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【推敲・加筆】「忘れられた宗教の機能」についての長い補足

Monday, May 14th, 2007

個々の人間が、他人に教えられたり命じられたりするままに生きるのではなく、自立的/自発的な思考と努力で──例えばいかにして終わりのある文明の伸長を止めるのかというような──「ある物事の道理」の悟りに達することができれば、そもそも掟も宗教も必要なかった。だがすべての人間が自分で物事を考え抜いたり自分で打ち立てた行動指針の通りに生きられるわけではなかった。そこで、ある特権的な知者が、あるいは使徒たちが「人間の信じやすさ」を利用して、悲劇回避のための智慧を、教条的に、「掟」として、ひとびとに守らせることをした。以後、宗祖亡き後の世界で、羊の群れに対する羊飼いの役割が「人間の組織としての宗教」となる。

したがって自発的でもなければ個人の思考力に裏付けられたものでもなく、「人間の組織としての宗教」の採った権威的且つ高圧的な組織運営方針や、単に形式的にその教義に追従すれば間違いないと考える(いや「考え」さえしない)宗祖亡き後の世界における人々に、ある種の行動規範が生じる。そのために「宗教」は一時的に当初の目的である悲劇の先送りに成功した面もあった(最大で千年くらいのスパンで)。でもそのはずが、他者からの批評を免責されるその特権的な地位によって、当然の如くその宗教そのものが腐敗する。当初の目的であった文明の成長・発展の「阻止」ではなく、それを促進するの側(俗権)に手を貸すような所行にも出る。あるいは、それ自体が立派な俗権となる。このように「宗教」自体が「転向」してしまうために、むしろその後の滅びを早めてしまうというような矛盾にも陥っていくのだ。

何のことを書いているのかと言えば、これはたとえば中世ヨーロッパにおけるカトリックが《反知 anti-gnosis》と恐怖の政策を通した歯止めによって滅びを先送りし、世界を崩壊から守ろうとしたと解釈できる点についての言及であるとも言える。そして前述のように、多くの組織に醜悪な腐敗を生じさせながらも、彼らの試みは一時的に成功し、欧州地域を悪名高き「中世」ないしは「暗黒時代 Dark Ages*」の名前で知られる一時代で覆うことができた。でもそれは読んで字のごとく、「文明の成長を遅延させる」ことも意味したので、キリスト教化された欧州は相対的に非欧州よりも「後進地域」になってしまった。

* この不名誉な呼び名は、カトリックが地上に造り上げた一大コスモスを否定的にしか評価できないルネサンス以降の人文主義者によって付けられたものである。つまり、過去より現在が、現在より未来が、今より「発展して」いて、より良い場所になっているという、「自信をつけた人間達」が付けた呼称なのである。発展や進歩と言うものは、どのような時間的スパンで歴史を概観するのかの設定によって幾らでも変わるものである。少なくとも、啓蒙主義が人の理性を至上のものと考え始める16世紀後半以降からの僅か三百数十年だけを概観すれば、いかにも人類は進化してきたように見える。

カトリックの基本方針である《反知 anti-gnosis》は、宗教の第一目的の観点からすると文明の発展を大いに遅らせた(滅亡を先送りした)点で相当の成功であったと評価することができよう。その「真実を知るべからず」の大方針が、文字通り「全世界」を覆うことができたら、世界を文明の崩壊から守ることにも繋がったかもれないが、数多くの宣教運動(ミッション)にも関わらず、歴史を見ての通り、実際にはそのようにはならなかった*。

(* というより、遅れて文明活動に参与したカトリックはむしろミッションを通して危険な文明を蒔き散らすことに寄与した。)

なぜなら世界には「別の宗教」によって管理運営されている諸国もあれば、宿命的に否定しがたい強さを持っている《知 gnosis》への傾向――すなわち“知的”好奇心――に従って行動する人々もいる。キリスト教圏は《知》への傾向に抗わないそれ以外のひとびとと出会えば、危険に曝されることになる。「遅れている」から攻められればひとたまりも無い。

したがって反文明性こそが初期キリスト教の“文明”的本性であったとすれば、その他の文明との邂逅は大変危険なことになる。キリスト教は《知》を上手に扱う他文明との出会いや、同地域内で発生する反カトリック的な諸運動との衝突を経験するにしたがって、そうした敵と互角に戦うために、《反知》であったはずの自分たち自身が、部分的な《知》の採用に踏み出さなければならなくなる。例えばジェズイット(イエズス会)の登場などもその一例である。「自分にとって黒に見えても、カトリック教会が白であると宣言するならそれを信じよう」とさえ言って憚らない彼らは《反知》の上に築かれた帝国を護るために《知》を徐々にではあるがやがて積極的に採用し始める。つまり「高等教育と研究活動といった教育活動」を奨励する。暴力を敵視し暴力の氾濫を抑えるために平和の使者が結局は暴力を採用し、その虜になってしまうというようなパラドックスである。

《知》の採用は結局、キリスト教自体の決定的な方向転換に結びつき、究極的には科学技術文明の制動装置(ブレーキ)としてというよりは、むしろ加速装置(アクセル)としての役割さえ果たしてしまう。それはプロテスタンティズムの登場と“新時代人”による採用によって決定的となった。後戻りできなくなれば、自分たちが「そもそもどうしてキリスト教徒になったのか」という当初の目的を忘れ、単なるユマニスムなり博愛主義なりになって、何でも「愛によって」許容してしまう。そればかりか、人類の罪を背負って十字架上で救世主が死ぬという「過去のできごと」が、未来の人類の行動を免罪するという非論理がまかり通りさえすることになる。どうして「かつての人類の罪を背負って死んだ」はずの救世主が、未来の罪さえも浄化できるのであろうか?* この類まれなる修辞上のトリックによって、反文明的なカトリックによるユートピア建設を夢見た筈が、現代社会に見るようなアングロ・サクソン的な「資本主義の精神」さえ、その「宗教」が包摂できてしまうことになる。つまりプロテスタント的な教義の拡大解釈によって、人類はキリスト教徒であり続けることで、「つまずき」続け、「罪を犯し」続けることができるようになったのである。したがって加速度を増し始めたその車からは、最後のブレーキさえも取り外されたのだ。

* これはわれわれ現代人の罪を背負って、未来の世界においてキリストが再び磔刑に処せられるだろうという見込みから考えれば、磔刑に処せられるべき救世主が再び「呼び寄せられている」と象徴的に解釈することが可能である。

以上のような理由から、そうしたキリスト教社会がプロテスタントによる「躓き」を体験するまでは、カトリックの欧州支配は文字通り「至福千年」として、ほぼ千年の永きに渡って続いたのだと解釈することさえできる。いずれにしても、宗教行為が人間によって運営される以上、そしてそれが生存しなければならない以上、それは人間的な腐敗や方針転換という妥協の産物になってしまうことをまぬがれない。このことについてはキリスト教に限らず、すべての、「人間の組織としての宗教」は、大なり小なり経験してきたことである。あの仏教でさえが、時の権力と手を携え、世界の文明化の拍車に一役も二役も責を果たしているのである。言うまでもなく腐敗のする宗教組織の例外でなかった。つまり、宗教の本質的な哲学や、教義の持つ「人間学」とも「滅亡回避術」とも呼ぶべきサイエンスとしての価値、あるいは集合的処世術としての価値とは別に、「宗教」がその理想をこの地上に実現しようとして実力行使に及ぶや否や、それはわれわれの今後も研究を続けていこうとしている《宗教》の本質とは別物の何か、すなわち「宗教」になってしまうのである。

そして《宗教》の本質(エッセンス)は、腐臭を放ち続けるいかにも人間的な「虚偽の宗教」の発展と「成功」との裏で、それとともに、付かず離れずの距離と保ちながら影のように従いつつここまで生き伸びてきた。本質と非本質は互いに共犯関係にあるという意味で、互いが互いを利用してきた。「大いなるウソがなければ真実も伝達されなかった」だろうという逆説。大いなる悪の大河の水に載せられて、微量の善の水が運ばれていく。悪があってこその善。そしてその善は未来に若干の種を残すのだ。

忘れられた宗教の機能