映画『ミリオンダラー・ベイビー』からの教訓

milliondollar baby

以前、どこかで映画作家で批評家の西周成氏の書いていた評論を読み、クリント・イーストウッドの監督作品である本作を意外にも肯定的に評価していたのに興味を抱き、いつか観てみたいと思っていたのだが、ビデオをレンタルしてついに観た。

以下は、それで得た感慨。

1)人生の価値は、それがどう終わるかによっては判断できない。

(人生の価値は、その始まりにも過程にも終わり方にも、どの段階にもあるだろう。)

人生の終わり(死に方)の有り様は、その生き方の中に原因が求められるが、生きる者すべてに終わり(死)が来る以上、その死に方はひとつの結末ではあっても、人生そのものの価値とは関係がない。

人生の価値がその終わり方(死に方)にのみ見出されるとする者には、終わりだけを「良く終わらせる」ための追求が長い人生の中身となろう。人生の半ばは、全て手段であり、方法であるということになる。

だが、一体生を受けた何者が自分の死期や死に方を正確に予期できよう?

2)ひとが他人と関わり、コミュニケートし、何事かを伝えるという行為は、何事かを達成するための手段であるに留まらない。それ自体が価値であり、人生の中身である。

【結論】

「終わりよければすべて善し」は、人生の本質を捉え損なう、余りに単純化した言い方ということになろう。

PS. それにしてもモーガン・フリーマンが狂言回しとして、とつとつと語るあの語り口は、『ショーシャンク』のときも然りだったが、映画の成功の一要因となっているようにも思え、ちょっと演出家としては「ズルイ」ところかもしれない。それほど別格の「語り部」だ、フリーマン。

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