「毎日」北村正任社長の「腰砕けメッセージ」読めます

「新聞よ、さらば!(って今さらだけど)」という文章を書いてからしばらくして、今度はこの新聞社社長の言葉をそのまま広告コピーにしたとしか思えない中吊り広告を何度か電車で見た。最近も、連れ合いが同じ広告を見て「なにこれ」と不快に思ったと言ってきた。しかも「マイニチやめて良かったね」とも。今度は、あの腰砕けの社長メッセージをそのまま広告コピーにして公に晒してしまった訳だ。「毎日」は、新聞の中でまだマシな反骨精神を持っている方だと思っていた(バカだね自分も)が、新聞社自らがジャーナリストしての役割を放棄するその社長宣言が、今度は広告として現れたわけだ。つまり、「毎日新聞」社長(北村正任)は、あれでいいと本当に思っているということだ。

毎日新聞社内でもこの社長宣言はそうとう重要であると位置付けられているらしく、ネット上でもその全文が読める。新聞に掲載されたものと全く同一であるかどうかは記憶に定かではないが、主旨は同じであることは確かだ。

そして次は、「新聞よ、さらば!(って今さらだけど)」を読んで欲しい。

こんなものを見ても、「ふ〜ん」という風にしか、ほとんどの人々は思わないのだろうか。これが「当たり前の感覚」になってしまうのであろうか。すくなくとも、こんな新聞にこれから「育てられる」社会人たちは、そうしたものだと思うのだろう。

「世代論」を私は好まないが、普通の社員なら、まさにリタイアの時期に入っているこの齢63の社長であるが、その言い草に、まさに「逃げの団塊」を地で行くようなトーンを感じるのだ。「最後まで逃げ切るつもりですね、登って逃げたら、今度はさっとハシゴを取り去る訳ですね。われわれははしごを取り払われた世代ということになります」と自分の世代を代表して言わしてもらいますわ。でも世代を根拠にした恨み言はこれくらいで十分。

件の、「北村メッセージ」を引用しつつ、改めて批判を試みる。

>> 新聞社が高見から読者を見下して、一方的な意見を押し付ける時代は終わりました。高度に複雑化した現代社会では、さまざまな視点があることを提示して、自ら考えることの大切さを分かってもらう手助けをすることが重要です。「毎日を読めば全てが分かる」。考え抜き、議論し抜いた社論とともに多様なオピニオンを紙上で戦わせる「論争の広場」が、毎日新聞なのです。<<

前回の文章でも指摘したように、<<新聞社が高見から読者を見下して、一方的な意見を押し付ける時代は終わりました>>と一方的に断定する。その一方で、<<自ら考えることの大切さを分かってもらう>>と宣う。そんなことは社長椅子の「高見」から言われなくても分かってますよ。自分の言っていることのどうしようもなさを自覚するために、ホント<<自ら考えることは大切>>ですよ、社長さん。分かってもらえるかな。<<多様なオピニオンを紙上で戦わせる「論争の広場」が、毎日新聞>>というのも、一見すると「論争させるんだからマトモだ」と言いたげだが、そこには「第三の権力」と言われ、一方で期待され、一方で特定の人間たちから畏れられてきた新聞社の存在、という歴史的立場への自覚がない。そもそも新聞を発行するということは既得権なしにはあり得ない。それ自体が多くの犠牲によって成り立っている「私設の公器」なわけです。自分だけの努力で紙やインクや流通網を確保した訳ではないでしょう。国家権力や時の政権が読者にとって危ない存在になったときに、読者と供に闘うという気概をここで見せなくてどうするというんですか。それとも、まず社内の組合をつぶして、のメッセージ発信だったんですかね、北村さん。

あのね、「教え導く」というのならむしろそのほうがいいんです。立場が分かりやすい。国家権力にだまされ、あちこちで泣き寝入りしているだけのシモジモの庶民を、啓蒙し、騙されていることに目覚めさせ、権力の横暴に歯止めをかけさせる。それが役割でしょ。実際問題、新聞も「権力」なんだから。その代わり、きちんと責任を持って教え導け、と言っているんです。そして導き間違ったら腹を切れ、ということです。だが、あなたの言っていることは、そういう権力者としての自覚も気概もない。要するに、重役のくせに「あー、会社はみんなものだからみんなで話し合って決めてねー」と言っているのと同じ卑怯者な訳です。そんなあなたに誰がついていくんですか。<<日本で最も伝統ある毎日フラッグの下に集まってくれることを心から願っています>>だって? バカな!冗談言ってはいけない。他でもないあなたのそのメッセージを見て、購読をやめたのです。

<<また、自立した個人が主人公の社会を目指す一方で、バラバラになりがちな人と人との心を結びつけ、他者への思いやりを育てる役割も忘れるわけにはいきません。これは新聞記者としての私の信念でもありました。読者の琴線に触れる記事で、「独善的な個」を乗り越えてやさしさを呼びさます「共感の広場」。それも、毎日新聞なのです。>>

まったく「広告コピー」そのものだ。左右どちらの側にも良い顔をしている。だが、そんな方法で人の心を掴めると思いますか。<<バラバラになりがちな人と人との心を結びつけ、他者への思いやりを育てる役割>>を忘れるわけにはいかない、ですと! つまり新聞はそういう道徳指針を皆に示す役割があると思っている訳です。「他者への思いやり」だと? そんなことを言っているのが「高見」から見ている証拠なんですよ。「他人への思いやり」を読者に向かって言う前に、あんたは、これまでジャーナリストとして闘って来た末端の記者を思いやったことありますか。そして、バラバラな人間をまとめるというところに全体主義への指向があり、「他人への思いやり」の欠如がある、などということなど、あなたにはきっとお分かりにならないでしょうね。

<<「独善的な個」を乗り越えてやさしさを呼びさます「共感の広場」>>なんて、体のいいコピー以外の何ものでもない。全然「意味」あるメッセージとして、どうしたいのかということが伝わって来ない。新聞がほんとうに「やさしさを呼び覚ます」んですか? 議論の場を提供すると言って自分は責任逃れをして、「バイバイ」とハシゴを外してしまうあなた自身は「独善的な個」そのものと思われているんじゃないですか。本当の優しさを示そうと言うなら、戦争状態へと傾斜するこの世で、ジャーナリズムの精神と一緒に討ち死にする覚悟で犠牲を示して下さい。それならあなたの言う「思いやり」とやらを信じてやりますよ。

2 Responses to “「毎日」北村正任社長の「腰砕けメッセージ」読めます”

  1. 匿名希望 Says:

    『「第三の権力」と言われ、一方で期待され、一方で特定の人間たちから畏れられてきた新聞社の存在、という歴史的立場への自覚』という意見が古いんだということを、社長はいいたいのではないでしょうか。

    それと、あなたは新聞に『教え導』かれたいとは、微塵もおもっていないでしょう。

    頭良さそうに書いていますが、論理的でないので、何がいいたいのかがよくわからない。

  2. entee Says:

    おお、毎日の社長! 自ら来ちゃいましたか! それとも秘書室の方?
    そちらのドメイン分かってますから、ご注意遊ばせ。

    せっかく、分かるような気がすると貴殿が解釈している社長さんの気持ちには、検討する余地があったかもしれず、enteeの関心だって向けられそうだったのに、特に「頭良さそうに書いていますが、論理的でない」あたりの(おそらく本音だが)無礼な言い方で、完全に相殺されてしまってますね。

    社長の言い分を理解できるようなその口ぶり。それならそうと言ってくれれば良いのに。

    せめてネット上で通用しているハンドル名くらい付ければ良いものを、匿名でひとのブログに悪し様なコメントをする卑怯。残念ですねえ。こんなコメントは無視するか消してしまったって良いんですが、懲罰的に敢えていつまでも残しておきます。消したければいつでも来なさい。

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