ルオー断章

展示#21「二人の友」これは、第二次欧州戦争が間近に迫った1938年の作品。色彩的には暖色系が少なく、やや目立たない印象の作品であったが、そこにはひとつの明瞭な秘技伝授系の伝統を感じた。向かい合う二人の顔は、波頭や神話上の獣や動物などが側面から描写されるのと同様に捉えられており、彼らが身にする黄色い服の色彩がそうであるように、ポーズ的にも構図的にも対峙し合うその対称の配置が強調されている。そして注目すべきは、右側の人物の頭上に描かれている窓からは、いつもの白い太陽、そしてそれとは正確に線対称の位置には置かれていないものの、左側の人間の頭上に、室内の明かりなのか、黄色く彩色される人工の灯火が、あたかも月(あるいは目)であるかのように、欠けた天体として描かれている。対称な二人の人物とその頭上の月と太陽の配置は、錬金術絵画のウェヌスとマルスの婚姻(そして生まれ出ずるはメリクリウス:水銀)の図と相似である。そして、この伝統的な構図を完成させるものは、向き合った二人の「友」の間に置かれている「花瓶」である。その花瓶からは暖色系の花々がまさに「炸裂せん」と咲き誇っているのである。これを私はブレイク風に「fearful symmetry」と名付けている。

展示#65 <<受難>>25「善い盗人…悪い守銭奴…」この2人の罪人とのイエスの磔刑を捉えたイコンは、ゴルゴタの丘に立てられる3つの十字架上の典型的な磔刑図のひとつのようでありながら、左右の罪人の十字架は、左右脇ぎりぎりに押しのけられており,それらはもはや十字架ではなく、イエスの左右に打ち立てられる2本の柱のようにしか見えない。そして、左右に伸ばしたイエスの腕はその二人を結びつけ、あるいはイエス自身がその2本の柱によって支えられているかの如くに見えるよう巧妙にデフォルメされている。左右ふたりの磔刑者の肉体は、柱に刻まれる文様パターンに半ば変容しており、右側の罪人はイチヂクの木に絡み付くイブを誘惑した蛇のようにさえ見える(こちらがおそらく磔刑によっても改心することのない「悪い守銭奴」の方であろう。となれば、左が、十字架上の改心を遂げる聖ディスマス、すなわち「善い盗人」ということになる)。

展示#103 <<受難>>63「聖心と三つの十字架」においては、左右の磔刑者がルオー一流の「絵の中の額」のように、絵の中に描かれた木枠となり、とりわけその左右が絵を支える「人柱」であるかのように、すでにあたかも「トーテムポール」と化している。そしてその構図の奥に、丘の上の3つの十字架が朝焼けの逆光の中に黒く浮かび上がっている。この二本の柱のモチーフは<<受難>>1「受難」、<<受難>>2「聖顔」、<<受難>>22「燃ゆる灯火の芯のごとく…」、<<受難>>48「マリアよ、あなたの息子は十字架の上で殺されるのです」でも繰り返し現れている。そしてその「柱」の通常ならざる特徴は、人間の頭部が柱の上に載っている点である。この門のような「二つの柱」はメイソン・ロッジの左右の柱においては、柱とその上に載っているグローブ(地球儀)の形でそのバリエーションが今に伝えられている。

展示#92 <<受難>>52「おお主よ、唯一の顔…」これも「fearful symmetry」のひとつ。「二人の友」と同じ対象の構図を採っている。対面する二人が互いに手を差し出しているところも同じ。だが、花瓶の位置に置かれているはずのその「華」は、聖ヴェロニカの差し出した亜麻布の浮かび上がったイエスの顔である。イエスが対称な配置の人物に挟まれるよう中央に、「今にも届こうとするそれ」として描かれているのである。

(一度イエスの血を拭ったその布は、その痕跡をその布地に残す。そしてそれは、地図のように浮かび上がって「炸裂」するのである。顔の存在自体がひとつの福音の伝播として機能する。すなわち「enlightenment(「光」をもたらすもの)」として。)

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