Archive for April 18th, 2007

エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

Wednesday, April 18th, 2007

II 巻

199 律法主義の発展

ユダヤ人は、ペルシア支配下(平和の続いたバビロン捕囚時代)にあったとき、律法改革を進め、割礼などヤハウェの民の一員であることのシンボルに価値を与えた。

→ 比較的新しい、改革の結果根付いた宗教慣習。

「不純」な異国の世界の中でこそ伸長させられた民族的アイデンティティ。

これは現在も世界の各地で(日本でも)繰り返されている。

同化ではなくて異化が生じる。

以前書いた拙論「自尊と愛国」の裏付け。

「贖罪の仕組みが非常に巧みに作られているので、新しくよりよい秩序を作ろうという望みが生まれる余地はほとんどない。司祭たちの発言には、終末論やメシア待望論は片りんもみられない」

p. 270-271

200 聖なる知恵の人格化

ユダヤ教の歴史に計り知れない影響を与える事になったもっとも重要な事件は、ヘレニズムとの出会いであった。青銅器時代後期には、ギリシア人は、すでにパレスティナと継続的な関係を持っていた。最初の1000年間、ギリシア人の流入は着実に増え続け、ペルシアによって支配されていた時期にさえ続いた。ヘレニズム文化が大きな影響力をもつことになるのはアレキサンダー大王の勝利以降…

アレキサンダーの死:BC323

p. 273

キリスト教の経典がギリシア語で書かれることになる時期から300年以上前に、ユダヤ文化自体がギリシア文化の影響を蒙っている。「ギリシア文化の影響を受けたユダヤ文化」というものは、自分の中にはイメージできなかったものだ。ギリシアの影響は、「キリスト以降」というイメージがあったため。

だが、もちろんもうちょっと注意深く考えてみれば、キリスト教の経典(新約聖書)がギリシア語で成立しているという事自体が、パレスチナの地がそれに先立ってギリシア文化の絶大なる影響下にあって久しいというのが当然なのである。しかも「絶大なる影響下」というのも漠然として言い方で、千年というスパンで続いたということを《認識する》ことが重要なのだ。