Archive for March 7th, 2010

G・ファン・デル・レーウ『宗教現象学入門』を読む #2

Sunday, March 7th, 2010

Blake God

レーウの「神」に関する議論の続きを。

恣意によって苦しめられた者のみが、意志を発見する。太陽は、その気になれば、姿を隠し、光るのをやめることもできるのだと考えた古代のアニミズム的エジプト人は、太陽を永遠に昔ながらの正しい軌道から外れさせない、鉄のような運命の女神(デイケー)がいると信じたヘラクレイトスよりも、キリスト教の神概念に近い。盲目的な力や法則よりも、恣意的な神を信じる方がよい。最初によるべのない人間が、その生存の危機の中で、圧倒的な現実の背後に一個の人格的意思──それが呪うべき意思であるとしても──を想定するのでないならば、復讐の神も、正義をつかさどる神もまたわれらの主イエス・キリストの父なる神も考えられないのである。

人格神から唯一神への進展は、かなり速やかに起こる。しかし、有神論(Theismus)はやはりいつの時代にも一神論(Monotheismus)よりは重要であった。唯一の神のみがあるという理論的確信を許容する宗教は一つとしてなく、あるのはただ人間が仕えることのできるのは一個の力のみであるとの強い信仰を許容する宗教だけなのである。もし他の神々は存在しないと言われるならば、それはこの、われわれの神の他にいかなる神も存在しないという意味でである。

G・ファン・デル・レーウ『宗教現象学入門』(田丸徳善/大竹みよ子 訳 東京大学出版)「神」(の章) 16 多神教 page 132

われわれの世界が、全く機械論的で揺るぐことのないメカニカルな法則によってのみ突き動かされているという、言わば「神不在」の世界観に対しては、実に古い時代から、その是非を巡ってさまざまな考えが提出されてきたということだ。喩えてみれば、玉突きやドミノ倒しのような「原因と結果」という因果の連鎖があるだけ、という機械のような世界よりも、世界の現象が、《その者》の気まぐれであったとしても、《なにがし》かの意思によって、どうにでもなるのだということの方を信じたくなるほど、人類は自然の「恣意」によって苦しめられてきたということになる(らしい)。しかも、その苦しみは単なる偶然によってもたらされる苦しみであると考えるにはあまりにも大きい。したがって、それが同じ苦しみであっても、単なる不幸な「事故」ではなく、何らかの至高な意志者による、われわれの理性では計り知れない計画と意図を持った者(至上者)による「恩寵」であると考える方が楽なのである。その点では、“暗い哲学者”ヘラクレイトスの方が現今の無神論に近く、キリスト教の方がアニミズム的古代エジプト人に近いというわけだ。つまり神々とともに生きていたギリシア人の方が、いつでも奇跡が起こる神のいる世界ではなく、神不在の、遥かに冷厳な宿命論を受容していたとも解釈可能なのだ。

いずれにせよ、神がいるかいないかという議論に対し、人類は「いる」という回答──つまり「有神論」──を選ぶのを好み、そうした「有意志的な世界」(有神論)に対し、汎神論に向かう別の軸を想定する。

一神教か多神教かという議論については、単純な二項対立ではなく、つねに「他の神」という、半ば「客観的」な存在者へのアンチテーゼでしかなく、自分らが想定する神以外の「神々」が存在するという他者への強烈な意識が、かえって「仕える対象としての神」が唯一でなければならないという希望的な観測を裏付けている、ということになる。つまり、そこには意識的な「信仰」という選択が求められる。

さて、汎神論について言えば、「神がその名前を失うこと」とレーウが説明するような面が確かにある。エジプトの原始汎神論者は古い神の名「アトゥム」を「万神」と解釈したという。ゼウスはギリシアでは特定の(つまり「至上の」)神の固有名詞ではなくなり、例えば、エウリピデスがそうしたようにゼウス・自然法則・世界理性の三者間に区別がなく、同じ概念を表す言葉として恣意的に活用したという。またゲーテは絶対的力への信仰をこのように表現したという。

「私がそれ(神的なもの)をトルコ人のように百の名前で呼ぶとしても、まだ不足であり、そのあまりに際限のない特性に比べれば、まだ何も言わなかったに等しいであろう」。(page 135)

この言葉で思い出すのは、福音書における次の記述だ。「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるなば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」(ヨハネによる福音書 21. 24-25) ゲーテは神の名前について語っており、福音書家ヨハネは行為について語っているので関係ないとするならば、それは想像力の欠如である。行為の数だけ名前がある。そして名前の数だけ異なる行為があったのだ。この世界で起こったあらゆる奇跡的な出来事はすべて、イエスという「汎神」にその原因を求めることができる。イエスはヨハネ伝においては、神と人間をつなぐメッセンジャーであったというよりは、まさに絶対の至上者そのもの、すなわち汎神論的な意味での「神自身」、換言して、文明世界の隅々に浸透しわれわれの世界をかくあらしめる《絶対神》的な存在へと昇格しているのである。

それは神道を国家神道という形に変形し、天皇という至上者を想定し、それをあらゆる神(八百万の神々)のヒエラルヒーの頂点に座するものとしたのと比肩しうるかもしれない。つまり、この世で起こっているすべてが、この生ける神の意志次第になっている(いて欲しい)という概念は、ある意味、きわめて西洋的、いや、少なくともヨーロッパの宗教では馴染み深いものである、ということはできよう。

この回は、自分の至らない見解で締めくくるよりも、レーウの本書における最後の引用をそのまま引用して締めくくるのがいいだろう。そこにはイエスが自らを「アルファでありオメガである」と言ったその語り口(修辞法)の範型(元型)とも言うべきものが見いだされるのだ。そして、イエスが父と呼んだ存在、そしてその後の聖母信仰の範型とも言うべき、処女マリアの役割さえも、ひとつの神(ゼウス)が果たすのだ。これこそがヨーロッパのイメージした究極の汎神論的な神の姿なのであろう。

その(バガヴァッド・ギーターの)ほかに例えば、ギリシアのオルフェウス教でも、汎神論は全盛をきわめていた。「ゼウスは最初の者となり、ゼウスは最後の者となり……ゼウスは頭であり、ゼウスは胴体であり、ゼウスから万物が作り出される。ゼウスは大地と、星ちりばめられた天空のどだいである。ゼウスは男性として作られ、ゼウスはまた不死の乙女となった。ゼウスは万物の息であり、ゼウスは永遠の日野力であり、ゼウスは大地の根である。ゼウスは太陽であり月である。ゼウスは王であり……一切の存在の支配者である。

関連文書

《実在する神》への付言

“伝統”数秘学批判――「公然と隠された数」と周回する数的祖型図像 [7]“2”の時代〜「元型的月曜日」(後半)

G・ファン・デル・レーウ『宗教現象学入門』を読む #1

Sunday, March 7th, 2010

Leeuw site image

Gerard van der Leeuw (1890-1950)

「多神教」対「一神教」という二項対立は、とりわけ自分の国を多神教国家だと思い込んでいる人々の多い日本においてよく耳目に触れることのある単純化された議論である。宗教の分類の一便宜として、神道(特に古神道)が、多神教的であることは否めない。私の見解では、むしろ日本の「多神教」は、汎神論に近い感覚だと思われるのだが、以上の便宜的分類は分類として一旦は諒解はできるとしておこう。だが、どこまでそれを精緻に検討した結果で述べているのか分からないが、「日本は多神教国家だから平和を愛し、近東や欧米は一神教国家だから闘争的だ」というような言説は、政治的に有効であってもおよそ学問的だとは言いがたい単純化である。その単純化のレベルは、何度も本サイトでも取り上げられているような「農耕民族」対「狩猟民族/遊牧民族」という悪質な単純化による、他民族の劣勢(ないし、それによって強化されたと思い込む幻想的な自民族の優勢)の理由付けにも等しい。

そもそも、日本の信仰が「神道」であるというおそろしく単純化された便宜を受け入れた上で、そして、それがさらに「伝統的に多神教的である」という前提の上で述べたとしても、そのために例えば戦争(闘争)を回避できたなどという歴史的な根拠はどこにもなく、日本が現今のように政治的に統一できたことひとつをとっても、そこには多大なる闘争と、その結果としての他部族(お家)の殲滅など、大いなる暴力と人的犠牲の上に成り立っているのである。

では、日本の信仰が仏教であるという、これまた恐ろしく単純化された方便を用いたとしても、本当に日本人が仏教的な生き方をしているのかと言えば、それまた疑わしい。もし古代日本が人間の組織としての仏教の宗団を自らの文化的よすがとして、そして支配の方法として持ち込んだのが本当だとしても、それが日本の平和に寄与したというようなことを信じる程、われわれはもはや純真(ナイーブ)ではあるまい。聖徳太子の時代に、大陸の哲学である仏教思想なるものがやってきたとき、むしろそれは非仏教的旧勢力との間で大いなる摩擦と軋轢、そして殺戮さえ引き起こす原因にさえなったのだ。それに今日でも見られる日本人が仏壇や先祖代々の墓の前で手を合わせる姿を観察しても、それは仏教への帰依というよりは、それ以前から存在する祖先崇拝の方が、いかなる日本の他の信仰よりも強いものであったことが明らかに思える。言うまでもなく、祖先崇拝はきわめて宗教的な現象であり、また宗教学の研究対象でもあるが、それはアフリカやオーストラリアの旧文化世界の生き残りの観察などに求めなくとも、すぐ周辺に存在する抜きがたい宗教感情なのである。それはほとんど、「霊的に支配されている」と言っても過言でないほどの強靭さを持った現象である。本当の意味で、仏教もキリスト教も日本を「教化」できなかった最大の原因は、この伝統を克服できなかったからではないか、それがもっとも強大な霊的影響ではないか、と思われるほど、特異で、また根強いのが祖先崇拝なのである。それは異教的な影響を残している地域を除いては、欧米や近東の広い地域において、いわゆるキリスト教信者、イスラム教信者、そしてユダヤ教徒たちが、「いかに祖先崇拝をしないか」という事実と比べても明らかであろう。彼らには祖先の前で手を合わせ礼拝するという習慣を遠い昔に捨てたか、そもそも持ち合わせていなかったようにさえ思われる。これについては別の研究が存在しよう。

一方、多神教か一神教かという議論に戻れば、われわれが知るところの「神道」なるものも、国家神道の例を挙げるまでもなく、厳密な意味での《多神教》であると言い切れない部分があろう。そこには少なくとも、ひとつのまとまった体系を持つ「より近代的な宗教」たろうとする政治的動機があり、また後代における歴史の捏造や改訂があり、天皇という名の生ける神による現世支配という構図があり、きわめて一神教的な志向性の強いものでもある。

このあたりの議論を深化するには多くの材料を持たないので、ここでは深入りしないでおこう。以下に、レーウによる論考の一部を掲載して、厳密な研究というものがどういうものであるのか、ということについての想像を働かしていきたいと考えるのである。

 『旧約聖書』の一神教でさえ、神々の数について論じているわけではなく、ほかの諸々の力を無としてしまう神と民との結びつきを強調しているのである。しかし、多神教が首尾一貫して展開されるならば、神と世界とが一つになる(A)という状況が生ずる。「全能」は万人どころか多数の人々にさえも与えられず、「全能」に留まる。多神教は何らかの体系ではなく、聖なる力の独立を維持しようとする宗教のダイナミックな運動である。この運動が失敗に終わると、多神教は汎神論に移行する(B)

 これに反して、一神教はおそよ多神教の論理的展開、一種の学問的ないしは道徳的単純化などというものではない。イスラエル宗教、イスラム教、キリスト教など真性の一神教の特質(エートス)は、ひとえに「誰が神のようでありうるか」ということに存する。[神の]単一性は多様性の否定ではなく、その力の強い意思の熱烈な確認なのである。この意志は人間の生活に深く関与しているので、人間は「汝さえあるならば、私は天にも地にも何も求めない」(「詩編」七三)と言わざるを得ない。だからこそ古代の人々は、キリスト教的な一神教をスタシス、つまり革命とみなした(C)。こうして大きな葛藤が起こり、それによってキリスト教は初めて歴史の上でその場を与えられるに至った。それは諸国の勢力の特殊性を足場とし、しかもそれらを一つの皇帝権力の下に併合した「アウグストゥスの平和」(D)と、他方イエスが宣べ伝え、およそ統一帝国や世俗国家ではなく、むしろ人間が仕えるか憎むかしかできない神の力の現世への出現である神の国との闘い(E)であった。

G・ファン・デル・レーウ『宗教現象学入門』(田丸徳善/大竹みよ子 訳 東京大学出版)「神」(の章) 16 多神教 page 129

enteeによる蛇足注解

(A) 神と世界とが一つになる

「神の世界と人間の地上世界が一つになる」という意味であろう。

(B) 多神教は汎神論に移行する

通常の感覚からすると、順序は逆のような気もするが、レーウ独特の論理があるのだ。

(C) 古代の人々は、キリスト教的な一神教をスタシス、つまり革命とみなした

もっと厳密に言い換えれば、「ローマやその周辺の(ユダヤ教徒でない)非キリスト教信者たちは、キリスト教的な一神教を革命とみなした」というようなことであろう。キリスト教に先行するユダヤ教の信者が、それを革命と見たかどうかは分からない。

(D)「アウグストゥスの平和」

pax Augustusの日本語訳。伝統的にそれはそのまま「pax Romana」に置き換えられるほどの同義語。「pax Romana」が、「紀元前27年〜紀元180年のほぼ200年間続いた、軍事力による領土拡張も最小のレベルであった比較的平和な時代。アウグストゥス帝により打ち立てられた態勢であったため、アウグストゥスの平和と呼ばれることがある」とされている。Pax Romana (Wikipedia)

(E) イエスが宣べ伝え、およそ統一帝国や世俗国家ではなく、むしろ人間が仕えるか憎むかしかできない神の力の現世への出現である神の国との闘い

イエスが望んだと思われる世界が、世俗国家による「神の国」の実現ではなく、超俗の思想であったことを改めて確認している。むしろ、統一帝国などというものの出現は、イエスの理想として世界像とは対立しており、かえって、その人間の組織としての国家と宗教に(そしてその宗団内部にさえ)対立(内紛)の萌芽があった。