Archive for October 12th, 2011

音楽の《雑味》という要素について

Wednesday, October 12th, 2011

リードを削っていて陥りがちなひとつのトラップ(罠)は、吹きやすさ、鳴らしやすさを追求する余り、音がまるでサインウェーブ(正弦波)のような純粋さを達成してしまうことだ。こうなると、極端な話、オーボエなのかクラリネットなのか、はたまたサックスなのか区別がつかない様な没個性的な単なる響きに堕ちてしまう。ある楽器が特定の個性を持った音色を持つのは、そぎ落とされずに保たれた、言わば雑味の部分だ。それはリードで喩えるなら鳴らすまいとする抵抗性の要素だ。

 

これを残すことはある程度の吹きにくさ、鳴らしにくさと云う扱いにくさを許容することでもある。まさにその遺された僅かな雑味の中にこそ、楽器としての存在価値がある。

 

一体、ヴィオールのあのかすれた響きに非ざるものを削ぎ落としてしまった後に、なにが残るというのだろう。

 

つまり、今日の音楽という特殊な「交響」の中にあって、響かざる何かを追求すること以上に価値のあることはないのだ。そのかすれた囁きにこそ、音楽の生命(いのち)の宿ることを知る人々がいる限りは。

神話となるわれわれについて

Wednesday, October 12th, 2011

われわれの生きている時代は、空を飛び、海を自在に航行し、星と星の間を旅することのできた神々の時代の神話に間違いなくなるし、そうなる前の時点では、われわれの存在がまず「古代人」という名誉ある呼称でひとくくりにされるプロセスを経るであろう。

 

そして、太陽の欠片(かけら)を地上にもたらし、それで暖を取り、煮炊きをし、星の裏側の同胞と会話をし、そのあげく、住む土地を失った愚かなる神々の末裔が、やがてわれわれの愚挙をすべからく語り継ぐことになるであろう。

 

だが、その核心となる部分については、「そのような古代にそのようなことを実現したはずがない」という圧倒的なまでの正論によって、邪教の扱いを受け、まともに取り合ってもらえない類の世迷い言として、またしても排除されるであろう。そして、「過去を語り継ぐことのできない」われわれの子孫は、またしても同じ過ちを犯すことになるだろう。