中島淳一の独り芝居:その人に相応しいものに成るということ

7/12(火)。噂に聞いた“多極 美術家”の中島淳一氏の<独り芝居>。その「マクベス」東京公演を東京芸術劇場にて観劇。芝居そのものが、長らく親しんで来たものではないが、梅崎氏達との出会いを通じてついに観に行く事に。

これが「演劇」と呼ばれるものなら、その<劇>は年に一度とかではなくて、週に一度でも!と思えるほどの感動と親しみを覚えるものだったし、これが「独り芝居」と言うものなら、こうであって欲しいと自分が勝手に願っていた「個人が達成できる表現の理想」をすでに実体化しているものだった。このような夢を実現してる人間を間近に見、その人の呼吸を、言葉を、そして冗談や笑い声を、同じ空気の中で共有し、また自分も共に笑い、楽しんだということは、ほとんど夢のようである。最近、立て続けに起こっている「学びを伴う贅沢」のダメオシである。

とにかく自分の貧困な想像を、さまざまな意味で裏切ってくれた<芝居>だった。こうした裏切りは、もう驚きを超えて痛快なのである。

始まるまでは、最初から最後まで中島淳一氏がマクベスひとりを演じる「独白もの」なのかと、ちょっと想像したりもしていたのだが、左に非ず。シェイクスピアの「マクベス」に登場する主たる登場人物、すなわちマクベス本人、マクベス夫人、ダンカン王、マクベスに仕える士官、などなど、「本筋の語り」に必要な人物をすべて「一人で演じ分ける」と言う、いわば落語家が一人で何役もこなす、というのに近い芸である(奇しくも後で、その昔落研にいたことも判明)。しかも中島氏は、おそらくマクベスにこそ相応しい唯一の衣装を身に着けて、それを変えずに最後まで、演技と声色だけで幾人もの登場人物に成りきる。そして、その人物の変転にも中島氏の演技の妙がある。そして、華飾を省き、エッセンスは逃さない、という実に個性的で簡潔な脚色が、その魅力だった。しかもその脚色は、後から本人に聞いた所によると、オリジナルにない解釈や付随のエピソードまで含むものであり、しかもどんどん本番中にアドリブされているものであり、原作をよく覚えていない私などは、「ふ〜ん。そういう話だったかな〜」と容易に騙されてしまうのである。こういう「高度な騙し」に騙されるのは全然悪い気がしない。それだけ、「中島淳一の世界」に連れて行かれてしまっているのである。

中島淳一氏の言葉

最初に、中島氏が英語(原語?)のセリフを喉から絞り出すのを聞いた時、「おいマジかよ、まさか最後まで英語でやるの? だとしたらそいつはツライな〜」と正直思ったのだった。しかもシェイクスピアなので、2,3時間の独演は普通だろうと勝手に想像していたこともあり、そうなると「かなりの集中が要するぞ、これは!」とちょっと覚悟を決めかけたのだが、そういうことではなかった。後で御本人にそのことを話したら、やるたびにあちこちで同じことを思われてきたようで、最初の「一瞬の誤解」を楽しんでおられるようでもあった。確信犯なのである。しかも彼が英語のセリフをまわすことには、それだけでない必然性があるようだ。「自作英詩の朗読」というのが、彼の音声関連表現の始まりであったとも聞き、彼が「英語を選ぶこと」についても妙に納得をする。

なぜ、妙に納得をしたのか。ここで自分の話をするのは本来不適切なのだが、敢えて書くと、自分も日本語で「詩らしきもの」を書き始める以前、最初の「それ」は、留学中に英語で書かれたものだった。それは、滅多に人前で音読されたことはなかった(機を逸したと言っていいだろう)が、英語で書くことしかできない内容だったし、それを日本語に「逆翻訳」するなどということは、当初思いもつかないことだった。それらは英語で出来上がったのだし、英語を母語ではなくひとつの「記号」として、それらの持つ強い日常的意味や通常の単語運用に囚われることのない外国人として、純粋に「詩的」なツールであったのだ。中島氏が「自作英詩の朗読」から始めたというのは、だから実感できることなのだ。

中島氏の声色(こわいろ)の七変化には感動を禁じ得なかったが、そういう技術的なことの前提となる、その根本的な声質と言うか、舞台上で発声される響きのある<音声>自体が、黒く太い骨格とそれの描く鋭角な線に虹色の縁取りがされた「あれ」であったのだ。

そして、オーボエソロの本間正志氏が、この「独り芝居」の音楽担当。本間氏は、留学中に私がいろいろお世話になったオーボエ奏者のH君の師匠であり、多くの本間氏の「教え」を間接的に彼を通して「体験」していたのだ。が、このたびは、その師匠ご本人の「お出まし」なのであった。

梅崎氏の“ケルビーム部隊”が本公演を全面バックアップした。その梅崎氏が中島氏と深くつながっていて、中島氏が本間氏と20年来の「腐れ縁」なのだという(そして古楽合奏団のオトテール・アンサンブル「ぐるみ」のお付き合いでもあるらしい)。嗚呼、どこで誰がどのようにつながっているものやら! その辺りのいきさつは公演後の打ち上げで、おもしろおかしく聞かせて頂いた。

本間正志氏はフラウト・トラヴェルソの有田正広氏と並んで押しも押されぬ日本の古楽器界のパイオニアの一人であるが、中島氏の「独り芝居」ではモダン楽器による演奏(最近はモダン楽器の演奏が中心と聞いた)。それは4時間前に完成したという「自作曲」であり、したがってその音楽は「記譜」さているのだ。実は、これが私にとってこの夜の最初の驚きで、2つ目の意外さは、オーボエと台詞のリアルタイムの「インタープレイ」を見せるというのではなく、劇の始まりと終わりに来る挿入曲的な音楽のあり方だったのだ。

本間氏のパーフェクショニスト的なアプローチや古典楽曲を追求する、人を容易に寄せ付けないかの美学を思えば、記譜された音楽を音符の告げる通りに(つまり自分がプランした通りに)演奏するというのは、まさに必然として理解できることなのである。ただ、私の浅薄な思い込みが、私に驚きをもたらした。そして、音楽自体の完成度の高さには舌を巻いた。しかも、それを完璧に演奏するための修練も技術力もある訳だから、本間氏にとって、「それをもう一度やる」ということになれば、それを何度でも「再現する」ことができるはずである。

中島氏の演技との劇中におけるインタープレイや即興の可能性については、お二方は当然検討したらしい。だが、今のところは中島氏の演劇の内容を尊重すればこそ、安易に採用できないという事情でここまで来たらしい。それはそれでまた理解できることなのである。

これは、即興を主たる創作音楽の方法として採用してきた自分にとっても十分に考察することができる問題提起である。特にテクストとの共演に関しては、即興の匙加減というのは常に検討課題なのだ。うまくいったときは、「作曲の効果」を容易に凌駕する結果があるが、失敗は相当に悲惨な場合がある。実に即興においては成功と失敗はコインの裏表であり、リスクとは背中合わせである。

本間氏、最近は古楽器演奏の頻度は下がっているようで、むしろ都響の有志メンバーで作っているスイングジャズのビッグバンドでサックスを吹くという「不良な趣味」にご執心なのだそうだ。また、その日アンコールで演奏された「独り芝居:吉田松陰」のための音楽の秘密を譜面を見せて教えて下さった。

独り芝居と観ている間、学生時代にスコットランドを通過した際に訪れたインヴァネス近郊のコーダー城を思い出していた。マクベスの生きていた11世紀には現状のような城はなかったらしく、訪れたコーダー城自体は18-19世紀に「復元」されたものらしい。あの物語の舞台になったスコットランドは、牧草と花の生い茂るひたすらに静かな平原野であり、そこであのような悲劇が起きたことを想像するのは難しい。いろいろ実在のマクベスについて調べてみると、マクベスとダンカン王との確執は、暗殺ではなくて戦場における実体的な戦闘によって勝負がついたのが真相のようで、シェイクスピアの戯曲自体がすでに史実から遠いフィクションであることが分かる。シェイクスピアは謀殺(殺人)を現世におけるひとの生きる手段としたときに、その人間に降り掛かる事の顛末という普遍的な因果の悲劇を描くにあたり、実在のマクベスや彼の生きた場所、そしてそれにまつわる伝説を作者は利用したのだろうと想像される。

虚言にして箴言。虚構にして普遍。中島淳一氏は、現代の独演狂言師(虚言師)と呼びたい真の創作家だ、と思った。

中島氏にしても本間氏にしても、何を実践しているのかという具体的内容云々ではなく、その人物の人間性や大きさに相応しい存在に成るということ(すなわち「真の成功」)、一見単純そうで、それこそが人生の大問題であるところの到達し難い「自己実現」を成し遂げている人物の心のありように、最も大きな興味を抱いているのである。だからただ羨望の眼差しを投げかけるのは、もうやめなのだ。

Leave a Reply

You must be logged in to post a comment.