Archive for May 7th, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #1

Monday, May 7th, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』(表紙)

(引用開始)

彼[ヘロドトス]はペルシアへ足を踏みいれたことはなかったが、小アジアに生を受けた歴史家としてペルシア人と常に交流があったと考えられる。ヘロドトスはペルシア人の風習をギリシア人の風習と比較して、その文化の対照をひきたたせ、異文化の構造に鋭いまなざしを投じた最初の人であった。「ペルシア人は偶像(アガルマ)をはじめ神殿や祭壇を建てるという風習をもたず、むしろそういうことをする者は愚かだとする。思うにその理由は、ギリシア人のように神が人間と同じ性質のものであるとは彼らは考えなかったからである」とヘロドトスは記している。(前田耕作『宗祖ゾロアスター』p. 14) [ ]内:引用者による補遺

(引用終了)

ゾロアスター(ツァラトゥストラ/ザラスシュトラ)に関する話題から大いに逸れてしまうが、この記述はギリシアとペルシアの違い──あるいはそれぞれの知性のレベルの同等性──を浮き彫りにする意味で興味深いところである。どちらが科学的で、どちらが迷信的かという単純化された比較が意味をなさないことは重々承知の上で、一つの説明を試みたい。

まず前提として知っておかなければならないのは、この二つの文明の邂逅は、いわゆる「ヨーロッパ*」がまだまだ「未開」の状態の時の、そのような地域概念さえなかった遥か以前の、紀元前5世紀の頃の話だ。

* ローマ帝国崩壊以降にヨーロッパが成立するという捉え方から

ペルシア人が偶像をもたないばかりでなく、そうしたことをする者を愚かだとする考えは、一見して知性の上でより「進んでいる」ような印象をもたらすもので、それは後のユマニスムやサイエンス誕生の潜在性を大いに臭わせるものだ。一方、ギリシアの神々が人間と同じ性質のものであると考えていた当のギリシア人の「神学」は、神々と供に生活をしているひとびとに共通して見出されるもので、むしろ神学以前の原始的な歴史観・世界観の反映であったと言える。つまり、神々の登場するいわゆる「神話」というのが、今を生きる人間と同じ性質──すなわちかつて生きた人間自体──の存在の記録であることを諒解していたことを意味するのではないか? 神々と暮らしていたギリシア人はMyth(神話)をもちつつ、すでにMythology(神話学:神話についての解釈学)をも持っていたのだ。そしてそのMythologyがそのまま意味として「神話」であるとさえ思われるような歴史的な旧さをもっている。

Mythをおろかにも「神話」すなわち「神々についての想像上の物語」としか考えないとき、ギリシアの神々の話は、宗教的な神(神々)の話であると誤って解釈してしまう。同じ「神」の名で呼ばれるものが、ギリシアとペルシアではまったく違うのではないかということを一旦前提とすると、ペルシアの神がギリシアにおける「神々」とは全く別の抽象的存在であることを理解できるであろう。

それぞれ民族のもつ神が同じものであるといういかにも当たり前な前提からは、程度の低い比較しか行えないのである。

しかるに、「偶像は愚かなこと」と考えるようなペルシアにおける神との関わりについての別の思考(神学)というのは、先程も述べたように、ユマニスムに連なっていくような科学的態度に近いのかと言うと、それはそうであるとも言え、またそうでないとも言えるのである。

偶像に対する禁忌が、実は刻まれた神の像に対するタブーのみならず人間の手によって作られたあらゆるもの(物)に対する態度であり、それは人の手による創造物への煩悩の徹底した排除に繋がる。これはむしろ仏教的悟性が達成した「物に対する無関心」なのであり、われわれをつくり出した方(至上者)との直接の繋がりの下で生きていこうとするいわば選択的なストイシズムなのである。人の手によって造られたものに対する崇敬の排除/禁止とは、科学技術(テクノロジー)に対する警戒にも通じていくものである。

われわれはまず、「偶像」の指し示す意味、そして偶像崇拝の禁止の意味を正しく理解すべきである。そうすることで、ペルシア人が到達し、またイスラム教などの後の教義の誕生に繋がっていくひとつのオリエント的な智慧の存在に気付くであろう。そして、礼拝対象の「偶像」とは違った意味での「神々の物語」を執拗なまでに保存し、また解釈を繰り返した古代ギリシア人たちの智慧の意義を再び見出すであろう。