ゴッホの「黄金色」そして梶井基次郎の見た「檸檬」の輝き

美術三昧の3日目。だがその前に…。

先日のライヴでピアノの上に放置した財布に「足が生えて」立ち去った事件であるが、練馬の警察署からの連絡で財布が拾得されたと通知される。出てきたのである。足が生えて立ち去ったが、自分の足で私のところには戻ってこず、その代わり人に拾われて、しかも出てきた場所が阿佐ヶ谷ではなく、私が行ったこともない某所からである。実に面白いな。電車とバスを乗り継いで「遠方」の警察署に出向く。いずれにしても、すでに凍結して現金を下ろせなくなっている銀行のキャッシュカードやら、もはや期限が切れて使えなくなった運転免許やら、もろもろのカード類がそのままになって出てきたのである。だが、現金の類は小銭を含めてきれいさっぱり「吐き出された」状態であった。財布そのものが戻ってきたのは良かった。だが、全く選択的に財布の中から金品がなくなっていた。「不幸中の幸い」と人からは言われたが、そうだろうか。お陰さまで、カードからは知らない人の指紋やら何やらがついているし、気持ち悪いったらない。

鬱陶しい雨と気分を転換すべく、駅近くの珈琲屋に入って席に着くと、ゴッホの複製画が目の前にある。気を取り直して、竹橋の国立近代美術館へゴッホ展を観にいくことに。雨が降っていたことに加えて「平日」であったためか、5/3に初めて来た時よりは全然混んでいなかったのは幸い。とりあえず、舗道まで溢れるほどの行列とかはなかった。中に入ってみると確かになかなか進まない列や人の頭で観づらいところはあったが、イライラしたり耐えられないほどではない。また、あまり近距離で観たくない絵もあって、列から離脱したり、隙間の空いているところに適当に移動しながら縦横に鑑賞することも可能だったので、その人の数さえあまり気になるほどではなかった。もちろん、人は少ないにこしたことはないが、私もその集団のひとりだから不平を言っても仕方がない。

ゴッホの原画というのは今までも「単品」であちこちのミュージアムの常設展示とかでいくつかを観たことはあったが、これほどのまとまった数で、しかも適度に調光された光の下で観たのは初めてである。また、同時代の画家による作品との併設展示もあっていろいろ見比べられるのは、私のような美術に関してシロウトにとっては、いろいろなことを憶測したり学習することができて有り難いのである。

よくご存知の方なら反論もあるかもしれないが、それにしても、ゴッホの画風がまったく突如として突然変異のように世に出現したというよりは、ある種の同時代の作家のさまざまな手法(例えば点描など)を自分なりに試したり取り入れたり、取り除いたり、はたまたミレーなどの「古典」の熱心な模写を行ったり、という試行錯誤の果てに到達したものだ、という感を新たに得た。また、色彩のない初期の<<職工>>などのスケッチを見るに、きわめて精緻な素描テクニックを確固たる基礎として獲得しているということ。知っている人には当たり前のことだろうが、そうしたゴッホの作風の発展史を概観できたことには、非常に得るところの多かった。

それにしても、油絵の具の「照り」と輝くような色の艶やかさは、とても百二三十年前の古典絵画を見るような感じはしない。私はまずその絵の具の、つい昨日描かれたように見えるその新鮮さに、原画からしか感得しえない感動を覚えた。これは、最初に特記しておきたいことだ。

■ 職工 ─ 窓のある部屋 (1884)

正面の窓を通して黄金色の光が美しく描かれていて、逆光の中で織物をする職人の顔の輪郭や糸がそれを反射して黄金色に輝いている。これは、1889年から始まるサン=レミの燃えるような一連の作品群に先立つこと5年前の作品だが、黄金色に輝く「あちらの世界」の光の萌芽があるように思った。

■ レストランの内部 (1887)

併設展示のシニャックやリュスといった点描の画家たちの追求したのと同様の作風が濃厚に見られる作品。なんと言ってもレストランの壁にかけられているファン・ゴッホ自身の絵というのが、同じ日に珈琲屋で見たように、あたかも現在ゴッホの複製画が当たり前のようにレストランや喫茶店の壁に掛けられているのを預言するかのような作品(Aquikhonne曰く)で、楽しくも明るいレストランの内部の風景は、実際のゴッホの人生を思うに、かえってやるせない気持ちにさせるものである。ゴッホの悪戯はおそらく彼自身の祈念を反映している。

■ 芸術家としての自画像 (1888)

手にパレットを持つ自画像。解説によると、このパレット上の「絵の具が、色彩を混合することなく用いられた」形跡を残しているのであり、それはつまり印象主義や新印象主義の影響を物語っているらしい。その辺りは、どれだけエポックメイキングなことなのかはよくわからないが、混ぜられることなく絵の具が展開されていることは確かにキャンバス上からも伺える。しかし私が印象深く感じたのはそういうテクニックのことではなくて、ファン・ゴッホ自身が羽織っている、ボタンのひとつだけ付いたマントのような衣服であった。これが実に、同年に描かれた<<夜のカフェテラス>>の夜空のように、青地に黄金色に輝く地色で、あたかもゴッホが星で輝く「天球の空」を身にまとっているように見えてくるのである。しかもそれは常にある極点を中心に回り続ける蒼穹をカメラの「解放(バルブ)」で撮影したかのように、回り続ける夜空なのである。

■ 夜のカフェテラス (1888)

今回の「ゴッホ展」のポスターにもなったいわゆる展覧会の目玉のひとつ。この絵を見てただひとつだけ書きたい個人的なこととは、梶井基次郎の「檸檬」の次のくだりである。ちょっと長くなるがそのまま引用する。

「そう周囲が真暗なため、店頭に点けられた幾つもの電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電燈が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ刺し込んでくる往来に立って、また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬が出ていたのだ。」

断言しても良いが、ファン・ゴッホが見たものと梶井基次郎が見たものは、ほとんど同一ものだ。そして基次郎を魅せた檸檬の輝き、「電燈が驟雨のように浴びせかける絢爛」「裸電球が細長い螺旋棒をきりきり眼の中へ射し込んでくる」それとは、ゴッホの描き続けた「黄金色」に他ならない。われわれは、その色に魅せられる。

■ サン=レミの療養院の庭 (1889)

あまり手入れに行き届いていないような雑草が生い茂り、花をつけた木々の葉のひとつひとつが生命の息吹を発散していて、ほとんど「やかましい」ばかりである。ベンチが草に埋もれそうなほどの手入れの行き届いていないこのような庭自体が、最も美しい。解体が始まっており、近々「やがて記憶の景色」と化してしまう我が家周辺の都営住宅廃墟周辺や公園予定地の草むらを思い出させる。ゴッホは狂気と正気の狭間で、そうした息吹に美を見出していたのだ。

■ 糸杉と星の見える道 (1890)

解説によれば(あるいはゴッホ自身の記述によれば)、これは夜景であるそうだが、絵自体からは、描かれている糸杉の右手にある「三日月」からかろうじて推測できるものだ。だが、これが夜景であると諒解しなければならない理由が私には分からない。白っぽい道も、そこを行く人々の姿も、それが夜の道であるというなんの証にもなっていない(私には)。三日月であれば、道をあれほどの明るさで照らす「月明かり」であるはずがない。題名から伺える「星」も、その輝きは、誇張されているとは言え、まるで太陽のようだし、三日月よりも強烈な光を発しているように見えるその天体は、明らかに「太陽」を意識したものだ。そのことから僅かな私の知識の告げるところは、この絵画の描いているものが、夜景でも昼間の景色でもない、ある抽象的な(というか、現実にない)風景であるということである。それは、中央に堂々と据え付けられた燃え立つ糸杉によって左右に分断される。そしてそれぞれの世界は、三日月と太陽のように輝くもうひとつの天体、によって象徴される。これはまさに、われわれの住む「非対称の世界」そのものである。

そればかりではない。「月の下」にある右手の遠くの世界から、「太陽の下」にある左手の近景へと蛇行しながら進行する白い川では、人が押し流されているの図なのである。そして、白い道の向こうに描かれている黄色い穂をたわわに実らせる「畑の階層」は、右奥から左手前へと近づくに従ってまるでグラフのように幅広くなり、「収穫」が近いことを告げている。これが、単に「夜景」にほかならず、黙示録的なものでないと一体誰が言えよう?

■ 全体として(あるいは「神話解体」への立ち会い)

今回のゴッホ展は、展示作品の図版集に収録されているエフェルト・ファン・アイテルトによる論文が冒頭でも断っているように、「ゴッホに関する神話」の客観化がさまざまな研究によって進行する*今という時代を、おおいに反映したものであったのではないか。それが、今回の「ゴッホ展」の特徴とさえ言えるのではないだろうか。良い悪いを言っているのではない。ゴッホ神話とは、アイテルトによれば「近代芸術が社会の評価を得るための苦闘の中でたおれた殉教者」「社会によって自殺させられた犠牲者」という天才画家のイメージである。神話を信じる理由も経緯(いきさつ)も、われわれの間にさえ、さまざまあるだろう。だが、その殉教者のイメージというのが、「精神を病んだ不幸な画家(殉教者)に自分自身を重ね、ファン・ゴッホの名を借りながら、世間一般の順応主義に対してあらん限りの怒りをぶつけた(アイテルト)」らしいアルトーのように、ある創作家に対する評価が私怨によるものが幾分でもあるのだとしたら、私はそれをそのまま字義通り受け入れることはできない。すくなくとも、その「古典的ゴッホ像」でゴッホを知るに事タレリとするのは、やはり十分ではないと考えるのだ。

* 「今日では、フィンセントの作品がいつどのように売られ、彼の名声を築き上げ永続させるために遺族がいかなる努力を払ったかを含めて、彼の生涯と死後の評価の形成を正確にたどる事ができる」(同アイテルト)というのだ。

すなわち、神話とともにある作家の幻影を、自分の受け入れたい形で受け入れている状態よりも、神話が解体されて、再び作品と各自が向き合うという状態の方が、遥かに健全であると私には思えるから。私は、作家への幻想の喪失(“幻滅”と言ってしまっても良い)によって、作品を見る目が変わるくらいなら、それだけの事だったわけだし、ファン・ゴッホの作品が、「幻想の喪失」によってその質自体が簡単に失われてしまったり「再評価」されてしまうほど脆弱なものとも思えない。つねに、初めてそれに出逢ったような目で、われわれ自身が何度でも作品と「出逢えばよいこと」だと信じている。

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