「自己解体」を内包しない人間の組織/運動について
ショーレムとエリアーデの理説に絡ませて

フェミニズムそのものの現実については、私はまったくの局外者である。したがって、とりあえず「そのようなこと」もあるのかな、と内田氏の感覚をとりあえず信じるか疑うしかない(経験的にはおそらくcredibleである)。だが、その具体的内容の方ではなく、ひとつの「運動」について、「人間のなし得る」運動の本質について、その周囲にあつまってくる寄生虫のような連中が、その本質さえ危ういものにするというその捉え方にはまったく共感を覚える。また、昨日ちょうど用意した自分の記事とも連動するので、いつものように引用する。とにかく、「人間の組織/運動」というものが持っている度し難い「普遍的性向」についての言及であると捉えた。あるいは、一旦できあがってしまった「人間の組織/運動」というものが「自己解体」を知らず、学ぶ事の無い自己目的化とでも呼ぶべき方向へひた走る傾向についての…

インデント「隆盛であるもの」には必ずコバンザメのようなタイコモチのような、「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらすやつ」が付きものである。フェミニズムがその威信の絶頂にあるときに、どのような反論批判にも「男権主義者」「父権制主義者」「ファロサントリスト」と鼻であしらって済ませる、頭の悪いコバンザメ的論客がそこらじゅうでぶいぶいいわせていた。(中略)これはフェミニズムの罪ではない。

支配的な社会理論には、それがどのようなものであれ、必ずそれを教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」が付着する。

バーバラ・タックマンの『愚行の世界史―トロイアからヴェトナムまで』を繙(ひもと)く必要さえ無いかもしれない。私がよく取り上げるキリスト教団について言えば、ローマ教皇庁の長年の口にするのも穢らわしいほどの放埒と堕落とがある。それは、どんな宗教者や信仰家にとっても真摯に一旦認めなければならない歴史的事実であろう。それについて言えば、さしずめ…

支配的な宗教教義/神秘体験には、それがどのようなものであれ、必ずそれを教条化し、その理説のほんとうに生成的な要素を破壊する「寄生虫」が付着する。

と言い換えることが出来る。これがフェミニズム運動とまったく同じなのかどうかは分からないが、キリスト教団においては明らかに、その長い歴史の中でまさに「支配的な理説の提灯を持ってえばりちらす」寄生虫が、むしろ教団の中核的指導者として君臨した(おそらくそうした時代の方が長い)。

ある程度成功した「人間の組織」としての宗教団体というのは、キリスト教団に限らず、案外大同小異である可能性が高い。幸か不幸か、自分はいかなる宗教団体に属したことが無かったので、その実情も自分のリアルな体験として実感したことは無いが、宗教の<本質>とは全く別個に、「人間の組織」としての宗教団体というものは、どうもそういうものであるらしい。

そうした事柄を一旦踏まえた上で、昨日の「ショーレム再読」があるのである。つまり、周縁的な神秘体験者と「(そうした現象を生み出しさえする)宗教団体」の権威との間の緊張関係とは、まさにそうした「理説の本当に生成的な要素」とそれを破壊しつつ君臨する支配の論理との間の葛藤であり、時として共犯関係となる二者の関係でもある。

むろん、君臨する支配的中核の「権威付け」の熱心な「働き」によって、教団が絢爛たる塔や美術品の数々を欧州のみならず世界各地にもたらす事が可能になったし、そうした目に見える「作品」や「相続品」の中に、その教義や密儀の数々が保存されたり、また非信仰者さえ触発 (inspire) し、場合によっては「伝統的権威の生れ出たその同じ源泉」に遡る個人的神秘体験を発生させたことが事実でない、などと主張する気もない。

つまり、俗的支配と腐敗を恣(ほしいまま)にした教団中核やそれをサポートするパトロンの存在(富の極端な偏在)さえ、神秘体験と全く無関係ではないという、グロテスクなパラドックスが存在するのだ。これは無視できない要素であり、宗教の一体何が良くて何が悪かったのか、ということを即断する事も実は容易でないのだ。

筆者は、宗教団体についての大いに聞き伝えられた「現実」をもって一刀両断に行なう宗教そのものについての価値判断にも、宗教団体の内部から発信されるインサイダーによる教義注釈による価値判断にも、そのどちらにも決して与する事は無い。

しかし、宗教というものが、「かつて或る時にわれわれの上に降り掛かったある事態」を契機に発動されたものであり、その「記憶」の維持もしくは回復をなし得る知恵の宝庫であり、またそうした出来事の「永遠回帰」を必定のものとせず、いかにして「再現」を回避しうるのか、いかにしてそれを「神話の再創造」から切り離すのか… そうしたわれわれの「今後の生存」に緊密に結びついた、歴史を超える至宝としての宗教の重要性は、絶対に揺るぐ事は無いのである。

(いかにも「エリアーデ風」というか、彼が言いそうなトーンではあるが…)

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