【暗黒】What’s the Dark Matter with you?

Dark Ring

暗黒物質関連のニュース

本当なら大変なことだよ、これは!

宇宙の重さのうち、星など普通の物質が占める割合は4%にすぎず、残りは暗黒物質と暗黒エネルギーとされる。観測チームは「輪の観測で、暗黒物質と通常物質の振る舞いの違いなどが調べられる」という。

05.16.2007 朝日新聞ウェブの記事から

こんなことは知らなかった。「重さ」と言えば、無条件に物質の重さのことだろうと当然のように思っていたのだが、そういうことばかりではなくて、どうやら「物質でないもの」が作り出す重さというものがあるということが、ここでは語られているということなのだろうか? (物質でないモノって、そもそも「物」なのか?)

ちょっと待ってくれ!

「星など普通の物質が占める割合は4%にすぎず…」というのは言い換えると、宇宙全体の質量の96%は、「普通の物質」以外の醸し出す「重み」であることになるが、そういう理解でいいのだろうか? では、そもそも「普通の物質」とは! そもそも「重さ」とは? それって一体…

暗黒物質 Dark Matter のことは昔から聞き及んでいたが、このようなものとは知らなかった(今でも知らないが)。おそらく知れば知るほど自分の想像の翼が届く範囲の内容などは、どんどん修正されてしまうのだろう。だがその時まで、つかの間の遊びとして想像の赴くままに任せてみよう。

われわれが五感を使って把握できる物質の実態が宇宙全体の「質量」のわずか4%を占めるのみなら、科学がどんなに進歩して宇宙の「すべて」を探査して、把握して、理解したとしても、(万が一にも、そんなことが可能になったとして…)その「すべて」は、宇宙全体の表層の部分に過ぎないことになる。だが、把握できない“実態”がどこぞにあって、それらのほうが重く、しかも存在の質量中、「マジョリティ」であるというのは、文字通りわれわれの想像を超えている。

しかも昨日見たテレビに出た学者の解説によると、Dark Matterというのは、宇宙のどこか遠くにあるのではなくて、あらゆる場所に遍在しているとさえ言う。!? ここにも、あそこにも、自分の体の中にも潜んでいる。そしてそれは我々の五感のシステムによっては実態として捉えられないだけで、りっぱに存在はしている。われわれの身体器官がそれらに属していないから、我々の感覚器官がそれを捉えられないから、捉えられる部分を遮って影のように「見えて」いる(つまり見えない部分があるのが諒解できる)のを以て、そこにあるらしいという風に、おそらく否定的にしか捉えることができない

我々の目に影のように見える、あるいは何かを遮ったり、光の進行を変更させたりするのを観察することでしか捉えることができない、という意味で、われわれはそれを暗黒物質 Dark Matterを呼ぶわけだが、捉えられない実体の方が、宇宙の実態であり、我々の住むこの「わずか4%に相当する世界」の方が、影のように、あるいはリンゴの皮のように、「実在」の表層であるとすれば、あちら側がBright Matterで、われわれこそが Dark Matterに属しているということの方が、ありそうな気もするのである。

つまり言わば「光輝物質 Bright Matter」から“照射”される光によって投影されたのが、われわれDark Sideの住民ではないか、と。

この問題 matterは、純粋に物理学や天文学の領域の課題 a task なのかもしれないが、精神世界と関連させて考えてしまう誘惑にどうしても抗することができない。

Wikipediaによると、「素粒子論からの暗黒物質の候補」として、ニュートリノ、ニュートラリーノ、アクシオン、シャドーマターなどがあるらしいが、この中でその存在が観測されたのはニュートリノのみ。あとは理論上その存在が予想されるだけだという。「シャドーマター」に至っては、「超対称性理論によりその存在が予言される物質。重力以外の相互作用をしないため、もし存在したとしても、見ることも触ることも認識することも不可能」などと説明されており、みることも触ることも認識することも不可能とのことで、これはまるで霊界や精神界に属するもののようにも聞こえる。

以下も、想像上の話。

物質と物質が、存在論上、どのように相互依存をしているのかはわからない。だがもしこうした「みることも触ることも認識することも不可能」な存在が、我々の世界の存在の隣にただ在るのではなく、我々の世界そのものを支えるものとして存在しているとしたら、この影のようなわれわれの世界の存在は、まさに「みることも触ることも認識することも不可能」な存在の影のようなものかもしれない。

これは、プラトンが展開しようとしたいわゆる「イデア論」、すなわち「イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の真実の実在的存在であり、我々の住む感覚的事物はその影であり、イデアが存在しているのがイデア界(本質界)、そしてその陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる」というあの有名な論が、まるで証明されたかのようにさえ思えるのだが、それは単なるご都合的にしか解釈できない自分の勝手な想像にすぎぬ。

私はなによりも、今回のニュースがひとつの《福音》のように聞こえた。

つまり「世界が把握できない」ことが、われわれにとって嘆くようなことではなくて、むしろ希望を与えるものとして受け取れたという意味だ。これは、興奮するほどの発見だと思えたのだ。宇宙の中では把握できない実態の方が遥かに多いということは、今までも散々に言われてきたことだとは思うが、これを改めて言語化してみると、身体的な存在以外の何か「精神的」とも言うべき実態が、「あちら側」から「こちら側」に照射してきているものが、物質であるという考え方も指示するように思えるのだ。

私は、魂に重さがあって死ぬとその分だけ軽くなる、などというような俗説を簡単には信じない(そんなのをテーマにした映画なんかもあったな)。でも、このようなコト matterが、存在するとなると、「魂は21グラムだ」というようなファンタジーもあながち嘘ではないかもしれない、その魂は、Dark Matterの大海に帰っていく部分なのだきっと、そして「帰って」しまえば我々はそれを観測することさえもできない、だが絶対に失われることのない“実態”として恒常的に宇宙のどこかに存在し続ける、などなど、と果てしなく想像の翼が広がってしまうのだ。

だが、ダークマターが「解決」されてしまうまでのつかの間、そんな夢想をしたって、誰も困りはしないだろう。しばらく夢を見させてくれたまえよ、Oh, my dark matter, please!

[PS. 知人友人方面では「ぴ」さんあたりから、白昼夢を醒まさせるような解説が飛び出しそうだが…]

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