Archive for May, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #2

Tuesday, May 8th, 2007

(引用開始)

ヤズドに赴いた(ポルトガル人ペドロ・)テイクセイラは、そこで「太陽と火に仕える人びと」を見た。そこには、三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」があった。「火はヤズドから一日行程で行ける山の上にあり、“火の家”とよばれ、多くの人びとが常にそれを見守っていた」と語り伝えている。

彼こそゾロアスター教徒が今日なお、イスラーム支配下のペルシアに生存しつづけていることを報告した最初のヨーロッパ人であった。(p. 41)

(引用終了)

これを読んだわれわれは「三千五百年以上ものあいだ絶やされることなく保存されている火」の逸話に驚くかもしれないし、むしろそのような記述を信じようとさえしないかもしれない。だが、もしそうだとすればそれはその火そのものの指し示す意味や、それを維持しようとした儀礼の象徴する内容に思いを巡らせられないからである。

実は、3500年どころでない永きに渡って「絶やされることなく保存されている火」というのがある。それはわれわれの身近に存在する。われわれの生きる文明それ自体がそれである。その「火」はわれわれの文明が安全な場所として絶えることなく維持されるべく燃やし続けられてきた。その努力たるや、「三千五百年以上ものあいだ」火を絶やすことなく保存すること… どころでない真に遠大な構想と規模を持った壮大なグループワークなのである。そしてそれはことによるとすでに一万年ちかく続いている可能性さえある。

われわれの文明維持のための技は、個々人の短い人生において個別に発展させられたり維持されたりしているものではない。個々人はその遠大な事業を可能にする役割のごく一部を担っているだけである。それは親が直立歩行しているのを見て、それを真似して直立歩行しようと子供が努力するくらい、言わばあたりまえに見られる「社会学的」な現象でもあり、また、一度も絶やすことなく維持されてきた書き文字の文化や、火を起こしたり水を制御したりすることを含む、われわれの安全な生存に必要な技術の伝承によって成されてきた。文明とはまさに一度熾(おこ)した火を絶やすことなく集団で役割分担や交替等をしながら雨風から守り通す行為そのものである。

だが、情報の集積と情報の学習によって、火を維持する技術はそれをただ維持するばかりでなく、世代を経るに従って洗練さえされてきた。

ことによると、その火の維持の儀式によって伝え切らなかったことがあったのかもしれない。それは、火の規模拡大の禁止である。家族何人かを暖かく維持し、食事のための煮炊きをするのに必要な、細々とした火の維持をしつづけるのではなく、その火を一ヶ所のみならずあらゆる場所で、しかもいつでも再現したり取り出したりできるものとして「開発」することが、単に安全な生存の確保以上に、便利で豊かな生活を可能にならしめた。もはや一旦消えた火を七転八倒の苦しみを経て熾す必要もない。それはいつでも取り出せるものとなった。

そして、それは単に消極的に「火」の維持をするばかりでなく、ひとつの個人の人生が終わる度毎に一から学び直されることではなく、一旦、前世代によって学ばれた「炎の維持」についての知識を、既存の技術や自明の知識の上に新たな方法や手段を積み重ねることによってより「進化」させることを学んだ。それはつまり火の規模の増大である。

それは絶やすことなく維持される火であったのが、大きくなりすぎる火を消して回り続けなければならないような危険な《大火》へと成長することになるのだ。

プロメテウスが人類に手渡したと言われるその「小さな燃えさし」は、いまや巨大なダイナモを回すための松明の炎となった。強大に成長したダイナモはあたかも地上の生ける神となり、更なる燃料を要求した。そして人類は開けることのなかった「炎を閉じ込めた厚い壁」を破る方法を学び、ついには太陽に由来しない炎を手に入れた。そしてその炎はダイナモを止めることなく回し続けることができるようになったかに見えた。

拝火教徒とも呼ばれるゾロアスター教徒の儀礼の炎は、このようにして確実に今に伝わったのだが、肝心のゾロアスター教徒(パールシー)は数多く見出されていない。現在インドなど僅かな場所で──だが特別な地位をもつエリートとして──存在しているという。しかもインドにおいて、原子力発電産業は少数派のゾロアスター教徒らによって運営されている*という。遠大なエイオンを越えて《火》の秘術を伝えた拝火教徒は、我らが世界においてもその名に相応しい役割を担っているのである。

* ユダヤ人たちが伝統的に金融業(金貸し)などの領域にその活路を見出したように、被差別の少数派が、ひとが伝統的にあまり関わりたくないと考えるような「汚れた」職業に就かざるを得なかったために、特定の産業部門にそのようなマイノリティがよく見出されるというような社会的なメカニズムによって似たようなことが、インドにおけるゾロアスター教徒に起こったと言うことができるかもしれない。

忘れられた宗教の機能

Tuesday, May 8th, 2007

当たり前のことを言う気はない。だが換言して、これほど当たり前のことも無い。

宗教の機能の一つ。それは何と言っても過去の“歴史”を伝えるということ。

人類にとって忘れるべきでない「なんらかの重篤な事態」が、「なんらかの原因」によって引き起こされたということ。すなわち因果についての学であること。

翻って、それを再び繰り返さないための智慧も同時に提示(教示)するものであるということ。

「因果」というのは人間の欲望が文明的な、《始まりがあって終わりがある》という人間の運動を惹き起こすということ。

すなわちわれわれの生きる世界が、「αであってΩである」という運動についての学であると言うこと。

滅びがあるのは発端があるため

という原理に到達する(悟る)こと。

文明行為という発端が、滅亡をも約束する。その因果応報を阻止することが「地上における輪廻からの解脱」である。そこに霊的な概念を持ち込む余地はない。あくまでも地上的な「出来事」にたいする学として、対策として、宗教は存在する(した)。

忘れ去られて歴史にも記録されることができないほどの旧さを持った「ある出来事」に関わる「因果」について伝えるのが、宗教というものの本来持っていた内容である。あるいは神話の形で残っているのがその断片である。

しかし、そうした因果の法則を理解できない、あるいは実際に起こった事態を、それとしてリアルに実感できない「その後のひとびと」(子孫)によって、宗教の役割が早々に見失われる。「とにかく守らなければならない因習」と形骸化しているものが、宗教を起源とするさまざまな因習・作法であり、また伝統と呼ばれるものである。

意味を考えることなく、「伝統の伝えるところをとにかく守り続けていれば安全である」ということを言い出す教条主義がまかり通る。そして、それをするのが僧侶であり、それを支持するのが信仰者たちである。

宗教の中でも教条のみが強調されているのが、われわれの現在知るところの「宗教」である。だが、本来の宗教の伝えようとした歴史の真実や、因果の法則を理解し、それを今後の時代に伝えるために、宗教との関わりのなかでわれわれにできることは「信仰者」になることではなく、「宗教」の伝える断片を解明し、正しく理解し、それを再構築することである。

それが宗教学である。

現在「宗教」となっているものの多くは、かつては人間に関する科学であり、あるいは社会科学であり、また心理学であったものである。

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #1

Monday, May 7th, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』(表紙)

(引用開始)

彼[ヘロドトス]はペルシアへ足を踏みいれたことはなかったが、小アジアに生を受けた歴史家としてペルシア人と常に交流があったと考えられる。ヘロドトスはペルシア人の風習をギリシア人の風習と比較して、その文化の対照をひきたたせ、異文化の構造に鋭いまなざしを投じた最初の人であった。「ペルシア人は偶像(アガルマ)をはじめ神殿や祭壇を建てるという風習をもたず、むしろそういうことをする者は愚かだとする。思うにその理由は、ギリシア人のように神が人間と同じ性質のものであるとは彼らは考えなかったからである」とヘロドトスは記している。(前田耕作『宗祖ゾロアスター』p. 14) [ ]内:引用者による補遺

(引用終了)

ゾロアスター(ツァラトゥストラ/ザラスシュトラ)に関する話題から大いに逸れてしまうが、この記述はギリシアとペルシアの違い──あるいはそれぞれの知性のレベルの同等性──を浮き彫りにする意味で興味深いところである。どちらが科学的で、どちらが迷信的かという単純化された比較が意味をなさないことは重々承知の上で、一つの説明を試みたい。

まず前提として知っておかなければならないのは、この二つの文明の邂逅は、いわゆる「ヨーロッパ*」がまだまだ「未開」の状態の時の、そのような地域概念さえなかった遥か以前の、紀元前5世紀の頃の話だ。

* ローマ帝国崩壊以降にヨーロッパが成立するという捉え方から

ペルシア人が偶像をもたないばかりでなく、そうしたことをする者を愚かだとする考えは、一見して知性の上でより「進んでいる」ような印象をもたらすもので、それは後のユマニスムやサイエンス誕生の潜在性を大いに臭わせるものだ。一方、ギリシアの神々が人間と同じ性質のものであると考えていた当のギリシア人の「神学」は、神々と供に生活をしているひとびとに共通して見出されるもので、むしろ神学以前の原始的な歴史観・世界観の反映であったと言える。つまり、神々の登場するいわゆる「神話」というのが、今を生きる人間と同じ性質──すなわちかつて生きた人間自体──の存在の記録であることを諒解していたことを意味するのではないか? 神々と暮らしていたギリシア人はMyth(神話)をもちつつ、すでにMythology(神話学:神話についての解釈学)をも持っていたのだ。そしてそのMythologyがそのまま意味として「神話」であるとさえ思われるような歴史的な旧さをもっている。

Mythをおろかにも「神話」すなわち「神々についての想像上の物語」としか考えないとき、ギリシアの神々の話は、宗教的な神(神々)の話であると誤って解釈してしまう。同じ「神」の名で呼ばれるものが、ギリシアとペルシアではまったく違うのではないかということを一旦前提とすると、ペルシアの神がギリシアにおける「神々」とは全く別の抽象的存在であることを理解できるであろう。

それぞれ民族のもつ神が同じものであるといういかにも当たり前な前提からは、程度の低い比較しか行えないのである。

しかるに、「偶像は愚かなこと」と考えるようなペルシアにおける神との関わりについての別の思考(神学)というのは、先程も述べたように、ユマニスムに連なっていくような科学的態度に近いのかと言うと、それはそうであるとも言え、またそうでないとも言えるのである。

偶像に対する禁忌が、実は刻まれた神の像に対するタブーのみならず人間の手によって作られたあらゆるもの(物)に対する態度であり、それは人の手による創造物への煩悩の徹底した排除に繋がる。これはむしろ仏教的悟性が達成した「物に対する無関心」なのであり、われわれをつくり出した方(至上者)との直接の繋がりの下で生きていこうとするいわば選択的なストイシズムなのである。人の手によって造られたものに対する崇敬の排除/禁止とは、科学技術(テクノロジー)に対する警戒にも通じていくものである。

われわれはまず、「偶像」の指し示す意味、そして偶像崇拝の禁止の意味を正しく理解すべきである。そうすることで、ペルシア人が到達し、またイスラム教などの後の教義の誕生に繋がっていくひとつのオリエント的な智慧の存在に気付くであろう。そして、礼拝対象の「偶像」とは違った意味での「神々の物語」を執拗なまでに保存し、また解釈を繰り返した古代ギリシア人たちの智慧の意義を再び見出すであろう。

“伝統”数秘学批判
──「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [18]
“5”の時代〜「元型的木曜日」#4

Saturday, May 5th, 2007

US flag (Stars and Stripes) The Pentagon

(左)五芒星をあしらった最初の国旗──五芒星を解放し大衆化させた時代の権化としての国家が登場する。それはかつて大英帝国の国旗、ユニオン・ジャックがまさに「“4”の時代」を表象していたことに重なる。「数性5」をモチーフとした国旗は登場してから僅か230年余しか経っていない。

(右)アメリカ合州国の国防の拠点。その名もペンタゴン(五角形)。

■ 古くて新しい図像の深層と秘教的伝統

五芒星が紀元前3000年以上の昔から存在していたという言い方で、その歴史的な旧さを強調する紋章学者や図像学者が多く、筆者もその自体を否定するわけではない。事実、そのことこそが超歴史な周期性を証しているとさえ言い得るのであるが、旧さに言及する言説のほとんどが時間軸上における五芒星の使用頻度や出現頻度の分布や、その出現様態やコンテクストに意識を向けたことのない人々によるものである。確かに全ての数的祖型図像には複層的な意味がある。だが、そのうちのひとつは本論で繰り返し示唆してきたように時代精神(ツァイトガイスト)の反映なのである。したがって筆者はそのポピュラーな使用が5千年以上に渡って持続的に行なわれてきたという考え方に与しない。

むしろ五芒星は最も古層に属する歴史的・文化的地層から再発見されて、近代においてついに本格的に復活を遂げポピュラライズ(大衆化)されたと言うべきなのである。古代エジプトのヒエログリフの刻まれた石盤や粘度版、あるいは石室の壁やバシリスクのようなモニュメントに同じく刻まれた五点星形(「大文字 だいもんじ」のようにも見える記号)が、ペンタクルの亜種(ヴァリアント)であることは今さら議論を待たないが、それをもって、数性“5”の超時的な普遍性を意味しないのである。したがってこの節で扱うのは、あくまでも「復活後」の五芒星図像の意味する内容に関してであり、その近代性についてである。

■《呪縛解放》された五芒星

再び話は五芒星そのものに戻る。五芒星はひとたび日常的な「星をあらわす記号」として採用されるや否や、かつては忌まわしいもの(禁忌)として、あるいはまじないの類(呪物)として聖別化されていたにも関わらず、それをまったく忘れてしまったかの様に、野火の勢いで世界中に広がることになる。

20世紀に入って、ことに第二次世界大戦を戦った国々の軍帽の徽章としても五角形の星が当然の様に採用されたことは特筆すべきである。軍帽の徽章について言えば、第二次世界大戦中、連合国/枢軸国のどちらに関係なく両陣営で広く採用された。中国も合州国も日本も五芒星を額の上に掲げ、それを自らの徴としたのである。

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旧帝国陸軍中将の軍帽 (1)

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旧帝国海軍下士官軍帽 (2)

人民解放軍

人民解放軍(中国)の軍帽 (3)

Soviet pin

旧ソヴィエトの鎌とハンマーのピン Red Star w.Hammer & Sickle (4)

US Air Force

米空軍の徽章(USAAF Shoulder Sleeve Insignia)(5)

Airforce

U.S. Army Air Forces in World War II (6)

画像引用先:

(1) 佐藤賢了陸軍中将軍帽

(2) 昭和17年制 海軍下士官軍帽

(3) www.easterncurio.com

(4) Angie’s Outdoor

(5) United States Army Air Forces @ Wikipedia

(6) U.S. Army Air Forces in World War II

第二次世界大戦後は、アジア、アフリカ、中近東など世界の各地で、欧州各国の植民支配を受けた地域が「近代国家」として次々に独立してゆくことになる。特筆すべきことに、国家として新たに「国際社会」へと登場したこれら独立国の多くが、五芒星を国旗の要素として持つのである。この徴の広がりは、資本主義圏、(旧)社会主義圏、イスラム文化圏、ラテン(カトリック)文化圏、などの国政を支配する思想/文化、宗教/宗派/教義の別なく見られるもので、比較的若い国々の間で見出される共通点なのである。

Singapore People's Republic of China 中国 ガーナ シリア キューバ パナマ

上国旗:シンガポール、中華人民共和国(中国)、同国璽 National Emblem、ガーナ、シリア、キューバ、パナマ

以後、同様のことは本稿によって何度も繰り返されるが、この徴の存在自体やその理由をわれわれが訝しく思わないのは、その図像の登場とほぼ時を同じくしてわれわれ自身がこの世界に生を受けたためであると言えるかもしれない。われわれにとって五芒星があまりに日常的、且つありふれた図像でしかないのである。したがってそれが特別で重要な何かを表しているということさえ着想できず、意識さえを向けられないでいるのである。だがこの五芒星に限らず、時代を象徴する図像とはまさにそのように機能するのである。

以下に挙げるのは、五芒星を国旗に持つ国の例である。社会主義/共産主義体制であった旧ソヴィエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、キューバなどから、アメリカ合州国、リベリアなどの資本主義国家、そしてイラク、シリアなどのアラブ/イスラム圏、カメルーン共和国、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国などのアフリカ圏、ホンジュラス共和国、パナマ共和国、チリ共和国、ブラジル連邦共和国、プエルトリコなどのラテンアメリカ圏まで、さまざまな由来を持った国がある。

その伝播はまさに20世紀の人類の行為なのである。

■ 「数性5」の図像群の現代性と「数性5」の象徴としての五芒星: The modernity of pentangular archetypes and pentacle as the numericity five

現代という時代を特徴付けるものは、前述したような「五欲」についての個々人のレベルにおける成就である。「時代精神」という観点からすれば、現代という時代区分における究極目的はこれら身体的充足の達成である。そしてその目的は文明化された世界の各所において、着実に実現されつつあるものとして視ることができる。

ポップアートにおける五芒星の取り上げられ方からは、他ならぬポップアートが新興国アメリカ発であるということによっても、それが時代を反映するものであることを無意識に受け入れているのである。

マン・レイ(マルセル・デュシャン)による五芒星形に頭を剃った男の有名な写真は、まさにそうした象徴としての五芒星に対する「自覚」をあからさまにしたものに等しかった。またそれにさらに触発されたという武満徹の管弦楽曲《鳥は星形の庭に降りる》は、まさに秘教的数性としての「5」を正面から扱ったものである。作曲作品の英語のタイトルも武満徹本人が考えていたことが知られている。同作品の英タイトルは、“A Flock Descends into the Pentagonal Garden*”と賦与されているが、これも数性“5”を歴史的に固定化させるものである。

* これはむしろ「ある(動物の)群れは五角の庭に降下する」であり、英語タイトルから解する限りにおいて庭の形は星形(星状五角形)ではない。五角形である。またflockは鳥の群れも含むが必ずしも鳥だけではなく羊の様な哺乳類の群れも指す。

■ “5の時代”の象徴とアメリカ合州国

冒頭の口絵キャプションでも示したように、五芒星を近代国家の国旗として最初に採用したのはアメリカ合州国である。そしてその事実にこそ五芒星の大衆化の最大の原因を求めることができるのである。

“5の時代”の幕開け(あるいは“4の時代”の凋落の決定)は、大英帝国が新大陸アメリカの13植民州の抵抗勢力に対し、植民地護持の戦いに挑み、その挙げ句それに敗れ、広大な植民地と世界覇権国としての地位を一挙に失ったのを契機として始まる。これまでもそうであったように、ひとつの時代区分の終焉と次の時代への過渡期には、それぞれの時代を代表する新旧の権勢の間で闘争が起こるのが常である。しかもそれは大規模な戦争という形態を採る。“5の時代”の黎明を告げるエポックとは、まさにアメリカの「対英独立戦争」なのである。

Naval Flag of the US

合州国海軍の軍旗。50州の州を象徴する50の五芒星が海軍そのものを表す。国旗の左上端は、その国の本体を表す。

国旗に限らず、紋章を十字によって四分割した時の左上はカントン Cantonと呼ばれる部分(下図左の黄色の四角で囲まれた部分)で、それはその紋章を通じて表現されるべき主たる要素となる。一方、それ以外の3/4は多くの場合、その主たる本体要素を取り囲む外部(外界)要素と考えることができる。紋章学的には「国体」とは、単独には存在し得ず、外部条件との関係で決まってくる相対的なものである。すべての紋章や国旗がそのようになっているとは限らないが、四分割されたものにはそのような意味にとれるものが多い。

下図右は米監督派教会 The Episcopal Church in the US の教会旗。左上の部分(カントン)が教会の主要部分を表す。クァトルフォイル quatrefoil(四葉飾り)にも見える9つの十字が、全体で聖アンドレ十字 St. Andrew’s Cross を描いている。この英国国旗 Union Jack と合州国国旗 Stars and Stripes、そしてこの教会旗が両国旗間を埋める役割についてはいずれ記述するであろう。

Canton of the US flag The Episcopal Church in the US

アメリカ合州国は、“5の時代”の権化として、周回するひとつの“エイオン Aeon”の中で、おそらく最大級の「帝国」を築くことになる。その建国に際しては、それ自体にひとつの象徴的目的があるかのように「5の数性」を表現する儀礼的な機能を大いに発揮するのである。

合州国と「50州」

例えば、アメリカ合州国は、その国旗(星条旗)に見られるように州の総数と同じ数をカントン部に持つ。これは後にも述べるように合州国が50州になることで建国の目的を果たし「完成」したことを意味する。

合州国と「ペンタゴン」

Pentagon Plaque Pentagon photo

冒頭の写真(右)でも見られるように合州国国防総省 the headquarters of the United States Department of Defenseは五角形の建物になっており、その名も「ペンタゴン」(五角形)である。このワシントンDCのすぐ南のヴァージニア州に位置する建物がそのような形状になったことの経緯は、ペンタゴンがそのサイトでも紹介しているように、そのビルの形状が土地とそれを囲む道路の形状に合わせたためで偶然であるというような建前的な説明があるが、そのようなことは到底受け入れられるものではない。あらゆるデザインには紋章学的な伝統が踏まえられているのである。また、その高さが、建設が始まってからの設計変更(追加工事)によって「5階建て」になったことなど、「5の数性」を濃厚に打ち出している点など特筆すべき点が多い。またその竣工式が1941年9月11日であったことなどは思い起こしておくべきことであろう。

参考サイト:Pentagon Renovation & Construction

合州国首都と星状五角形の都市計画

ワシントンDCのホワイトハウス周辺の都市区画はピラミッドと五芒星(逆さ五芒星)がモチーフとなっており、ピラミッドの頂点に当たるところがホワイトハウスであると同時に、逆さの五芒星の下の頂点角がピラミッドの頂点に一致するようになっている。

アメリカ合州国建国と、その陰に見え隠れするフリーメイソンの存在がこれ程までに広く知られている一方で、ホワイトハウスの北側に「逆さ五芒星」と思しきラインが道路によって引かれている、というようなことは未だあまり知られていない*ようだ(1990年代)。以下、それに関して詳述する。

DCのホワイトハウス北側には5つのスポットが存在する。すぐ北側の(1)ラファイエット・スクエアから時計回りに(2)ワシントン・サークル、(3)デュポン・サークル、(4)ローガン・サークル、(5)マウント・ヴァーノン・スクエアと位置している。これらの広場は、それぞれが道路で五角形に結べるばかりでなく、それぞれ一つ飛びに線(すなわち道路)で結ぶことが出来る(厳密には後述するようにそれは完璧ではないが)。それはすなわち (1)(2)(3)(4)(5)(1)という風に直線を辿ることができ、それによって星型五角形を描くことができる。

下の画像は1992年に筆者がDCで入手した観光マップである。五角形のみならず星形の都市計画が明りょうに視て取れる。逆さ五芒星の頂点に当たるところにあるのがホワイトハウスである。五芒星が逆さであること、国会議事堂の上空から見た形状が「双頭の鷹」(民主党と共和党を象徴する?)のデザインになっているのが、フリーメイソンの伝統的な定規とコンパスの徴であると読めるという主張もある。ワシントンDCの都市計画とフリーメイソンとの関連、また陰謀史観的な記事はウェブ上でいくらでも見つけることが出来る。

* 『ダ・ヴィンチ・コード』を書いたダン・ブラウンの別の小説はワシントンDCを舞台にしたものらしく、その点について包み隠さず詳述する小説の中では最初のものではないかと思われる

参考ウェブサイト

BIOLOGY OF THE BEAST(獣の生物学)

Mundane Astrology (世俗的占星術)by Ed Kohout

Washington DC map

クリックして拡大

(1)ラファイエット・スクエアからコネチカット・アヴェニューが北北西に伸び(3)デュポン・サークルに到る。(3)からは東南東にマサチューセッツ・アヴェニューが伸び(5)マウント・ヴァーノン・スクエアに到る。(5)からは真西にKストリートが伸び、(2)ワシントン・サークルに到る。(2)から(4)ローガン・サークル到る動線は『完全』でなく、(2)から西北西の位置にある(4)ローガン・サークルへ伸ばした線はコネチカット・アヴェニューとぶつかる点までまで道路がないが、それは再び同アヴェニューからロード島・アヴェニューが始まり、(4)に到る。(4)からはヴァーモント・アヴェニューが南南西に伸び、ついに最初のポイントであった(1)ラファイエット・スクエア、すなわちホワイトハウスに戻ってくる。ここで「ホワイトハウスに戻ってくる」と言ったのには理由があり、これらをきれいに五芒星として結ぶことの出来る点のひとつが、実は厳密に言うと(1)ラファイエット・スクエアにではなく、ホワイトハウスのすぐ北側の中庭に存在しているからである。

フリーメーソンとワシントン・モニュメント

さて、生前のジョージ・ワシントンがメイソンリー Masonry(メイソン団員)であり、彼の大統領就任式がフリーメイソンの儀式に則って行われた、などということは周知の事実であるが、ワシントンDCのワシントン・モニュメントの冠石設置の儀式及び、1885年のジョージ・ワシントンの誕生日(2月22日)に行われたモニュメントの「落成式」も、メイソンのグランドマスターの主催によるものだった。こうした一連の記録をひもとけば、合州国の国家的建造物がフリーメイソンによって「決定」され続けたと主張するための根拠となるような物証は幾つも見出すことができる。

Washington's heraldry

ジョージ・ワシントンの家紋(3つの五芒星が特徴。「555」と読める。)

画像引用先:White Boar Heraldic Design

このナショナル・モニュメントの建設計画は、ジョージ・ワシントンの1799年の死去後直ちに浮上した。最初の計画は、現在見られるような塔(オベリスク)ではなかったが、1833年頃に、フリーメイソンであったジョン・マーシャルが初代会長を務めたワシントン・ナショナル・モニュメント協会によって、現在のような計画にこぎ着けられたという。オベリスクを基本デザインとしたのも、ロバート・ミルズというメーソンリーであった。1848年に始められた工事は、1861に勃発した南北戦争によって途中20年ほど中止されたが、1880年に再開され4年後の1884年に完成する。

Washington Monument 555 feet 全長555フィートの塔を50本のフラッグポールが取り囲む。

Washington Monument from Web banner

ワシントン・モニュメントの55フィートの長さを持つ尖塔部分は東西南北に向かって二つの目のような覗き窓が開けてある。これはさながら「白ずきんを冠った人間の頭部」のようにも見える。また、このモニュメントの足下には50の合州国国旗が掲げられるように50本のフラッグポールがモニュメントを囲むように円周状に配置されている。

モニュメントの高さは、正方形底面の一辺の10倍で、“555フィート”であるこれはほとんど驚くべきことのように思われるが、数字を3回繰り返すことで、特別な意味を表すという「ヨハネによる黙示録」以来の伝統を踏まえたものと理解することができる。この数字を3回繰り返すという作法については「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [3] 序論(下): 数性と歴史の回帰の秘儀で言及した、周回する歴史の普遍様式を表徴する元カレンダーの説明を参照のこと。

三度繰り返す数字[付録]

3回繰り返す数字の意味を証すのに元カレンダー以上に有用なものはない。数字自体は、言わば「横軸」とも考えるべきもので、その周回内における時間を意味し、繰り返しの回数は、「縦軸」とも言うべき、どの周回(何度目)に属するのかを表すのである。このような秘教的な「繰り返す数字」を、大胆不敵にも商標にする製品があることにもわれわれは注意を促すべきである。そのプロダクトの生産されている場所が、その数字との濃厚な関連を持つ国であることが明らかだからである。

555 Cigarettes 333 beer (Vietnam)

「333」ビールは、ベトナムでよく飲まれているビールであり、長いことフランスの植民地であった事実を反映していると考えられる。「555」タバコはアメリカで発売されているものである。あまり有名な銘柄ではないが特に合州国の中華街においてよく見られるタバコである。

Forest Gump 555

映画「Forrest Gump」(邦題『一期一会』 監督:ロバート・ゼメキス)の1シーンを掲載した米 Time誌の記事。3つの中国の国旗(五星紅旗)が背景になるように注意深く撮影されている。五星紅旗は赤地に黄の五芒星であるが、その数は5つである。気になるのはこの3つの国旗が天地を逆転されて掲げられているように見える点である。