金剛への第一歩
Ω祖型とは何か[3]
Archetypal Omega or the Omega Archetype

■ シャトルコック

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羽子板の羽根にしてもバトミントン*の「弾」にしても、それらが同じような形状をしているのは、比重の高い(重い)材料でできた先端部**とそれに取り付けられた比較的比重の低い(軽い)材料でできた基部である。基部は空気抵抗が大きくなる(たくさんの空気を受ける)ように「末広がり」にデザインされる。バトミントンの羽根や矢といったものから、スペースシャトルやミサイルといった現代の大型飛行機械に至るまで、一定の方向を保ったまま飛び続けるという目的を果たすなら、それらは同じような形になるであろう。それはまさに時代や状況とに関わらず「機能が要請する形状」というものは大体同じような条件の形体を共有するからである。

上昇と下降という概念は拙論の冒頭において宝珠を取り上げた時より出てきているキーワードである。宝珠自体が燃え上がる炎の上昇と下降する水滴のイメージの両方を象徴しているということは言及済みであった。弾丸や矢は上昇し、そして下降してこそ、その役割を果たすことができる。そしてこの上昇と下降の意味を端的に教示するエメラルド盤の記述***を再び思い出すことは極めて有益であろう。



* バトミントンというゲームは(というより実に多くの球技は、と言うべきであろうが)、自分の陣地においてではなく、ネットで隔てられた敵の陣地の中にそのシャトルコックを落下させることで勝利を決定するものである。

** この競技の世界ではシャトルコックの頭頂部が逆に「基部: base」と呼ばれる。そして末広がった基部を単に「feather: 羽根」と呼ぶ。

*** エメラルド盤の記述:

7) かくして「大地」は、火と燃ゆるであろう。

7a) 偉大なる力によりて、精妙なるものより「大地」へと供給せよ。

8) それは地より天へと昇り、上なるもの下なるものすべてを支配す。

[Jabir ibn Hayyanによる翻訳]

7)大地となる火。

7a)火より大地を分離せよ。さすれば汝、配慮と賢明によって、粗雑なものより内在するの精妙なるものを見い出すであろう。

8) そは地上より天界へ立ち昇り、自らが高き光の軌跡を描かんとす。かくして地上に下る。しかるに、その内部には、上なるものと下なるものの鬩ぎ合いあり。

9)光の光が内在するがため、そを前にして闇は消え失せる。

[アラビア語の他の版(ルスカの著作より、ダノニモスの翻訳による)]

14)そして私が『Galieni Alfachimi』の書によりて「太陽」の作用について既に述べたことには欠けたところはない。

[12世紀ラテン語]

8) これは地上から空へ上昇し、そして空から地上へまた降りてくる。そうして上なるものと下なるものを超越した活力、効力を身に着ける。

9)この手段で、汝は全世界の栄光を手に入れるであろう。そして汝はすべての影と盲目を退け得るであろう。

10)それは不屈の精神で、凡てのほかの剛勇と力による勝利を奪い取るものである。

それは、すべての繊細なものとあらゆる粗雑で堅いものを貫き通し、征服し得る。

11a)このようにして、世界は創造されたのだ。

14)太陽の作用について述べた我が演説これにて終る。

[『Aurelium Occultae Philosophorum』Georgio Beatoからの翻訳]

引用先(Translated by Atsro Takasaki):The Emerald Tablet of Hermes Trismegistus

■ 原子爆弾(核兵器)

地上にて今のところ最大の破壊力を持つ原子力エネルギーは、われわれ人類が到達した最大にして最後の「叡智」の結晶である。そして最初のできごとを作り出すものである。そして、戦時という緊急事態における生き残りをかけた軍事プロジェクトであったとは言え、マンハッタン計画ほど、ほんの1個の(正確には3つの)「モノ」を作り出すために(無論それはわれわれにとって最初の「モノ」ではあったが)これほどの規模のグループワークと細心の注意と集中的な努力を要して完成されたケースもそうざらにあるまい。そしてそれだけの総動員体勢を可能とする状況も生き残りをかけた闘争の場、以外にはなかったのかもしれない。

戦争という異常事態が、核エネルギー獲得および利用時期を早めたという見方が粗方の歴史観であろう。また反対に米国政府の、そして退役軍人の作る団体のいくつかの公式見解に観られるように僅か2つのこの特殊爆弾が「戦争の終結を早めた: Atomic bomb hastened the end of war」といういかにも戦勝国らしい「希望」的見方が存在する。しかし、ヨーロッパで2度目の大戦が始まる1939年前後から始まった原子物理学界における矢継ぎ早かつ劇的な学問上の発見と「新エネルギー抽出」への急迫した取り組みと、その成功と目的の完遂によって、その獲得者の勝利を以て大戦が幕を閉じるという、戦争の進行と核エネルギー獲得の物語進行のほとんど鮮やかな一致を見るに、あたかもかの第二次世界大戦そのものが「核エネルギー」の獲得、すなわち「真の世界至上権獲得」を巡る闘争であったと読むことさえできるのである。

それを誰が最初に手に入れるかが世界に於ける真の覇者を決めるわけであり、この獲得競争に勝つために戦争に克たなければならなかった様にも思える。つまり戦争を終わらせ平和を築くことが闘争の目的であったというよりは、この「力の獲得」を主たる目的と考える人々からすれば、戦争は結果であったというよりは、核開発の成功(至上権獲得)とその使用を正当化する一つの手段であった様にも思えるてくる。現に、最初の原子爆弾が完成間近であった時、それに携わる研究開発者の多くが最も怖れられたことは「日米大戦が終わってしまうこと」であったことが知られている(マンハッタン計画を発足当初から取材するW・L・ローレンス『0ゼロの暁』に詳しい)。戦争が終わってしまえば、それを成功させる近々の理由を失うばかりか、またそれを他でもない人間の上に「落としてみる」という実例を得ることができなかったからである。つまり戦争が核を開発したというよりは、「核」が戦争を利用して生れ出たのである。

これがすでに敗北が明白だった日本に敢えてあの爆弾を落とした理由であったし、二つの異なる方式の新型爆弾の両方を人の上に落とした理由*である。まだ降参していない以上、敗北が明らかな相手に対して、彼らは「何をやっても良かった」のである。互いに殺しあう戦争という混沌状態においてやってはならないことは一つもないことになった。これがすでに知られているマンハッタン計画最終段階における史実である。そしてその「何をやっても良い」という方針は、戦争状態になっている世界のあらゆる場所において今もなお継続されている「特殊事情」である。

* 日本という「日の丸」によって象徴される火の玉(A)は、もう2つの火の玉(B)(C)と出会って、3つの火の玉の三位一体を実現したのである。

Joseph Papalia Collection@The Manhattan Project Heritage Preservation Association, Inc.

核兵器に限らないが、上空から落下させる兵器の弾薬の類は、大なり小なりシャトルコック状の形をとる。それは、意図した部分が下を向くことを狙っているからである。つまりほとんどの弾丸(shell*)には天地があり、意図した部位を意図した方向へと向けて発射させる目的に適ったデザインなのである。

* 砲弾・弾丸を意味する単語が貝殻と同じ「shell」であるという暗合も興味深いものである。こうした「暗合」は、とりわけ兵器関係の用語では著しい。手榴弾を意味する正式名は「grenade, hand grenade」であるが、実際の兵士の使う隠語としては「パイナップル: pineapple」である。これはパイナップルはコロニアル様式の家具などでは「フィニアル」のひとつとして頻繁に登場する果実である。ここにもフィニアルの武器との関連が見出される。

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落下する際の「天地」を意識して描かれた二つの原子爆弾(FatmanとLittle Boy)の構造図。これがわれわれを精霊と「福」で満たす「薬玉」として天空で割られ、頭上で「展開」された。「壷」は、前出の「鍵穴状」の前方後円墳・仁徳天皇陵から発掘された自立できない「鍵穴状」の壷型埴輪。

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参考

Le projet Manhattan

The First Nuclear Bombs

Hiroshima, Nagasaki… The Manhattan Project

British Nuclear Test Veterans Association: 英国核実験退役軍人協会のサイト

■ 銀河における「キノコ雲」

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画像引用先:

An Atomic Hydrogen Mushroom Cloud Bursts out of our Galaxy

この興味深いサイトでは超新星爆発によって引き起こされる銀河系内で観察されるキノコ雲である。カールしたシェープで内側に巻き込まれるガスは、まさに「フィニアル」に到達しようとする「波頭」の様でもあり、また石灯籠や鬼瓦に伴って現れる「雲気」そのものの形である。

■ 結論

われわれ人類は、ある徴を重要なものであると人々に注意を喚起し、「忘れないように」するために、時を経るにしたがって象徴的物品を美しく飾り立てた。またある時は、世界の「至上権」の相続者として、覇者の家族の紋章の中にその意味を込めた。それは結果的に「家」や「国家」の徴として人の目に触れる形で伝えられた。

それ自体は、単に巡礼者の身に付ける「貝殻: shell」のようなものだったかもしれない。それはもっと遠く過去に遡れば、まだ祖先達が今のような言葉を話していなかった頃でさえ、こうした「聖なる道具」というものを集めて、彼らの時代以前に起きた<題材>を伝えるために、子孫の手から手へとに伝えたに違いない。道具は伝えられたが、その意味は早い時期に失われたに相違ない。それが「極めて大事なものである」という思念だけを伝えたであろうが。

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Operation Greenhouse(グリーンハウス作戦)と呼ばれる1951年のエニウェトク環礁で行われた原爆実験の際の爆発20ミリ秒後(0.02 秒)の画像(左)と大林組の鬼瓦を使った広告(右)。

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こうした図像表現は、すべて「記憶術」の一端を担うものであり、美術(あるいは「表現」と呼んでも良いもの)というものの本質的役割だった。したがって、こうしたあらゆる作品は内容を閉じ込める<手段>であり、言わば「器」である。だが閉じ込められた題材(content)よりも器(ware)の装飾が後の時代には目的化された。われわれは何世紀もの間、その美しい器を愛ではしても、その器が何を今日の時代まで運んで来たのかを忘れつつある。だが、工芸品や絵画作品、そして紋章などの図像群から華飾を排した時に純粋に立ち顕われるものが、象徴象形における「祖型」である。そして「Ω祖型」とは、超歴史的なスケールで循環するわれわれの文明(人類史)に関する記憶、そして「叡智の結晶」の秘跡としての実在、あるいはその恐るべき「回復: restore」可能性を持続的に次世代に伝えるための形象的な約束事なのである。

それらがその目的を確実なものとするために飾り立てられたということは、グロテスクな事実であるとしても、否応なく「文化」としての美術行為の発展を促し、われわれの生活を「潤いのあるもの」にした。しかしこのようにして多様なカテゴリーにおいて個別に異常なまでの発展を遂げた「装飾」は、それ自体が目的化されたため、当初の<普遍的題材>の記憶と伝達を担う目的からの逸脱をもたらした。そしてこうしている現在も、この記憶は遠い彼方に埋もれようとしているのである。しかし、然るべき観察眼と洞察を持って接することによって、それらの意味、扱われた<題材>の意義はいつでも回復する。これが「解読」と呼ばれる作業である。

確かにこのように象徴の意味が薄れつつあるとは言え、大いなる「事・物」とその実在の認識・把握という緊急を要する内容は、一方で時代とともによりその具体性と明瞭さの度合いを増しつつあるのも事実である。つまり「それが何であったのか」が分からない、かつて表現されたものの一部が、現代社会において実現され始めたことによって、その抽象性の高い図像の具体的イメージというのは、遠大な時間の流れとともに忘れ去られた「機能が要請する形状」の回復と同時に「復元」を遂げるからである。

かくして、あらゆることが起きている現代という時代において、かつて「約束が要請する形状」でしかなかった紋章や文字などの形象的記号は、「機能が要請する形状」との一致を果たすのである。

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「歴史の三層構造」とΩ祖型を伝えるインドのアートの一つ。「Alcove」と呼ばれるニッチ(陥凹窟)。

画像引用先:Indira Gandhi National Centre for the Arts

ここではあらゆる「Ω祖型」関連の建築物と美術品、そしてフィニアルのバリエーションの写真が観られる。

そして「機能が要請する形状」は、その機能の意味の指し示すものが何であるのかが失われた「歴史時代」の極めて初期の段階で「約束が要請する形状」と化した。そしてその「約束」は狭い人間のグループ内のコンセンサスとしての意味を超えて、「人類に約束された形状」であることが、次期エポックの接近にともなっていよいよ解き明かされるのである。まさにエリアーデが喝破した崩壊寸前の欧州文明において生起すべき精神活動の典型として。

ヨーロッパ諸国民の多くの宗教において、(略)死の瞬間に人間は自分の過去の生活をすべて実に詳細にわたって想起すること。また自分自身の個人的な歴史全体を想起し再体験してしまわないと死ぬことができないのだとする信仰を見出す。(略)現代文化の持っている資料編修への情熱は差し迫った死を予告する一徴候とみられよう。欧州文明はいまやその崩壊寸前にもう一度その過去を、原始史からあらゆる戦乱に至るまでことごとく想起している。ヨーロッパの資料編修的自覚は──ある人たちはこれを最高の栄光と考えているが──じつは死のまえに現れ、死を告知するあの臨終を意味しているのであろう。

ミルチア・エリアーデ『神話と夢想と秘儀』(岡三郎訳)page 73「宗教的シンボリズムと苦悩の価値づけ」より]

『金剛への第一歩』とりあえず、完

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