郵政民営化と「テロ」

組員(国民)の最低限の安全と生活を保証するのが「ヤクザの親分」としての権力の役割だとすれば、組員を世間の厳しい競争原理に晒すことは、親分としての義務の放棄である。親分が、「もっと大きなマフィアが海外から攻めてくる。悪いが自分たちだけでなんとか生きていってくれ」と言い、それだけならまだしも、これまで組員が苦労して集めた資金を「攻めて来るマフィアに渡すが文句を言うな」と言えば、それは詐欺も同然の無責任/腰砕けなのである。そんな親分はさっさと首を取った方がいい。たとえ話だが、日本国政府による郵政民営化というのは、要するにそういう「親分」たる権力家の義務放棄に相当する。

自由主義経済の競争原理が必ずしも生活する人の「ため」にならないことは、すでにカリフォルニアでの電力の自由化ほか諸々の例によっても証明済みである。カ州においては電気の供給が滞ったのである。そのようなことは、郵政の民営化によって今後起こってくる。しかし、郵政三事業民営化というのはそのような「民間でできることは民間で」というようなことだけで収まらない問題を含んでいる。国の権威を利用したシステムによってこれまでに築き上げた(吸い上げて来た)国民の生活資金の保護という義務を、今度は国の都合によってそうやすやすと放棄していいのか、という議論に尽きるのである。「民営化による小さな政府の実現」など差し障りのいいコピーに過ぎず、状況が変われば幾らでも「大きな政府」へ舵取りを変えることを厭わない連中である。信用してはいけない。「小さな政府の実現」など、本気で考えているはずがない。

これまでの亀井静香氏の恫喝的な物言いなどイケ好かない部分も多々あるものの、今回の郵政三事業民営化法案への反対表明に限っては終始一貫した論理と呼べるものがあった。そして、今回のこの法案の持っている意味の核心を突いた意見を直截に述べている。

「350兆の膨大な国民資産を昨年12月のアメリカ国務省の郵政民営化を求める対日要求に応え、民間金融機関に流れ込むようにして外資が圧倒的にこれを飲み込んでいった場合、日本経済に与える影響は決定的にマイナスである。」

ここで書かれているように、郵政三事業民営化の計画など、竹中平蔵郵政民営化担当大臣を始めとする、アメリカからの「対日要求」に応えようという「属国の典型的な考え」にのっとったものに過ぎない。国民のなけなしの金を危険に曝すことが「国益」と言うなら、その根拠を隠し立てせずに国民に問うべきなのだ。それが「日本の安全保障」のために必要だと本当に信じているのなら、一体どのような恫喝を日本国政府が受けているのかを公開すべきである。その上で、日本が依然として属国であることが良いという国民の総意を得るならば、それが日本人の生きる道ということだ。

郵政民営化は、「民間でできることは民間で」という、まったく説明責任も果たさず、論理的でもなく、単にスローガンを繰り返すだけの、将来に禍根を残す悪法であって、実現されてはならない、そして阻止可能な「国家の過失」である。この法案自体は、単なる「郵便」事業の民営化というものとは全く異なる意味を持っている。これは国民のひとりひとりに大きな影響を持つという意味で、「国鉄の民営化」よりも、また別の、破格に大きな意味を持っているとさえ言えるかもしれない。

「郵便局」などの事業の民営化では「サービスを受けられなくなる地方が出てくるからダメだ」とか、「そんな地方無視はあり得ない」、とか「そういう不便が起こらない方策が民営化の方法の中にはある」いうような窓口業務についての争点で語られがちだが、その議論は、その法案の更に大きな目的を曖昧にする隠れ蓑に過ぎず、その法案の核心とは、日本人が働いて貯めてきた「お金」のリスク化ということに尽きる。

「郵便貯金が安全でなくなったら、預金を別の銀行に移せばいい」というような呑気な話ではない。他の銀行は、もっと早い時点で「リスク化」されているのだ。「ペイオフ解禁」という訳の分からない名称によって。つまり、金融機関に預けられているわれわれの「生存のために必要なお金」は、誰からも守られないということである。すなわち、リスクは郵便貯金でも同じであるということを決定付けるのが郵政事業の民営化の「本質的意味」である。

その辺りをまるで了解せずに、「自民党の票田を解体する意味がある」とか、そういう政局的な意味合いだけで民営化に賛成する「リベラル派」が一部にはおられるようだが、それは民営化のひとつの側面ではあっても、本質を無視した主張に過ぎない。

これは、実に最初から最後まで「お金のはなし」なのである。そして、それは全世界を見渡してみてもそのような額の資金源(350兆円)は、もはや地球の表面のどこにも見出すことの出来ないような、ハイパー超高額の「現金のプール」なのである。それが、それを稼いだ人々のために保存されるのではなくて、その国を力で支配している宗主国への貢ぎ物として恭しく献上されるということなのだ。他ならぬ親方日の丸によって。

その金が「自由化」されて売買の対象となること(日本人にとってはリスク化される)をアメリカの金持ちたちは、首を長くして待っている。喉から手が出るほど欲しいのである。この現金が「自由化」されたら、確かに日本はもう一度世界にバブルを起こすかもしれない。だが、そのことは、日本人をこれまでより自由にしたり豊かにすることはない。失われた老後の資金を再び稼ぎ出すため(つまり生き残るため)に、日本人はこれまで以上に奴隷のような長時間労働を強いられることになる。我々の将来は、「資金」という名の「数字」となり、投機の対象となり、売買されることになるのだ。そして、売った者はそれをもう買い戻すことは出来ない仕組みになっている。

したがって、外国の禿鷹たちがその「魅力的な投資対象」の確保が出来なくなるかもしれないとなるや、それを狙っている連中は手段を選ばない方法に訴えて、結局それを手に入れようとするだろう。その手段とは東京での「テロ」である。彼らを我々と同じような人間と考えてはならない。

それが9.11の参院選挙の前(直前)に起これば、危機管理体制の重要性を訴える現連立与党が、「郵政民営化選挙」を雪崩式に勝利してしまう可能性がある。一発の「テロ」が、民営化選挙を「テロとの戦い」という文脈にすり替えてしまう。そして、結局「郵政民営化」も実現してしまう。東京での「若干の犠牲」という人命やインフラ破壊という「トークン」を支払うことで、現与党は「宗主国」への献上金の自由な扱いを勝ち取ってしまうことになる。そのとき、そうした「テロ」が誰によって引き起こされるのかを考えてみるが良い。

もちろん一番いいことは、このような暴力沙汰(テロ騒動)は起こらずに、しかも現与党が野に下って、当面郵政民営化は出来なくなること、である。しかし、小泉にどうしてあれほどの自信と「据わった腹」があるのかと考えると、そうした「ウルトラC」の存在を視野に入れているからか、と勘ぐりたくもなる。

もし「テロ」が起きてしまったら、郵政民営化だけでなく、他のもっと最悪のことも同時に実現してしまう可能性がある。もちろんその「テロ」が、日本人の政財界における「訳の分かった人々」にとって、「金の亡者」からの明確な「脅しのサイン」としての意味を持ったとしても、「テロ」自体は、一般民衆からそのように了解されることは、ほぼ間違いなく、ない。それはイラク戦争に自衛隊を送っている日本国政府への「イスラム過激派による警告」と解釈されるだろうし、あるいは最悪の場合、「北の工作員」による日本の中枢の破壊活動と体よく解釈されるかもしれない。そのどちらに転んだとしても、「犯人」らしき人が捕まるか「自爆死」が確認され、それから急速に用意される「テロ対策」を、日本をより悪い状態(言いたいことを喋れない状況)に持っていくための口実に使うに違いない。一発の爆弾の炸裂がわれわれを不自由のどん底に突き落とす。

しかし、もし万が一こうした悲劇的な一撃が起こったとしたら、忘れてはいけないが、それはイスラムの聖戦でも「北の破壊工作」でもなく、われわれに笑顔でDMを送ってくる連中のためであり、言い換えればそれは「金のため」なのである。しかも莫大な。グロテスクな話である。人間は金に目がくらめば人をも殺すのだ。それは要するに平和な街角を舞台に突然起こる戦争なのである。

郵政民営化が実現してもしなくても、その後に待っている日本人の運命を考えると暗然とならざるを得ない。

これは、予言ではない。予言にはその的中を望む自己成就性の罠がある。しかし、「テロ」がこのタイミングで起こるとしたら、その事件によって誰が利益を得るのか、誰にその動機があるのかを推量するだけの想像力を皆が抱き、それを言語化して声高に叫べば、その計画の断念につながる可能性はある。「郵政民営化」も「テロ」も、そのどちらもが実現しないに越したことはないのである。それは何度繰り返しても多すぎることはない。

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