人質としての私たち

最近Go_gleの始めた住所から地図や同地の航空写真を見せるという「サービス」が各方面で話題になっているみたいだ。自分が世界のどの辺りに生息していて、どの辺りを這い回っているのかを自覚するのを趣味とする「地図系」の方々からすれば、これは途方もなく便利な?情報ツールであるのだろう。非常に利用価値が高そうだ。ややシニカルなトーンになったが、そうした趣味を持つ方々やネットの利用者に何の恨みもない。だが、これが一連の「情報革命」の中でも、極めて特異かつ重要な意味を持つひとつの「ブレイクスルー」であり、ひとつの象徴的出来事であることは認めざるを得ない。

それにしても驚いたのは、「ひょっとしてどの程度われわれの生活圏が拡大されて上空から見えるのか」ということが気になって、ちょっと私の両親の元実家の辺りを入力してみたら、恐るべきことに、実家の屋根とその色までがなんとか「目視」できたことである。かつて私が住んでいたその家から徒歩で通った中学校までの通学路を上空からしっかり確認することができたし、中学校近くの○田川の「源流域」、そして家の前の暗渠から水路が露出して、やがて「川」となる辺りまで、すべて眼で確認することができた。

そしてさらに嫌な予感がしたのだが、我が現住所。これもしっかりと「上空から確認」することができたのである。もう逃げも隠れもできない。

もちろん、そこまでハッキリ確認できるほどの詳細な上空写真の入手できないエリアも多い。だが、自分の住んでいる辺りは、十分に「上空捕捉可能エリア内」なのである。

もちろん、すべての場所が「捕捉」可能であるということは、「平等の精神」から言っても悪いことではない、のかもしれない。つまり、私の実家がどこにあるのかが分かるように、ホワイトハウスも、ホワイトハウスに勤める高官たちの自宅も、たぶんブッシュ氏の私邸も、Bill Gatesの私邸もすべて分かる。逃げも隠れもできない。「彼ら」の住所という個人情報さえ入手できれば(と、言ってもそう簡単じゃないかもしれないけど)、どのような位置に住んでいて、どこに川や橋があるのかも、どのあたりに森や高台があるのかも、すべてレジスティック上の情報が手に取るように分かる。いわば重要な「軍事情報の一般公開」な訳である。しかも、それは現在の「某政権」が最新鋭の軍事技術の中でも「公開可能」と判断できた「持てるもの」のごくごく一部に他ならないだろうことも、われわれはすでに知っているのである。

いま正に言った「平等」の話だが、それは皮肉でしかなく、確かに誰にでも地形などの戦略情報が入手できても、考えてみると「彼ら」と「僕ら」の間の圧倒的な不公平は、彼らには家一軒をピンポイント攻撃できるハードやソフトを持っている一方、われわれは奴らの家を「眺める」ことはできても彼らを「ピンポイント攻撃できない」という点である。

「だったらピンポイント攻撃の対象にならなければいいじゃないか」と言われそうだが、だれも好きでなろうと思う者はいない。良心に従い、平和に敬意を払い、戦争遂行者や戦争動機保持者を憎悪している、だけかもしれない。あるいは、いつもの飲み友達などの仲間が自分の家を訪れて一晩おもしろおかしく政権批判を酒の肴に気炎を上げているだけかもしれない。

こうした政権に対する批判的な言辞を、そこかしこで好きに話し合うということが、今は安全であっても、同じことが「やがて来る日」には十分に「攻撃理由」になっているかもしれないのである。あなたが「攻撃目標」となる訳です。この話を鼻で嗤う人にとって、「戦闘状態になっていない」今の日本で、突然平和運動をやっている人の家がピンポイント攻撃のターゲットになることは、確かに考えにくいことであるが、われわれには思い出さなければならないいくつかの「事例」がある。

近い所ではバグダッドのパレスチナホテルの一室が戦車の砲撃の対象となり、反米的報道をする報道クルー2人(カメラマン2人)が殺されたこと。また、ベオグラードで起きたNATO軍(米軍)による中国大使館に対する「誤爆」。

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中国大使館爆撃について

信濃毎日新聞、99年5月20日、コラム潮流「大使館「誤爆」のウラ」

平和的な運動や反米は「誤爆」によって、これまで威嚇されて来たのだ。それらに特徴的なことは、「誤爆」であったことが直ちに公式に認められ、事件は「謝罪」や「賠償」によって、表面的には「解決」されて幕を閉じることだ。だが、イラク戦争のような戦闘状態の地域に於いては、誰がどのような殺され方をしているかはまったく「薮の中」だ。だが、分かる人々によってはそうした「事故」が、明確な「サイン」や「意思表示」として、確固とした邪悪な意思を伝える手法として機能することを知っているし、そういうものとして、日本でも日常的な「事故死」や「怪我」もある。誰かに駐車場で襲われて怪我をした人も、早朝に「バイク事故」を起こして顔面が麻痺した人でも、脅される身に覚えがあれば「単なる事故だった」と公式には認める訳である。それが「脅し」というものの本質である。

このように、こうした情報装置をどのような人たちがどのように利用するのかということを考えると、最初に考えついてしまうことは「悪用」の数々な訳である。

もっとも、私一人を殺すのに1発何億円もするようなピンポイント爆弾を使う必要はないだろうという「楽観的」な考え方はある。「ハエを殺すのに大砲はいらない」のである。戦時下でもない限り、家ごと私を吹き飛ばす必要もない。轢逃げされて路肩で事故死体として見つかるのでもいいし、伊丹十三氏のように「スキャンダルを苦に飛び降り自殺」でもいいし、中島らも氏のように「階段から落ちて事故死」でもいいし、永岡洋治衆院議員のように「自宅で首を吊っている」というのでも、いいのである。

話は逸れに逸れまくったが、われわれは皆、すでに「非常時に於ける人質」としての人生を生き始めている。意図してか、せずしてか、Go_gleによる新サービスは、私にはわれわれ一般人へ「おまえたちはすでに見られているのだぞ」という某所からの警告の一つと受け取ったのである。単なる被害妄想者の戯言であって欲しいだろ、君。

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