1. 人生劇場 飛車角と吉良常 (1968)
監督:内田吐夢 ウチダトム
原作:尾崎士郎 オザキシロウ
脚色:棚田吾郎 タナダゴロウ
鶴田浩二 ツルタコウジ(飛車角)
辰巳柳太郎 タツミリュウタロウ(吉良常)
松方弘樹 マツカタヒロキ(青成瓢吉)
藤純子 フジジュンコ富司純子(おとよ)
高倉健 タカクラケン(宮川)
左幸子 ヒダリサチコ(お袖)
信欣三 シンキンゾウ(黒馬先生)
若山富三郎 ワカヤマトミサブロウ(小金)
大木実 オオキミノル(寺兼)
山本麟一 ヤマモトリンイチ(デカ虎)
山城新伍 ヤマシロシンゴ(熊吉)
「吉良常がピストルを銀杏の梢に向けて撃つ回想から始まる。飛車角は宮川や小金らと殴り込みに加わり、大横田の身内丈徳を斬って勝利を収めた。しかし、飛車角は兄弟分の奈良平が裏切っておとよを連れ出したことから、奈良平を斬った。そのため飛車角は巡査に追われ、瓢吉の家に逃げ込んだ...。」
これは、goo映画でのあらすじ説明だが、ようするにこれは滅び行く仁侠の世界を舞台にした「男2人女1人」の三角関係を描いた壮絶な恋愛劇。客人・鶴田浩二が女のために足抜きをさせて逃亡しようとするという普通と違った一見軟派な役所。思わず追っ手を刺すことで、刑務所に。その間、世話になった組は解体。シャバに出てきて、自分の女が恩を売った組の若い者に横恋慕されている。数奇な縁で女に思い詰める役は、高倉健で、これも鶴田に詫びを入れたらすぐに、組の親分の敵を討つためにあっけなくやられて躯(ムクロ)となる。
吉良常役の辰巳柳太郎が、全編に亘ってひと味もふた味もある演技と台詞回しをしていて、仁侠映画にありがちなパターンを大いに壊している。途中で病死するが、それまでは狂言回しのような役割も演じる。
いつもは勇ましい女侠客・藤純子が、ふたりの男の間でゆれる女心を演じきっていて、これも女優としての力量を余すところなく見せつける。おとよを見守る姉さん役(お袖)を演じる左幸子の口から出るセリフも、その話し方で芝居がかった感じがまったくしない。セリフは飽くまでも俳優が実際に言葉にしてこそセリフなのであって、脚本に書かれたテキストがそれ自体で「セリフ」なのではないのだ。
(キメ台詞)
恩人の兄貴分の飛車角(鶴田)の女(おとよ)を偶然に「横恋慕」していたことを知った宮川(高倉)が、自分の気持ちを寺兼(大木)と弟分の熊吉(山城)に打ち明ける場面。3人が川沿いの土手道にしゃがみ込んで話している。宮川は思い詰めている。
宮川(高倉健):宮
寺兼(大木実):寺
熊吉(山城新伍):熊
寺:何も、そう考え込むにはあたらねえじゃねえか。知らなかったことだ。すっぱり縁を切って、しかじかと角さんに頭を下げりゃあ、それで済むことじゃねえか...。親分にゃ、俺たちが口添えするよ。なあ、熊吉。
熊:(同意して)ええ...。そうしなよ、兄貴。
(宮川:沈黙)
寺:返事のねえところを見ると、おめえ、どうしても、おとよさんが諦め切れねえってんだな。
宮:済まねえ。俺ぁ自分にも嘘言いたくねえんだよ。
熊:兄貴...。何もそう自分を苦しめることはねえじゃありませんか。そう言っちゃあ何だが、相手は売りもの買いもの...
宮:(間髪を入れず)熊っ。もういっぺん言ってみろよ。人間の心は、売ることも、買うことも、出来ねえんだよ。人ごとだと思いやがって...
熊:何もそんな...
宮:(遮って)そんなもこんなもあるかよ、このやろっ!(語気を強める)
(向き直って)寺兼の兄貴...。くでえようだが、自分の心を騙してまで、いい子になりたかねえんだよ...。ニセの心じゃ、飛車角さんだって受け取っちゃあ下さるめえ。組の恩人は恩人。だからと言って、惚れてる俺の心はヒシ曲げることは出来ねえんだよ。ともかく、もういっぺんおとよに会って、俺の本心ぶちまけてみるつもりだ。すまねえが、それまで手ぇ引いて貰えねえか。俺ぁ俺のやり方で、やってみるつもりだ。ヤクザの出入りがどんなもんかぐらい、承知の上だ。