Archive for April 27th, 2007

エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

Friday, April 27th, 2007

II 巻

212 アルサケス王朝統治下(前247年から紀元226年)の宗教的志向

アルサケス家が政権を奪取した後に明確化された王朝のイデオロギーの要素のなかに、この数世紀にわたって大帝国の辺境で遊牧生活をしてきた、無敵の種族の遺産が示されているということはおおいにありうる。しかし、ヘレニズムの魅力には抗しがたいものがあり、すくなくとも紀元一世紀までは、アルサケス王朝はヘレニズム化を奨励したのである。しかしながら、彼らが模倣しようとしたアレキサンドリアのヘレニズムの中に、多くのセム族的、あるいはアジア的な要素が吸収されていたことを思い起こすべきである。(page 324)

前回も書いたように、ユダヤの教典の中のギリシア的なるものの影響について言及があったが、今回はヘレニズムの中にアジア的なもの、しかもセム族的な──ということはユダヤ(セミティック)的な──ものの吸収について語られている。これはセム族的なものとギリシア的なものが相互に影響を与え合ったと解釈できる部分である。

「セム族的」と言ったのが、エリアーデがユダヤの民族よりも大きな何かを暗示したくて選んだ表現なのか、あるいはまさに「ユダヤ的」ということを控えめに言いたかったのか、その意図は分からない。だが、「アジア的な要素」で思い出すのは、アレキサンダー大王のアジア遠征から遠からぬ時期に、初めてギリシア文化人(王)が仏教の哲学(僧侶)と出会ったとされる逸話である(「ミリンダ王の問い」)。もしそれが伝説以上に信頼できるソースであるとすれば、つまり、もし仏教哲学がヘレニズムに影響を与え、そのヘレニズムがセム族の宗教やその支流(キリスト教)に影響を与えたとするならば、この文化伝播の物語の中に、仏教からキリスト教へと繋がる一本の道筋ができ上がるではないか。

『ヒュスタスペスの神託』は、七〇〇〇年を単位とする終末論的年代記にもとづいてその預言を正当化しているが、各々の一〇〇〇年はそれぞれひとつの惑星に支配されており、そこにはバビロニアの影響がみられる。しかし、この年代記的な図式の解釈はイラン的なものである。最初の六〇〇〇年のあいだ、神と邪悪な霊が覇権をめぐって闘い、邪悪な霊の方が勝利を収めそうになるが、そこで神は太陽神ミスラを送り、このミスラが七番目の一〇〇〇年を支配する。そして、この最終的な段階が終わると遊星の力は衰え、宇宙の擾乱によって世界は更新される。こうして、終末論的目的をもった神話的年代記が、キリスト教時代の始まろうとする西洋世界におおいにひろまることになる。(page 326)

7000年を単位とするという概念には、その期間を等しく千年の単位で分け、七つの部分からなる時代区分を可能にする意味があるが、これはあたかも千年が一日に相当する一週(一周)間と捉えることもできる。実際的には、現在すすめている「数秘学批判」でも若干の言及をすることになるだろう「加速する時間」の法則*によって、ひとつひとつの時代を等分にはできないのであるが、単純化された話としては十分に理解可能である。等しく千年の単位で分けるという「7000年で一周する」一つの円環のイメージは、記憶術的な価値があると看做すことは可能である。それは、複雑な「加速の法則」なるものを、数千年を生き延びなければならない「有史外の記憶」として保持させることは難しかっただろうことを考えれば納得できるだろう。

「終末論的目的をもった神話的年代記が、キリスト教時代の始まろうとする西洋世界におおいにひろまる」については、キリスト教時代の幕開けに先立って、図らずも(?)ある種の地均し的な準備が行われたことが諒解される。そこで、時代性への自覚にスイッチが入る。そして最後のカウントダウンが始まる。そのためにキリスト出現という一大イベントを境に時代が「その前: BC」と「その後: AD」とに区別される。そして、キリストの磔刑によって掲げられた十字架の目印が、歴史を過去と未来に区分けする。そしてわれわれは、その目印が打ち立てられてから、ほぼ誤差なく2000年が経過した時代を生きている。

* ひとつの時代区分は、残された時間の2倍の長さに当たる。実際にこうはなっていないが、時代の加速は2/3ずつ縮まっていくという法則から言うと、下のようないくつかの可能性がある。

1: 8000BC〜2000BC(6000年間:約1万年前から)

2: 2000BC〜1000AD(2000年間:約4千年前から)

3: 1000〜1666(666年間:1000年前から)

4: 1666〜1888(222年間:333年前から)

5: 1888〜1963(75年間)

6: 1963〜1988(25年間)

1: 7000BC〜1000BC(6000年間:約9千年前から)

2: 1000BC〜1000AD(2000年間:約4千年前から)

3: 1000〜1666(666年間:1000年前から)

4: 1666〜1900(222年間:333年前から)

5: 1900〜1975(75年間)

6: 1975〜2000(25年間)

1: 4000BC〜1AD(6000年前)

2: 25AD〜1360AD(2000年前)

3: 1359〜1800(666年前)

4: 1803〜1950(222年前)

5: 1950〜2000(75年前)

6: 2000〜2025(25年前)

1: 10000BC〜2025BC(12000年前)

2: 2025BC〜675AD(4050年前)

3: 675〜1575(1350年前)

4: 1575〜1875(450年前)

5: 1875〜1975(150年前)

6: 1975〜2025(50年前)

1: 10000BC〜2025BC(12000年前)

2: 2025BC〜675AD(4050年前)

3: 675〜1575(1350年前)

4: 1575〜1875(450年前)???

5: 1875〜1969(150年前)???

6: 1969〜2025(50年前)

実際は西暦2000年を境に一つの時代が終わるという単純化が起こっていたが、そのようにはならなかったということ。おそらくプラスマイナス最大で25年ほどの誤差があるのだろう。ここにアップするのが不適切なほど、未検討。

214  時間の終末論的機能

この説のタイトルが示すように、時間というものの概念は文明の出現と供に、と言うことはすなわち変化し変成する人間社会の発生と供に、登場した。そして時間の登場は歴史の登場と同義である。だが変化が単なる変化ではなく、環境の不断の改変を伴う、言わば進化論的な性質を帯びるに従って、終末を予期(予定)させるものとなる。

時間的なイメージと象徴は、ゾロアスター教やズルワーン教のコンテクストの中でも記録されているのである。同様の状況が一万二〇〇〇年の循環論に関してもみられる。(page 332)

215 二つの創造──メーノーグとゲーティーグ

アフリマンは、オフルマズド(アフラ・マズダー)が完全な存在になることを助ける。つまり無意識のうちに、また意図せざるうちに、悪は善の勝利を促進することになるのである。このような考え方は、歴史上、比較的頻繁に登場するもので、ゲーテをも魅了したのだった。