「忘れられた宗教の機能」についての長い補足

一人一人の個人が、他人に教えられたり命じられるままに生きるのではなく、自立的/自発的な思考と努力で──例えばいかにして終わりのある文明の伸長を止めるのかというような──「ある物事の道理」に達することができれば、そもそも掟も宗教も必要なかった。でもすべての人間が自分で物事を考え抜いたり自分で打ち立てた行動指針の通りに生きられるわけではなかった。そこで、ある特権的な知者が、あるいは使徒たちが「人間の信じやすさ」を利用して、悲劇回避のための智慧を、教条的に、「掟」として、ひとびとに守らせるということをした。このように宗祖亡き後の社会や「人間の組織としての宗教」の採った組織運営方針のために、一時的に「宗教」は当初の目的である悲劇の先送りに成功した面もあった。でもそのはずが、その宗教そのものが「転向」してしまうためにむしろその後の滅びを早めてしまう矛盾にも繋がっていく。

何のことを言っているのかと言えば、たとえば中世ヨーロッパにおけるカトリックが《反知》と恐怖による歯止めによって滅びを先送りし、社会を崩壊から守ろうとしたと解釈できる点についての言及であるとも言える。そして多くの醜悪な組織の腐敗を生じさせながらも、彼らの試みは一時的に成功し、欧州地域を悪名高き「中世」で知られる一時代で覆うことができた。でもそれは読んで字のごとく、「文明の成長を遅延させる」ことも意味したので、欧州を相対的に非欧州よりも「後進地域」にしてしまった。

これは宗教の第一目的の観点からすると文明の発展を大いに遅らせたので相当の成功であったと言うことができる。その《反知》の方針が、文字通り「全世界」を覆うことができれば、世界を文明の崩壊から守ることにも繋がったかもれないが、数多くの宣教運動(ミッション)にも関わらず実際にはそのようにはならなかった。なぜなら世界は「別の宗教」によって管理運営されている箇所もあれば、また人間の《知》への傾向(好奇心)も宿命的に否定しがたい強さを持っていたりもするために、キリスト教圏はそれ以外の《知》への傾向に抗わないひとびとと出会えば危険に曝されることになる。「遅れている」から攻められればひとたまりも無い。

したがって反文明性こそが初期キリスト教の“文明”的本性であったとすれば、その他の文明との邂逅は大変危険なことになる。キリスト教は《知》を上手に扱う他文明との出会いや、地域内で発生する反カトリック運動との衝突を経験するに従って、そうした敵と互角に戦うために、《反知》であったはずの自分たち自身が、部分的な《知》の採用に踏み出さなければならなくなる。例えばジェズイット(イエズス会)の登場などもその一例。言わば、暴力を敵視し暴力の氾濫を抑えるために平和の使者が結局は暴力を採用してしまうというようなパラドックスである。

それは結局、キリスト教自体の決定的な方向転換に結びつき、結局は科学技術文明の制動装置(ブレーキ)としてというよりは、むしろ加速装置(アクセル)としての役割さえ果たしてしまう。それはプロテスタンティズムの登場によって決定的となり、後戻りできなくなった。そして、自分たちがそもそもなんでキリスト教徒になったのかという当初の目的を忘れて、単なるユマニスムなり博愛主義なりになって何でも「愛によって」許容してしまう。反文明的なカトリックによるユートピア建設を夢見た筈が、現代社会に見るようなアングロ・サクソン的な「資本主義の精神」さえその「宗教」が包摂してしまうことになる。

以上のような理由から、カトリックの欧州支配は文字通り「至福千年」としてほぼ千年続いたのだと解釈できると思える。いずれにしても、宗教自体も人間によって運営される以上、それは人間的な腐敗や方針転換と言う妥協の産物になってしまうことをまぬがれない。このことについてはキリスト教に限らず、すべての、「人間の組織としての宗教」は、大なり小なり経験してきたものである。あの仏教でさえそうした腐敗の例外でなかった。つまり、宗教の本質的な哲学や教義の持つ、「人間学」とも「滅亡回避術」とも呼ぶべきサイエンスとしての価値、あるいは集合的処世術としての価値とは別に、それがその理想をこの地上に実現しようとして実力行使に及ぶや否や、それはわれわれの今後も研究を続けていこうとしている宗教の本質とは別物の、「宗教」になってしまうのである。

そして宗教の本質(エッセンス)は、腐臭を放ち続けるいかにも人間的な「虚偽の宗教」の発展と「成功」の裏で、それとともに付かず離れずの距離と保ちながら影のように従いつつここまで生き伸びてきた。本質と非本質は互いに共犯関係にあるという意味で、互いに一方が他方を利用してきた。「大いなるウソがなければ真実も伝達されなかった」だろうという逆説。大いなる悪の大河の水にのって微量の善の水が運ばれていく。悪があってこその善。そしてその善は未来に若干の種を残すのだ。

忘れられた宗教の機能

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