「ケルビーム展」へ:あるいは「見えない学校」の「見える形」を賛美する

怒濤の2日間、土曜日の第1弾(アップロードは前後する)

梅崎幸吉氏の率いるグループ展「ケルビーム展」に出掛ける(半ば興奮気味に)。楽しみだったのだ、心底。場所は目白の『新樹画廊』。「ケルビーム」とは、梅崎氏がかつて銀座で開いていたという「画廊」の名前だそうだ*が、美術、文学、演劇、音楽、などなど、あらゆる「創造的人間関係」の磁場の中心点であり、梅崎氏自身の創作におけるパッション、人との関係における仁愛、そして人間的魅力が大きな牽引力をとして機能していた、ある種の「学校: school」のようなもの**であったらしい。もはや、その名は彼を囲む創作への衝動を心に抱く人々の集合の旗印として機能しているのであり、単なる「グループ展」の名称、あるいは昔あった「ギャラリー名」という以上のものになっている。むしろ、梅崎氏の移動するところにケルビームはあり、梅崎氏の呼びかけるところに人が集まればそこが学びと共感の場となると言う、言わば「移動式の見えない学校」(mobile invisible school)が存在するのである。

* 「…だそうだ」などというやや消極的な伝聞のかたちでしか記せないのは、梅崎氏の往年の活躍ぶりを残念ながらリアルタイムで私が体験していないからで、飽くまでも連れ合いから聞き続けた噂と梅崎氏から若干伺った話でしか知らないためである。

** それを「学校」と呼ぶのが最適であるとは分からないが、そのような場として機能していたことが話から伺えるために、これ以上相応しい呼び方があるとは、今の私の想像力からは考えられないのである。

「ケルビーム展」には、梅崎氏本人を含む17名の方々が出品。私たちが訪れた土曜日は、このグループ展の最終日。しかも1週間の会期日中、週末はこの日だけだったので、自分らにとっては選択の余地はなかった。店舗を兼ねたギャラリー1階には17名の参加者全員の作品が1点ずつ展示されている。それをひとつひとつ矯めつ眇めつ眺めていると、2階から梅崎さんそして来訪者と思われる方達の談笑する声が聞こえる。絵の眺めながらゆっくりと2階に上がってみると、そちらの方がどうやらメインの展示会場となっている。階段を上る頭上右側には梅崎さんのやや大きめの作品が掛かっており、階段を上り切ると、階下に展示されていたモノクロの作品とは打って変わって、色絵の具(不透明水彩?)を使った石塚俊明さんの作品が2点目に飛び込んでくる。まるでナヴァホの砂絵が描いているようなある種の曼荼羅のようなもの、見ていると日本のいなかの原風景のようにも見えてくる。


… などと思っていたら、複数の作品発表者がこちらを向いて一斉に挨拶をしてくれる。あまりにフレンドリーなのでこちらが照れてしまうほどである。が、初めてお会いする発表者の方々による自己紹介と制作方法などの説明を直接聞くことができ、気持ちよく作品を鑑賞させて頂いくことができたのであった。一時に何人もの方に出会ったので、名前とお顔と作品がなかなか一致せず往生したが、最後には作品とお顔は一致するというところまで漕ぎ着けることが出来たように思う(恐縮ながら、お名前が一番覚えにくいのである)。

ケルビーム主催/出展者:

梅崎幸吉

出展者:

石塚俊明・磯安代・岩城秀貴世・岩田直子・臼井由美子・梅崎伸子・柿栖記子・加藤直敬・川崎三木男・曽根都子・高田和代・玉木治栄・土屋好風・灰野敬二・藤井美紀・横山佐智子(五十音順)

(会場にいらっしゃらなかった方もあるので、全員と言葉を交わした訳ではないが、ほとんどの方と何らかの言葉のやり取りの機会があった。何というグループ展であろう!)

自分達が観に来たのが2時ちょっとすぎだったので、4時の作品撤収まで2時間ほどしかない。おそらく同じような理由でだろうが、閉展の時間が近づくにつれ、来訪者の数は増えていく一方で、最後はほとんど「立食パーティ会場」にも劣らないほど移動がままならない様相さえ呈していた。

作品について個別にいろいろ語ることも出来るのだが、グループ展なのだから全体が醸し出す世界について語った方が良いかもしれない。あるいは、自分が何したいと思ったのか、ということを。とにかく、自分の中に巣食っていた創作意欲を掻き立て、叩き起こすグループ展であった。音楽家が美術家としての一面を発揮して、2人も参加しているということがあったかもしれないが、こういう表現上のoutputを獲得しているということには納得がいく部分がある。形こそ違え、何かを表現しようという衝動の吐き出し口としては、美術を採るというのはなるほど理解できることなのである。

まったく悪い癖で、またしても「我庭引水」で自分について語ってしまうことになるが、自分にも美術的な表現作品をつくりたいという衝動が長いことあった。どんなものをテーマにするかという根本的なアイデアは十年ほど温めてきた。ただ、詰まらんことを言えば、「音楽研鑽」の身でそれ自体がまだまだ発展途上でありながら、そして自分にのしかかる私史的責務のために限られた時間を音楽以外に掛けられないという思い込みが強くあったこと、一方「ものを書きたい」という別の欲求に畢竟時間が取られていたこと、そして何よりも「テーマ」を美術作品として具現化するための知識や技術(画材をどうするかというようなことから表現方法に至るまで)に対する欠如から、それを忘れようとしていたのだった。しかし、それが今は「どれだけ難しいことなのか」という実感はまだないものの、再スタートの地点としては、手を伸ばせば届くところにそれがあるのだ、ということを、教えてくれたような気がするのである(みんなで寄ってたかって!)。

展示会が終わり、作品の撤収を終えた美術家たちが全員で打ち上げパーティをすべくロイヤルホストに集まった時、それに誘われるがまま同行したのだが、そのときに交わされた会話というのは、「やらなきゃダメよ」ということであった信じられるのだ(お愛でたい話だが)。暖かい勧誘をそこに感じたのは私の勝手な思い込みかもしれないが、だからどうだというのだ。

しかし、形を具現化するということが、単に「絵を描く」というようなこととも違う行為で、それがカンヴァスの外に溢れ出し、あるいは立体的な表現になっていく、ということの必然性を、今になってようやく理解できたように思うのである。それらは何らのギミックでもなく、必要と内的欲求に応じてそのような発展を遂げていくのである(おそらく)。その理解は、青山のHAYATOにおける梅崎氏の作品展示を見た辺りから始まり、明確にそれが方法として有効なのだということを今更ながら教わり始めている訳である。私は、実質的に梅崎氏から何も「習って」いない。ライヴのときを含めて数回お会いしただけである。しかし、すでに非常に大きなものを、梅崎さんの声、彼を慕って集まってくる注目すべき人々、そして連れ合いからのさまざまな噛んで含めるような説明、などなどを通して、直接/間接的に「教わって」いるのだ。

それは表現することを通してわれわれが初めて「生きられる」ということの見本として、自分の前に聳え立っているのである。暖かい灯台のように。

実に、梅崎さんを始めとして、このケルビーム展で、惜しげもなく自分の採用している技法や、それをやることの楽しみ、苦しみ、驚き、などなどを語ってくれた皆さんにはいくら感謝しても足りないくらいなのである。暖かくも楽しい一日と、これからの長い道のりの道しるべを見せて下さった皆様、ありがとうございました。ケルビームに集う皆様!末長きのおつきあいを、Alleluia!

One Response to “「ケルビーム展」へ:あるいは「見えない学校」の「見える形」を賛美する”

  1. やすよ Says:

    enteeさまご夫婦でのご来場ありがとうございました!
    ロイヤルホストでも、enteeさんの席は熱く語られている様子が伺えるほどきらきらしてみえました!
     

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