忘れられた宗教の機能

当たり前のことを言う気はない。だが換言して、これほど当たり前のことも無い。

宗教の機能の一つ。それは何と言っても過去の“歴史”を伝えるということ。

人類にとって忘れるべきでない「なんらかの重篤な事態」が、「なんらかの原因」によって引き起こされたということ。すなわち因果についての学であること。

翻って、それを再び繰り返さないための智慧も同時に提示(教示)するものであるということ。

「因果」というのは人間の欲望が文明的な、《始まりがあって終わりがある》という人間の運動を惹き起こすということ。

すなわちわれわれの生きる世界が、「αであってΩである」という運動についての学であると言うこと。

滅びがあるのは発端があるため

という原理に到達する(悟る)こと。

文明行為という発端が、滅亡をも約束する。その因果応報を阻止することが「地上における輪廻からの解脱」である。そこに霊的な概念を持ち込む余地はない。あくまでも地上的な「出来事」にたいする学として、対策として、宗教は存在する(した)。

忘れ去られて歴史にも記録されることができないほどの旧さを持った「ある出来事」に関わる「因果」について伝えるのが、宗教というものの本来持っていた内容である。あるいは神話の形で残っているのがその断片である。

しかし、そうした因果の法則を理解できない、あるいは実際に起こった事態を、それとしてリアルに実感できない「その後のひとびと」(子孫)によって、宗教の役割が早々に見失われる。「とにかく守らなければならない因習」と形骸化しているものが、宗教を起源とするさまざまな因習・作法であり、また伝統と呼ばれるものである。

意味を考えることなく、「伝統の伝えるところをとにかく守り続けていれば安全である」ということを言い出す教条主義がまかり通る。そして、それをするのが僧侶であり、それを支持するのが信仰者たちである。

宗教の中でも教条のみが強調されているのが、われわれの現在知るところの「宗教」である。だが、本来の宗教の伝えようとした歴史の真実や、因果の法則を理解し、それを今後の時代に伝えるために、宗教との関わりのなかでわれわれにできることは「信仰者」になることではなく、「宗教」の伝える断片を解明し、正しく理解し、それを再構築することである。

それが宗教学である。

現在「宗教」となっているものの多くは、かつては人間に関する科学であり、あるいは社会科学であり、また心理学であったものである。

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