エリアーデ「世界宗教史」通読メモ

パウロの「転向」… と題しておこう、とりあえず。

222 異邦人のための使徒

彼(パウロ)は福音のメッセージを、ヘレニズム世界になじみのある宗教言語に翻訳する必要があることに気付いていた(略)。(中略)肉体の復活というユダヤ人の大多数が抱いていた信仰は、もっぱら霊魂の不死に関心を持っていたギリシア人には無意味なものに思えた同様に理解がむずかしかったのは、終末における世界の更新に対する期待であるギリシア人はこれとは対照的に、物質から自己を解放するために、より確かな方策を探求していたのである。(略)彼はヘレニズム世界に深入りするにつれて、終末への待望を次第に語らなくなっていく。また、かなり重要な革新がみられる。パウロは、ヘレニズムの宗教的語彙(グノーシス、ミステリオン、ソフィア、キリオス、ソーテール)を使用しただけでなく、ユダヤ教や原始キリスト教に知られていなかった観念を採用している。例えば聖パウロは、グノーシス派に根本的な考え方である、(中略)二元論を取り入れたのである。p. 371-372

エリアーデのこの辺りの記述は驚くべきことで満ちている。パウロがそもそも「転向のユダヤ人」であったことはすでに知られたことであったが、一体何に対して転向したのか、というのが私の中では明らかではなかった。漠然と「ユダヤ教ならぬもの」に傾斜した結果がキリスト教である、というような理解である。

彼はその当時もっとも絢爛たる文化的影響力を持っていたギリシア主義(ヘレニズム)に転向していたのだ、実は。しかもそのヘレニズムはすでに東洋世界(オリエント)と出会った後の、それだったのだ。ヘレニズム的二元論や霊魂の不死の思想は、おそらくそのリソースを辿れば、「ヘルメス文書」などの古代エジプトの時代まで遡れる。だが、物質から自己の解放(輪廻から脱出)をする方法というのは、第一きわめてアジア的である。[西洋世界はキリスト教の成立より早い時点で仏教と出会っている可能性がある。]

また、キリスト教の内部における、その成立時期からあった異端と正統の二勢力の対立というのは、ことによるとキリスト教を産み出すことになったまさに「父」と「母」の対立自体にまで遡れることなのかもしれない。キリスト教の「父」と「母」とはすなわち、ユダヤ(セム族)の宗教的伝統と、ギリシア(ヘレニズム)の近代主義である。延々と続くキリスト教団内部の血で血を洗う政争/神学論争と弾圧は、良く知られたように、ひとつには二元論をめぐる争いと言える。そして正統派が排除しようとしたのは、どうやらパウロが最初に採用していたヘレニズム的な要素であったようにも思えてくる。そうだとすれば、正統派教会がしたのは、そうした国際主義的・ヘレニズム的キリスト教をユダヤ的伝統の世界に引き戻そうという反動だったのかもしれない。

そう考えると、キリスト教は、その「分裂」(スキズム)以前に語らなければならないことがあったことになる。それは異なる文化の「融合」としてのキリスト教という側面である。

「復活のセオリー」の復古や、二元論的カタリ派への弾圧というのは、そのように考えれば納得できるところではある。もちろんこれはまだ憶測の領域を出ないメモの段階であるのだが。


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Mircea Eliade

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