Archive for August 6th, 2007

秘儀(密教)は顕教によって伝えられる

Monday, August 6th, 2007

言葉や名前の由来というものは、時に教科書的な教養として広く受け入れられた類の理由付け、そして歴史的裏付けを伴う「正統的な」理由付けによって、「顕教」的に因果関係が説明され、納得が得られる側面と、そうした史的事実の如何に関わらず、結果的にある名称によって定着せられ、その由来についての知識(事実の伝承)が途切れてもなおそれが継続することによって醸し出される「二次的な暗示」という、言わば「密教」的な側面の、二面性を持つことが多い。

例えば、われわれの属するこのエイオンにおけるキリスト(救世主)の名前が“Jesus”であるという経緯は、「彼の生きた時代と場所において、きわめてありふれた名前であって、なんら珍しいものではなく、その名前が“Jesus”となったのは単に偶然に過ぎない」とするような、史的事実のみを勘案して説明できる面があるだろう。これは言わばもっとも広く受け入れられるだろう理由付け(歴史的裏付け)による「正統的」かつ「顕教」的な説明の方に当たる。かつて筆者が拙論「Jの陰謀」のシリーズを通して説明を試みたように、あるアルファベット記号についての「秘教的な意味合いの暗示」という観点からすれば、救世主の名前が「Jから始まる特定の記号でなければならなかった必然的な理由がある」あるいは「特定の意味合いを含むものでなければならなかったためにその形象(かたち)Jに変容した」ということになろう。これは名称の意味の「密教」的、「秘教」的な側面である。

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