Archive for July 18th, 2007

前田耕作『宗祖ゾロアスター』を読む #3

Wednesday, July 18th, 2007

(引用開始)

「東方の三博士」とは、マタイの福音が説かれたパレスティナの人々にとっては、「マゴス」のことであったと芸術家たち[“東方三博士の礼拝”をテーマに競い合って取り上げた中世〜ルネッサンス期のヨーロッパの宗教画家たち]には分かっていたであろうか。

「星」に導かれてやってきて、「夢」を説いて帰っていった博士(マギ)たちというイメージには、占星術に通じたカルデアのマギと、夢占いにたけたメディアのマギが重ね合わされているように思える。しかし新約のマタイ伝には、旧約の「エレミア書」や「ダニエル書」が伝えるマギの姿影はすでにない。(略)

だが彼らが捧げた三つの贈り物に、古意の残存を見ることもできる。三つの贈り物=供物には、きっと彼らの出自と関係のある象徴的な内意がひそめられていたにちがいない。バンヴェニストのようにいえば、それによって社会が自らを表象する姿の総和を凝縮したものにほかならないからである。「黄金」は富、「乳香」は神に捧げられる薫香として祭祀を象徴し、「没薬」は血止めとしての薬効から、戦士に関わる象徴と考えたらどうだろう。

(略)「マタイによる福音書」のこのくだりほど象徴的な意味に満ちあふれている個所は無い。隠喩の豊かさが「福音」(よき便り)に宗教的な深い彩りを与えるのである。「マタイによる福音書」はマギについて語ったけれども、彼らの祖師ゾロアスターについては沈黙を守ったままである。だが旧いキリスト者たちは「東方」がペルシアであることも、「博士たち(マギ)」の祖師がゾロアスターであることも知っていた。(p. 28-29)

(引用終了)[ ]は引用者による補遺。

今回はやや長く引用せざるを得なかった。この重要な想像力を掻き立てる解釈的示唆がこれ以上の簡略さでもって説明されることは、著者の前田氏によっても考えられないことだったかもしれない。いずれにしても、ここで語られていることほどに聖書の「歴史的記述としての価値」を再評価できる箇所もあるまいと思えるほどの驚くべき指摘である。(正直、enteeは久しぶりにドキドキするほどの興奮を覚えた)

(more…)