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携帯メールの恐怖

Friday, May 16th, 2008

インターネット経由の携帯メールが当たり前になって、しかもパソコンのメールとも「乗り入れ」ができるようになったことは便利なことだと言うべきなのかもしれない。だが同時に、時も場所も選ばずに「メール着信」を告げるベルが鳴り響く携帯メールの「便利さ」は、便利を通り越してむしろストレスを感じることが多い。そもそもリアルタイムにその着信を知らせるという機能は「メール」にあるべき機能なのか?(それを便利と思う人がいるのはもちろん分かるが。)

私事を言うなら、一昨年前に親父が亡くなる頃、夜のメールや電話の着信は病院や兄弟からの連絡ではないかと思い、鳴るたびに心臓がドキドキしたもので、それ以来、夜のメール着信音にはトラウマが起こって、臆病なくらい神経質になってしまった。今でも鳴るたびにドキドキするようになってしまったのだ。「だったらまったく音がしないように設定すれば良いじゃないか」と言うかもしれないが、それでは本当に必要なメールの着信を逃してしまうのである。したがって携帯メールの使用というのは選択的に使うに限るのだ。

そもそもEメールはファックスにも似て、「送信者が好きな時に送ることができて、受信者の都合の良い時に読むことができる」ことが第一の利点であったはずだ。その場ですぐに読んだり、返答をしたりしなければなければならないようなメッセージには、面倒くさいメールなど打たずに電話をすればいいのである。そして、それが時間的に連絡を受ける相手側にとって迷惑でない時間かどうか、という自制心が掛かるのが本来の電話のマナーである。メールが「リアルタイムの通信」に近くなるほど、時と場所を選ばないその通信手段は、相手の状況を考えない暴力にもなる。一斉連絡メールを深夜に書くのは勝手だが、そのメーリングリストに携帯メールのアドレスが含まれているなら、「送る時間」を考えなければ、見たくもないDMメールによって寝入り端を叩き起こされる「受信被害者」が出る。

もし、書くひとが深夜だろうが何だろうが、書きたい時に心置きなくメールを書き、送信することを可能にしたいなら、そのメールによって、不用意に受信者が睡眠から叩き起こされるようなことのないようにすべきなのだ。

だから自分は緊急事以外は携帯にメールを送らないように友人には伝えてあるのである。だいたい書きにくく読みにくい携帯では、リアルタイムで届いたところですぐに返信できないのである。私からまともな返信を期待するなら、PCにメールを送ってくれる方が絶対確実なのである。