flag)ではないとして、実際に星条旗を掲げているKKKの写真の数々を掲載している。

Katipunanは、19世紀のフィリピンでスペインからの独立を目指してアンドレス・ボニファシオらによって結成された秘密組織。カティプナンという名前はタガログ語の正式名称「カタアスタアサン、カガランガランガン、カティプナン・ナ・マガ・ナナク・ナ・バヤン」(母なる大地の息子たちと娘たちによるもっとも高貴にして敬愛されるべき会の意)の短縮形であるが、「KKK」というシンボルマークでも知られる。スペインの植民主義者がカトリック教会の代理としてフィリピンを直接支配していたことを考えれば、Jesus主義である宗主国からの独立を目指した秘密結社が、KKKというイニシャルを持っていたことは極めて興味深いのである。

カティプナン@Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/カティプナン

ちなみにKから始まる国名は現在7ヶ国。Kazakhstan, Kenya, Kiribati, Korea, Democratic People’s Republic, Korea, Republic of, Kuwait, Kyrgyzstanだという。

■ “J”に対する概念としての“M”

こうした特殊な記号として機能する文字には“J”の他に“M”がある。

屹立した男根としての“J”は、女性原理の象徴たる“M”を常にパートナーとする。イエス(Jesus) は、処女懐胎によってMaryから誕生し、後には性的関係を囁かれるマグダラのマリア (Mary Magdalena: MM)と浅からぬパートナーシップを築く。現代においては“公娼”マグダラのマリアは、20世紀のセックスシンボル、Marylin Monroe (MM)によって象徴され、そのゴシップの相手はJackとの愛称で親しまれたJohn F. Kennedy (JFK) であった。

50年代に始まるモダンジャズ(Modern Jazz)のブームは、Modern Jazz Quartet, MJQを産み出した。

ウィリアム・ギブスンの短編小説『記憶屋ジョニイ』 (Johnny Mnemonic) は、映画化され、それは“JM”というタイトル名で流通された。

JM DVD JM VHS

興味深いのは、国内販売されたDVDジャケットデザインと北米で販売されたビデオパッケージを見る限りでは、“JM”という省略形のタイトル使用がどうやら日本国内に限られたらしいことである。北米では“Johnny Mnemonic”というフルスペルになっている。日本における省略タイトルは映画タイトルを覚え易くしたのが唯一の理由ではないであろう。

一方、前出の新日本様式“Japanesque Modern”は、“JM”という省略号を採用している。

いずれにしても“M”については、本稿の網羅領域を越えるので別途詳述することもあるかもしれないとだけここでは断っておこう。

Jの陰謀 〜 新しいアルファベットを巡る仮説的表象論・完